残酷な描写あり
黒の認否
山科言継さまのことを思うと、言葉が無かった。
家族を持つようになってから、家族を守るという重荷を背負う責任を感じている。
だからこそ、僕はあの人に情けをかけた。
祖父として認められたわけではないけど、家族を守っていたのだと、ようやく受け入れられたんだ。
晴太郎やかすみは、僕のことを甘いとなじった。
それもまた理解できた。被害を受けた僕が罪人である言継さまをあっさりと許したのだから。
でもこれでようやく、一区切りつけたのだと思える。
そう思わなくては、僕自身が納得できないだろう。
さて。全てが終わった後に志乃の墓参りをしてから、家族を長浜に連れて帰って、しばらくした頃。
上様から一通の書状が届いた。
なんでも堺で見せたいものがあるようだ。
詳しい内容は書かれていないが、本願寺攻めの切り札となる物らしい。
松寿丸のこともあって、あまり気乗りはしなかったが、上様の命令であるから従わなければならない。
はるに留守を頼んで――行きたがっていたが我慢してもらった――堺へと向かう。
数日かけて辿り着くと、いつも大勢居るはずの目抜き通りがいくらか空いていた。
僕は近くを通りかかった商人に訳を訊ねると「織田さまが物凄い物を作りなさったんです」とやや興奮しながら答えた。
「物凄い物? なんだそれは」
「私もさっき見たんですが、それはもう、大きな大きな安宅船ですよ!」
安宅船とは軍船のことだ。
「安宅船? それが凄いのか?」
「お武家さまも見に行ったらいいですよ! 港に泊めてあります!」
そこまで物凄いのか。
おそらくそれが上様の見せたいものだと思い、港へと足を運ぶ。
近づくにつれて、結構な人数が集まっているのが分かる。
そして――遠目からも見えた。
「な、なんだ!?」
かなりの大きさで、まるで山のように巨大で、周りを鉄で覆われていて――
今まで見たことがない、凄まじい安宅船だった!
よく見ようと自然と早足になる。
近づくと当たり前だが、ますます大きく見えた。
港近くが人だかりで一杯だ。それをかき分けて行くと、上様は数人の護衛の武将と小姓と一緒に安宅船を観賞していた。
「見事だ! 九鬼嘉隆に褒美を好きなだけ与えよ!」
「はは。かの者も大いに喜ぶでしょう」
側近の堀秀政殿が応じる。
僕は目の前にある山のような安宅船に声も無く驚いていた。
前面を鉄板で覆われていて、側面には南蛮の大砲が備え付けられている。古今東西、これほどの安宅船は存在しないだろう。
「む。雲之介か。書状のとおりに見に来たのか」
唖然としている僕に上様が自慢げに話しかける。
反応を遅らせてしまったけど、なんとか答えた。
「ま、まさか。このような巨大な安宅船を作るとは……」
「ふ。言葉もないか?」
「は、はい……」
上様は「一つ訂正しておこう」と不敵に笑った。
「この船は安宅船ではない。大安宅船だ!」
「お、大安宅船……」
「別名は鉄甲船だがな。これほど立派なものはないだろう」
激しく頷く。まるで夢幻のような、素晴らしい大安宅船だ!
