残酷な描写あり
死相
軍議から二日後。半兵衛さんはようやく目を覚ました。
その報告を聞いて、僕は真っ先に病室代わりに使っている姫路城の一室に走った。
息を切らしながら部屋の襖を開けると、布団から出て薬湯を飲んでいた半兵衛さんの他に、心配そうな表情で見守っている正勝も居た
「はあ、はあ……半兵衛さん、よく目を覚ましたね」
「……雲之介ちゃん。心配かけたわね」
どことなく元気が無い。いや、目覚めたばかりだから元気が無いのは当たり前だけど、それでもなんだか覇気がない。
表情は芳しくなく、頬がこけている。
それに、今にも死にそうな雰囲気がある。
これが――死相というものだろうか?
「半兵衛。お前が病弱なのは分かるけどよ。そんなにやばいのか?」
何の迷いも遠慮もなく、正勝は病人に訊きにくいことを言う。
だけど、僕も知りたいことだった。
「――ええ。もう永くないわね」
分かっていた。こんな日が来ることぐらい、重々承知の上だった。
目を逸らしたくなるくらいの、悲しい現実。
本当に――悲しいとしか言いようがない。
「そうか。じゃあなんか死ぬ前にしたいことあるか?」
あっさりと何でもないように言う正勝。
文句を言おうとして、やめた。
正勝は無表情だったけど、握った拳から血が出ていたから。
「そうねえ。後継者は見つかったし、何も思い残すことはないわ」
「嘘つけよ。そんな枯れた男じゃねえだろ」
正勝は努めて冷静に返した。
僕は感情を抑えて、なるべく明るく訊いた。
「何か食べたいものとか、行きたい場所とかないか?」
「……二人とも、優しいわね。こんな死にかけのあたしに何かしようと思うなんて」
軽く笑う半兵衛さんにとうとう正勝は我慢できなかったみたいで――
「当たり前だろうが! 死にかけの仲間の頼みごとを聞くのはよお!」
大声で喚いて、やるせなくなったのか、僕たちから顔を逸らして、黙ってしまった。
「……ごめんなさい」
半兵衛さんが小さく謝った。
それは今の言葉に対してだろうか?
それとも志半ばで逝ってしまうことか?
きっといろんな意味を含んだ『ごめんなさい』なんだろうな……
「ところで、志方城はどうなったの?」
「織田家の援軍が支城を攻撃している。その中に志方城も含まれているよ」
僕の答えに半兵衛さんは顔を曇らせた。
「三日後には落ちるわね」
その言葉どおり、志方城は落城することになる。
病を患っているからか、それとも死の淵に居るからか、かなりの冴えを見せていた。
「同じ質問をするけど、半兵衛さんは何かしたいことはないのか?」
「…………」
改めて訊ねるけど、半兵衛さんは答えなかった。
やりたいことが多すぎて悩むといった感じではなく。
やりたいことがないから悩むといった感じだった。
「質問を少しだけ変えるぜ。半兵衛、お前は――どうやって死にたい?」
正勝が顔をこちらに向ける。
黒い目が少しだけ涙で濡れていた。
「……どうやって死にたい?」
「だってお前もうすぐ死ぬんだろ? こうやって畳の上で死にてえのか。それとも戦場で死にてえのか。お前も武士なら死に場所ぐらい自分で決めてえだろ?」
残酷な言い草だったけど、これは正勝なりの優しさだった。
僕もこれには同調した。
「半兵衛さん。僕も協力するよ。だから遠慮なく言ってくれ」
半兵衛さんは目を伏せてから、僕たちに向けて笑った。
「まったく。あなたたちはとんだお人よしね」
それから僕たちに告げた。
「そうねえ。あたしが死ぬとしたら――」
◆◇◆◇
「半兵衛! おお、ようやく目覚めたか!」
「あら。秀吉ちゃん。そんな大げさよ!」
秀吉はにこにこしながら半兵衛さんに近づく。
姫路城の評定の間で僕と正勝に脇で支えられながら、半兵衛さんは秀吉の前に立っていた。
「良かった。顔色は悪そうだけど、起きてくれて」
