残酷な描写あり
予兆
宇喜多直家が亡くなったらしい。その知らせはすぐに姫路城に届いた。正直、悲しいという気持ちはないが、これまで毛利家を防いでくれた直家には感謝している。そういえば嫡男の八郎のことを頼むと言っていた。微力ながら僕も彼の子どものことを気にかけてやろうと思った。もし直家と似て暗殺を好む性格であれば矯正しなければならない。
さて。その知らせを届けてくれたのは、山中幸盛殿だった。山中殿は沈痛の思いで直家の死を僕たちに言った。
「とても残念です。あのお方は我が殿と俺をよくしてくださった」
敵には容赦なかったが、味方は優遇していたらしい。そういえば家臣が叛いたと言う話は聞かない。
「山中殿。尼子殿と一緒に織田家に戻らぬか?」
秀吉は気遣うように提案したのだけれど、山中殿は「厚意は受け取っておきます」と言外に断った。
「まだ宇喜多家への恩義を返せておりませんので。もちろんそれが済んだら織田家に帰参いたします」
「そうか。やはり山中殿は忠義の士だ」
どこか羨望するような目を向ける秀吉だった。
山中殿を茶席に誘う。作法は知っているようだったけど、細かい部分は拙かった。それでも慣れないなりに上手に飲めているのを見て感心する。
「雲之介殿には、世話になった。あの手紙のおかげで我が殿も助かった。手紙でも書いたが、礼を言う」
頭を下げる山中殿に「大したことではないよ」と僕は返す。
謙遜とかそういう意味ではなかった。本当にそう思っているだけだった。
「しかし、茶の湯というものは、身が引き締まる思いだな。戦場とはまた違う」
「そうか? なるべく緊張感を持たせないように心がけているが」
「嫌な緊張ではない。なんと評せばいいのか分からないが……」
言葉にするのが難しいらしい。
「まだまだ僕には創意工夫ともてなす心が足りないんだな」
「そんなことはないが……」
「いや、武芸と一緒で日々鍛錬が必要なんだよ」
和やかな会話をして、その日のうちに山中殿は帰っていった。
少しだけ親しくなれたのは僥倖だったと自分でも思う。
◆◇◆◇
年末。秀吉と僕、長政は歳暮の挨拶で安土城に訪れている。鳥取城を落とし因幡国を平定した報告も兼ねていた。
上様への案内は森乱丸と弥助だった。弥助を見た秀吉と長政はとても驚いていた。
「こ、これが噂に聞く崑崙奴か。流石に驚いたぞ」
秀吉は目を丸くして、弥助を眺め回している。長政は口を開いたまま何も言えない。
弥助は嬉しそうに「くものすけ! おひさしぶりですね!」と流暢な日の本言葉で挨拶した。
「なんだ。結構喋られるようになったじゃないか!」
「こちらにいるらんまるに、おしえてもらいました」
思わず乱丸を見ると得意そうな顔をしていた。
「弥助は結構、物覚えが良かったんですよ」
「なんだなんだ。雲之介、いつ仲良くなったんだ?」
秀吉は笑いながら言う。もう弥助に対して恐怖感はないようだ。
「ご案内いたします。どうぞこちらへ」
互いの紹介が済んだところで乱丸の先導で上様が居る謁見の間に向かった。
平伏して待っていると、上様がやってきて「面を挙げよ」と言う。
珍しく上機嫌な上様は秀吉からの歳暮の挨拶を受け取った。
「猿。貴様に褒美をくれてやる。茶道具十二種だ」
そう言って十二個の名物をためらいもなく褒美として下賜された上様。
これには秀吉も感極まって涙した。
「ありがたき幸せに存じます……!」
「うむ。これからも励め」
秀吉は次に備中の境目七城を攻めると報告した。上様はそれに満足そうに頷いた。
「もうすぐ太平の世となる。今まで苦労かけたな」
珍しくお優しいお言葉をかけてくださる上様に僕は思わず長政と顔を見合わせる。
それから何気ない話をして、退座した。
最後に上様が僕に言った言葉は「あの日、山賊を斬ってお前を助けたことは間違いではなかった」だった。
