残酷な描写あり
決死のしんがり
「ば、馬鹿なことを言うな……し、死ぬ気か……!」
秀吉が涙を流しながら僕に近寄る――それを制しながら、僕は笑ったまま続けた。
「吉川の兵に勝てるとは思えない。それでも僕が残るしかないんだ」
「だから――馬鹿なことを申すな! おぬしが死ぬと分かって行けるものか!」
さらに近づく秀吉に僕は「でも誰かが残らないといけないだろ」と説得する。
「五千の兵さえあれば、全軍が姫路城まで撤退できる時間は稼げる。僕が戦下手でもね。あ、そうそう。秀晴と家臣は一緒に連れていってくれ」
「何を勝手に――」
「秀晴。雨竜家のこと、任せたよ」
僕は本陣で隣に座っていた秀晴に言う。
秀晴は――俯いたまま、何も言わない。
「そんな! 雲之介さん! それなら俺も残るよ!」
「先生一人だけ残せません!」
若い将――清正と三成が立ち上がる。
僕は「黙れ!」と怒鳴る。
二人は動きを止めた。そういえば彼らに怒鳴ったことはなかった。
「君たちはまだ若い! ここで死んでは駄目だ!」
「でも先生!」
「三成! 君が僕の跡を引き継げ!」
僕はなおも食い下がる三成に「僕の代わりに内政官として秀吉の力になってくれ」と頼んだ。
「君なら十全に引き継げる。秀吉の側近となって、治世に力を貸してやってくれ」
「せ、先生……」
突然、正勝が立ち上がって、僕の胸ぐらを掴んだ。
静かに涙を流していた。
「兄弟。お前本気で言っているのか?」
「冗談でそんなこと言えないよ」
「妻子はどうする? そいつらになんて言えばいいんだ俺は」
僕は「ありのまま、伝えてくれればいい」と笑った。
「吉川元春の軍と勇敢に戦ったってね」
「はっ。格好付けやがって」
「それにまだ、死ぬとは決まったわけじゃない」
僕は掴んだままの正勝の手を持った。
「案外、あっさりと生き残るかもしれないぞ?」
「……そうだよな。お前はそういう奴だった」
秀長殿は「清正。兄者を頼む」と言って立ち上がった。
僕と目を合わせて言う。
「本当に良いんだね?」
「秀長殿。今までお世話になりました」
秀長殿は涙を流すことなく、まるで晴れやかな空のように僕を見た。
「君はいつも私を立ててくれた。君こそ筆頭に相応しいのに」
「僕はあなたには勝てませんよ。秀吉を補佐できるのは、あなたしかない」
それから僕は昔の秘密を打ち明ける。
「実を言うと、秀長殿のことを嫉妬していた時期がありました」
「奇遇だね。私も――雲之介を羨ましく思っていた」
そして秀長殿は秀吉の腕を取った。反対側は清正だった。
「な、何をする!?」
「行くんだ。雲之介が防いでいる間に」
「馬鹿なことを――」
秀吉は引きずられながら、大声で喚き散らした。
「雲之介! わしはおぬしにこんなことをさせるために、あの日拾ったわけではない!」
秀吉が無理矢理本陣を出されるとき、僕は頭を下げた。
「今まで、お世話になりました」
「――っ! 雲之介ぇ!」
秀吉が去って、静かになって。
それから長政が言う。
「お市には、なんと伝える?」
「……格好良く死んだと伝えてくれ」
「それは駄目だ」
長政は真剣な表情で言った。
「格好悪く生き残ってくれ」
「……長政」
「お市を悲しませるのは、もう嫌なんだ」
長政は正勝の肩を叩いて、二人はそのまま出て行く。
三成も僕に一礼して、その場を去った。
「まったく酔狂だな。ひひひ」
官兵衛が笑いながら杖を使って立ち上がる。
「あんとき語った夢はどうするんだよって話だ」
「官兵衛。頼みがある」
「なんだ? ふひひ」
「秀吉を助けてやってくれ」
官兵衛は「半兵衛さんにも同じこと言われたぜ」と苦笑した。
「死にゆく人間。それも二人にそう言われちゃ守らないといけないな」
「ごめんな。重荷を背負わせて」
「良いってことよ。そんじゃ最後は息子と話でもしな」
官兵衛はゆっくりと本陣を出た。
そして秀晴と僕だけが残った。
「……父さまはいつもそうだ」
不満そうというか、拗ねた感じで、秀晴は言う。
「いつもいいところを持っていく。ここで食い止めて、羽柴さまが明智を討てば、英雄として後世に名を残せるじゃないですか」
「ふふふ。まあね」
「……はるさんのこと、未亡人にしていいんですか?」
僕は困ったように頬を掻いて、それから「まあ仕方ないな」とだけ言った。
