残酷な描写あり
一向宗との出会い
「田中殿はどうしてここに?」
「実は堺の商人から話を聞きましてね」
街道を歩きながら僕たちは話をしていた。
かなり背が高い商人、田中与四郎は伊勢国の竹林を見に来たらしい。
「良きものは多少ございましたが、ほとんどはあまり用いられませんね」
「何に用いるつもりだったんですか?」
田中殿の隣を歩いていると歩幅が違うから、自然と早足になってしまう。
「茶杓でございます」
「茶杓? なんですかそれ」
「茶道具の一つで抹茶を茶碗に入れるものでございます」
田中殿は明らかに年下な僕にも丁寧に話してくれた。
「その茶杓というのは竹で作られるのですか」
「ええ。私は茶杓を自作するのが趣味でして」
ということは茶の湯に親しんでいるわけか。
「なあ。田中とやら。堺の商人なら千宗易を知っているか?」
源五郎さまが振り返って田中殿に訊ねた。
「ええ。存じております」
「知り合いか? どのような人物だ?」
田中殿は「知り合いではございませぬが」と前置きしてから話す。
「武野紹鴎さまに師事を受け、茶道を極めんとなさる方です」
「武野紹鴎? 雲、知っているか?」
僕は藤吉郎から聞いていたので、答えることができた。
「確か村田という人の弟子だった気がします」
「ええ。村田珠光さまですね」
源五郎さまは「確か珠光小茄子なる茶器があると聞くな」と呟いた。
「ま、経歴はどうでもいい。どんな人物か、おぬしは知らんのか?」
「堺に行けば、会えることもあるでしょう。そのとき、あなたさまの目で見定めてください」
何かはぐらかされた感じがするが源五郎さまは「それもそうだな」と納得してしまった。
「あなた方は堺で何用ですか?」
「僕たちは伊藤屋に奉公しに行くのです」
あらかじめ言われていたとおりに答えると「伊藤屋、ですか」とこれまた納得してしまった。
「お勤めご苦労様にございます」
「……話が戻って悪いが、どうして伊勢国の竹林を見に来たんだ?」
源五郎さまはふと疑問に思ったようだった。
「商業都市である堺では良質な竹が取引されるだろう。いや、堺でなくとも京でも取引があるだろう。どうしてわざわざ伊勢国なんだ?」
「ええ。確かに堺や京でも取引はされます。しかしそれらは高値でございますゆえ」
田中さんの言い訳に源五郎さまは「山賊に襲われる危険を冒してまでか?」と疑う視線を向けた。
「それにそもそも――」
「源五郎さま。宿場町が見えてきました。ここにて今日は休みましょう」
先頭を歩いていた森さまが指差した先には宿場町が見えた。
それによって話は中途半端に終わってしまった。
◆◇◆◇
それから伊賀国と大和国を抜けて、京の都近くを通り、摂津国の石山まで数日かけて歩き続けた。問題らしい問題はなく、途中、源五郎さまが足が痛いと言ったので、森さまがおぶっていたぐらいだった。
旅をしているうちに田中殿は名のある商人だと思うようになった。まず学があった。博識と言ってもいいくらいだ。次に理性的だった。物事を正しく考えているというのを感じられる言葉遣いだった。そして最後に茶の湯の造詣が深いということだった。茶杓を自作するくらいだから、知っていてもおかしくないと思っていたけど。
堺で茶の湯修行を受けているとき、暇があったら田中殿を訪ねてみようと思った。この人からはいろいろ学べると感覚的に思ったからだ。
石山に着くと、大きな寺に大勢の人々が集まっているのが見えた。
「なあ森殿。あれは何の集まりだ?」
「確か一向宗の者共ですな」
一向宗。政秀寺ではあまり良い評判を聞かなかったな。
「田中殿。一向宗の教えを知っていますか?」
僕の問いに「ええ。存じております」と寺に群がる人々を見ながら言う。
「南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土へといける『他力本願』なる教えですね。それと『悪人正機』も知られています」
「はあ? 悪人でも極楽に行けるのか?」
源五郎さまの呆れた声に「この場合の悪人とは罪人という意味ではございません」と田中殿は否定した。
「悪人とは御仏から見た場合の人間です。つまり御仏を信じぬ者のことを悪人と呼びます。その悪人であっても、自らが悪人と自覚していれば、極楽浄土に導かれるとのことです」
