残酷な描写あり
猿の内政官
ごめん、秀吉。
先に逝ってしまう僕を許してくれ。
太平の世を一緒に見ることができない僕を許してくれ。
そしてありがとう、秀吉。
洞窟で出会って本当に良かった。
悲しいことやつらいことがたくさんあったけど。
それ以上に嬉しいことや楽しいことが山ほどあった。
一人きりで生きていた――いや、生きていなかったのかもしれない。
秀吉と出会ったことで本当の意味で生きることができた。
もう淋しくないし、秀吉の言ったとおり一人前の大人になれた。
感謝しかないよ。
ありがとう。僕は――幸せだった。
◆◇◆◇
「雲之介さん。おはようございます」
目を開けたとき、そこにはお市さまが居た。
「……極楽、浄土、ですか」
「あら。私もあなたも死んでいませんよ」
「お市さまが、天女に見えた……」
お市さまは笑顔だったけど、長年の付き合いで悲しみを隠しているのが分かった。
「雲之介さん。もう、あなたは――」
「永く、ないですね……」
喋るたびに肺を刺す痛みに襲われる。
痛くて痛かった。
だけど、まだ生きている。
「家族は、居ますか?」
「……ええ。あなたの家族は、全員居ますよ」
目で周りを見ると、そこには家族が居た。
悲痛な表情の秀晴。
涙に覆われているかすみ。
かすみに抱かれている霧助。
なつさんに抱かれている赤ん坊――雷次郎かな。
そして気丈な表情のはる。
最後に僕を見つめている雹。
家族が僕を看取るために、ここに居る。
「秀晴……丹波国は……」
「……家臣に任せています」
僕を看取ることは全てに優先されるという口調だった。
「そうか……」
「父さま。話すのがつらいのでしたら……」
秀晴が止めようとするのを僕は「良いんだ」と言う。
「話さなきゃ、いけないこと、あるから……」
「父さま……」
「秀晴……僕の息子……」
視線を合わせて、秀晴を見る。
「丹波国を任せた。大変な役目だけど、君なら何も問題ないと思う」
「……父さまが遺してくださったやり方に従っているだけです」
「それでも、上手くやっていると、聞いているよ」
僕は秀晴――晴太郎に言う。
「晴太郎……君はどこに出しても恥じることのない、自慢の息子だよ」
「――っ! 父さま!」
「僕の息子に生まれてきてくれて、ありがとう」
秀晴の目からどっと涙が溢れた。
「俺は……父さまに認めてほしかった……褒められても、認めてくれていなかったと思っていた……」
「馬鹿なこと、言うなよ。僕はいつだって、認めていたさ」
僕はかすみのほうに目を向けた。
顔中を覆うように涙を流していた。
「かすみ……僕の娘……」
「うん。ここに居るよ、父さま」
かすみは僕に寄った。
胸の中の霧助はなんだか淋しそうだった。
「君も、僕の自慢の娘だよ。嫁入りさせるのが、つらいぐらいに」
「うん。うん……!」
「昭政と一緒に浅井家を、霧助を守っておくれ」
かすみは「うん……!」とだけしか言えなかった。
僕は微笑んでかすみに言う。
「志乃に似て、本当に可愛らしいな。それから、霧助も。母親似だ」
「父さま……」
「長生き、してくれよ……」
僕は「はる……どこに居る……?」と右手を上に挙げた。
「お前さま。私はここに居る……」
はるが僕の手を握ってくれた。
「そのまま、握ってくれ」
「…………」
「はる。君が嫁に来てくれて、良かったよ。志乃を失った穴を、塞いでくれた」
本当に感謝しかなかった。
「はるは、たくさんの幸せを、くれたよね」
「……お前さまのほうが、たくさんの幸せを、くれたよ」
はるが僕の手を強く握った。
「お前さまのおかげで家族を持てた。雹だって――」
「雹。僕の娘……」
雹は唇を一文字に結んでいた。
