【卒業おめでとう!】旅立ちの日にってどんな曲?
卒業式のとき、歌をうたう以外にやることといえばなに?
「たのしかった運動会!」
「波乱万丈の修学旅行!」
「ぜんぜん噛み合わなかった合唱コンクール!」
「これだけが楽しみで登校した収穫祭!」
「セリフがひとつもなかった学習発表会!」
それぞれ大切な思い出があると思います。そんな思い出立ちをひっさげ卒業したみなみなさま、おめでとうございます。教室の窓辺を思い出し涙に浸っているのか、それとも中学高校、大学へ進学する期待と不安でいっぱいなのか……これもまた人それぞれですね。だいじょうぶ、キミならきっと乗り越えられるさ。
在校中は気づかないものだけど、卒業して大人になると、そこで過ごした日々がとても貴重な時間だったことに気づく。そこでの経験、先生や友だちとのおしゃべりした記憶は後の人生でも大きな財産になるもんさ……時が流れ、キミは卒業の時を迎えたわけだけど、厳密な卒業日は『3月31日』だからやり残したことがあればその日までは自由に学校出入りしていーからね。卒業式は儀式的な手続きであって「その日で卒業!」とうわけじゃないのよ。
卒業式は〝式〟なのでべつにやる必要はないのよ。じゃあなんでわざわざやるのかって話は言わずともわかるでしょ? ――あったほうが感動するし「ああ、卒業するんだなー」って卒業生たちに実感させることができる。卒業生の親にとってもいい思い出になる。これは昔から伝統的に受け継がれてきた由緒ある儀式なんだ。
今回の題材は卒業ソングについて。それまでの予備知識として『卒業式が始まった経緯』も書いてくけど、それはメンドウだから結果だけ教えてって方は段落を読み飛ばしてもいいと思う。でもまあ、知っとくと知っ得だから読んだほうがいいかもね。
:卒業式のはじまり:
感動で涙ちょちょぎれムードな日本の卒業式。けど世界に目を向けてみると、海外にはそもそも卒業式が無かったりダンスパーティー的な華々しいものだったりすることが多い。アメリカなんかプロムと呼ばれるパーティがあって、卒業生は黒いガウンと四角い帽子に身を包む。ほら、たまにある『四角い帽子をみんなで空に投げるシーン』あるでしょ? あれですあれ。
海外では新たなスタート、つまり前向きな姿勢で望むのに対し、日本ではそこでの思い出を重視した〝涙〟の卒業式ちっくだよね。なんでそうなったんだろう。
明治5(1872)年。欧米方式を取り入れようと『学制』が始まったのが日本の学校制度のはじまり。日本初の卒業式の記録が残ってるのは明治9(1876)年の『陸軍戸山学校』という軍学校。言うて卒業式というより学習発表会的なニュアンスが強かったようです。その後公立学校などでも卒業式が行われるようになったんだけどちょっとまって。
当時は現代のように誰もが高水準の教育を受けることが難しくって、多くの子たちが留年することになっちゃってたの。え? 小学生でも留年するの? っていう意見ありそうだけど言っとくけど現代の小中学生も留年あり得るからね? 慣例的に進級させてるだけで。加えて、当時の卒業式は卒業証書の授与が目的だったのでシンプルな内容でして、他要素といえば偉い方々の祝電祝辞、学習発表会的なものくらい。じゃあなぜ現代のような形になったかってと、明治23(1890)年天皇が『教育勅語』という勅語、つまり天皇が国民に対して発した貴重なことばを出したの。
親孝行しようね、兄弟姉妹なかよくしようね、勉学に励みましょうね……これが出されて以来、教育現場では子どもの健やかな成長を意識するようになった。つまり卒業式もただただ卒業証書を渡してはいおしまいでなく、今まで世話になった学びやに対する感謝や感動を重要視していきましょうとなったわけ。
当時の文部省「子どもに感動と国への忠誠心を、かぁ……せや! 歌うたわせよ!」
明治26(1893)年。当時の文部省は祝祭日や各々の式典で歌うため『(小学校)祝日大祭日儀式用唱歌』を制定しつつ、各学校で独自の卒業ソングが広まっていくことになる。それが各学校のネットワークを通じ、やがて『蛍の光』が主流になっていった。
