残酷な描写あり
虎福子
伊勢長島を降伏させて、半月が経った。
僕は岐阜城の評定の間に呼ばれた。
「雲之介! こたびの伊勢長島攻略、見事であった!」
上様は満足そうに僕の功績を讃えた。周りに居る家臣たちは羨望と嫉妬の目で見つめてくる。
「これで貴様を一門衆に加えられるな。佐久間、林。文句はあるまい?」
「文句など……元よりございません」
「働きに応じた者を引き上げるのも大切ですから」
口ではそう言っているものの、御ふた方はいまいち納得していない様子だった。
そのような態度では、上様の機嫌も損ねるだろうに……
「それで雲之介。婚姻についてだが――」
「その前に、僕の意見をお聞きくださいませんか?」
平伏して懇願する僕に上様は「意見? 婚姻についてか?」と困った声を出した。
「いえ。婚姻についてではございませぬ」
「ではなんだ? 好きなように申せ」
「一向宗についてです。彼らは――武田家よりも厄介だと思います」
ざわめく家臣たち。
それはそうだろう。戦国最強と謳われている武田家よりも厄介と言ったのだから。
「一向宗は、武田家よりも強いのか?」
「いえ、厄介と言っているのです。一度に何万もの人数を戦に動員でき、その上死をも恐れない信仰心。そう、彼らは死を恐れないのです」
一向宗の門徒に話を聞いてみるとよく分かる。そもそも教義が問題なのだ。
一向宗の敵は排除すべし。
もし死んでも極楽浄土に行ける。
これでは根絶やしにするしか一向宗を止める方法はない。
「それは分かるが、具体案はあるのか? 一向宗をどのように御する?」
上様の疑問に対して僕は「思いつきませんでした」と正直に言った。
「目に見える形で、織田家の力を誇示できればと考えました。しかし敵に回したら勝てっこないと思わせるようなやり方が僕には思いつきませんでした」
「ほう。敵に回したら勝てっこない……で、あるか」
上様は顎に手を置いて何かを考え出した。
「死を恐れないのであれば、生きる楽しみを与えれば良いではありませんか」
襖が開いて、そこから入ってきたのは上様の弟――行雲さまだった。
「行雲さま! ご無沙汰しております」
「雲之介。久しいな」
優しく微笑む行雲さまに対して「生きる楽しみだと?」と上様は険しい顔を見せた。
「ええ。一向宗が死を恐れないのは、死の先に極楽浄土という楽しみがあるからでしょう? であるならば現世で楽しみを与えてやれば……」
「なるほど。逆に死ぬことを恐れるということか」
上様は「二人の意見、確かに聞いた」と頷いた。
「佐和山城の丹羽長秀を呼べ。岐阜城に来るようにと」
「かしこまりました」
側近の堀秀政がその場から退去した。呼び出すための書状を書くのだろう。
「よく思いついてくれたな、雲之介」
「……何か思いついたご様子ですね」
「ああ。到底俺には思いつかないことだった」
上様は皆に言う。
「大きな城を建てる。誰も見たことのない面白い城を、時代に名を刻むような途方もない城を建ててやろう」
なんといえばいいのだろうか。
その姿に世間で言うような第六天魔王という悪名ではなく
天下を太平に導く覇王を見たのだ。
「さて。話を戻すが雲之介、お前の婚姻相手は決まっている。紹介してやるから別室で待て」
「はは。かしこまりました」
僕は小姓に連れられて案内される。そこに行雲さまも着いてきた。
「行雲さま?」
「久しぶりに話そうではないか。ついでに君の婚姻相手のこともな」
異論などなかった。
案内された部屋にはなんと信忠さまと長益さま、そして見知らぬ若者が居た。
「おお、雲。お前もとうとう我が一族にぐぼう!?」
長益さまの顔を思いっきり殴る。そのまま追撃しようとしたが「僧の前で暴力を振るわないでくれ」と行雲さまに注意された。
ちくしょう。ま、このぐらいにしておこう。