「うーん? どういうことだ、雲?」
源五郎さまが僕に問う。
「御仏を信じているから、極楽に行けるのではないのか?」
「人間、見たこともない存在を容易く信じられないということですね」
「……確かにそういうものだな」
教え自体は分かりやすくて学のない者でも受け入れやすいと思う。
だって南無阿弥陀仏と唱えて、御仏をあまり信じなくてもよいのだから。
「あんまり好きじゃねえな」
だけど森さまはあっさりと否定した。
「嫁が信仰しているから、悪く言いたくないが、加賀国の一向一揆や天文の錯乱みてえなことが起こったら、世の中はおしまいだ」
加賀国の一向一揆は一向宗の国盗りで、天文の錯乱は京を一向宗と法華宗が戦い続けた動乱を言う。確か一向宗はそれぞれの戦いで十万から二十万ほどの軍を成したとされる。
「元を正せばお武家さまが原因だと思いますが、一向宗が危ういものだというのは否定できません」
田中殿は厳しい口調で言った。
確かに二つの戦乱は大名が発端だけど、単なる百姓一揆と違って、己の欲を満たすために暴走してしまったと沢彦和尚が教えてくれた。
まさに餓鬼のようだったらしい。
寺に居る人々は南無阿弥陀仏と唱えている。
彼らは信じている。
そして熱狂していた。
極楽浄土への渇望を胸に。
「あんたも一応坊さんなんだろう? そんなこと言っていいのか?」
「私も剃髪していますが、これは商人がやんごとなきお方との商売をやりやすくするための小賢しい浅知恵でございます」
源五郎さまの言葉に田中殿は静かに返した。
「まあ、末法の世だとか、戦国乱世だとか言われている現よりも死んで極楽行くほうがマシかもしれないな。さて、いくぞ三人とも」
源五郎さまに促されて僕たちは歩き出す。
そのとき、一人の僧とすれ違った。
笠を被った青年。だけど徳を感じさせる。
そんな僧とすれ違った。
「あれは……」
田中殿が不思議そうな顔をしてその僧の後ろ姿を見る。
「お知り合いですか?」
「……いえ。多分、気のせいでしょう。あの方が一人で歩くわけがありません」
そしてこんなことを呟いた。
「光佐殿ならばお付きの者が居りますし」
光佐――その名を僕は堺に着く頃には忘れてしまった。
「実は堺の商人から話を聞きましてね」
街道を歩きながら僕たちは話をしていた。
かなり背が高い商人、田中与四郎は伊勢国の竹林を見に来たらしい。
「良きものは多少ございましたが、ほとんどはあまり用いられませんね」
「何に用いるつもりだったんですか?」
田中殿の隣を歩いていると歩幅が違うから、自然と早足になってしまう。
「茶杓でございます」
「茶杓? なんですかそれ」
「茶道具の一つで抹茶を茶碗に入れるものでございます」
田中殿は明らかに年下な僕にも丁寧に話してくれた。
「その茶杓というのは竹で作られるのですか」
「ええ。私は茶杓を自作するのが趣味でして」
ということは茶の湯に親しんでいるわけか。
「なあ。田中とやら。堺の商人なら千宗易を知っているか?」
源五郎さまが振り返って田中殿に訊ねた。
「ええ。存じております」
「知り合いか? どのような人物だ?」
田中殿は「知り合いではございませぬが」と前置きしてから話す。
「武野紹鴎さまに師事を受け、茶道を極めんとなさる方です」
「武野紹鴎? 雲、知っているか?」
僕は藤吉郎から聞いていたので、答えることができた。
「確か村田という人の弟子だった気がします」
「ええ。村田珠光さまですね」
源五郎さまは「確か珠光小茄子なる茶器があると聞くな」と呟いた。
「ま、経歴はどうでもいい。どんな人物か、おぬしは知らんのか?」
「堺に行けば、会えることもあるでしょう。そのとき、あなたさまの目で見定めてください」
何かはぐらかされた感じがするが源五郎さまは「それもそうだな」と納得してしまった。
「あなた方は堺で何用ですか?」
「僕たちは伊藤屋に奉公しに行くのです」
あらかじめ言われていたとおりに答えると「伊藤屋、ですか」とこれまた納得してしまった。
「お勤めご苦労様にございます」
「……話が戻って悪いが、どうして伊勢国の竹林を見に来たんだ?」
源五郎さまはふと疑問に思ったようだった。
「商業都市である堺では良質な竹が取引されるだろう。いや、堺でなくとも京でも取引があるだろう。どうしてわざわざ伊勢国なんだ?」
