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作者: 橋本洋一
残酷な描写あり
接待と再会と落としどころ
 大坂の城――大坂城と名付けられる予定だ――は多くの人夫によって急速に建てられている。焼失してしまった安土城よりも巨大に築くと秀吉は笑っていた。

 難攻不落だった石山本願寺の跡地に建てられるんだ。かなり強固な守りとなるだろうし、大きければ大きいほど他国の使者は圧倒される。城とは戦のためや民を治めるためだけではなく、外交にも役立つのだ。

 そんな最中、徳川家から使者が来た。予想通り石川数正殿だった。石川殿は緊張や不安を表に出さなかったが内心は動揺しているはずだった。何故なら大坂の屋敷に招かれた彼の目の前には見たことがないであろう料理や酒、そして接待のための美女たちが居たからだ。贅を極めたおもてなしを受けているのだ。

「石川殿。どんどん飲んで食べてください」

 僕も接待に参加していた。石川殿の杯に酒を注ぎ、僕自身も飲んでいた。

「……雨竜殿は酒が強いのだな。先ほどからけろりとした顔で飲んでいる」
「うん? ああ、まあ強いほうですね」
「それで、羽柴殿は?」

 秀吉はまだこの場には来ていない。なるべく酒を飲ませて楽しませて判断力を低下させてから話し合いを行なう予定だった。もし最初からこの場に居たら頑固な三河者である石川殿は酒も食事もせずに話し合いを行なおうとするだろう。

「もうすぐ来ますよ。今、毛利家の対応に追われていましてね。石川殿を待たせることになって申し訳ないと思っています。このもてなしは誠意だと思っていただきたい」
「……別段、待つことに不快な気持ちはない」

 酒をぐびっと飲み干し、石川殿は無感情に答えた。
 ううむ。なかなか手強いな。ここまでの接待を受けても動揺を見せないとは。
 しばらくして秀吉がやってきた。豪華で奢侈な衣装を身に纏い「よう来たな! 石川殿!」と彼の手を取った。

「長篠以来だ。元気そうで何より! ささ、くつろいでくだされ」
「そういうわけには――」
「うむ? あまり飲んでおらぬようだな。わしが注ごう」
「いや、もう結構――」
「何を言うか! わしの酌をどうか受けてくだされ」

 石川殿を制しながら自分に思うままに事を運ぶ秀吉。
 完全に主導権は秀吉が握っていた。

「羽柴殿。一つお聞きしたい」

 多少酔ってはいるが、しっかりとした口調で石川殿が訊ねた。
 膝を交えながら飲んでいる秀吉は「何かな?」とにこやかに応じる。

「どうして、主家である織田家の信孝殿を――自害に追い込んだのですか?」

 先月のことである。信雄さまに預けられた信孝さまは自害なされたのだ。
 そうなるように仕組んだのは僕たち羽柴家だったけど、まさか馬鹿正直に信雄さまが信孝さまに自害を強要するとは思わなかった。信雄さまは自分の立場が悪くなるとは思わないのだろうか?
 そのことを聞いて、秀吉は悲しみの表情を見せた。

「わしも胸が痛む……ご兄弟の仲が悪いとはいえ、まさかそのようなことをするとは……」

 世間から見れば殺したのは信雄さまと秀吉である。だが人は真実を知りたがる。当人の口から漏れた本音らしきものを信じたくなる。秀吉は大した役者だった。一瞬とはいえ本当に信孝さまを哀れんでいた。