「一安心できるな」
秀長殿と長政も嬉しそうに笑っていた。
喜ぶ羽柴家だったけど、周りの黒田家は微妙な空気だった。
まあ当主の義父を死に追いやることになったのは、半兵衛さんだから……
「竹中殿。申し訳なかった」
見計らったように、黒田が頭を下げた。
まるで空気を読んだようだった。
「……あたしこそ、ごめんなさい。つらい決断をさせてしまったわね」
やけに素直な半兵衛さんの反応に秀長殿と長政は顔を見合わせた。
秀吉もおかしいなという顔をする。
しかし黒田は気づかないようで「俺は気にしていない」と言う。
「軍師たるもの、情に流された策は厳禁だからな」
「それにはおおむね同意だけどね。でも例外もあるわよ」
訳の分からないことを半兵衛さんは言う。
黒田もよく分からないらしい。
「では三木城攻めについての軍議を行なう」
秀吉の真剣な声に場は引き締まった。
「三木城は堅城だが、半兵衛と官兵衛、おぬしたち策はあるか?」
端的な質問に半兵衛さんは意外な策を言い出した。
「兵糧攻めをするべきね」
もう先が永くないのに、長期戦を提案した半兵衛さん。
正勝は目に見えて驚いていて、秀長殿はその様子を怪訝そうに見ていた。
「俺もそれに賛成だ。力攻めしたところで一朝一夕に落ちない」
黒田は気づかないようで、何の疑いもなく半兵衛さんの策に同意する。
「そうか……しかし三木城にはかなりの兵糧が備蓄されていると聞く。一年や二年では落ちぬではないか?」
秀吉の懸念に半兵衛さんは「そのとおりね」と頷いた。
「でもこれからの戦はいかにして兵力を減らさずに、相手を弱めることが肝要になってくるわ。だって兵力で勝る毛利家を相手にするんだもの」
兵力に勝るものに対しての戦略としては道理である。
「それに織田家が毛利家より優れている点の一つは、兵糧の輸送能力よ。そうでしょう? 雲之介ちゃん」
突然水を向けられたので、少し驚いたが、間を置くことなく「そうだな」と答えた。
「機内を手中に収めているし、日の本一の商業都市である堺も押さえている。いかに毛利家の領土が広大で兵糧が潤沢でも、物資の量も質も違う」
そう考えると僕が仕えたときと比べて、織田家はかなり大きくなったものだ。
「長期戦に持ち込めば必ず勝つわ。その優位を生かす手はない」
「分かった。三木城はそれで行こう」
秀吉は「問題は西だ」と悩み出した。
「毛利家と宇喜多家の進軍を許してしまう……一刻も早く宇喜多家を打ち破り、播磨国に進撃できぬようにしたい」
これには黒田が献策した。
どうやら前々から考えていたようだった。
「宇喜多家を寝返らせるのは、いかがでしょうか?」
「寝返らせる? あの宇喜多直家をか?」
秀吉はあからさまに嫌そうな顔をした。
羽柴家と黒田家の家臣も大小あるがあまり賛同できなそうな顔をしている。
理由は宇喜多直家という人物の『悪名』が中国どころか日の本まで広がっているからだ。
毒殺や銃殺などの暗殺でのし上がった稀代の梟雄――
「あの男は利益と打算で物事を計ります。織田家と毛利家。どちらに付けば得か。それを説けば必ず味方に付くでしょう」
「ふむ……よし、では宇喜多家の調略は官兵衛に任す」
危険な調略だけど大丈夫かな……
「秀吉。黒田殿だけで大丈夫か?」
「そうか? では雲之介も羽柴家の代表として同行するのはどうだ?」
……余計なことを言ってしまったな。
「いや、その、それは……」
「おお! 雨竜殿が一緒ならば心強いな!」
悪意ではなく、本心からそう思っているであろう黒田の言葉で、同行が決定してしまった。
「兄弟。こういうの出る釘は打たれるって言うんだぜ」
「雉も鳴かずば打たれまいとも言う」
正勝と長政の声が遠くに聞こえる。
半兵衛さんより早く死んだりしないよな?
