残酷な描写あり
軍師問答
飯屋を後にした後、僕と半兵衛さん、黒田は武家屋敷にある半兵衛さんの屋敷で話すことにした。正勝は母里と気が合って、そのまま酒盛りをし始めた。栗山は黒田について行くか迷ったが、結局は酔っ払って迷惑をかけないようにと二人の面倒を見ることにした。まったく、面倒見が良いことだ。
「竹中、あんたに一つだけ聞きたいことがある」
すっかり衝撃から立ち直った黒田は僕が点てた茶を無作法ながら飲みつつ、半兵衛さんに真剣な表情で問う。
半兵衛さんは「なんでも聞いてちょうだい」と笑った。
「あんたが思う『もっとも優れている軍師』は誰だ? 古今を含めてな」
おっ。これは興味あるな。
はたして今孔明はどんな評価を下すのだろうか?
「そうねえ。たくさん居て決められないけど……やっぱり漢の張良ね。劉邦に天下を取らせた三傑の一人だし。最期も穏やかだったしね。何も言えないほど完璧な軍師よ」
「じゃあその次は誰だ?」
「二番目は楠木正成ね。鎌倉の将軍を倒したし、臨機応変に兵を操ることができたのは、あの方ぐらいね。それと比べたら信玄も謙信もどうってことないわ」
「なるほど……では三人目は?」
黒田の言葉に半兵衛さんは自信満々に答えた。
「決まっているでしょ? 不世出の天才であるこのあたしよ!」
「……大きく出たな。しかし意外だ。今孔明と呼ばれているあんたが諸葛亮の名前を出さないとは」
半兵衛さんは「あたし、今孔明って言われるの嫌なのよ」と本当に嫌そうな顔をした。
「だって結局、劉備に天下取らせられなかったし。人を上手く使えなかった感じもするし。自分が発見した人材って姜維ぐらいでしょ? それに彼、策を用いても奇策を上手く使えないしね」
散々な言い様だ。しかし三国志を知っているのでなんとなく分かってしまう自分も居る。
「だから軍師としてはあまり評価していないわ。諸葛亮はあくまでも吏僚や軍事に関する政治家として考えるべきね」
「ほう……なるほどな」
「逆に聞くけど、あんたは誰がもっとも優れた軍師だと思っているのよ?」
黒田は「俺は今の人間しか評価を下せない」と前置きをした。
「一番優れているのは、あんただ」
「あら。お世辞でも嬉しいわ」
「世辞ではない。今の話を聞いてよく理解できた。あんたは優れているだけではなく、突出し過ぎている。そんな気がした」
「ふうん。それで、二番目は?」
「毛利家の小早川隆景だ。奴の知はあんたに匹敵するが、いまいち勇気が足らず慎重になり過ぎるところが欠点だ」
「名前だけは聞いたことあるわね。それで三番目は?」
黒田は胸を張って答えた。
「この俺だ。もちろんそうだろ」
「ま、戦国乱世の今に限ってはそうかもしれないわね」
あっさりと認める半兵衛さん。こほんと咳払いして「あなたと小早川の違いは?」と訊ねる。
「自分で言うのもなんだが、俺は慎重さに欠けるところがある。軍師はことを急いではいけないと分かっているのだが……」
「せっかちなのね。でも自分の短所が分かっているなら見込みあるわよ」
半兵衛さんの前に茶碗を置いて僕は訊ねる。
「半兵衛さん。あなたは自分と黒田殿、どっちが軍師として優れていると思う?」
「うん? 何よその質問」
「互いに自分をもっとも優れた軍師の三位に置いている。黒田殿は自身が半兵衛さんよりも劣っていると言うが、あなたはどう思うんだ?」
半兵衛さんはしばし考えてから「今はあたしが上」と短く答えた。
それはつまり、裏を返せばいずれは超えるという意味だろうか。
「でもね。はっきり言ってこの三人の中で出世するとなると、雲之介ちゃんなのよ」
唐突に僕の名が挙がった。思わず「どういうことだ?」と聞いてしまった。
黒田も意味を図りかねている。
「雲之介ちゃんはね。蕭何みたいな人間なのよ」
茶を飲みつつ半兵衛さんはそう言った。
「……優れた内政官と聞くが、あの蕭何と評されるほどの人物なのか?」
「ええ。そうよ。はっきり言ってあたしたちは出世できないじゃない」
黒田の怪しむ言葉に半兵衛さんはあっさりと応じた。
「狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る。意味は分かるでしょ?」
