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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
興福寺へ
 話を終えた与一郎さまはお師匠さまに向かって「それでは私は京へ戻る」と言い残して去ってしまう。
 そしてその場には僕とお師匠さまだけになった。

「雲之介さま。この井戸茶碗は私が覚慶さまに贈ったことにしてください」
「えっ? 与一郎さまではなく?」
「ええ。そもそも与一郎さまからの贈り物ではございませんゆえ」

 それ以上、何も語らないお師匠さま。
 いまいちよく分からないが、ここは素直に従っておこう。
 知ってしまえば厄介なことに巻き込まれそうだし。

「分かりました。これはお師匠さまからの贈り物ですね」
「ええ。確かに頼みましたよ」

 立ち上がって部屋を出るとき、お師匠さまが「雲之介さま」と呼び止めた。

「何度も繰り返し言いますが、技量や名器でもてなすのではなく、心でもてなすのですよ」

 僕は何故そんなことを言ったのか分からなかったけど「はい。分かりました」と返事をした。
 お師匠さまはじっと僕を見つめてから言う。

「お気をつけて。無事に帰ってきてください」

 というわけで金子を持って、堺から大和国へと向かった。
 源五郎さまに挨拶しておこうかなと思ったけど、宗二さんに茶の指導を受けているそうなので諦めた。まあ四日もあれば帰ってくるだろう。それにお師匠さまが伝える手はずになっている。

 しかし、与一郎さまは何者だろうか。
 京に戻ると言っていたから京の人間だろう。
 でもそう考えるとおかしい。
 京から大和国なら半日もせずに着く。わざわざ摂津国を通って堺に来てまで、お師匠さまに頼む理由とはなんだろう?
 自分で届けるのが嫌なら京の商人に頼めばいい。
 どうして堺の商人であるお師匠さまに頼む?

 考えれば考えるほど奇妙な話だけど、深く考えたら泥沼に嵌ってしまいそうな気がする。
 こういう場合は考えない方がいいな。
 だから、これ以上考えないようにした。

 二日後。大和に着くと、興福寺を目指した。道行く人たちに訊ねると「この道をずっと行って、一番立派な寺がそうだ」と一様にそう言った。
 言葉に従って歩くとそこには確かに立派な寺があった。
 比較するのは悪いけど、政秀寺よりも立派だなあ。

 石でできた階段を昇り、これまた立派な門を叩く。
 しばらく経って、門が開いた。
 出てきたのは、痩せている僧侶だった。

「あなたは……どちらさまですかな?」
「えっと、雲之介といいます。一乗院門跡の覚慶さまにお届け物です」

 僧侶は「覚慶さまに?」と不思議そうな声を出した後、やや警戒した顔になった。

「覚慶さまにどのようなお届け物を?」
「井戸茶碗です。師匠の千宗易からの贈り物です」

 荷を見せると僧侶はしばらく考えて「何か証明するものはございますか?」と訊ねた。
 僕は手紙を差し出す。
 僧侶は手紙を読むと「分かりました」と納得した。

「刀をお預かりします。寺には不浄なるものは入れられませんので」
「分かりました。どうぞ」
「それではご案内します。こちらへ」

 寺内は僧侶がたくさん居た。部屋で写経している者、庭掃除をしている者、読経をしている者、仏論を交わしている者。全員賢そうで真面目そうな感じがした。

「ここで一先ずお待ちください」

 痩せている僧侶に案内された部屋には囲炉裏いろりがあった。煌々と火が燃えている。そういえばもう秋になってしまったな。
 障子が閉められて、一人きりになる。
 囲炉裏に当たって気を落ち着かせる。
 ここでやっと気づいたけど、もしかして覚慶さまって物凄く偉い人じゃないだろうか?

「ああ。遅くなってすまない」

 障子が開けられた。そこには貴人のような僧侶が居た。
 二十歳そこそこ。でも徳が高いと一目で分かった。
 どこか疲れているような表情。
 着ているものは先ほど見た僧侶たちと比べて高級だった。
 この人が覚慶さまか……

「お初にお目にかかります。雲之介といいます」
「雲之介か……宗易とやらの使いらしいな。先ほど手紙を読んだ」

 折り目正しく正座をして、僕に訊ねた。

「与一郎だろう? その井戸茶碗を私に贈るように頼んだのは」

 鋭い指摘に僕は「どうして分かったんですか?」と聞き返してしまった。
 これには覚慶さまも意外だったようで一瞬驚いてから、吹き出してしまった。

「あっはっは! こんな正直な子供は初めてだ! 口止めされていただろう?」
「えっ? なんでそれも分かるんですか!?」
「あははははは! それも面白いな! いやあ、雲之介とやら、そなたは愉快な子供だ!」

 腹を抱えて笑う覚慶さま。
 そんなに面白かったのかな……

「さてと。おそらくそなたには聞かされていないようだが、その井戸茶碗は兄上からの贈り物だ」
「はあ。兄君の……」
「その様子だと与一郎の素性も私の素性も知らないようだな」

 そして喉奥でくっくっくと笑った。

「まったく、兄弟同士の贈り物を邪推する者が多きことよ。しかしどうしておつかいを引き受けた?」
「引き受けたのはお師匠さま――宗易さまの弟子だからですよ」
「商人の弟子なのに、どうして帯刀していた?」

 かなり鋭いな。僕は自分の素性を明かした。
 織田家の家臣、木下藤吉郎の家臣であること。源五郎さまと一緒に侘び茶の修行をしていることなどをかいつまんで話した。

「なるほどな。武士なのか。それにしては素直すぎるな」
「よく言われますね」

 覚慶さまは「ますます気に入った」と微笑んだ。

「そなたは茶を点てられるそうだな。ここに炉がある。茶道具を用意させるから、点ててみよ」
「いいですけど、僕は半人前ですよ?」
「構わない。好きにしてみせよ」

 覚慶さまは障子を開けて、茶道具を用意するように大声で命じた。
 茶道具が用意されるまで、僕はせっかくなので、前々から僧に聞きたかったことを訊ねた。

「前から聞きたかったんですけど、どうしてお寺は保護されているんですか?」
「保護? ああ、大名が庇護しているのは何故かという意味か?」

 流石に仏教で人は救われないのに、どうして寺があるのかみたいなことは言えなかったので曖昧に頷く。

「門跡の私が言うのもおかしな話だが、簡単な話、儲かるからだ」
「儲かる、ですか?」
「そうだ。人は仏の教えに縋る。要は帰依したいがために寺に集まる。人が集まるということは商いを行なう者が出てくるわけだ。結果として町ができる。町ができれば税収が増える」
「ただ、それだけなんですか?」
「もちろん道徳的な効果もある。基本的に仏教は殺しや盗みを禁じている。その教えを説くことで、無知なる人々を善良にさせる。つまり治安も良くなるわけだ」

 僕が聞きたかったことじゃないけど、為になる話だった。
 抽象的な話じゃなくて、現実的な話をしてくれた。
 まるで口ぶりが武士のような――

「おっ。茶道具が用意されたようだな」

 覚慶さまは僕に笑顔を見せた。

「さあ。私をもてなしてくれ」

 僕が初めてもてなしたのは、徳があるけど、なんだか俗っぽく、それでいて人間味に溢れる、よく笑うお人だった。
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