「ええ……雨竜殿は優しい人って聞いたのに、すげえ怖いじゃん……」
かなり引いている若者が怯えたように信忠さまに言う。
信忠さまは「いや。長益の叔父貴が悪い」と笑いながら言う。
「てめえ……久しぶりに会った友人に向かって、結構な挨拶じゃないか」
「……あんな書状をお市さまに送るような人は友人ではない」
長益さまはけろりとして「そりゃ悪かった」とへらへら笑っている。
うーん、もう一発殴りたい。
「長益の叔父貴。その辺で。俺にも雨竜さんに挨拶させてくださいよ」
信忠さまは僕に軽く頭を下げた。
「きちんと膝を交えて話してませんでしたね。織田信忠です。以後よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします。何分、慣れないことが多いので……」
「あはは。そんな緊張せずに。筒井攻めと任官問題で世話になったのは俺なんですから」
次期織田家の頭領にそこまでかしこまれてしまったら何も言えない。
「そんでこっちであなたに怯えているのは、俺の従兄弟の津田信澄です。なかなかの器量人ですよ」
信忠さまが紹介したのは賢そうな顔つきな若者だった。織田家の人間らしい美男子。目元はどこか行雲さまに似ているような……
「あ、津田って、確か……」
行雲さまを見るとにこやかに頷いている。
「私の息子だよ。立派に育ってくれて嬉しい」
「そうですか。とても賢そうなお人ですね」
手放しに褒めると信澄さまは「そ、そんなことないけどさあ」と照れてしまった。
「親父のこと、助けてくれたのあんただろ? なんていうか、ほんとうにありがとうな」
「礼には及ばないよ。助けたいと思って助けただけですから」
信澄さまは目を見開いて「あんたは本物の善人なんだな」としみじみと言った。
「そんなあんたを怒らした叔父貴は何をしたんだ?」
「僕を今日のどん底に叩き落した……いや地獄を見せられた。そして親友が死んだ」
正直に答えると信澄さまは信じられないという目で長益さまを見た。
「いやいや。大げさだろう。備前守は生きているだろうが」
「あんなもの、一回死んだことと等しい」
最大限の憎しみを込めて、長益さまを睨む。
片目を閉じてにやっと笑われた。
……この人には勝てないな。
「そういえば、僕の妻となる人ってどんな性格なんだ?」
今更ながらの問いだったけど、返ってきたのは別々の答えだった。
「とても思いやりのある子だよ」
「親父殿に似ていますよ」
「矜持がとても高い姪だ」
「勇ましい女だね……」
行雲さま、信忠さま、長益さま、信澄さまの順だった。
なんというか、上様に似ているというのが一番怖い気がする。
「兄上秘蔵の『虎福子』だと言われている。そんなにおかしい子ではない」
行雲さまが気を使ってそう言ってくれたが、不安が増してくる。
もう一つ聞こうと思って口を開くと――
「ここか! 私の夫がいるのは!」
大声と共に、襖が乱暴に開く。
そこにはとても美しい姫が居た。
赤と黒を基調とした小袖。
織田家特有の気が強そうな顔立ち。目は鋭く髪は長く美しい。口は大きく鼻は高くもなく低くもない。
歳は十八か十九ぐらい。十七ではないだろう。
僕は初めて見た瞬間、説明はできないことだけど、この子が僕の妻となる人だと分かってしまった。
「……そなたが私の夫か」
そう言って僕にずかずかと近づく。後ろに控えている侍女の「おやめください!」という言葉など無視している。
いきなり僕の顎に掴みじろじろと見定める。
「大きな傷があるが、顔は悪くないな。及第点だ。しかし歳が離れすぎている」
「えっと、あなたさまは――」
「あなたさまと余所余所しく呼ぶな!」
僕の妻となる女性は胸を張って言う。
「私は、はるという。以後よろしく頼む!」
……とんでもない娘が嫁になった。
それが正直な感想だった。
「同情するぜ、雲」