「そ、そうですか……」

 石川殿は秀吉の心に触れたと錯覚してしまったようだ。驚きというかここで初めて動揺を見せた。

「自害されたと言えば……いや、これは言えぬな」
「……なんですかな?」

 石川殿が訝しげに秀吉が言いかけたことを指摘する。
 秀吉は美女たちや小姓に下がるように命じた。場には僕を含めた三人だけとなる。

「あまりお気を悪くなさらないようにしていただきたい。わしは――信康殿と瀬名殿のことを耳にした」

 その二人の名を聞いた石川殿は赤かった顔を真っ青にした。
 どうやら石川殿の急所というか心の弱いところらしい。

「石川殿は信康殿の後見をしていたらしいな」
「……そのとおりです」
「さぞかしつらかったであろう」

 石川殿は「殿が命じたことに意見など申せませぬ」と俯いた。

「徳川殿はよほど厳しいのだな」
「そうでなければ、五カ国の領主になれませんでした」
「しかし自分の息子を殺すのは、些か厳しいとは思わぬか?」

 踏みこんだ秀吉に石川殿は「……殿を非難するおつもりか?」と厳しい目を向ける。

「いや。わしには子どもがあまり居らぬからな。大切な我が子を殺すなどできぬと思った」
「…………」
「石川殿。わしは本音で話しておる。おぬしも本音を語られよ」

 もしも、初めに接待を受けなければ、石川殿は内心憤りを覚えつつ濁しただろう。
 だが酒が入り秀吉の誠意ある行為を目の当たりしてしまったら――

「……若さまには我が子以上の思いがあった」

 目に涙を滲ませながら、石川殿は語り出した。

「後見人だからではない。徳川家の後継者に相応しく、理性的でおおらかで、清濁を飲み込める素晴らしいお方だった。息子以上に若さまを大切に思っていた」

 誰にも語れなかったのだろう。信康殿への思いが泉のように溢れ出ていた。

「あの方が亡くなったとき、心が磨り減った気がした」
「……石川殿」

 秀吉はそっと手を石川殿の肩に置いた。

「おぬしの気持ち、信康殿に伝わったと思うぞ」
「……下手な慰めはよしてくだされ」
「……そうであろう? 信康殿」

 そのとき、隣の部屋の襖が開いた。

「あ、ああ、ああああ……」

 石川殿の口から、驚きと戸惑いの声が出てきた。

「久しいな、数正」

 開かれた襖から出てきたのは、徳川信康その人だった。
 いや、今は世良田二郎三郎と名乗っている。

「どうして……何故、生きて……」

 石川殿は世良田さんに近づいて、触れるか触れないかの距離に居た。

「お、俺は、若さまを……」
「数正。私は生きているよ」

 石川殿は膝をついて、その場で泣き崩れてしまった。

「すみませぬ、若さま! 俺は、あなたを助けられなかった! 助命を嘆願したが、救えなかった!」
「分かっているよ」
「俺は無力だった!」

 石川殿の叫びに世良田さんは「恨んではいないよ」と彼の背中をさすった。

「雲之介殿が助けてくれたのだ。今は元気にやっている」
「うう、うううう……」
「今まで苦しんでいたのだな。しかし私は死んだことになっていたので、便りは出せんかった。すまぬな」

 酒が入っているせいか、感動の再会に思わず僕も涙してしまった。
 世良田さんを助けて本当に良かったと思った。

 しばらく泣いた石川殿は世良田さんに事情を聞いた。生きていることを知っているのは本多殿たち三人であること。考えを出してくれたのは僕であること。今は雑賀衆で元気にやっていること。
 二人が語り合っているのを僕と秀吉は眺めていた。

「感謝いたします。羽柴殿、雨竜殿」

 涙を拭った石川殿は平伏して僕たちに礼を述べた。

「特に雨竜殿には返しきれぬ恩を受けた」
「いえ。そんなに恩に思わなくても――」

 そう言いかけたのを秀吉は手で制した。

「恩に思っているのであれば……そうだな、わしに協力してくれぬか?」

 秀吉の言葉に石川殿は「協力の度合いによる」と慎重に答えた。流石に徳川家家老である。

「徳川家を滅ぼす手立てをしろというのはなしだ」
「わしが望んでいるのは、徳川家を滅ぼすことではない。従ってくれればそれで良いのだ」

 石川殿は「俺に裏切り者になれとでも言うのか?」と言う。

「わしが考える落としどころを、おぬしが受け入れてくれれば、裏切る必要はない。もちろん、滅ぼすこともない」
「なんですか? その落としどころは」

 秀吉は「雲之介から信康殿が生きていると聞いて、思いついたことがある」と自信たっぷりに言う。

「信康殿。徳川家を継ぐつもりはないか?」
「うん? どういう意味ですか?」

 秀吉の問いに信康殿は戸惑う顔を見せた。

「言葉どおりだ。家康殿を隠居させて、信康殿を徳川家当主にする」

 とんでもない言葉に僕も石川殿も世良田さんも驚く。

「代わりに羽柴家に従属してもらう。それが条件だ」
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