「上様。茶頭の千宗易殿が挨拶に参りました」
小姓の一人、森乱丸くんが跪きながら言う。
振り返るとお師匠さまがこちらへと歩いてくる。
宗二殿も一緒だった。
「おう。田中宗易。どうだ? この大安宅船は!」
玩具を自慢する童みたいに目を輝かせる上様。
お師匠さまはじっと大安宅船を眺めた。
そしてしばしの沈黙の後、とんでもないことを言う。
「ちと物足りないですね」
僕も宗二殿も予想できなかった言葉が飛び出たのでぎょっとした。
堀殿も乱丸くんもあまりのことに動揺して後ろに下がる。
「……どういう意味だ?」
静かだが、それでも怒りが篭もっている声音で、お師匠さまに問う上様。
しかし、それをものともせずに、お師匠さまは堂々と答える。
「色が気に入りません」
「色だと?」
「鉄を貼っただけでは遠目からは威圧的に感じられません。ここは、大安宅船を全て黒で塗るのはいかがでしょうか?」
深く頭を下げるお師匠さま。
しばらく何も言わずに黙っていた上様だったが「……なるほどな」と軽く笑う。
「黒ほど死を思わせる色はない。秀政! 大安宅船を黒く塗れと命じておけ!」
「はっ! 承知いたしました!」
お師匠さまが斬られるのかと、ひやりとしてしまったが、何事も無く終わって良かった……
「田中宗易! 茶を点てよ! 雲之介、貴様も来い!」
突然の指名に驚いたが「承知いたしました」とすぐに応じた。
なるべく早く返事しないとそれだけで怒られるからだ。
乱丸くんが不安そうに僕を見つめるけど、安心させるように笑ってあげた。
上様が堺に作らせた屋敷に招かれた僕は、上様と二人だけで、お師匠さまが点てる茶を飲む。茶器は上様が好んだ唐物珠光茶碗だ。
末席の僕が飲み終えると、上様がさっそく切り出した。
「松寿丸のことだが、貴様はどう思う?」
気に病んでいるのだろう。子どもを切腹させたのだから当然だ。
僕は「斬るのが早すぎたと思います」とわざと外れたことを言う。
「まだ黒田官兵衛が裏切ったとは確定しておりませんから」
「……そうではない。斬った俺を残酷だと思うか?」
真っ直ぐ僕の目を見る上様。
誤魔化せないなと感じた。
僕は――首を振った。
「いいえ。大名としてしかるべき行ないだと思います」
「だが斬る決断は時期尚早だと?」
僕は「上様のお心を理解しているわけではありませんが」と言った。
「別所、荒木と謀反が続いているので、見せしめのために斬ったのだと……」
「そうだ。織田家に逆らえばどうなるか、見せつける必要があったのだ」
上様は「貴様は変わらないな」と厳しかった表情を和らげる。
「貴様が童の頃に出会ったときと変わらん目の輝きよ」
「…………」
「その目を見るたびに、己が汚く思えてくる」
上様が汚いと思ったことなど一度もない。
行雲さまをお許しになったときから、ずっと高潔な方だと思っている。
そして上様は何故か笑って言う。
「気に入らんが、それでも俺に必要な目だ。鏡のごとく俺をきちんと映す」
「お言葉、もったいなく存じます」
「そんな貴様に頼みたいことがある」
上様は僕と目を合わせて。
心を抉るような主命を命じた。
「我が娘婿の徳川信康を探ってほしい」
「探る、ですか?」
「ああ。嫁いだおごとくから密書が届いた」
上様は――暗い表情で言う。
「信康が武田家と内通しているらしい。それが真実かどうか、徳川殿に問い質せ」
あまりに重い主命に僕は応じるべきか迷っていた。
だから確認をしてしまった。
「……もし真実であるのなら、いかがなさいますか?」
「徳川殿と相談の上、沙汰を出す」
切腹させると明言しなかった。場合によっては許すのかもしれない。
いや、それは甘い見方だろう。徳川家の内情を知っている信康殿を生かしておけば禍根が残る。それに後継者争いも起こるかもしれない。
ここで『上様はどうなさりたいのですか?』と聞くことは簡単だ。