長益さまの声が遠くに聞こえた――
僕は岐阜城の評定の間に呼ばれた。
「雲之介! こたびの伊勢長島攻略、見事であった!」
上様は満足そうに僕の功績を讃えた。周りに居る家臣たちは羨望と嫉妬の目で見つめてくる。
「これで貴様を一門衆に加えられるな。佐久間、林。文句はあるまい?」
「文句など……元よりございません」
「働きに応じた者を引き上げるのも大切ですから」
口ではそう言っているものの、御ふた方はいまいち納得していない様子だった。
そのような態度では、上様の機嫌も損ねるだろうに……
「それで雲之介。婚姻についてだが――」
「その前に、僕の意見をお聞きくださいませんか?」
平伏して懇願する僕に上様は「意見? 婚姻についてか?」と困った声を出した。
「いえ。婚姻についてではございませぬ」
「ではなんだ? 好きなように申せ」
「一向宗についてです。彼らは――武田家よりも厄介だと思います」
ざわめく家臣たち。
それはそうだろう。戦国最強と謳われている武田家よりも厄介と言ったのだから。
「一向宗は、武田家よりも強いのか?」
「いえ、厄介と言っているのです。一度に何万もの人数を戦に動員でき、その上死をも恐れない信仰心。そう、彼らは死を恐れないのです」
一向宗の門徒に話を聞いてみるとよく分かる。そもそも教義が問題なのだ。
一向宗の敵は排除すべし。
もし死んでも極楽浄土に行ける。
これでは根絶やしにするしか一向宗を止める方法はない。
「それは分かるが、具体案はあるのか? 一向宗をどのように御する?」
上様の疑問に対して僕は「思いつきませんでした」と正直に言った。
「目に見える形で、織田家の力を誇示できればと考えました。しかし敵に回したら勝てっこないと思わせるようなやり方が僕には思いつきませんでした」
「ほう。敵に回したら勝てっこない……で、あるか」
上様は顎に手を置いて何かを考え出した。
「死を恐れないのであれば、生きる楽しみを与えれば良いではありませんか」
襖が開いて、そこから入ってきたのは上様の弟――行雲さまだった。
「行雲さま! ご無沙汰しております」
「雲之介。久しいな」
優しく微笑む行雲さまに対して「生きる楽しみだと?」と上様は険しい顔を見せた。
「ええ。一向宗が死を恐れないのは、死の先に極楽浄土という楽しみがあるからでしょう? であるならば現世で楽しみを与えてやれば……」
「なるほど。逆に死ぬことを恐れるということか」
上様は「二人の意見、確かに聞いた」と頷いた。
「佐和山城の丹羽長秀を呼べ。岐阜城に来るようにと」
「かしこまりました」
側近の堀秀政がその場から退去した。呼び出すための書状を書くのだろう。
「よく思いついてくれたな、雲之介」
「……何か思いついたご様子ですね」
「ああ。到底俺には思いつかないことだった」
上様は皆に言う。
「大きな城を建てる。誰も見たことのない面白い城を、時代に名を刻むような途方もない城を建ててやろう」
なんといえばいいのだろうか。
その姿に世間で言うような第六天魔王という悪名ではなく
天下を太平に導く覇王を見たのだ。
「さて。話を戻すが雲之介、お前の婚姻相手は決まっている。紹介してやるから別室で待て」
「はは。かしこまりました」
僕は小姓に連れられて案内される。そこに行雲さまも着いてきた。
「行雲さま?」
「久しぶりに話そうではないか。ついでに君の婚姻相手のこともな」
異論などなかった。
案内された部屋にはなんと信忠さまと長益さま、そして見知らぬ若者が居た。
「おお、雲。お前もとうとう我が一族にぐぼう!?」
長益さまの顔を思いっきり殴る。そのまま追撃しようとしたが「僧の前で暴力を振るわないでくれ」と行雲さまに注意された。
ちくしょう。ま、このぐらいにしておこう。
「ええ……雨竜殿は優しい人って聞いたのに、すげえ怖いじゃん……」