「雹だってほとんど父さまのことを知らない。それでもいいんですか?」
「良くないだろうけど、仕方ないよな」
「……本当に、身勝手な人だ」
秀晴は立ち上がって、僕を見つめた。
そうか。もう僕の背を越えたんだな。
大きくなったものだ。
「俺は父さまのことを好きとは言えません。まったく理解できませんでした」
「……そうだろうね」
「でも、全部が嫌いではありませんでした。今まで一緒に暮らしていた思い出があるから」
秀晴は僕に頭を下げた。
「雨竜家のこと、任せてください」
少しだけ志乃に似ている言い方だった。
志乃、君は秀晴の中で血として、肉として、骨として生きているんだな。
「ああ。任せたよ」
そして秀晴も本陣から去っていった。
しばらく本陣に一人で居て。
それから外に出る。
そこにはずらりと並んだ兵と――三人の家臣が居た。
「……どうして、逃げなかったんだ?」
雪隆、島、頼廉に怒ったものか、それとも困ったものか、悩んだように訊ねると、雪隆が笑って言う。
「何言ってるんだ? あんたは『猿の内政官』だろ?」
島が肩を竦めた。
「軍略に暗い殿では兵を無駄死にさせるだけだ。だから残った」
頼廉は手を合わせて言う。
「若はもう撤退しました。それに雨竜殿を見捨てるなどできやしないでしょう」
「皆……」
そして、意外な人物も残っていた。
宇喜多家の客将である山中幸盛殿だった。
「山中殿も……」
「微力ながら、二千の兵を宇喜多殿から借りた。合わせて七千で食い止めよう」
「そうじゃない。どうして残ったんだ?」
山中殿は不敵に笑った。
「あなたが居なければ、上月城で死んでいた。一度失った命、恩人のために返そうと思ったんだ」
僕はそんな四人になんて報いればいいのか、分からなかった。
だから――にっこりと微笑んだ。
「ありがとう。皆の命、僕に預けてくれ」
家臣と山中殿は頷いた。
僕は兵たちに言う。
「和睦を破り、信義を失った、吉川元春を倒すぞ!」
兵たちは一斉に「応!」と叫んだ。
僕は目を瞑った。
志乃、もうすぐ会えるね。
懐に仕舞ってある遺髪が入ったお守りを触る。
僕は目を開けた。
さあ、戦下手の最後の足掻きを見せよう。
秀吉が涙を流しながら僕に近寄る――それを制しながら、僕は笑ったまま続けた。
「吉川の兵に勝てるとは思えない。それでも僕が残るしかないんだ」
「だから――馬鹿なことを申すな! おぬしが死ぬと分かって行けるものか!」
さらに近づく秀吉に僕は「でも誰かが残らないといけないだろ」と説得する。
「五千の兵さえあれば、全軍が姫路城まで撤退できる時間は稼げる。僕が戦下手でもね。あ、そうそう。秀晴と家臣は一緒に連れていってくれ」
「何を勝手に――」
「秀晴。雨竜家のこと、任せたよ」
僕は本陣で隣に座っていた秀晴に言う。
秀晴は――俯いたまま、何も言わない。
「そんな! 雲之介さん! それなら俺も残るよ!」
「先生一人だけ残せません!」
若い将――清正と三成が立ち上がる。
僕は「黙れ!」と怒鳴る。
二人は動きを止めた。そういえば彼らに怒鳴ったことはなかった。
「君たちはまだ若い! ここで死んでは駄目だ!」
「でも先生!」
「三成! 君が僕の跡を引き継げ!」
僕はなおも食い下がる三成に「僕の代わりに内政官として秀吉の力になってくれ」と頼んだ。
「君なら十全に引き継げる。秀吉の側近となって、治世に力を貸してやってくれ」
「せ、先生……」
突然、正勝が立ち上がって、僕の胸ぐらを掴んだ。
静かに涙を流していた。
「兄弟。お前本気で言っているのか?」
「冗談でそんなこと言えないよ」
「妻子はどうする? そいつらになんて言えばいいんだ俺は」
僕は「ありのまま、伝えてくれればいい」と笑った。
「吉川元春の軍と勇敢に戦ったってね」
「はっ。格好付けやがって」
「それにまだ、死ぬとは決まったわけじゃない」
僕は掴んだままの正勝の手を持った。
「案外、あっさりと生き残るかもしれないぞ?」
「……そうだよな。お前はそういう奴だった」
秀長殿は「清正。兄者を頼む」と言って立ち上がった。
僕と目を合わせて言う。
「本当に良いんだね?」
「秀長殿。今までお世話になりました」
秀長殿は涙を流すことなく、まるで晴れやかな空のように僕を見た。