こうして卒業ソングが広がってったんだけど、もうひとつ『卒業のことば』があるね。冒頭で書いた「楽しかった運動会!」ってやつ。あれは戦後あたりから群馬県の小学校校長『斎藤喜博』という方が広めていったものなので、もし「なんであんな恥ずかしいセリフ吐かなアカンねん」と思ってる方は彼に文句言ってくれれば幸い。これらの経緯をもって、日本の卒業式は『感動・涙・別れ』を強く意識するようになった。
しばらくは蛍の光一強で続いた卒業ソング。けど時代の流れと共に、日本にはいろいろな変化が起こってきたんだ。
:歴代の卒業ソングたち:
学校の生徒たちの思いつきか、あるいは先生の提案など理由は様々でしょうが、1960年代に入り、卒業ソングの多様化が見られるようになってきたんです。とくに多かったのが当時の流行歌をうたうこと。参考にした資料によると、60年代は『思い出のアルバム』や『今日の日はさようなら』が代表的。これは音楽の教科書にも載ってたような気がする今の子にとって馴染みあるかどうかは知らんけど。
こういった流行歌のほうが感動的でわかりやすいからね。とくに顕著なのが1979年に発売された『贈る言葉』。当時のやんちゃな子たちの心をひとつに! という名目もあったらしいが、とにかくこの歌は全国レベルに広まっていったのね。その後も長渕剛氏の『乾杯』、尾崎豊氏の『卒業』、森山直太朗氏の『さくら』に藤巻亮太氏・レミオロメンの『3月9日』など早々たる流行卒業ソングが生み出されていき、同時に生徒のアンケートなどで卒業ソングがチョイスされることが多くなっていった。その中でも、最近まで粘り強く残り続けてきた定番卒業ソングがあった。
仰げば尊し。
明治17(1884)年に上陸したこの歌は、ごく最近まで定番卒業ソングであり続けていた。わたしはもちろん、今でも多くの世代の人が歌えるだろう。っていうか、たぶんキミもうたえるんじゃないかな?
手元の資料によるとだいたい2000年代まで広くうたわれ続けたようだ。文部省主導で誕生したこの歌、実は何者によって作られた曲なのかわかってない。いちおう『Song fot the Close of School』というアメリカの楽曲がモデルとされているがその作曲者の正体も不明というね。
そういう逸話はともかく、日本アレンジ版は足繁く通った学びやを思い、互いに過ごした友を思い、そして学校に背を向け別れを告げるという古風ながらダイレクトに訴えかけるもの。まっすぐかついかにも卒業ソングらしい楽曲なので、最近まではずぅーっと定番卒業ソングだった。けど令和の時代、さすがにこの曲も時代遅れになっちゃったらしくてね? 今ではすっかりマイナー曲になってしまった。現役でうたってた身としてはちょっぴりさみしいかも知れない。
言うて、まだまだ伝統的に歌われる卒業ソングがありますよね。おそらくわたし世代以降ならみんな知ってるであろう定番中の定番。じゃあ今回の本題『旅立ちの日に』ってどんな歌? を解説してきましょう。
:いま、わかれのとき:
平成3(1991)年。当時埼玉県の校長だった『小嶋登』氏作詞、同じく音楽教諭の『坂本浩美』氏による作曲によって作られた曲です。
当時のやんちゃだった生徒たちをまとめるため生み出された曲。それから秩父市の『影森中学校』だけで歌われていたんだけど、それが学校の先生向け雑誌『教育音楽』に掲載され一躍有名に。そして合唱曲として日本全国に広まっていきました。わたしの記憶でもそのあたりからうたわれはじめたように思います。ちなみに、この雑誌は先生に向けた授業指導法、おすすめ合唱曲などをまとめた月刊誌で、一般書店やネットでも販売してるのでゲッチュできますよ。ちなみに開発秘話はだいたいこんな感じ。
坂本先生「校長! なんか生徒たちがグッとクるような歌詞つくって!」
小嶋校長「なにそのムチャぶり。いやムリだって才能ないし……」
――次の日――
坂本先生「ッ! わたしのデスクに見たことのない歌詞が……まさか校長!」
小嶋校長「何も言うな。それより作曲頼んだぞ」
坂本先生「はい――はいッ!」
――15分後――
坂本先生「できました!」
小嶋校長「はっや!」
坂本先生「さっそく卒業生を贈る会でサプライズ合唱しましょう!」
先生たち「え?」
ってことで、この『旅立ちの日に』は先生から生徒へ贈る言葉だったんですね。だから歌詞をよぉ~く読んでみると、どことなく先生方から生徒へのメッセージととれる部分もあるんです。その気持ちをもって、もう一度歌詞を読んでみてください――ほら、わかるでしょ?