かなり引いている若者が怯えたように信忠さまに言う。
信忠さまは「いや。長益の叔父貴が悪い」と笑いながら言う。
「てめえ……久しぶりに会った友人に向かって、結構な挨拶じゃないか」
「……あんな書状をお市さまに送るような人は友人ではない」
長益さまはけろりとして「そりゃ悪かった」とへらへら笑っている。
うーん、もう一発殴りたい。
「長益の叔父貴。その辺で。俺にも雨竜さんに挨拶させてくださいよ」
信忠さまは僕に軽く頭を下げた。
「きちんと膝を交えて話してませんでしたね。織田信忠です。以後よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします。何分、慣れないことが多いので……」
「あはは。そんな緊張せずに。筒井攻めと任官問題で世話になったのは俺なんですから」
次期織田家の頭領にそこまでかしこまれてしまったら何も言えない。
「そんでこっちであなたに怯えているのは、俺の従兄弟の津田信澄です。なかなかの器量人ですよ」
信忠さまが紹介したのは賢そうな顔つきな若者だった。織田家の人間らしい美男子。目元はどこか行雲さまに似ているような……
「あ、津田って、確か……」
行雲さまを見るとにこやかに頷いている。
「私の息子だよ。立派に育ってくれて嬉しい」
「そうですか。とても賢そうなお人ですね」
手放しに褒めると信澄さまは「そ、そんなことないけどさあ」と照れてしまった。
「親父のこと、助けてくれたのあんただろ? なんていうか、ほんとうにありがとうな」
「礼には及ばないよ。助けたいと思って助けただけですから」
信澄さまは目を見開いて「あんたは本物の善人なんだな」としみじみと言った。
「そんなあんたを怒らした叔父貴は何をしたんだ?」
「僕を今日のどん底に叩き落した……いや地獄を見せられた。そして親友が死んだ」
正直に答えると信澄さまは信じられないという目で長益さまを見た。
「いやいや。大げさだろう。備前守は生きているだろうが」
「あんなもの、一回死んだことと等しい」
最大限の憎しみを込めて、長益さまを睨む。
片目を閉じてにやっと笑われた。
……この人には勝てないな。
「そういえば、僕の妻となる人ってどんな性格なんだ?」
今更ながらの問いだったけど、返ってきたのは別々の答えだった。
「とても思いやりのある子だよ」
「親父殿に似ていますよ」
「矜持がとても高い姪だ」
「勇ましい女だね……」
行雲さま、信忠さま、長益さま、信澄さまの順だった。
なんというか、上様に似ているというのが一番怖い気がする。
「兄上秘蔵の『虎福子』だと言われている。そんなにおかしい子ではない」
行雲さまが気を使ってそう言ってくれたが、不安が増してくる。
もう一つ聞こうと思って口を開くと――
「ここか! 私の夫がいるのは!」
大声と共に、襖が乱暴に開く。
そこにはとても美しい姫が居た。
赤と黒を基調とした小袖。
織田家特有の気が強そうな顔立ち。目は鋭く髪は長く美しい。口は大きく鼻は高くもなく低くもない。
歳は十八か十九ぐらい。十七ではないだろう。
僕は初めて見た瞬間、説明はできないことだけど、この子が僕の妻となる人だと分かってしまった。
「……そなたが私の夫か」
そう言って僕にずかずかと近づく。後ろに控えている侍女の「おやめください!」という言葉など無視している。
いきなり僕の顎に掴みじろじろと見定める。
「大きな傷があるが、顔は悪くないな。及第点だ。しかし歳が離れすぎている」
「えっと、あなたさまは――」
「あなたさまと余所余所しく呼ぶな!」
僕の妻となる女性は胸を張って言う。
「私は、はるという。以後よろしく頼む!」
……とんでもない娘が嫁になった。
それが正直な感想だった。
「同情するぜ、雲」
長益さまの声が遠くに聞こえた――