「君はいつも私を立ててくれた。君こそ筆頭に相応しいのに」
「僕はあなたには勝てませんよ。秀吉を補佐できるのは、あなたしかない」
それから僕は昔の秘密を打ち明ける。
「実を言うと、秀長殿のことを嫉妬していた時期がありました」
「奇遇だね。私も――雲之介を羨ましく思っていた」
そして秀長殿は秀吉の腕を取った。反対側は清正だった。
「な、何をする!?」
「行くんだ。雲之介が防いでいる間に」
「馬鹿なことを――」
秀吉は引きずられながら、大声で喚き散らした。
「雲之介! わしはおぬしにこんなことをさせるために、あの日拾ったわけではない!」
秀吉が無理矢理本陣を出されるとき、僕は頭を下げた。
「今まで、お世話になりました」
「――っ! 雲之介ぇ!」
秀吉が去って、静かになって。
それから長政が言う。
「お市には、なんと伝える?」
「……格好良く死んだと伝えてくれ」
「それは駄目だ」
長政は真剣な表情で言った。
「格好悪く生き残ってくれ」
「……長政」
「お市を悲しませるのは、もう嫌なんだ」
長政は正勝の肩を叩いて、二人はそのまま出て行く。
三成も僕に一礼して、その場を去った。
「まったく酔狂だな。ひひひ」
官兵衛が笑いながら杖を使って立ち上がる。
「あんとき語った夢はどうするんだよって話だ」
「官兵衛。頼みがある」
「なんだ? ふひひ」
「秀吉を助けてやってくれ」
官兵衛は「半兵衛さんにも同じこと言われたぜ」と苦笑した。
「死にゆく人間。それも二人にそう言われちゃ守らないといけないな」
「ごめんな。重荷を背負わせて」
「良いってことよ。そんじゃ最後は息子と話でもしな」
官兵衛はゆっくりと本陣を出た。
そして秀晴と僕だけが残った。
「……父さまはいつもそうだ」
不満そうというか、拗ねた感じで、秀晴は言う。
「いつもいいところを持っていく。ここで食い止めて、羽柴さまが明智を討てば、英雄として後世に名を残せるじゃないですか」
「ふふふ。まあね」
「……はるさんのこと、未亡人にしていいんですか?」
僕は困ったように頬を掻いて、それから「まあ仕方ないな」とだけ言った。
「雹だってほとんど父さまのことを知らない。それでもいいんですか?」
「良くないだろうけど、仕方ないよな」
「……本当に、身勝手な人だ」
秀晴は立ち上がって、僕を見つめた。
そうか。もう僕の背を越えたんだな。
大きくなったものだ。
「俺は父さまのことを好きとは言えません。まったく理解できませんでした」
「……そうだろうね」
「でも、全部が嫌いではありませんでした。今まで一緒に暮らしていた思い出があるから」
秀晴は僕に頭を下げた。
「雨竜家のこと、任せてください」
少しだけ志乃に似ている言い方だった。
志乃、君は秀晴の中で血として、肉として、骨として生きているんだな。
「ああ。任せたよ」
そして秀晴も本陣から去っていった。
しばらく本陣に一人で居て。
それから外に出る。
そこにはずらりと並んだ兵と――三人の家臣が居た。
「……どうして、逃げなかったんだ?」
雪隆、島、頼廉に怒ったものか、それとも困ったものか、悩んだように訊ねると、雪隆が笑って言う。
「何言ってるんだ? あんたは『猿の内政官』だろ?」
島が肩を竦めた。
「軍略に暗い殿では兵を無駄死にさせるだけだ。だから残った」
頼廉は手を合わせて言う。
「若はもう撤退しました。それに雨竜殿を見捨てるなどできやしないでしょう」
「皆……」
そして、意外な人物も残っていた。
宇喜多家の客将である山中幸盛殿だった。
「山中殿も……」
「微力ながら、二千の兵を宇喜多殿から借りた。合わせて七千で食い止めよう」
「そうじゃない。どうして残ったんだ?」
山中殿は不敵に笑った。
「あなたが居なければ、上月城で死んでいた。一度失った命、恩人のために返そうと思ったんだ」
僕はそんな四人になんて報いればいいのか、分からなかった。
だから――にっこりと微笑んだ。
「ありがとう。皆の命、僕に預けてくれ」
家臣と山中殿は頷いた。
僕は兵たちに言う。
「和睦を破り、信義を失った、吉川元春を倒すぞ!」
兵たちは一斉に「応!」と叫んだ。
僕は目を瞑った。
志乃、もうすぐ会えるね。
懐に仕舞ってある遺髪が入ったお守りを触る。
僕は目を開けた。
さあ、戦下手の最後の足掻きを見せよう。