狡賢い兎が死んでいなくなれば、犬は煮て食われてしまい、高く飛ぶ鳥がいなくなれば、良い弓は蔵に仕舞われてしまう。
つまり粛清されてしまうということだ。
「今はいいじゃない。戦国乱世においてあたしたち戦屋は大儲けできるじゃない。大判振るまいできてしまう。でもね、太平の世になってしまえば店仕舞いするしかない。ひっそりと商いを変えられたらいいんだけど、そんなことできやしないわ」
半兵衛さんは悲しそうに語る。
「言ってみれば、あたしたち軍師は戦国乱世に咲いた徒花。狂い咲く毒々しい花よ。一方、雲之介ちゃんは道端に咲く野花。どっちが太平の時代に映えるのか。考えなくても分かるわよね」
黒田は半兵衛さんの論を受けて、それから答えた。
「では、軍師であることは誇りではないと?」
「そうね」
「では、軍師であることは危険であると?」
「そうね」
「では――いずれ粗末に扱われると?」
「――そうね」
黒田はしばらく黙ったあと「……ふふふ」と笑い出した。
「粗末に扱われぬように、策を巡らす。それもまた軍師だ」
「……それも正しいわ」
黒田は立ち上がって、僕たちに言う。
「良いことを聞いた。ありがとう」
「もう帰るのか?」
僕は思わず聞いてしまった。
「まだ話したいことがあるんじゃないか?」
「いいや。十分だよ」
黒田はそのまま襖を開けて、部屋から出て行く。
「竹中。俺はいずれ、日の本一の軍師になる」
「…………」
「あんたとは味方で居たいが、戦ってみたくなるな」
そしてそのまま去っていった。
「……とんでもない男だったわね」
半兵衛さんはふうっと溜息を吐いた。
「……僕にはただの賢い男としか見えなかったけど」
「よく覚えておくといいわ」
半兵衛さんは僕に言う。
「あたしが今孔明なら、黒田官兵衛孝高は今仲達よ。その気になれば天下を手中に収めてしまうでしょうね」
天才軍師、竹中半兵衛重治が、ここまで他人を高く評価したのは、初めてかもしれない。
黒田官兵衛孝高……恐ろしい男だ……
「ところで越前国攻めのことなんだけど」
「ああ、雲之介ちゃんが留守にしていたときに決まったのよ」
「なんだ、一言言ってくれれば良かったのに」
つい不平を言ってしまうと半兵衛さんは僕に「朗報があるわ」と伝える。
「雲之介ちゃん、城の留守居役ね」
「……えっ?」
「今まで秀長ちゃんとねねさんしかやってなかったことよ。なかなかの名誉じゃない。おめでとう!」
「いや、突然言われても……」
正直言って反応に困ってしまう。
そりゃあ信頼されているってことだけど。
「いずれ城を預かる身になるわよ。大した出世じゃない」
「その練習とすればいいのか?」
「もっと気軽に考えなさいよ。家族と一緒に居られる機会じゃない」
家族か。最近全然会っていないな。
「それじゃあ僕も帰るよ」
「なあに? さっそく会いたくなっちゃった?」
「茶化すなよ。ま、そのとおりなんだけどさ」
僕は半兵衛さんの屋敷をお暇して、自分の屋敷に戻る。
門をくぐると、なにやら騒がしい。
どうやら庭のほうで晴太郎が剣の稽古をしているのかもしれない。
こっそりと入ると、そこでは――
「えい、やあ!」
甲高い女の子の声。気合を乗せた木刀は相手の木刀を跳ね上げて――喉元に添える。
「――勝負あり!」
審判をしていたのは雪隆。しかし信じられないという顔をしている。
見守っていた島も息を飲んだ。
しかし信じられなかったのは、当人たちだろう。
「――強くなったなあ」
兄は讃えるけど、なんとも言えない複雑そうだった。
そして妹の顔はやっちゃいけないことをしてしまったような顔をしていた。
「に、兄さま……わ、私……」
僕は目を丸くして、馬鹿みたいに立っていることしかできなかった。
何故なら、あのかすみが晴太郎に勝った瞬間を見てしまったから――
「竹中、あんたに一つだけ聞きたいことがある」
すっかり衝撃から立ち直った黒田は僕が点てた茶を無作法ながら飲みつつ、半兵衛さんに真剣な表情で問う。
半兵衛さんは「なんでも聞いてちょうだい」と笑った。
「あんたが思う『もっとも優れている軍師』は誰だ? 古今を含めてな」
おっ。これは興味あるな。
はたして今孔明はどんな評価を下すのだろうか?
