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作者: 唯響-Ion
残酷な描写あり R-15
第百六七話 敗戦の責任
 閼与の戦いに敗れた胡傷は、咸陽に帰還し、朝議にて敗戦の責任を負おうとする。しかし秦王はそれを止め、責任を負うべきは丞相魏冄であると発言する。
 同年 咸陽

 敗走した胡傷は、朝議の席に現れた。潔の良い生粋の軍人である彼は、お詫びとして自らの首を斬り捨てると申し出た。
 宮廷の空気は重々しかった。しかし秦王の心は、愉快さで満ちていた。
「胡傷よ、そなたはよく戦働きした。勝敗は兵家の常であると、武安君も申しておった。此度の敗戦は、そなたの責任ではない」
「されば誰がこの責任を負うのですか……! 私の首を斬ってください……!」
「そなたの首は要らぬ。責任は此度の侵攻を発案した、魏冄丞相が負うべきだ」
 秦王は満面の笑みを浮かべた。
 はにかむ秦王に見つめられた魏冄は、心底気分が悪そうな顔をしていた。
「魏冄丞相は自信満々に侵攻をしたが、結果は、惨敗。ここで余に名を呼ばれるまで、我関せずというような態度でそこに立っておった。武安君が連戦連勝し、我が国は戦には痛みが伴うということを忘れてしまったように思う。自ら剣を取り戦う兵が感じる恐怖や緊張を忘れ、甘い汁を吸う為だけに、僅かな気概も失ってしまったように思う。故に、余はここに宣言する」
 魏冄は、秦王がなにを考えているのか全く分からず、目が泳ぎきっていた。そんな魏冄に叩きつけるように、秦王はいった。
「余は魏冄丞相を、罷免する……!」
 臣下はどよめいた。慟哭する魏冄の心を代弁するように、異を唱える臣下はいた。しかしその数は少なく、既に文武の臣下は、秦王の許に帰っしていたのである。
 秦王は次の丞相として、張禄を任命した。
 臣下は動揺した。張禄という、見たこともない貧相な男が、足を引きづりながら現れ、丞相の任を拝命したのである。
「この張禄丞相は、賢人である。この男は天が我に授けた才であり、優秀な秦人の集いを導く存在として、秦国を更なる強国にしてくれる。異論は認めぬ。今日から、この張禄が、そなたらの頭だ」

 張禄はその後、丞相として数年かけ、兵数の回復に務めた。数年は対外戦争を控え、常勝将軍白起が韓と魏を平定する為に、万全の用意をするつもりであった。
 そして同時に、魏冄から権力を奪う為、政治的な駆け引きを続けた。秦王から丞相に任命されたとはいえ、魏冄は政権の重鎮であり、その地盤は大地に根を張った大樹と同じく、強固であった。
 時に数名の兵を互いの屋敷に差し向ける程の荒々しさを帯びながらも、丞相としての権力は数年をかけ、その全てが張禄へと移譲された。
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