安土城を後にしようとしたが、たまたま来ていた信澄さまと偶然出会い、彼の城下屋敷で酒盛りをすることになった。安土城の縄張りをしたときから、秀吉と信澄さまは仲が良かった。
途中で信忠さまが加わり、節度を弁えつつの宴会となった。
「はっきり言って、重圧ですよ」
日頃の不安を吐露するように、信澄さまは言う。
「大坂の城を任されて、長宗我部家の討伐の副将を任されるのは。許されたとはいえ、俺は謀反人の息子です。こんな地位に就いていい人間じゃない」
僕は「そんなことないですよ」と信澄さまの杯に酒を注ぎながら応じた。
「立派にやっていると思います。上様は人にできないことを押し付けるような主君じゃないです」
「それはそうだけど……ていうか、雨竜殿酒強いな……」
「よく言われます。でもいずれ信澄さまも強くなりますよ」
「ううん? それは心の話? それとも酒?」
「心ですよ。決まっているじゃないですか。さあ一献どうぞ」
「いや、明らかに酒の話になって……いや、もう、限界というか……そんななみなみと注がないでください!」
するとすっかり酔っている信忠さまが「そんなこと言ったら、俺のほうが重圧だよ」と信澄さまの肩を腕で組んだ。
「岐阜中将。織田家当主。次期天下人。どんだけの重圧だと思っているんだ?」
「……まあそうですけど」
「代わってもらいたいのは俺のほうだ。親父殿の跡を継いで、日の本をまとめなければいけないってのは、本当に面倒なんだぜ?」
愚痴っている口調だが、顔は全然苦にもなっていないという風だった。
流石に織田家の当主。肝が据わっている。
「津田さま。長宗我部攻めがお嫌なら、わしの軍に加わるのはいかがですかな?」
すっかり酔った秀吉がとんでもないことを言う。
「軍略は官兵衛が、兵糧や武具の管理は雲之介が、実際の戦は秀長と正勝、そして長政がやってくれます。案外楽ですぞ」
「お気遣いありがとうございます。でも上様が決定したことを覆すことはできませんから」
やんわりと断る信澄さま。
「俺は俺の務めを全うするだけです」
「そうですか。ならば無理には言いませぬ」
秀吉も冗談だったのでそれほど強く誘わなかった。
「久しぶりに子どもたちに会いたいなあ」
突然、泥酔している長政が寝ぼけながら言う。
「なんだ。お市さまには会いたくないのか?」
「ひいい!? あ、会いたいに決まっているだろ! 恐ろしいことを言うな!」
冗談で言ったつもりが、良くないものを呼び寄せてしまったらしい。がたがた震えだす長政。
「ええ……叔母さんめっちゃ怖いじゃん……」
「ふふふ。まあ織田家は愛情深い家系だからな」
怯える信澄さまと笑う信忠さま。まあ確かにそうだろうなと思った。
「雲之介の憧れの人物だったのに、どうしてこうなったのだろうな?」
茶化すように秀吉が言ったので、思わず本音が出てしまう。
「馬鹿なことを言うな。今でも憧れだ」
「夫の前でよく言えるなあ……」
呆れる信澄さまだったけど、当人の長政は寝てしまった。
一晩中宴は続いた。
はしゃいで騒いで。笑って泣いて。
そうして向かえた翌日。
二日酔いでふらふらしている長政の肩を担いで、僕は同じくふらふらの信澄さまの屋敷を後にする。
「情けないな。一番酒量は少ないんだぞ?」
「……殿と雲之介は化け物だな」
それほどでもないんだけどなあと思いつつ歩いていると、秀吉が「久しぶりですな」と挨拶している。
顔を上げると――明智さまが居た。
「お久しぶりですね。羽柴殿。雨竜殿も浅井殿も――二日酔いですか?」
いつもより明るい顔つき。
まるで悩みが吹き飛んだというか。
何かを吹っ切った顔。
「ええ。情けないことですが。明智さまは?」
長政の問いに「娘婿に会いに行きます」と笑った。
