残酷な描写あり
虚無感で満たされる
夕刻、比叡山の麓にて、陣を敷いていた僕たち羽柴家と合流した上様の本軍。
それを出迎えたとき、多くの武将が居る中、開口一番に上様は僕に言った。
「雲之介、仔細を聞いたぞ。妻のことは残念だったな」
上様がそう言ってくださったのは望外のことだった。
まさか、志乃が死んだことを知ってくださったとは――
「ありがたき御言葉、感謝いたします。冥途にて、志乃も喜んでいると思います」
「で、あるか。あまり思い詰めるなよ」
そっけないけど上様なりの気遣いに僕は思わず泣きそうになるけど、ぐっとこらえた。
「猿。比叡山の山門を全て塞げ」
「ははっ。麓の聖衆来迎寺はいかがなさいますか?」
「退去に応じるのであれば、ねぎりは許すと伝えよ」
そして上様は、夕焼けに染まった比叡山を見つめる。
「総攻撃の準備を整えよ」
「上様、しばしお持ちを」
異議を唱えたのは池田恒興さまだった。
上様はぎろりと睨む。
「何か問題でもあるのか、勝三郎」
「今、総攻撃してしまうと、闇夜に乗じて逃げる者が多いと思われます。であるならば、早朝に攻撃を仕掛けるのが、上策かと」
上様は池田さまの進言を吟味し、やがて頷いた。
「分かった。では早朝に攻撃を仕掛ける」
「ははっ。かしこまりました」
上様はそれから「猿と雲之介だけ残って、後は各々の陣に戻れ」と命じた。
柴田さまと前田さまと池田さまは去るとき、僕に同情の目を向けた。
それ以外の武将は迷惑そうな目を向ける。
三人だけになったとき、上様は単刀直入に切り出した。
「雲之介。貴様、俺の娘か妹を娶る気はないか?」
突然の申し出に僕は驚きを禁じえなかった。
「何をおっしゃっているのですか?」
「言葉どおりだ。貴様を織田一門衆に引き入れたい」
思わず僕は秀吉を見た。何も言わないけど、表情から緊張が見えた。
「本気でおっしゃっているのであれば、今は考えられないとしか言えません」
「確かにな。妻を失って四十九日も経っていない。気持ちは分かる。しかしだ、この縁談は先の将軍、義昭公からも申し出があった」
義昭殿が? 一体どういうことだろうか?
「義昭公はいたく貴様の妻の死を悲しんでいらっしゃる。もしも自身が将軍を辞さなかったら、比叡山が暴徒化しなかったのではないかと思い悩んでいる」
「それは、関係ないと思います……」
「そう言える貴様は、本当に甘いくらい優しいな」
上様はそう言って大笑いなさった。
「貴様の縁談は既に決まっている。だがすぐとはいかん。半年後、岐阜城に来い」
「僕の意思は関係ないんですね?」
「そうだ。それに猿からも強く推されてな」
思わず秀吉の顔を見る。
ばつの悪い顔をしていた。
「上様。内緒にしていただく約束ですぞ」
「小賢しい。書状で口止めなどされてたまるか」
だから緊張していたのか……
僕はため息を吐いた。
「上様と義昭殿、そして秀吉から薦められたら、受けるしかないですね」
「意外と素直だな。ああ、それと一つだけ言っておく」
上様は真剣な表情で言う。
「比叡山攻めが終わった後、妻の後を追うことは決して許さん」
「……上様」
「生きろ。そして俺の作る太平の世を守り立ててくれ」
お市さまにも釘を刺されたけど、上様もそう言うとは思わなかった。
まったく、流石に兄妹は似ているな。
「分かりました。僕は生きます」
上様、そして秀吉に、僕は改めて誓った。
「天下統一のため、太平の世のため、一心にお助けいたします」
◆◇◆◇
そして、早朝。
聞いた話によると、比叡山より使者が来たようだ。
何でも黄金を持ってきて、許しを乞うたらしい。
上様は――その使者を斬った。
こうして、比叡山延暦寺の焼き討ちが行なわれた。
燃え盛る山。
ところどころから悲鳴と怒声が聞こえる。
僕は自分の兵士に僧兵、いや比叡山に居る者全ての殺害を命じた。
刺し殺される悪僧。