「そうねえ。たくさん居て決められないけど……やっぱり漢の張良ね。劉邦に天下を取らせた三傑の一人だし。最期も穏やかだったしね。何も言えないほど完璧な軍師よ」
「じゃあその次は誰だ?」
「二番目は楠木正成ね。鎌倉の将軍を倒したし、臨機応変に兵を操ることができたのは、あの方ぐらいね。それと比べたら信玄も謙信もどうってことないわ」
「なるほど……では三人目は?」
黒田の言葉に半兵衛さんは自信満々に答えた。
「決まっているでしょ? 不世出の天才であるこのあたしよ!」
「……大きく出たな。しかし意外だ。今孔明と呼ばれているあんたが諸葛亮の名前を出さないとは」
半兵衛さんは「あたし、今孔明って言われるの嫌なのよ」と本当に嫌そうな顔をした。
「だって結局、劉備に天下取らせられなかったし。人を上手く使えなかった感じもするし。自分が発見した人材って姜維ぐらいでしょ? それに彼、策を用いても奇策を上手く使えないしね」
散々な言い様だ。しかし三国志を知っているのでなんとなく分かってしまう自分も居る。
「だから軍師としてはあまり評価していないわ。諸葛亮はあくまでも吏僚や軍事に関する政治家として考えるべきね」
「ほう……なるほどな」
「逆に聞くけど、あんたは誰がもっとも優れた軍師だと思っているのよ?」
黒田は「俺は今の人間しか評価を下せない」と前置きをした。
「一番優れているのは、あんただ」
「あら。お世辞でも嬉しいわ」
「世辞ではない。今の話を聞いてよく理解できた。あんたは優れているだけではなく、突出し過ぎている。そんな気がした」
「ふうん。それで、二番目は?」
「毛利家の小早川隆景だ。奴の知はあんたに匹敵するが、いまいち勇気が足らず慎重になり過ぎるところが欠点だ」
「名前だけは聞いたことあるわね。それで三番目は?」
黒田は胸を張って答えた。
「この俺だ。もちろんそうだろ」
「ま、戦国乱世の今に限ってはそうかもしれないわね」
あっさりと認める半兵衛さん。こほんと咳払いして「あなたと小早川の違いは?」と訊ねる。
「自分で言うのもなんだが、俺は慎重さに欠けるところがある。軍師はことを急いではいけないと分かっているのだが……」
「せっかちなのね。でも自分の短所が分かっているなら見込みあるわよ」
半兵衛さんの前に茶碗を置いて僕は訊ねる。
「半兵衛さん。あなたは自分と黒田殿、どっちが軍師として優れていると思う?」
「うん? 何よその質問」
「互いに自分をもっとも優れた軍師の三位に置いている。黒田殿は自身が半兵衛さんよりも劣っていると言うが、あなたはどう思うんだ?」
半兵衛さんはしばし考えてから「今はあたしが上」と短く答えた。
それはつまり、裏を返せばいずれは超えるという意味だろうか。
「でもね。はっきり言ってこの三人の中で出世するとなると、雲之介ちゃんなのよ」
唐突に僕の名が挙がった。思わず「どういうことだ?」と聞いてしまった。
黒田も意味を図りかねている。
「雲之介ちゃんはね。蕭何みたいな人間なのよ」
茶を飲みつつ半兵衛さんはそう言った。
「……優れた内政官と聞くが、あの蕭何と評されるほどの人物なのか?」
「ええ。そうよ。はっきり言ってあたしたちは出世できないじゃない」
黒田の怪しむ言葉に半兵衛さんはあっさりと応じた。
「狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る。意味は分かるでしょ?」
狡賢い兎が死んでいなくなれば、犬は煮て食われてしまい、高く飛ぶ鳥がいなくなれば、良い弓は蔵に仕舞われてしまう。
つまり粛清されてしまうということだ。
