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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
高麗物と三千貫
 かすみが嫁入りして、一ヶ月が経った。

 どうやら浅井家では大事にされているようで、時々様子を見に行くと昭政くんと仲睦まじいところを見せ付けられて、刀を抜きそうになり、お市さまに叱られてしまった。
 我が家は少しだけ淋しくなったけど、その分家事になれてきたはるが美味しい料理を食べさせてくれる。お腹も少しだけ大きくなったので、なつめに手伝いをしてもらっているのが現状だ。

 さて。この頃大きな戦はなかった。今度東美濃国の岩村城を武田家から奪還する援軍に行かなければならないのはあったが、全軍で行かないといけないほどでもなかった。
 本願寺と紀伊国、丹波国と丹後国を除く畿内のほとんどは織田家の領土になっている。明智さまの丹波国侵攻は上手くいっていないようだけど、あの人ならいつか攻略できるだろう。その勢いで丹後国も平定すれば、敵は一向宗のみとなる。その後ろには大国の毛利が控えているけど、義昭殿の交渉が上手く行けば従ってくれるだろう。

 そんな穏やかな毎日を過ごしていると、もう少しで太平の世が訪れそうに思えてくる。もしそんな日の本になったら僕は何をしよう? 志乃が言っていたように百姓でもやろうか。それともどこかに領地を貰って平穏に過ごそうか。

「晴太郎。止まっている的に当てないと、動いている兵士には当てられないぞ」
「はい、父さま!」

 しかし戦国乱世は終わっていない。気を引き締めないといけない。
 ということで晴太郎に鉄砲を教えている。実は自分から習いたいと言ってきたのだ。剣術でかすみに負けたことで何か意識が変わったようで、熱心に学んでいる。
 だが鉄砲指南役はいないので僕自ら教えることになった。

 庭で手製の的を狙って撃つ。晴太郎は以前、五発中二発しか当たらなかったけど、今では五発に四発当てられるまで成長した。
 弾込めも並みの人間よりも早くなった。これなら鉄砲で――

「晴太郎。どうして鉄砲を習おうと思ったんだ?」

 休憩のときに晴太郎に問う。
 すると「刀や槍の才がないと分かっているからです」と答えた。

「となると弓か鉄砲になります。それならば鉄砲のほうが良いと思いました」
「何故だい?」
「……手に残る感触が、少ないと思いまして」

 志乃のことを言っているのだろうか……
 晴太郎は笑いながら「鉄砲で人を殺めるのと他の武器で殺めるのは同じです」と言う。

「人の命を奪うという点では同じです。それでも俺は、なるべく感触の残らない鉄砲を選びます。ま、臆病者の言い分ですが」

 親が子に人殺しを教える。
 それは子の身を自分で守らせるだけではない。子に手柄を立てさせるという人殺しの動機を与えることでもあるんだ。
 罪深いと思うのは、僕だけの感覚だろうか。

「……そうか。なら一生懸命励むんだ」
「はい、分かりました!」

 子に人殺しを推奨するような戦国乱世を早く終わらせなければならないな……

「お前さま。長浜城より使者が来ましたよ」

 はるの声に振り返ると、軒先に増田が居た。

「どうかしたのか? 何か問題でもあったのか?」

 頭を下げる増田にそう訊ねると「いえ。勘定方に問題はありません」と答えた。

「羽柴さまが雨竜さまを呼ぶようにと。何でも客人がいらしているそうで、茶を点ててほしいそうです」
「客人? 誰だか聞いているかな?」

 増田は深呼吸してから答えた。

「摂津国の大名、荒木村重さまです」

 
◆◇◆◇

 
「いやあ。あんたが雨竜雲之介秀昭殿か。噂では田中宗易殿の弟子だとか。ささっ。茶を点ててもらえぬか?」

 長浜城の茶室。
 上座にどかりと座っている豪快な男――荒木村重さまは言う。
 でっぷりとした体型だが、おそらく太っているのではなく、筋肉でそうなっているのだろう。鋭い目つきに髭面。しかし知性を感じさせる顔立ちでもある。

 僕が知っている荒木さまの話は、上様とのやりとりである。
 上様が刀で饅頭を取り、それを荒木さまに「食ってみろ」と言って差し出した――否、刺し出したとき、何の躊躇もせず食ってみせたという。話を聞いているだけでは豪胆な男だと思う。