斬り殺される善僧。
犯し殺される遊女。
縊り殺される稚児。
およそこの世で具現しうる殺戮が行なわれている。
その地獄の中、雪隆は多くの僧侶を斬った。
島も槍で刺し殺した。
なつめもたくさん殺した。
僕はその地獄を見続けていた。
吐き気のする光景だけど、それでも目を逸らしてはいけないと感じていた。
「殿。兵の進軍が止まっている」
返り血で真っ赤に染まった島が報告してきた。
「何があった?」
「僧兵の一人が、道を塞いでいる。かなり手強い」
「矢で射殺せばいいだろう」
「それが遠目から見たので正確じゃないかもしれないが――」
島は言うべきか迷っていたけど、意を決したように言う。
「その僧兵は、首に水晶をかけていた。見覚えのある水晶だ」
それを聞いた瞬間、鉄砲に弾込めをして、後は引き金を引くまでの準備をした。
「案内してくれ」
「……ああ」
その僧兵の足元には大勢の兵が死んでいた。
大柄で粗暴な印象を与える、悪僧だった。
身体に矢が突き刺さっているが、致命傷に至っていないようだ。
薙刀を構えている。
首には、水晶。
志乃の、水晶――
「ふはは。お前、名のある将と見た。道連れにしてくれるわ!」
悪僧は僕に狙いをつけたようだ。
迫ってくる僧兵。
僕は――鉄砲を構えて、胴体目がけて撃った。
火薬の爆発音と同時に僧兵は仰向けに倒れる。
「うぐおおおお! いてえ、いてえよ!」
無茶苦茶に暴れまくる僧兵に近づいた。
「その水晶、どうしたんだ?」
「はあ? 水晶――」
薙刀を掴もうとした手の甲に、僕は容赦なく刀を突き立てる。
「うぎゃああああああ!」
「その水晶、女から奪ったものだな?」
僧兵は荒く呼吸をしながら「ああ、そうだ!」と諦めたように笑った。
「実の子に母親を殺させた! そして奪ったのだ!」
「何故、そんなことができるんだ!」
刀で死なない程度に刺したり斬ったりする。
そのたびに僧兵は呻き苦しんだ。
「吐き気がする。肉が切り裂かれる感触。苦痛に喘ぐ声。憎悪に満ちた目。全てが心を苛み不快にさせる! どうして人を喜んで殺められるんだ!」
僧兵は――痛みに苦しみながら答える。
「そうか……縁者か、あの親子の……」
「ああそうだよ! 僕の妻と息子だ!」
僧兵はせせら笑う。
「ふはは。そうか。だが知っているか? 怨みを以って怨みを晴らすこと、それすなわち怨みは無くならんと」
「――っ! お前が、悪僧が説くな! 僕の妻を殺した、悪人が!」
「お前も拙僧も同じよ……いつか、仏罰が下る……」
そして勝ち誇ったように、悪僧は笑った。
「地獄で先に待っておるぞ! 織田の――」
言葉の途中で、僕は悪僧の喉を貫いた。
口を開け閉めしたけど、やがて動かなくなり、死んでしまった。
「雲之介さん! しっかりしろ!」
雪隆が僕の両肩を握って、無理矢理目線を合わせた。
「ああ、大丈夫だ……」
僕は雪隆の肩を借りて、立ち上がる。
そして後ろに居る部隊に命じた。
「全員、殺せ。一人も生かすな」
兵士たちが飢えた狂犬のように僧兵を殺すのを見ながら、僕は思っていた。
この世に神仏はいない。
この地獄を作り出したのは、彼らの仕業じゃない。
僕たち人間だ。
志乃を殺したのも、晴太郎に殺させたのも、全て僕たち人間の仕業だ。
燃え盛る比叡山を眺める。
綺麗とか美しいとか。そんな感情は生まれなかった。
逆に穢れているとも思わなかった。
復讐を果たしても怨みは晴れなかった。
それどころか、志乃を失った虚無感で一杯になった。
お堂で善僧が閉じ篭もり、経を唱えていると報告を受けた。
外から火を点けて焼き殺せと命じた。
このときだけは、感情が死んでいた。
比叡山延暦寺はこうして滅んだ。
京の安寧を祈り、鎮護国家を担っていた。仏教界の大本山は、火に焼かれ、血に染まって、穢れてしまった。
これを機に、上様は多くの敵を作ることになる。