泣くのを堪えているようだ。
「雹。こっちに来なさい」
「…………」
雹ははるの隣に来て、その小さな手を僕たちに合わせた。
「母と一緒に。兄妹と助け合って。幸せになるんだよ」
「父上……」
「君は幸せが分からないと言ったけど、最後に教えてあげる」
大きく呼吸した――刺すような痛みが襲うけど、無視した。
「幸せは知るものではなく、感じるものでもなく、ただ漠然と隣にあるものなんだ」
「…………」
「何事もない平凡な日々。その中で喜びを覚えられたら――」
言い終わる前に喀血してしまった。
「父さま! 玄朔さん、どうか――」
秀晴が大声で玄朔を呼ぶ。
それを「良いんだ」と制止する。
「このままで、構わない」
「父さま……」
「僕が家族を作れるなんて、思わなかった」
思い出すのは、原初の記憶。
河原で倒れていた頃の幼い僕。
「みんなが居てくれて、楽しかったよ」
「父さま! 死なないでください!」
秀晴は取り乱してしまった――涙を流しながら僕に縋りつく。
「まだ教えてもらっていないことがたくさんあります!」
「……秀晴」
「父さまだって、未練があるでしょう!?」
僕は微笑みながら「未練、か……」と呟く。
「ああ。たくさんある。未練なんて、いくらでもあるさ」
「そうでしょう! だから生きて――」
「でも僕は、たくさん人を殺めてきたんだよ」
本圀寺で初めて人を殺してから。
直接的にしろ間接的にしろ。
たくさん殺してきた。
「鳥取城のこと、覚えているだろう?」
「あ、あれは――」
「この病は罰とは言わないけど、少なくとも道半ばで死ぬのは、仕方ないかな」
秀晴は顔を悲しみで歪ませた。
「でも、未練があって死ぬことは、悪いことじゃない」
「どういう意味ですか……?」
「思うに、人の一生とは、未練や悔いだらけのもので、生きることは戦いだったんだ」
悟りではないけど、素直に心に思うことを言う。
「人は、後悔しながらも、状況を打破するために、生きる。戦うために、生きるんじゃなくて、生きているから、戦うんだ」
だからこそ。
生きていたんだ、僕は。
「生きて。精一杯生きて。未練を残しながら、死ぬ。未練は生の執着じゃなくて、戦ったことの証だと思う。だから、未練は消せなくて、生きたいと思う気持ちも消せない」
正勝の兄さんとの会話を思い出した。
「未練があっても、生きたくても、死ぬ。それは悲しいことじゃなくて、生きていた証明だから、残ってしまうんだ」
一瞬、意識を失いかける。
なんとか保って、家族に言う。
「僕は、家族を遺せて、未練を遺せて、良かったよ。それこそが、僕の生きた証なのだから。夢が叶ったと、言ってもいい」
自分でも分かる。
目を閉じたら――もう終わりだって。
「父さま……」
「う、うう、うううう……」
秀晴とかすみの泣く声。
「お前さま……」
「……父上」
はると雹の温もり。
「秀吉、みんな……」
僕は最期に言う。
今わの際に散り際の最期の言葉を言う。
「次は、どんな夢を見ようか……」
そう言い残して――僕は目を閉じた。
◆◇◆◇
「まったく。早すぎるわよ」
志乃が、目の前に居た。
「ごめん。僕もこんな早く死ぬとは思わなかったよ」
「まあ私が言えた義理じゃないけどね」
志乃は僕の手を握った。
「さあ。正勝さんや半兵衛さんが待っているわよ」
僕はその手を握った。
「ああ。行こう」
光の向こうで、正勝と半兵衛さんの姿が見えた。
僕は振り返ることなく、彼に続く道を歩んだ。
志乃と一緒に、二人で――
先に逝ってしまう僕を許してくれ。
太平の世を一緒に見ることができない僕を許してくれ。
そしてありがとう、秀吉。
洞窟で出会って本当に良かった。