しかし真意を聞いてしまえば、それに添えない場合に直面するかもしれない。
「どうした? 主命を引き受けるのか、受けないのか? さっさと言え」
答えは決まっていた。引き受けないという選択肢はなかった。
「慎んでお受けいたします。これから遠江国に向かいます」
平伏して主命を受けると上様は「……頼む」とだけ言った。
苦しむ上様は何度も見てきた。
苛烈な性格な上様だけど、それ以上にお優しい性根なのだろう。
それが歪んで見えるものだから、人に恐れられているのだ。
「茶をもうひとたび、淹れ直しました」
お師匠さまがすっと上様に茶を差し出した。
あまりにさりげなかったから、上様は思わず「すまないな」と礼を言ってしまう。
それに気づいた上様は、お師匠さまに何か言いたげだったが、ぐっと飲み込む。
その間、お師匠さまは上様と目を合わせなかった。
黒々と光る茶釜から漏れ出す湯気を何の感情も無く、見つめていた――
家族を持つようになってから、家族を守るという重荷を背負う責任を感じている。
だからこそ、僕はあの人に情けをかけた。
祖父として認められたわけではないけど、家族を守っていたのだと、ようやく受け入れられたんだ。
晴太郎やかすみは、僕のことを甘いとなじった。
それもまた理解できた。被害を受けた僕が罪人である言継さまをあっさりと許したのだから。
でもこれでようやく、一区切りつけたのだと思える。
そう思わなくては、僕自身が納得できないだろう。
さて。全てが終わった後に志乃の墓参りをしてから、家族を長浜に連れて帰って、しばらくした頃。
上様から一通の書状が届いた。
なんでも堺で見せたいものがあるようだ。
詳しい内容は書かれていないが、本願寺攻めの切り札となる物らしい。
松寿丸のこともあって、あまり気乗りはしなかったが、上様の命令であるから従わなければならない。
はるに留守を頼んで――行きたがっていたが我慢してもらった――堺へと向かう。
数日かけて辿り着くと、いつも大勢居るはずの目抜き通りがいくらか空いていた。
僕は近くを通りかかった商人に訳を訊ねると「織田さまが物凄い物を作りなさったんです」とやや興奮しながら答えた。
「物凄い物? なんだそれは」
「私もさっき見たんですが、それはもう、大きな大きな安宅船ですよ!」
安宅船とは軍船のことだ。
「安宅船? それが凄いのか?」
「お武家さまも見に行ったらいいですよ! 港に泊めてあります!」
そこまで物凄いのか。
おそらくそれが上様の見せたいものだと思い、港へと足を運ぶ。
近づくにつれて、結構な人数が集まっているのが分かる。
そして――遠目からも見えた。
「な、なんだ!?」
かなりの大きさで、まるで山のように巨大で、周りを鉄で覆われていて――
今まで見たことがない、凄まじい安宅船だった!
よく見ようと自然と早足になる。
近づくと当たり前だが、ますます大きく見えた。
港近くが人だかりで一杯だ。それをかき分けて行くと、上様は数人の護衛の武将と小姓と一緒に安宅船を観賞していた。
「見事だ! 九鬼嘉隆に褒美を好きなだけ与えよ!」
「はは。かの者も大いに喜ぶでしょう」
側近の堀秀政殿が応じる。
僕は目の前にある山のような安宅船に声も無く驚いていた。
前面を鉄板で覆われていて、側面には南蛮の大砲が備え付けられている。古今東西、これほどの安宅船は存在しないだろう。
「む。雲之介か。書状のとおりに見に来たのか」
唖然としている僕に上様が自慢げに話しかける。
反応を遅らせてしまったけど、なんとか答えた。
「ま、まさか。このような巨大な安宅船を作るとは……」
「ふ。言葉もないか?」
「は、はい……」
上様は「一つ訂正しておこう」と不敵に笑った。
「この船は安宅船ではない。大安宅船だ!」
「お、大安宅船……」
「別名は鉄甲船だがな。これほど立派なものはないだろう」
激しく頷く。まるで夢幻のような、素晴らしい大安宅船だ!
