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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
雨雲
 信貴山城の茶室。
 僕は松永に招かれて茶を飲んでいた。
 目の前には華やかな赤楽茶碗が置かれている。
 それを――躊躇なく飲み干す。

「ふふふ。貴殿は豪胆な男よ。毒を盛られているとは考えないのか?」
「そんなことをして、あなたに得があるのか?」

 僕は静かに茶碗を置く。

「利益と打算がないのに、そんな馬鹿なことはしない。あなたはそういう男だ。松永弾正殿」

 僕の言葉に茶を点てた男、松永は嘲笑う。

「しばらく見ないうちに小賢しくなったものだ。それでこそ招いた甲斐がある」
「……松永殿の茶は初めて飲んだが、意外と爽やかだったな」

 上手いのはもちろんだが、創意工夫をされていると思った。

「くくく。やはり分かるか。馳走する者は数寄者でないと味気ない」
「茶に対しては誠実なのだと理解している」
「まあな。芸術は真っ直ぐでないとな。人の心を満足させるには、真心しかない」

 天下の大悪人が真心というとおかしく感じる。

「それでだ。一体何用で僕を呼んだのだ?」

 その問いに松永は真面目な顔で答えた。

「茶会を楽しむためだ」
「……ふざけているのか? それとも他に意図があるのか?」
「ふざけていない。それに他の意図もない」

 真剣に言っているようだが、いまいち信じられない。

「一座建立を主とした茶会を、貴殿に味合わせたかったのだ」
「それは堪能させてもらったよ」

 大悪人と言えども、当世一流の数寄者であることには変わりない。
 十分にもてなしを受けた。

「何の心境の変化か知らないけど、僕にそこまでする理由が――」

 そのとき、分かってしまった。
 松永の表情を見て、勘付いてしまった。

「まさか、謀反を考えているのか?」
「……さあ、どうかな?」

 明言しないけど、暗に言っている。
 目の前の老人は、織田家に対して叛こうとしていると――

「理由を聞かせてほしい」
「…………」
「畿内を差配していた自分が、佐久間さまの組下であることが、許せなかったのか?」
「…………」
「上杉謙信が北陸から織田家を攻め入るからか?」
「…………」
「本願寺か毛利に、唆されたからか?」
「…………」

 何を聞いても不敵に笑うだけの松永。
 おそらく全て異なるのだろう。
 核心を突いていない。

「じゃあもしかして――天下を手中に収めたいのか?」

 松永はここで初めて、首を横に振った。
 おそらく近かったのだろう。
 だとするのなら――

「上様に対する抵抗なのか?」

 松永は嬉しそうに目を見開いた。

「天下を収めようとする上様を、かつて自分が降伏した上様を、滅ぼしたいと思っているのか?」

 松永は「――だとしたらどうする?」と笑った。

「馬鹿な真似は止せ。そんなことをしたら、松永家は滅ぼされる。人質の二人の孫も殺されるぞ」
「だからなんだ? 天下の三悪事を成したわしにとっては大したことではない」
「大名として十分名を残したじゃないか。今更謀反なんて――」

 松永は冷笑しながら「どうして貴殿はわしを助けようとする?」と訊ねる。

「助けようとする? 意味が分からない」
「わしが死んでも貴殿は困らないだろう。むしろわしの領地が織田家のものになるのだから良いではないか」
「僕が言っているのはそういうことではない」

 当たり前のことが分からないのか、この老人は。

「勝ち目の無い戦に臨もうとする、自殺志願者を止めようとするのは、人として当然だ」
「……同情か?」
「違う。惜しいと思ったからだ。あなたならいくらでも後世に名を残せるだろう。大名ではなく、茶人として残せる。謀反をしたところで惨めな終わりしか待っていないぞ?」

 松永は「それがどうした?」とあくまでも笑顔だった。

「わしが武士となり、大名になったのは、日の本で成り上がりたいと思ったのと同時に、己よりも強き者に勝ちたいと思ったからだ」
「強き者……」
「そうだ。その者は、我が主君、三好長慶さまであり、十三代将軍、足利義輝公であり、そして――織田信長である」

 松永は続けてこう言った。

「単純に信長に勝ちたいのだ。そしてその好機は今しかない。上杉が南下し、本願寺が滅んでおらず、雑賀衆も健在である、今しかないのだ」

 この人はもう止まらないのだろう。
 まさに化生のように怪しく陰謀に蠢く男。

「松永殿……どうやら本気のようだな……」
「ああそうだ。どうする? この場で己の命に代えて、斬るか?」

 城内で松永を殺せば僕の命はないだろう。
 それが分かっていて、いやらしく訊ねるのだ。
 だとするのなら、この場でできることは――

「――紀伊国を平定したら、考え直してくれるか?」

 松永に対して、取引することだった。

「紀伊国? ……雑賀衆を滅ぼすのか?」
「ああそうだ。今、上様が計画している。もし雑賀衆を滅ぼしたら、本願寺は自然と落ちるだろう。そうなれば好機なんて訪れない」
「……その程度で、わしが謀反をやめると?」

 僕はにやりと不敵に笑う。

「さっきも言っただろう? あなたは利益と打算がないのに、そんな馬鹿なことはしないってね」
「…………」
「もちろん、紀伊国が平定できなかったら、謀反でもなんでもすればいい」
「……紀伊攻めはいつ行なわれる?」
「冬から春にかけて」

 松永は喉の奥を鳴らしながら「なんとまあ豪胆な男よ」と笑う。

「分かった。約束しよう。もしも紀伊国を平定したら、謀反は起こさぬ」
「本当か?」
「ああ。大名物平蜘蛛に誓おう」

 神仏ではないところが松永らしい。

「雨竜殿。貴殿は本当に変わったな」
「松永殿は変わらないな。上昇志向が凄まじい。そういうところは、見習おうと思っている」

 僕が退席しようとすると「この赤楽茶碗をやろう」と差し出された。

「いいのか? 今焼だけど出来はいいだろう?」
「ああ。構わぬよ」
「銘はなんだ?」

 松永は少し沈黙して「ないが今決めた」と言う。

「貴殿の名を取って『雨雲』というのはいかがかな?」
「ふむ……まあ悪くないな」

 僕は「これは約束の証として持っておく」と言う。

「それでは、息災で」
「ああ。できることなら、また茶を所望したいところだ」

 
◆◇◆◇

 
 松永と約束したのは良いが、相当分の悪い賭けだった。
 しかし本願寺と上杉に比べたら度し易いと思ったのは事実だった。
 兵糧攻めしている本願寺だけど、この前木津川口で織田家の水軍を村上水軍に全滅されてしまった苦い記憶がある。
 上杉家は越後国まで攻め入れないし、そもそも戦うのは柴田さまだ。
 だからこそ、紀伊攻めを提案するしかなかった。

「はあ。詮の無い話だよ」

 長浜まで戻った僕はすぐさま屋敷に向かった。
 はるの居る部屋に行くと、布団を敷いてすやすやと寝ていた。
 傍にはなつめが居て「無事だったようね」と安堵の表情を見せた。

「松永とは何を話したの?」
「いろいろとね。それよりはるの様子はどうだ?」
「つわりが酷いけど、それ以外は大丈夫よ。もうじき産まれるわ」

 僕ははるの顔をそっと撫でた。
 安らかな寝顔だった。

「産まれてくる子が大きくなるまでには、戦のない日の本にしたいな」

 呟いてみるけど、本当にできるのだろうか?
 松永のような悪人が居る日の本で、叶えられるのだろうか?
 とても――不安だった。
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