不謹慎ながらそう思ってしまった。
その報告を聞いて、僕は真っ先に病室代わりに使っている姫路城の一室に走った。
息を切らしながら部屋の襖を開けると、布団から出て薬湯を飲んでいた半兵衛さんの他に、心配そうな表情で見守っている正勝も居た
「はあ、はあ……半兵衛さん、よく目を覚ましたね」
「……雲之介ちゃん。心配かけたわね」
どことなく元気が無い。いや、目覚めたばかりだから元気が無いのは当たり前だけど、それでもなんだか覇気がない。
表情は芳しくなく、頬がこけている。
それに、今にも死にそうな雰囲気がある。
これが――死相というものだろうか?
「半兵衛。お前が病弱なのは分かるけどよ。そんなにやばいのか?」
何の迷いも遠慮もなく、正勝は病人に訊きにくいことを言う。
だけど、僕も知りたいことだった。
「――ええ。もう永くないわね」
分かっていた。こんな日が来ることぐらい、重々承知の上だった。
目を逸らしたくなるくらいの、悲しい現実。
本当に――悲しいとしか言いようがない。
「そうか。じゃあなんか死ぬ前にしたいことあるか?」
あっさりと何でもないように言う正勝。
文句を言おうとして、やめた。
正勝は無表情だったけど、握った拳から血が出ていたから。
「そうねえ。後継者は見つかったし、何も思い残すことはないわ」
「嘘つけよ。そんな枯れた男じゃねえだろ」
正勝は努めて冷静に返した。
僕は感情を抑えて、なるべく明るく訊いた。
「何か食べたいものとか、行きたい場所とかないか?」
「……二人とも、優しいわね。こんな死にかけのあたしに何かしようと思うなんて」
軽く笑う半兵衛さんにとうとう正勝は我慢できなかったみたいで――
「当たり前だろうが! 死にかけの仲間の頼みごとを聞くのはよお!」
大声で喚いて、やるせなくなったのか、僕たちから顔を逸らして、黙ってしまった。
「……ごめんなさい」
半兵衛さんが小さく謝った。
それは今の言葉に対してだろうか?
それとも志半ばで逝ってしまうことか?
きっといろんな意味を含んだ『ごめんなさい』なんだろうな……
「ところで、志方城はどうなったの?」
「織田家の援軍が支城を攻撃している。その中に志方城も含まれているよ」
僕の答えに半兵衛さんは顔を曇らせた。
「三日後には落ちるわね」
その言葉どおり、志方城は落城することになる。
病を患っているからか、それとも死の淵に居るからか、かなりの冴えを見せていた。
「同じ質問をするけど、半兵衛さんは何かしたいことはないのか?」
「…………」
改めて訊ねるけど、半兵衛さんは答えなかった。
やりたいことが多すぎて悩むといった感じではなく。
やりたいことがないから悩むといった感じだった。
「質問を少しだけ変えるぜ。半兵衛、お前は――どうやって死にたい?」
正勝が顔をこちらに向ける。
黒い目が少しだけ涙で濡れていた。
「……どうやって死にたい?」
「だってお前もうすぐ死ぬんだろ? こうやって畳の上で死にてえのか。それとも戦場で死にてえのか。お前も武士なら死に場所ぐらい自分で決めてえだろ?」
残酷な言い草だったけど、これは正勝なりの優しさだった。
僕もこれには同調した。
「半兵衛さん。僕も協力するよ。だから遠慮なく言ってくれ」
半兵衛さんは目を伏せてから、僕たちに向けて笑った。
「まったく。あなたたちはとんだお人よしね」
それから僕たちに告げた。
「そうねえ。あたしが死ぬとしたら――」
◆◇◆◇
「半兵衛! おお、ようやく目覚めたか!」
「あら。秀吉ちゃん。そんな大げさよ!」
秀吉はにこにこしながら半兵衛さんに近づく。
姫路城の評定の間で僕と正勝に脇で支えられながら、半兵衛さんは秀吉の前に立っていた。
「良かった。顔色は悪そうだけど、起きてくれて」
「一安心できるな」