「上様。茶頭の千宗易殿が挨拶に参りました」
小姓の一人、森乱丸くんが跪きながら言う。
振り返るとお師匠さまがこちらへと歩いてくる。
宗二殿も一緒だった。
「おう。田中宗易。どうだ? この大安宅船は!」
玩具を自慢する童みたいに目を輝かせる上様。
お師匠さまはじっと大安宅船を眺めた。
そしてしばしの沈黙の後、とんでもないことを言う。
「ちと物足りないですね」
僕も宗二殿も予想できなかった言葉が飛び出たのでぎょっとした。
堀殿も乱丸くんもあまりのことに動揺して後ろに下がる。
「……どういう意味だ?」
静かだが、それでも怒りが篭もっている声音で、お師匠さまに問う上様。
しかし、それをものともせずに、お師匠さまは堂々と答える。
「色が気に入りません」
「色だと?」
「鉄を貼っただけでは遠目からは威圧的に感じられません。ここは、大安宅船を全て黒で塗るのはいかがでしょうか?」
深く頭を下げるお師匠さま。
しばらく何も言わずに黙っていた上様だったが「……なるほどな」と軽く笑う。
「黒ほど死を思わせる色はない。秀政! 大安宅船を黒く塗れと命じておけ!」
「はっ! 承知いたしました!」
お師匠さまが斬られるのかと、ひやりとしてしまったが、何事も無く終わって良かった……
「田中宗易! 茶を点てよ! 雲之介、貴様も来い!」
突然の指名に驚いたが「承知いたしました」とすぐに応じた。
なるべく早く返事しないとそれだけで怒られるからだ。
乱丸くんが不安そうに僕を見つめるけど、安心させるように笑ってあげた。
上様が堺に作らせた屋敷に招かれた僕は、上様と二人だけで、お師匠さまが点てる茶を飲む。茶器は上様が好んだ唐物珠光茶碗だ。
末席の僕が飲み終えると、上様がさっそく切り出した。
「松寿丸のことだが、貴様はどう思う?」
気に病んでいるのだろう。子どもを切腹させたのだから当然だ。
僕は「斬るのが早すぎたと思います」とわざと外れたことを言う。
「まだ黒田官兵衛が裏切ったとは確定しておりませんから」
「……そうではない。斬った俺を残酷だと思うか?」
真っ直ぐ僕の目を見る上様。
誤魔化せないなと感じた。
僕は――首を振った。
「いいえ。大名としてしかるべき行ないだと思います」
「だが斬る決断は時期尚早だと?」
僕は「上様のお心を理解しているわけではありませんが」と言った。
「別所、荒木と謀反が続いているので、見せしめのために斬ったのだと……」
「そうだ。織田家に逆らえばどうなるか、見せつける必要があったのだ」
上様は「貴様は変わらないな」と厳しかった表情を和らげる。
「貴様が童の頃に出会ったときと変わらん目の輝きよ」
「…………」
「その目を見るたびに、己が汚く思えてくる」
上様が汚いと思ったことなど一度もない。
行雲さまをお許しになったときから、ずっと高潔な方だと思っている。
そして上様は何故か笑って言う。
「気に入らんが、それでも俺に必要な目だ。鏡のごとく俺をきちんと映す」
「お言葉、もったいなく存じます」
「そんな貴様に頼みたいことがある」
上様は僕と目を合わせて。
心を抉るような主命を命じた。
「我が娘婿の徳川信康を探ってほしい」
「探る、ですか?」
「ああ。嫁いだおごとくから密書が届いた」
上様は――暗い表情で言う。
「信康が武田家と内通しているらしい。それが真実かどうか、徳川殿に問い質せ」
あまりに重い主命に僕は応じるべきか迷っていた。
だから確認をしてしまった。
「……もし真実であるのなら、いかがなさいますか?」
「徳川殿と相談の上、沙汰を出す」
切腹させると明言しなかった。場合によっては許すのかもしれない。
いや、それは甘い見方だろう。徳川家の内情を知っている信康殿を生かしておけば禍根が残る。それに後継者争いも起こるかもしれない。
ここで『上様はどうなさりたいのですか?』と聞くことは簡単だ。
しかし真意を聞いてしまえば、それに添えない場合に直面するかもしれない。
「どうした? 主命を引き受けるのか、受けないのか? さっさと言え」
答えは決まっていた。引き受けないという選択肢はなかった。
「慎んでお受けいたします。これから遠江国に向かいます」
平伏して主命を受けると上様は「……頼む」とだけ言った。
苦しむ上様は何度も見てきた。
苛烈な性格な上様だけど、それ以上にお優しい性根なのだろう。
それが歪んで見えるものだから、人に恐れられているのだ。
「茶をもうひとたび、淹れ直しました」
お師匠さまがすっと上様に茶を差し出した。
あまりにさりげなかったから、上様は思わず「すまないな」と礼を言ってしまう。
それに気づいた上様は、お師匠さまに何か言いたげだったが、ぐっと飲み込む。
その間、お師匠さまは上様と目を合わせなかった。
黒々と光る茶釜から漏れ出す湯気を何の感情も無く、見つめていた――