僕はそれに対して、戦うだけだ。
ただひたすらに、お助けするだけだ――
それを出迎えたとき、多くの武将が居る中、開口一番に上様は僕に言った。
「雲之介、仔細を聞いたぞ。妻のことは残念だったな」
上様がそう言ってくださったのは望外のことだった。
まさか、志乃が死んだことを知ってくださったとは――
「ありがたき御言葉、感謝いたします。冥途にて、志乃も喜んでいると思います」
「で、あるか。あまり思い詰めるなよ」
そっけないけど上様なりの気遣いに僕は思わず泣きそうになるけど、ぐっとこらえた。
「猿。比叡山の山門を全て塞げ」
「ははっ。麓の聖衆来迎寺はいかがなさいますか?」
「退去に応じるのであれば、ねぎりは許すと伝えよ」
そして上様は、夕焼けに染まった比叡山を見つめる。
「総攻撃の準備を整えよ」
「上様、しばしお持ちを」
異議を唱えたのは池田恒興さまだった。
上様はぎろりと睨む。
「何か問題でもあるのか、勝三郎」
「今、総攻撃してしまうと、闇夜に乗じて逃げる者が多いと思われます。であるならば、早朝に攻撃を仕掛けるのが、上策かと」
上様は池田さまの進言を吟味し、やがて頷いた。
「分かった。では早朝に攻撃を仕掛ける」
「ははっ。かしこまりました」
上様はそれから「猿と雲之介だけ残って、後は各々の陣に戻れ」と命じた。
柴田さまと前田さまと池田さまは去るとき、僕に同情の目を向けた。
それ以外の武将は迷惑そうな目を向ける。
三人だけになったとき、上様は単刀直入に切り出した。
「雲之介。貴様、俺の娘か妹を娶る気はないか?」
突然の申し出に僕は驚きを禁じえなかった。
「何をおっしゃっているのですか?」
「言葉どおりだ。貴様を織田一門衆に引き入れたい」
思わず僕は秀吉を見た。何も言わないけど、表情から緊張が見えた。
「本気でおっしゃっているのであれば、今は考えられないとしか言えません」
「確かにな。妻を失って四十九日も経っていない。気持ちは分かる。しかしだ、この縁談は先の将軍、義昭公からも申し出があった」
義昭殿が? 一体どういうことだろうか?
「義昭公はいたく貴様の妻の死を悲しんでいらっしゃる。もしも自身が将軍を辞さなかったら、比叡山が暴徒化しなかったのではないかと思い悩んでいる」
「それは、関係ないと思います……」
「そう言える貴様は、本当に甘いくらい優しいな」
上様はそう言って大笑いなさった。
「貴様の縁談は既に決まっている。だがすぐとはいかん。半年後、岐阜城に来い」
「僕の意思は関係ないんですね?」
「そうだ。それに猿からも強く推されてな」
思わず秀吉の顔を見る。
ばつの悪い顔をしていた。
「上様。内緒にしていただく約束ですぞ」
「小賢しい。書状で口止めなどされてたまるか」
だから緊張していたのか……
僕はため息を吐いた。
「上様と義昭殿、そして秀吉から薦められたら、受けるしかないですね」
「意外と素直だな。ああ、それと一つだけ言っておく」
上様は真剣な表情で言う。
「比叡山攻めが終わった後、妻の後を追うことは決して許さん」
「……上様」
「生きろ。そして俺の作る太平の世を守り立ててくれ」
お市さまにも釘を刺されたけど、上様もそう言うとは思わなかった。
まったく、流石に兄妹は似ているな。
「分かりました。僕は生きます」
上様、そして秀吉に、僕は改めて誓った。
「天下統一のため、太平の世のため、一心にお助けいたします」
◆◇◆◇
そして、早朝。
聞いた話によると、比叡山より使者が来たようだ。
何でも黄金を持ってきて、許しを乞うたらしい。
上様は――その使者を斬った。
こうして、比叡山延暦寺の焼き討ちが行なわれた。
燃え盛る山。
ところどころから悲鳴と怒声が聞こえる。
僕は自分の兵士に僧兵、いや比叡山に居る者全ての殺害を命じた。
刺し殺される悪僧。
斬り殺される善僧。
犯し殺される遊女。
縊り殺される稚児。