 そんな荒木さまが何故秀吉の城に来たのか? 理由は分からない。
 当の秀吉はすまし顔で荒木さまの右隣に座っている。

「そんな大した腕前ではないですけど。それでは――」
「ああ。待ってくれ。茶碗はこれを使ってくれぬか」

 そう言って出されたのはびわ肌に透き通る高麗物の茶碗だった。
 一目で名物だと分かった僕は「恐れ多いですね」と呟く。

「名物を使えるほどの技量は僕にはありません」
「名物だと分かる者に扱えぬ道理はないだろう。がっはっは!」

 大笑いする荒木さま。豪気で豪胆なお方だなあ。
 多少緊張しながら、僕は茶を点てた。
 高麗茶碗を荒木さまの前に置く。作法通り飲む荒木さまと秀吉。

「それで荒木殿。我が羽柴家に何用ですかな?」

 秀吉が珍しく真面目になっている。
 荒木さまは「実を言いにくいのだが」と笑いながら言った。

「銭を貸してもらいたい……三千貫ほど」

 三千貫!? そんな大金、どうして……
 秀吉は呆れた様子で荒木さまに言う。

「今度はどんな茶器を狙って居られるのかな?」
「がっはっは。井戸茶碗よ。宗易殿が都合してくれたのだが、どうも金子が足らん!」

 相当な数寄者であるとは聞いていたが……いくらなんでも……

「もちろん三千貫は施政にも使う! それにいつかは返すぞ!」
「雲之介。三千貫用意しろ」

 貸すのか……まあそのくらいの余裕はあるけど……

「証文も準備しなくちゃいけない――」
「要らん。三千貫をそのまま渡せ」

 秀吉の言葉はとんでもないことだった。
 借金の証文なしに、三千貫貸すのか!?

「そ、それは――」
「がっはっは! 流石は木綿秀吉殿よ!」

 荒木さまは上機嫌で笑っている。ここでもし何か言えば話はこじれるな……

「……すぐに用意します」

 僕は茶室から出て、浅野と増田に事情を話して用意するように命じた。
 二人は首を傾げながらも用意してくれた。

「帳簿にはなんて書きますか?」
「うーん……私用とだけ書いておこう」
「良いんですか? 貸すと言っても証文はないんでしょう? 絶対に帰ってこないと思いますけど」

 増田の言葉に浅野も頷いた。

「秀吉には考えがあるそうだから。信じるしかないね」

 そうして三千貫用意すると荒木さまは「おお。すまなかったな雨竜殿!」と言ってそそくさと帰ってしまった。
 まるで盗人や強請りと変わらないな……

「なあ秀吉。どうして証文無しに貸したりしたんだ?」

 茶室で秀吉を問い詰めると「証文がないとはどういうことか分かるか?」と試すようなことを言ってくる。

「貸し借りの証拠が無くなるってことだろ。それが――っ! もしかして貸しを作りたくないのか?」

 僕の気づきに秀吉はにんまりしている。

「ふふふ。雲之介のそういうところがわしは好きだぞ」
「気持ちの悪いことを言うな。それでも分からないことがある。織田家の重臣である荒木さまに貸しを作りたくない理由ってなんだ?」
「……予感に過ぎないが荒木殿には貸しを作らないほうが吉と思ってな」

 意味がまるで分からない。

「それなら貸さなければいいだろう」
「逆恨みされてもな。それに貸しではなく恩を売ったと思えばそれでいいのだ」
「……というか三千貫、どうするんだ?」

 秀吉は「なんとか誤魔化せ」と笑った。
 いや、笑い事ではない。

「はあ。まあいいよ。城主は秀吉なんだからな。僕はそれに従うさ」
「素直でよろしい。それではもう一杯茶を点ててくれ」

 言われたとおり茶を点てる。

「そうだ。今度の戦、子飼いの清正と正則を連れて行くぞ」
「死なせたりするなよ」
「ああ。無理はさせぬよ」

 その言葉どおり、岩村城の攻略の援軍に清正と正則は連れて行かれた。
 二人は見事に首級を挙げたらしい。素晴らしいな。

 そして翌年。
 上様は美濃国と尾張国を信忠さまに譲られた。
 いや、それだけではなく家督までも譲られたのだ――
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