悲しいことやつらいことがたくさんあったけど。
それ以上に嬉しいことや楽しいことが山ほどあった。
一人きりで生きていた――いや、生きていなかったのかもしれない。
秀吉と出会ったことで本当の意味で生きることができた。
もう淋しくないし、秀吉の言ったとおり一人前の大人になれた。
感謝しかないよ。
ありがとう。僕は――幸せだった。
◆◇◆◇
「雲之介さん。おはようございます」
目を開けたとき、そこにはお市さまが居た。
「……極楽、浄土、ですか」
「あら。私もあなたも死んでいませんよ」
「お市さまが、天女に見えた……」
お市さまは笑顔だったけど、長年の付き合いで悲しみを隠しているのが分かった。
「雲之介さん。もう、あなたは――」
「永く、ないですね……」
喋るたびに肺を刺す痛みに襲われる。
痛くて痛かった。
だけど、まだ生きている。
「家族は、居ますか?」
「……ええ。あなたの家族は、全員居ますよ」
目で周りを見ると、そこには家族が居た。
悲痛な表情の秀晴。
涙に覆われているかすみ。
かすみに抱かれている霧助。
なつさんに抱かれている赤ん坊――雷次郎かな。
そして気丈な表情のはる。
最後に僕を見つめている雹。
家族が僕を看取るために、ここに居る。
「秀晴……丹波国は……」
「……家臣に任せています」
僕を看取ることは全てに優先されるという口調だった。
「そうか……」
「父さま。話すのがつらいのでしたら……」
秀晴が止めようとするのを僕は「良いんだ」と言う。
「話さなきゃ、いけないこと、あるから……」
「父さま……」
「秀晴……僕の息子……」
視線を合わせて、秀晴を見る。
「丹波国を任せた。大変な役目だけど、君なら何も問題ないと思う」
「……父さまが遺してくださったやり方に従っているだけです」
「それでも、上手くやっていると、聞いているよ」
僕は秀晴――晴太郎に言う。
「晴太郎……君はどこに出しても恥じることのない、自慢の息子だよ」
「――っ! 父さま!」
「僕の息子に生まれてきてくれて、ありがとう」
秀晴の目からどっと涙が溢れた。
「俺は……父さまに認めてほしかった……褒められても、認めてくれていなかったと思っていた……」
「馬鹿なこと、言うなよ。僕はいつだって、認めていたさ」
僕はかすみのほうに目を向けた。
顔中を覆うように涙を流していた。
「かすみ……僕の娘……」
「うん。ここに居るよ、父さま」
かすみは僕に寄った。
胸の中の霧助はなんだか淋しそうだった。
「君も、僕の自慢の娘だよ。嫁入りさせるのが、つらいぐらいに」
「うん。うん……!」
「昭政と一緒に浅井家を、霧助を守っておくれ」
かすみは「うん……!」とだけしか言えなかった。
僕は微笑んでかすみに言う。
「志乃に似て、本当に可愛らしいな。それから、霧助も。母親似だ」
「父さま……」
「長生き、してくれよ……」
僕は「はる……どこに居る……?」と右手を上に挙げた。
「お前さま。私はここに居る……」
はるが僕の手を握ってくれた。
「そのまま、握ってくれ」
「…………」
「はる。君が嫁に来てくれて、良かったよ。志乃を失った穴を、塞いでくれた」
本当に感謝しかなかった。
「はるは、たくさんの幸せを、くれたよね」
「……お前さまのほうが、たくさんの幸せを、くれたよ」
はるが僕の手を強く握った。
「お前さまのおかげで家族を持てた。雹だって――」
「雹。僕の娘……」
雹は唇を一文字に結んでいた。
泣くのを堪えているようだ。
「雹。こっちに来なさい」
「…………」
雹ははるの隣に来て、その小さな手を僕たちに合わせた。
「母と一緒に。兄妹と助け合って。幸せになるんだよ」
「父上……」