およそこの世で具現しうる殺戮が行なわれている。
その地獄の中、雪隆は多くの僧侶を斬った。
島も槍で刺し殺した。
なつめもたくさん殺した。
僕はその地獄を見続けていた。
吐き気のする光景だけど、それでも目を逸らしてはいけないと感じていた。
「殿。兵の進軍が止まっている」
返り血で真っ赤に染まった島が報告してきた。
「何があった?」
「僧兵の一人が、道を塞いでいる。かなり手強い」
「矢で射殺せばいいだろう」
「それが遠目から見たので正確じゃないかもしれないが――」
島は言うべきか迷っていたけど、意を決したように言う。
「その僧兵は、首に水晶をかけていた。見覚えのある水晶だ」
それを聞いた瞬間、鉄砲に弾込めをして、後は引き金を引くまでの準備をした。
「案内してくれ」
「……ああ」
その僧兵の足元には大勢の兵が死んでいた。
大柄で粗暴な印象を与える、悪僧だった。
身体に矢が突き刺さっているが、致命傷に至っていないようだ。
薙刀を構えている。
首には、水晶。
志乃の、水晶――
「ふはは。お前、名のある将と見た。道連れにしてくれるわ!」
悪僧は僕に狙いをつけたようだ。
迫ってくる僧兵。
僕は――鉄砲を構えて、胴体目がけて撃った。
火薬の爆発音と同時に僧兵は仰向けに倒れる。
「うぐおおおお! いてえ、いてえよ!」
無茶苦茶に暴れまくる僧兵に近づいた。
「その水晶、どうしたんだ?」
「はあ? 水晶――」
薙刀を掴もうとした手の甲に、僕は容赦なく刀を突き立てる。
「うぎゃああああああ!」
「その水晶、女から奪ったものだな?」
僧兵は荒く呼吸をしながら「ああ、そうだ!」と諦めたように笑った。
「実の子に母親を殺させた! そして奪ったのだ!」
「何故、そんなことができるんだ!」
刀で死なない程度に刺したり斬ったりする。
そのたびに僧兵は呻き苦しんだ。
「吐き気がする。肉が切り裂かれる感触。苦痛に喘ぐ声。憎悪に満ちた目。全てが心を苛み不快にさせる! どうして人を喜んで殺められるんだ!」
僧兵は――痛みに苦しみながら答える。
「そうか……縁者か、あの親子の……」
「ああそうだよ! 僕の妻と息子だ!」
僧兵はせせら笑う。
「ふはは。そうか。だが知っているか? 怨みを以って怨みを晴らすこと、それすなわち怨みは無くならんと」
「――っ! お前が、悪僧が説くな! 僕の妻を殺した、悪人が!」
「お前も拙僧も同じよ……いつか、仏罰が下る……」
そして勝ち誇ったように、悪僧は笑った。
「地獄で先に待っておるぞ! 織田の――」
言葉の途中で、僕は悪僧の喉を貫いた。
口を開け閉めしたけど、やがて動かなくなり、死んでしまった。
「雲之介さん! しっかりしろ!」
雪隆が僕の両肩を握って、無理矢理目線を合わせた。
「ああ、大丈夫だ……」
僕は雪隆の肩を借りて、立ち上がる。
そして後ろに居る部隊に命じた。
「全員、殺せ。一人も生かすな」
兵士たちが飢えた狂犬のように僧兵を殺すのを見ながら、僕は思っていた。
この世に神仏はいない。
この地獄を作り出したのは、彼らの仕業じゃない。
僕たち人間だ。
志乃を殺したのも、晴太郎に殺させたのも、全て僕たち人間の仕業だ。
燃え盛る比叡山を眺める。
綺麗とか美しいとか。そんな感情は生まれなかった。
逆に穢れているとも思わなかった。
復讐を果たしても怨みは晴れなかった。
それどころか、志乃を失った虚無感で一杯になった。
お堂で善僧が閉じ篭もり、経を唱えていると報告を受けた。
外から火を点けて焼き殺せと命じた。
このときだけは、感情が死んでいた。
比叡山延暦寺はこうして滅んだ。
京の安寧を祈り、鎮護国家を担っていた。仏教界の大本山は、火に焼かれ、血に染まって、穢れてしまった。
これを機に、上様は多くの敵を作ることになる。
僕はそれに対して、戦うだけだ。
ただひたすらに、お助けするだけだ――