残酷な描写あり
R-15
第百五七話 白起、義渠へ攻め入る
秦の復讐、そして自らの復讐を果たす為、白起は兵を率いて義渠へ攻め入る。
同年 白起
白起は、秦王の命に従い、義渠県の首府である武霊城を攻める為北上した。義渠涼は宣太后の策略により、咸陽に留めおかれたままであった。
白起は漢中一帯から兵を十分に集めることができた。十分な糧秣もあり、準備に不足はなかった。
義渠県は、県令が戻らないことに、疑念を抱いてはいなかった。咸陽で宣太后と会う時、県令の義渠涼は長く滞在するというのは、周知の事実であった。
白起は、宣太后が仕掛けた数十年に渡る布石を十分に活かし、万全の秦軍を率いて義渠県へ侵入した。
義渠県の諸将は、秦軍の突然の侵入に、憤慨した。
義渠県と同じく、義渠人が統治する県城である方渠県の県令は、県城の門にて、白起に詰問した。
「武安君。なに故、数万の大軍を率いて突然現れたのですか。まるで我々が、反逆の徒として扱われているような、不快な気分です」
「反逆の徒として、不快な気分に陥る道理がある故、恨まれることなきよう。今すぐ開門せよ。さもなくば、義渠の兵は国賊として、斬る!」
数分の待機の後、返答がない方渠県を包囲した。白起は、この地の攻略を将軍楊摎に託した。攻城を行うに当たり、彼の歩兵の用い方を見てみたかったからだ。
「できるな、楊摎将軍」
「お任せ下さい。この地は、大要城や富平城に繋がる地です。必ず攻略し、漢中と義渠の道を繋ぎ止めてみせます!」
主力軍を率い、白起は北上を続けた。大要城や富平城に続く街道に野営地を築き、部隊を分け、両方の城に睨みを聞かせながら、その他の小さな村や城を攻略していった。
白起は、民家への放火や略奪を禁じ、あくまで武具兵糧の押収を行うことのみを徹底させた。
そして、大要城の裏に回り、猛攻を加えた。攻城戦に慣れた秦軍の攻撃に、義渠の兵は耐えられなかった。
白起は、敢えて包囲に穴を開けていた。義渠の兵は、騎馬して意気揚々と門を開けて出た。
白起は、この時を待っていた。
大要城の義渠の兵は形成不利と見て、騎馬による野戦を試みた。しかし陣を敷きながら戦うことは不可であり、義渠の兵は富平城の仲間と合流する為移動を開始した。
一見すると敗走にも見えるその行動も、彼らにとっては、高度な狩りの延長線であり、依然として士気は高かった。
追撃する秦兵は、義渠の兵による背面射ちに倒れ、追撃は失敗した。
しかし、義渠の兵が富平城へ逃げたことは、白起の狙い通りであった。密かに移動していた胡傷率いる野営地の別働隊が、二つの城のあいだにある林に潜んでいたのである。
白起は、確かに城を占領した後、威風堂々と追撃を開始した。義渠の兵は、胡傷によってちりじりになった後、山野に潜んでいた。だが既に、全ての村や里の武具兵糧は白起によって回収され、民は大要城へ連行されていた為、彼らは行く宛てがなく、次第に降伏する兵が溢れた。
白起は、秦王の命に従い、義渠県の首府である武霊城を攻める為北上した。義渠涼は宣太后の策略により、咸陽に留めおかれたままであった。
白起は漢中一帯から兵を十分に集めることができた。十分な糧秣もあり、準備に不足はなかった。
義渠県は、県令が戻らないことに、疑念を抱いてはいなかった。咸陽で宣太后と会う時、県令の義渠涼は長く滞在するというのは、周知の事実であった。
白起は、宣太后が仕掛けた数十年に渡る布石を十分に活かし、万全の秦軍を率いて義渠県へ侵入した。
義渠県の諸将は、秦軍の突然の侵入に、憤慨した。
義渠県と同じく、義渠人が統治する県城である方渠県の県令は、県城の門にて、白起に詰問した。
「武安君。なに故、数万の大軍を率いて突然現れたのですか。まるで我々が、反逆の徒として扱われているような、不快な気分です」
「反逆の徒として、不快な気分に陥る道理がある故、恨まれることなきよう。今すぐ開門せよ。さもなくば、義渠の兵は国賊として、斬る!」
数分の待機の後、返答がない方渠県を包囲した。白起は、この地の攻略を将軍楊摎に託した。攻城を行うに当たり、彼の歩兵の用い方を見てみたかったからだ。
「できるな、楊摎将軍」
「お任せ下さい。この地は、大要城や富平城に繋がる地です。必ず攻略し、漢中と義渠の道を繋ぎ止めてみせます!」
主力軍を率い、白起は北上を続けた。大要城や富平城に続く街道に野営地を築き、部隊を分け、両方の城に睨みを聞かせながら、その他の小さな村や城を攻略していった。
白起は、民家への放火や略奪を禁じ、あくまで武具兵糧の押収を行うことのみを徹底させた。
そして、大要城の裏に回り、猛攻を加えた。攻城戦に慣れた秦軍の攻撃に、義渠の兵は耐えられなかった。
白起は、敢えて包囲に穴を開けていた。義渠の兵は、騎馬して意気揚々と門を開けて出た。
白起は、この時を待っていた。
大要城の義渠の兵は形成不利と見て、騎馬による野戦を試みた。しかし陣を敷きながら戦うことは不可であり、義渠の兵は富平城の仲間と合流する為移動を開始した。
一見すると敗走にも見えるその行動も、彼らにとっては、高度な狩りの延長線であり、依然として士気は高かった。
追撃する秦兵は、義渠の兵による背面射ちに倒れ、追撃は失敗した。
しかし、義渠の兵が富平城へ逃げたことは、白起の狙い通りであった。密かに移動していた胡傷率いる野営地の別働隊が、二つの城のあいだにある林に潜んでいたのである。
白起は、確かに城を占領した後、威風堂々と追撃を開始した。義渠の兵は、胡傷によってちりじりになった後、山野に潜んでいた。だが既に、全ての村や里の武具兵糧は白起によって回収され、民は大要城へ連行されていた為、彼らは行く宛てがなく、次第に降伏する兵が溢れた。