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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
歴史に名を刻む
 水攻めをすると言っても、実際にできるかどうかは調べてみないと分からない。いくら北東西を山に囲まれていて、南は街道が一段と盛り上がっているとはいえ、一見条件が整っているように見えるだけで、できない可能性もある。もし水に沈められるのであれば、そもそもそんなところに城は築かないだろう。

 そういうわけで官兵衛が近くの村の百姓に話を聞いてきた。不気味に笑う官兵衛であるが、配下の栗山善助殿は分別の分かる者だから、なんとか聞きだすことができた。

 なんでも高松城の西側、南北を流れる足守川は梅雨時期になるとよく氾濫するようだ。しかし高松城は沈むことはないと百姓は語る。何故ならば水通しという水の逃げ道があるからだ。蛙ヶ鼻というところが低い谷となっていて、そこに水が流れ込む。そのことで高松城が沈むことはないのだ。

「逆に言えばだ。そこを塞いでしまえば、水攻めできるってことだぜえ! うひひひひ!」

 理屈ではそうなる。蛙ヶ鼻の水通しの幅は三町ほど、高松城もさほど土台が高くない。土俵で堤を築いてしまえば、確実に成功するだろう。
 不可能ではないが、問題は費用である。

「官兵衛が言った、百姓が持ってくる土俵に対して銭百文と米俵一俵支払うのだと莫大な金額になる。それで構わないかい?」

 簡易な小屋を作り、そこを本陣として軍議を開く。僕がある程度の計算結果を皆に見せると、官兵衛以外は目を白黒させた。

「おいおい兄弟。そんなにかかるのかよ!」
「もちろんだ。ちゃんとどうやって出したのか、式も書いてある」

 正勝が頭を抱えて「こんなにかかるとは思わなかったぜ」と言う。

「雲之介。たとえば報酬を半分にすることはできないかい?」
「秀長殿。それは官兵衛に言ってください」

 困った顔をする秀長殿に官兵衛は「使わねえ銭や米は路傍の石と同じだ」と言う。

「だが、雨の少ない空梅雨だったらどうなる? 現に外は晴れている」

 長政の指摘も分かる。この策は雨が続かないと成らない。
 官兵衛は「まあ今ならやめることはできるな」と一歩引いた。

「でもよ。これが成功したらすげえよ。うひひ」

 官兵衛は皆に言い聞かせるように説得をする。

「こんな壮大な城攻めは誰もしねえ。後にも先にもだ。それを俺たちがするんだ。うけけ。俺たちは歴史に名を刻める。後世にまで語り継がれる。俺たちは今、伝説となり始めている――」

 何とも心を揺さぶらされるような言葉だ。
 正勝なんかは「面白いじゃねえか」と乗り気になっている。

「墨俣一夜城を思い出すぜ。なあ秀長よ」
「……まあ確かにな」

 長政は「かなりの博打だな」と呟く。

「殿はどうお考えになられる?」

 それまで黙っていた秀吉は、皆の顔を眺めてから言う。

「わしは――やってみたい」

 秀吉は一同を見つめて、想いを語った。

「官兵衛の言葉に動かされたこともあるが、わしはこの戦で毛利家を降伏させるつもりだ。そのために一度凄いことをしなければならん」

 秀吉は「水攻めを決行する」と言った。

「反対の者は居るか?」

 その言葉に、僕は「反対ではないけど」と手を挙げた。

「堤を作るときに、一つだけ条件がある」
「なんだ? 言ってみろ」
「この一帯の百姓が水害に困らないような堤を作ってほしい」

 僕の言葉に全員が黙り込んだ。

「せっかく大金をつぎこんで作るんだ。そのくらいの役得がないと駄目だろ」
「雲之介……」
「だってここは織田家の領地になるんだ」

 僕はにっこり笑って言う。

「肥沃な土地にしたほうが、旨みがあるだろう?」
 
 
◆◇◆◇
 
 
 官兵衛は僕の言葉で当初予定していた堤の位置をいくらか変更した。官兵衛は「大した手間じゃねえよ。ひひひ」と笑っていたが、寝ずに考えてくれたことは分かっていた。
 周辺の百姓も高額な報酬のおかげで協力的に土俵を持ってきてくれた。次から次へと集まる土俵を定められた位置に置く。