「今はいいじゃない。戦国乱世においてあたしたち戦屋は大儲けできるじゃない。大判振るまいできてしまう。でもね、太平の世になってしまえば店仕舞いするしかない。ひっそりと商いを変えられたらいいんだけど、そんなことできやしないわ」
半兵衛さんは悲しそうに語る。
「言ってみれば、あたしたち軍師は戦国乱世に咲いた徒花。狂い咲く毒々しい花よ。一方、雲之介ちゃんは道端に咲く野花。どっちが太平の時代に映えるのか。考えなくても分かるわよね」
黒田は半兵衛さんの論を受けて、それから答えた。
「では、軍師であることは誇りではないと?」
「そうね」
「では、軍師であることは危険であると?」
「そうね」
「では――いずれ粗末に扱われると?」
「――そうね」
黒田はしばらく黙ったあと「……ふふふ」と笑い出した。
「粗末に扱われぬように、策を巡らす。それもまた軍師だ」
「……それも正しいわ」
黒田は立ち上がって、僕たちに言う。
「良いことを聞いた。ありがとう」
「もう帰るのか?」
僕は思わず聞いてしまった。
「まだ話したいことがあるんじゃないか?」
「いいや。十分だよ」
黒田はそのまま襖を開けて、部屋から出て行く。
「竹中。俺はいずれ、日の本一の軍師になる」
「…………」
「あんたとは味方で居たいが、戦ってみたくなるな」
そしてそのまま去っていった。
「……とんでもない男だったわね」
半兵衛さんはふうっと溜息を吐いた。
「……僕にはただの賢い男としか見えなかったけど」
「よく覚えておくといいわ」
半兵衛さんは僕に言う。
「あたしが今孔明なら、黒田官兵衛孝高は今仲達よ。その気になれば天下を手中に収めてしまうでしょうね」
天才軍師、竹中半兵衛重治が、ここまで他人を高く評価したのは、初めてかもしれない。
黒田官兵衛孝高……恐ろしい男だ……
「ところで越前国攻めのことなんだけど」
「ああ、雲之介ちゃんが留守にしていたときに決まったのよ」
「なんだ、一言言ってくれれば良かったのに」
つい不平を言ってしまうと半兵衛さんは僕に「朗報があるわ」と伝える。
「雲之介ちゃん、城の留守居役ね」
「……えっ?」
「今まで秀長ちゃんとねねさんしかやってなかったことよ。なかなかの名誉じゃない。おめでとう!」
「いや、突然言われても……」
正直言って反応に困ってしまう。
そりゃあ信頼されているってことだけど。
「いずれ城を預かる身になるわよ。大した出世じゃない」
「その練習とすればいいのか?」
「もっと気軽に考えなさいよ。家族と一緒に居られる機会じゃない」
家族か。最近全然会っていないな。
「それじゃあ僕も帰るよ」
「なあに? さっそく会いたくなっちゃった?」
「茶化すなよ。ま、そのとおりなんだけどさ」
僕は半兵衛さんの屋敷をお暇して、自分の屋敷に戻る。
門をくぐると、なにやら騒がしい。
どうやら庭のほうで晴太郎が剣の稽古をしているのかもしれない。
こっそりと入ると、そこでは――
「えい、やあ!」
甲高い女の子の声。気合を乗せた木刀は相手の木刀を跳ね上げて――喉元に添える。
「――勝負あり!」
審判をしていたのは雪隆。しかし信じられないという顔をしている。
見守っていた島も息を飲んだ。
しかし信じられなかったのは、当人たちだろう。
「――強くなったなあ」
兄は讃えるけど、なんとも言えない複雑そうだった。
そして妹の顔はやっちゃいけないことをしてしまったような顔をしていた。
「に、兄さま……わ、私……」
僕は目を丸くして、馬鹿みたいに立っていることしかできなかった。
何故なら、あのかすみが晴太郎に勝った瞬間を見てしまったから――