「ああ。信澄さまの。彼も二日酔いですよ」
「なんだ。宴でもやっていたんですか?」
しばらく話して、それから別れた。
話の内容は他愛のないことだったので、すぐに忘れてしまった。
さて。その知らせを届けてくれたのは、山中幸盛殿だった。山中殿は沈痛の思いで直家の死を僕たちに言った。
「とても残念です。あのお方は我が殿と俺をよくしてくださった」
敵には容赦なかったが、味方は優遇していたらしい。そういえば家臣が叛いたと言う話は聞かない。
「山中殿。尼子殿と一緒に織田家に戻らぬか?」
秀吉は気遣うように提案したのだけれど、山中殿は「厚意は受け取っておきます」と言外に断った。
「まだ宇喜多家への恩義を返せておりませんので。もちろんそれが済んだら織田家に帰参いたします」
「そうか。やはり山中殿は忠義の士だ」
どこか羨望するような目を向ける秀吉だった。
山中殿を茶席に誘う。作法は知っているようだったけど、細かい部分は拙かった。それでも慣れないなりに上手に飲めているのを見て感心する。
「雲之介殿には、世話になった。あの手紙のおかげで我が殿も助かった。手紙でも書いたが、礼を言う」
頭を下げる山中殿に「大したことではないよ」と僕は返す。
謙遜とかそういう意味ではなかった。本当にそう思っているだけだった。
「しかし、茶の湯というものは、身が引き締まる思いだな。戦場とはまた違う」
「そうか? なるべく緊張感を持たせないように心がけているが」
「嫌な緊張ではない。なんと評せばいいのか分からないが……」
言葉にするのが難しいらしい。
「まだまだ僕には創意工夫ともてなす心が足りないんだな」
「そんなことはないが……」
「いや、武芸と一緒で日々鍛錬が必要なんだよ」
和やかな会話をして、その日のうちに山中殿は帰っていった。
少しだけ親しくなれたのは僥倖だったと自分でも思う。
◆◇◆◇
年末。秀吉と僕、長政は歳暮の挨拶で安土城に訪れている。鳥取城を落とし因幡国を平定した報告も兼ねていた。
上様への案内は森乱丸と弥助だった。弥助を見た秀吉と長政はとても驚いていた。
「こ、これが噂に聞く崑崙奴か。流石に驚いたぞ」
秀吉は目を丸くして、弥助を眺め回している。長政は口を開いたまま何も言えない。
弥助は嬉しそうに「くものすけ! おひさしぶりですね!」と流暢な日の本言葉で挨拶した。
「なんだ。結構喋られるようになったじゃないか!」
「こちらにいるらんまるに、おしえてもらいました」
思わず乱丸を見ると得意そうな顔をしていた。
「弥助は結構、物覚えが良かったんですよ」
「なんだなんだ。雲之介、いつ仲良くなったんだ?」
秀吉は笑いながら言う。もう弥助に対して恐怖感はないようだ。
「ご案内いたします。どうぞこちらへ」
互いの紹介が済んだところで乱丸の先導で上様が居る謁見の間に向かった。
平伏して待っていると、上様がやってきて「面を挙げよ」と言う。
珍しく上機嫌な上様は秀吉からの歳暮の挨拶を受け取った。
「猿。貴様に褒美をくれてやる。茶道具十二種だ」
そう言って十二個の名物をためらいもなく褒美として下賜された上様。
これには秀吉も感極まって涙した。
「ありがたき幸せに存じます……!」
「うむ。これからも励め」
秀吉は次に備中の境目七城を攻めると報告した。上様はそれに満足そうに頷いた。
「もうすぐ太平の世となる。今まで苦労かけたな」
珍しくお優しいお言葉をかけてくださる上様に僕は思わず長政と顔を見合わせる。
それから何気ない話をして、退座した。
最後に上様が僕に言った言葉は「あの日、山賊を斬ってお前を助けたことは間違いではなかった」だった。
安土城を後にしようとしたが、たまたま来ていた信澄さまと偶然出会い、彼の城下屋敷で酒盛りをすることになった。安土城の縄張りをしたときから、秀吉と信澄さまは仲が良かった。