「ええ。確かに堺や京でも取引はされます。しかしそれらは高値でございますゆえ」
田中さんの言い訳に源五郎さまは「山賊に襲われる危険を冒してまでか?」と疑う視線を向けた。
「それにそもそも――」
「源五郎さま。宿場町が見えてきました。ここにて今日は休みましょう」
先頭を歩いていた森さまが指差した先には宿場町が見えた。
それによって話は中途半端に終わってしまった。
◆◇◆◇
それから伊賀国と大和国を抜けて、京の都近くを通り、摂津国の石山まで数日かけて歩き続けた。問題らしい問題はなく、途中、源五郎さまが足が痛いと言ったので、森さまがおぶっていたぐらいだった。
旅をしているうちに田中殿は名のある商人だと思うようになった。まず学があった。博識と言ってもいいくらいだ。次に理性的だった。物事を正しく考えているというのを感じられる言葉遣いだった。そして最後に茶の湯の造詣が深いということだった。茶杓を自作するくらいだから、知っていてもおかしくないと思っていたけど。
堺で茶の湯修行を受けているとき、暇があったら田中殿を訪ねてみようと思った。この人からはいろいろ学べると感覚的に思ったからだ。
石山に着くと、大きな寺に大勢の人々が集まっているのが見えた。
「なあ森殿。あれは何の集まりだ?」
「確か一向宗の者共ですな」
一向宗。政秀寺ではあまり良い評判を聞かなかったな。
「田中殿。一向宗の教えを知っていますか?」
僕の問いに「ええ。存じております」と寺に群がる人々を見ながら言う。
「南無阿弥陀仏を唱えれば極楽浄土へといける『他力本願』なる教えですね。それと『悪人正機』も知られています」
「はあ? 悪人でも極楽に行けるのか?」
源五郎さまの呆れた声に「この場合の悪人とは罪人という意味ではございません」と田中殿は否定した。
「悪人とは御仏から見た場合の人間です。つまり御仏を信じぬ者のことを悪人と呼びます。その悪人であっても、自らが悪人と自覚していれば、極楽浄土に導かれるとのことです」
「うーん? どういうことだ、雲?」
源五郎さまが僕に問う。
「御仏を信じているから、極楽に行けるのではないのか?」
「人間、見たこともない存在を容易く信じられないということですね」
「……確かにそういうものだな」
教え自体は分かりやすくて学のない者でも受け入れやすいと思う。
だって南無阿弥陀仏と唱えて、御仏をあまり信じなくてもよいのだから。
「あんまり好きじゃねえな」
だけど森さまはあっさりと否定した。
「嫁が信仰しているから、悪く言いたくないが、加賀国の一向一揆や天文の錯乱みてえなことが起こったら、世の中はおしまいだ」
加賀国の一向一揆は一向宗の国盗りで、天文の錯乱は京を一向宗と法華宗が戦い続けた動乱を言う。確か一向宗はそれぞれの戦いで十万から二十万ほどの軍を成したとされる。
「元を正せばお武家さまが原因だと思いますが、一向宗が危ういものだというのは否定できません」
田中殿は厳しい口調で言った。
確かに二つの戦乱は大名が発端だけど、単なる百姓一揆と違って、己の欲を満たすために暴走してしまったと沢彦和尚が教えてくれた。
まさに餓鬼のようだったらしい。
寺に居る人々は南無阿弥陀仏と唱えている。
彼らは信じている。
そして熱狂していた。
極楽浄土への渇望を胸に。
「あんたも一応坊さんなんだろう? そんなこと言っていいのか?」
「私も剃髪していますが、これは商人がやんごとなきお方との商売をやりやすくするための小賢しい浅知恵でございます」
源五郎さまの言葉に田中殿は静かに返した。
「まあ、末法の世だとか、戦国乱世だとか言われている現よりも死んで極楽行くほうがマシかもしれないな。さて、いくぞ三人とも」
源五郎さまに促されて僕たちは歩き出す。
そのとき、一人の僧とすれ違った。
笠を被った青年。だけど徳を感じさせる。
そんな僧とすれ違った。
「あれは……」
田中殿が不思議そうな顔をしてその僧の後ろ姿を見る。
「お知り合いですか?」
「……いえ。多分、気のせいでしょう。あの方が一人で歩くわけがありません」
そしてこんなことを呟いた。
「光佐殿ならばお付きの者が居りますし」
光佐――その名を僕は堺に着く頃には忘れてしまった。