「どんどん積み上げよ! どんどん盛り上げよ!」

 秀吉が陣頭指揮に立ち、兵を鼓舞している。僕は敵が堤を壊さぬか見張りを立てる。今のところ、こちらの狙いは悟られていないが、時間の問題だろう。
 こうしているうちにも、高松城には水が浸水しているはずだから――

「官兵衛。兵はどうなる? 溺れ死ぬのか?」

 兵に指示を出している官兵衛に訊ねると「いや。高所に居れば助かるぜ。ふふふ」と笑った。

「そうか。あまり無駄死にさせたくないからな」
「なんつーか。本当にお優しいよな。雲之介殿は」

 官兵衛はにやにや笑いながら言う。

「敵を降伏させる堤を、百姓のために活かすようにしろとか。本当に優しいな。あひゃっひゃ。」
「銭と米がもったいなかっただけだよ」
「ふうん。まあいいや……ところで、太平の世になったら、あんた何する?」

 唐突な問いだったけど、僕は答えた。

「内政官として日の本を良くしていくよ。二度と戦国乱世なんて起こらないようにね」
「へへへ。そうか」
「官兵衛はどうするんだ?」

 官兵衛は意外にも「悠々自適に暮らすさ」と笑った。

「家督を長政に譲って、隠居だな。どう足掻いても太平の世は軍師が役立つ時代にならないしな」
「もったいない。官兵衛なら内政官として働けるのに」

 首を横に振る官兵衛。

「俺はどうもそういうの駄目らしい。まず情熱が持てない。民が幸せになることは喜ばしいが、俺以外でもできるだろうしな。俺は俺しかできないことがやりたい」
「それが、今回の水攻めなのか?」
「そうさ。人をあまり殺さず、それでいて確実に下らせるような戦。それを考えるのが楽しい」

 ふと官兵衛が見上げた。曇った空から雨粒がぽたぽたと落ちてきた。

「あははは。天もこちらの味方をしているようだ。じゃんじゃん降ってくれれば、その分水攻めは成功する」

 官兵衛は「秀吉殿は幸運な方だな」と言う。

「堤の大部分が出来上がったときに雨が降るとは」
「まったく。こういうときの秀吉は機会に恵まれている」
「稀代の英雄は運を持っている。流石だ」

 堤の完成が目前なときの何とも不思議な会話だった。
 
 
◆◇◆◇
 
 
 数日前から官兵衛から船を集めるように言われた。きっと水没した高松城に使者を送るために使うのだと、てっきりそう思っていたがどうやら違うらしい。
 秀吉が兵たちに号令をかけた。

「堤は完成した。これより足守あしもり川の流れを変える」

 足守川の堤防を決壊させるだけでは侵入してくる水量は変わらない。
 それで用意した船に岩を積み、底に穴を開けることで一気に流れを変えようとする策である。

「なるほど。流石官兵衛。後々まで考えているな」

 驚嘆する僕だったが、これ以上に凄いことが目の前で起こる。
 大小合わせて三十あまりの船の底に穴を空ける――沈んでいく船。そして岩。
 うねりが起きた。地面を揺らすほどの大きな震動である。
 轟音と共に高松城へと水が迫る。蛙ヶ鼻の堤で水が塞き止められる。東西南北を山々や丘に囲まれた高松城にもはや水の逃げ場無く――
 ――刹那の間に高松城の周囲は湖と化した。

「あははっははっはははははは! やったぞ! 雲之介殿!」

 官兵衛がはしゃいでいる。秀長殿も正勝も長政も、若い将たちも僕の家臣も、そして秀晴も呆気に取られている。
 唯一、秀吉だけはこの光景を見て――笑った。
 まるで子どもが悪戯を成功させたような、純真な笑みだった。

「ひ、秀吉――」
「勝ったぞ、雲之介」

 秀吉の言葉に、僕は何も言えない。
 何を言うべきか、何を言ったほうがいいのか。
 それすら判然としないほど――感動していた。
 僕たちは今、歴史に名を刻み、伝説となった。
 その想いが胸を熱くさせた――
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