秀長殿と長政も嬉しそうに笑っていた。
喜ぶ羽柴家だったけど、周りの黒田家は微妙な空気だった。
まあ当主の義父を死に追いやることになったのは、半兵衛さんだから……
「竹中殿。申し訳なかった」
見計らったように、黒田が頭を下げた。
まるで空気を読んだようだった。
「……あたしこそ、ごめんなさい。つらい決断をさせてしまったわね」
やけに素直な半兵衛さんの反応に秀長殿と長政は顔を見合わせた。
秀吉もおかしいなという顔をする。
しかし黒田は気づかないようで「俺は気にしていない」と言う。
「軍師たるもの、情に流された策は厳禁だからな」
「それにはおおむね同意だけどね。でも例外もあるわよ」
訳の分からないことを半兵衛さんは言う。
黒田もよく分からないらしい。
「では三木城攻めについての軍議を行なう」
秀吉の真剣な声に場は引き締まった。
「三木城は堅城だが、半兵衛と官兵衛、おぬしたち策はあるか?」
端的な質問に半兵衛さんは意外な策を言い出した。
「兵糧攻めをするべきね」
もう先が永くないのに、長期戦を提案した半兵衛さん。
正勝は目に見えて驚いていて、秀長殿はその様子を怪訝そうに見ていた。
「俺もそれに賛成だ。力攻めしたところで一朝一夕に落ちない」
黒田は気づかないようで、何の疑いもなく半兵衛さんの策に同意する。
「そうか……しかし三木城にはかなりの兵糧が備蓄されていると聞く。一年や二年では落ちぬではないか?」
秀吉の懸念に半兵衛さんは「そのとおりね」と頷いた。
「でもこれからの戦はいかにして兵力を減らさずに、相手を弱めることが肝要になってくるわ。だって兵力で勝る毛利家を相手にするんだもの」
兵力に勝るものに対しての戦略としては道理である。
「それに織田家が毛利家より優れている点の一つは、兵糧の輸送能力よ。そうでしょう? 雲之介ちゃん」
突然水を向けられたので、少し驚いたが、間を置くことなく「そうだな」と答えた。
「機内を手中に収めているし、日の本一の商業都市である堺も押さえている。いかに毛利家の領土が広大で兵糧が潤沢でも、物資の量も質も違う」
そう考えると僕が仕えたときと比べて、織田家はかなり大きくなったものだ。
「長期戦に持ち込めば必ず勝つわ。その優位を生かす手はない」
「分かった。三木城はそれで行こう」
秀吉は「問題は西だ」と悩み出した。
「毛利家と宇喜多家の進軍を許してしまう……一刻も早く宇喜多家を打ち破り、播磨国に進撃できぬようにしたい」
これには黒田が献策した。
どうやら前々から考えていたようだった。
「宇喜多家を寝返らせるのは、いかがでしょうか?」
「寝返らせる? あの宇喜多直家をか?」
秀吉はあからさまに嫌そうな顔をした。
羽柴家と黒田家の家臣も大小あるがあまり賛同できなそうな顔をしている。
理由は宇喜多直家という人物の『悪名』が中国どころか日の本まで広がっているからだ。
毒殺や銃殺などの暗殺でのし上がった稀代の梟雄――
「あの男は利益と打算で物事を計ります。織田家と毛利家。どちらに付けば得か。それを説けば必ず味方に付くでしょう」
「ふむ……よし、では宇喜多家の調略は官兵衛に任す」
危険な調略だけど大丈夫かな……
「秀吉。黒田殿だけで大丈夫か?」
「そうか? では雲之介も羽柴家の代表として同行するのはどうだ?」
……余計なことを言ってしまったな。
「いや、その、それは……」
「おお! 雨竜殿が一緒ならば心強いな!」
悪意ではなく、本心からそう思っているであろう黒田の言葉で、同行が決定してしまった。
「兄弟。こういうの出る釘は打たれるって言うんだぜ」
「雉も鳴かずば打たれまいとも言う」
正勝と長政の声が遠くに聞こえる。
半兵衛さんより早く死んだりしないよな?
不謹慎ながらそう思ってしまった。