途中で信忠さまが加わり、節度を弁えつつの宴会となった。
「はっきり言って、重圧ですよ」
日頃の不安を吐露するように、信澄さまは言う。
「大坂の城を任されて、長宗我部家の討伐の副将を任されるのは。許されたとはいえ、俺は謀反人の息子です。こんな地位に就いていい人間じゃない」
僕は「そんなことないですよ」と信澄さまの杯に酒を注ぎながら応じた。
「立派にやっていると思います。上様は人にできないことを押し付けるような主君じゃないです」
「それはそうだけど……ていうか、雨竜殿酒強いな……」
「よく言われます。でもいずれ信澄さまも強くなりますよ」
「ううん? それは心の話? それとも酒?」
「心ですよ。決まっているじゃないですか。さあ一献どうぞ」
「いや、明らかに酒の話になって……いや、もう、限界というか……そんななみなみと注がないでください!」
するとすっかり酔っている信忠さまが「そんなこと言ったら、俺のほうが重圧だよ」と信澄さまの肩を腕で組んだ。
「岐阜中将。織田家当主。次期天下人。どんだけの重圧だと思っているんだ?」
「……まあそうですけど」
「代わってもらいたいのは俺のほうだ。親父殿の跡を継いで、日の本をまとめなければいけないってのは、本当に面倒なんだぜ?」
愚痴っている口調だが、顔は全然苦にもなっていないという風だった。
流石に織田家の当主。肝が据わっている。
「津田さま。長宗我部攻めがお嫌なら、わしの軍に加わるのはいかがですかな?」
すっかり酔った秀吉がとんでもないことを言う。
「軍略は官兵衛が、兵糧や武具の管理は雲之介が、実際の戦は秀長と正勝、そして長政がやってくれます。案外楽ですぞ」
「お気遣いありがとうございます。でも上様が決定したことを覆すことはできませんから」
やんわりと断る信澄さま。
「俺は俺の務めを全うするだけです」
「そうですか。ならば無理には言いませぬ」
秀吉も冗談だったのでそれほど強く誘わなかった。
「久しぶりに子どもたちに会いたいなあ」
突然、泥酔している長政が寝ぼけながら言う。
「なんだ。お市さまには会いたくないのか?」
「ひいい!? あ、会いたいに決まっているだろ! 恐ろしいことを言うな!」
冗談で言ったつもりが、良くないものを呼び寄せてしまったらしい。がたがた震えだす長政。
「ええ……叔母さんめっちゃ怖いじゃん……」
「ふふふ。まあ織田家は愛情深い家系だからな」
怯える信澄さまと笑う信忠さま。まあ確かにそうだろうなと思った。
「雲之介の憧れの人物だったのに、どうしてこうなったのだろうな?」
茶化すように秀吉が言ったので、思わず本音が出てしまう。
「馬鹿なことを言うな。今でも憧れだ」
「夫の前でよく言えるなあ……」
呆れる信澄さまだったけど、当人の長政は寝てしまった。
一晩中宴は続いた。
はしゃいで騒いで。笑って泣いて。
そうして向かえた翌日。
二日酔いでふらふらしている長政の肩を担いで、僕は同じくふらふらの信澄さまの屋敷を後にする。
「情けないな。一番酒量は少ないんだぞ?」
「……殿と雲之介は化け物だな」
それほどでもないんだけどなあと思いつつ歩いていると、秀吉が「久しぶりですな」と挨拶している。
顔を上げると――明智さまが居た。
「お久しぶりですね。羽柴殿。雨竜殿も浅井殿も――二日酔いですか?」
いつもより明るい顔つき。
まるで悩みが吹き飛んだというか。
何かを吹っ切った顔。
「ええ。情けないことですが。明智さまは?」
長政の問いに「娘婿に会いに行きます」と笑った。
「ああ。信澄さまの。彼も二日酔いですよ」
「なんだ。宴でもやっていたんですか?」
しばらく話して、それから別れた。
話の内容は他愛のないことだったので、すぐに忘れてしまった。