「君は幸せが分からないと言ったけど、最後に教えてあげる」
大きく呼吸した――刺すような痛みが襲うけど、無視した。
「幸せは知るものではなく、感じるものでもなく、ただ漠然と隣にあるものなんだ」
「…………」
「何事もない平凡な日々。その中で喜びを覚えられたら――」
言い終わる前に喀血してしまった。
「父さま! 玄朔さん、どうか――」
秀晴が大声で玄朔を呼ぶ。
それを「良いんだ」と制止する。
「このままで、構わない」
「父さま……」
「僕が家族を作れるなんて、思わなかった」
思い出すのは、原初の記憶。
河原で倒れていた頃の幼い僕。
「みんなが居てくれて、楽しかったよ」
「父さま! 死なないでください!」
秀晴は取り乱してしまった――涙を流しながら僕に縋りつく。
「まだ教えてもらっていないことがたくさんあります!」
「……秀晴」
「父さまだって、未練があるでしょう!?」
僕は微笑みながら「未練、か……」と呟く。
「ああ。たくさんある。未練なんて、いくらでもあるさ」
「そうでしょう! だから生きて――」
「でも僕は、たくさん人を殺めてきたんだよ」
本圀寺で初めて人を殺してから。
直接的にしろ間接的にしろ。
たくさん殺してきた。
「鳥取城のこと、覚えているだろう?」
「あ、あれは――」
「この病は罰とは言わないけど、少なくとも道半ばで死ぬのは、仕方ないかな」
秀晴は顔を悲しみで歪ませた。
「でも、未練があって死ぬことは、悪いことじゃない」
「どういう意味ですか……?」
「思うに、人の一生とは、未練や悔いだらけのもので、生きることは戦いだったんだ」
悟りではないけど、素直に心に思うことを言う。
「人は、後悔しながらも、状況を打破するために、生きる。戦うために、生きるんじゃなくて、生きているから、戦うんだ」
だからこそ。
生きていたんだ、僕は。
「生きて。精一杯生きて。未練を残しながら、死ぬ。未練は生の執着じゃなくて、戦ったことの証だと思う。だから、未練は消せなくて、生きたいと思う気持ちも消せない」
正勝の兄さんとの会話を思い出した。
「未練があっても、生きたくても、死ぬ。それは悲しいことじゃなくて、生きていた証明だから、残ってしまうんだ」
一瞬、意識を失いかける。
なんとか保って、家族に言う。
「僕は、家族を遺せて、未練を遺せて、良かったよ。それこそが、僕の生きた証なのだから。夢が叶ったと、言ってもいい」
自分でも分かる。
目を閉じたら――もう終わりだって。
「父さま……」
「う、うう、うううう……」
秀晴とかすみの泣く声。
「お前さま……」
「……父上」
はると雹の温もり。
「秀吉、みんな……」
僕は最期に言う。
今わの際に散り際の最期の言葉を言う。
「次は、どんな夢を見ようか……」
そう言い残して――僕は目を閉じた。
◆◇◆◇
「まったく。早すぎるわよ」
志乃が、目の前に居た。
「ごめん。僕もこんな早く死ぬとは思わなかったよ」
「まあ私が言えた義理じゃないけどね」
志乃は僕の手を握った。
「さあ。正勝さんや半兵衛さんが待っているわよ」
僕はその手を握った。
「ああ。行こう」
光の向こうで、正勝と半兵衛さんの姿が見えた。
僕は振り返ることなく、彼に続く道を歩んだ。
志乃と一緒に、二人で――
物語の最後まで、そして雲之介の最期までお読みくださりありがとうございました。これにて猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~ は幕を閉じます。読者のあなたには感謝以外の言葉はありません。それでは雲之介の夢の果て、太平の世、つまりあなただけの人生をお楽しみください。