卒業式を迎えたみなさん、これらを知った上でまた同級生を集めて『旅立ちの日に』をうたってみてください。カラオケでもなんでも、きっと感動が二重三重にやってくるはずですよ。
あらためて、卒業生のみなさまおめでとうございます。これから新しい日々が始まるでしょう。ぜひとも勇気と希望と愛をもって進学し、キミ自身の夢を叶えるため躍進できるよう心から祈っております。
あと数年後に卒業式を迎えるキミ。今という貴重な時間を大事にして、たくさんの良い思い出、ついでに悪い思い出もたくさん作っちゃってください。なぁーに、それらはある意味でかけがえのない大切な思い出になるさ。オッサンからのアドバイスだよ。
どんな卒業式を迎えたかな? どんな学校生活してるのかな? ぜひ好き勝手に感想を書いてください。あと☆での評価もおねがいね。
:参考、立教大学コラム:
ttps://www.rikkyo.ac.jp/closeup/research-n-faculty/2023/mknpps0000024qa6.html
「波乱万丈の修学旅行!」
「ぜんぜん噛み合わなかった合唱コンクール!」
「これだけが楽しみで登校した収穫祭!」
「セリフがひとつもなかった学習発表会!」
それぞれ大切な思い出があると思います。そんな思い出立ちをひっさげ卒業したみなみなさま、おめでとうございます。教室の窓辺を思い出し涙に浸っているのか、それとも中学高校、大学へ進学する期待と不安でいっぱいなのか……これもまた人それぞれですね。だいじょうぶ、キミならきっと乗り越えられるさ。
在校中は気づかないものだけど、卒業して大人になると、そこで過ごした日々がとても貴重な時間だったことに気づく。そこでの経験、先生や友だちとのおしゃべりした記憶は後の人生でも大きな財産になるもんさ……時が流れ、キミは卒業の時を迎えたわけだけど、厳密な卒業日は『3月31日』だからやり残したことがあればその日までは自由に学校出入りしていーからね。卒業式は儀式的な手続きであって「その日で卒業!」とうわけじゃないのよ。
卒業式は〝式〟なのでべつにやる必要はないのよ。じゃあなんでわざわざやるのかって話は言わずともわかるでしょ? ――あったほうが感動するし「ああ、卒業するんだなー」って卒業生たちに実感させることができる。卒業生の親にとってもいい思い出になる。これは昔から伝統的に受け継がれてきた由緒ある儀式なんだ。
今回の題材は卒業ソングについて。それまでの予備知識として『卒業式が始まった経緯』も書いてくけど、それはメンドウだから結果だけ教えてって方は段落を読み飛ばしてもいいと思う。でもまあ、知っとくと知っ得だから読んだほうがいいかもね。
:卒業式のはじまり:
感動で涙ちょちょぎれムードな日本の卒業式。けど世界に目を向けてみると、海外にはそもそも卒業式が無かったりダンスパーティー的な華々しいものだったりすることが多い。アメリカなんかプロムと呼ばれるパーティがあって、卒業生は黒いガウンと四角い帽子に身を包む。ほら、たまにある『四角い帽子をみんなで空に投げるシーン』あるでしょ? あれですあれ。
海外では新たなスタート、つまり前向きな姿勢で望むのに対し、日本ではそこでの思い出を重視した〝涙〟の卒業式ちっくだよね。なんでそうなったんだろう。
明治5(1872)年。欧米方式を取り入れようと『学制』が始まったのが日本の学校制度のはじまり。日本初の卒業式の記録が残ってるのは明治9(1876)年の『陸軍戸山学校』という軍学校。言うて卒業式というより学習発表会的なニュアンスが強かったようです。その後公立学校などでも卒業式が行われるようになったんだけどちょっとまって。
当時は現代のように誰もが高水準の教育を受けることが難しくって、多くの子たちが留年することになっちゃってたの。え? 小学生でも留年するの? っていう意見ありそうだけど言っとくけど現代の小中学生も留年あり得るからね? 慣例的に進級させてるだけで。加えて、当時の卒業式は卒業証書の授与が目的だったのでシンプルな内容でして、他要素といえば偉い方々の祝電祝辞、学習発表会的なものくらい。じゃあなぜ現代のような形になったかってと、明治23(1890)年天皇が『教育勅語』という勅語、つまり天皇が国民に対して発した貴重なことばを出したの。
親孝行しようね、兄弟姉妹なかよくしようね、勉学に励みましょうね……これが出されて以来、教育現場では子どもの健やかな成長を意識するようになった。つまり卒業式もただただ卒業証書を渡してはいおしまいでなく、今まで世話になった学びやに対する感謝や感動を重要視していきましょうとなったわけ。
当時の文部省「子どもに感動と国への忠誠心を、かぁ……せや! 歌うたわせよ!」
明治26(1893)年。当時の文部省は祝祭日や各々の式典で歌うため『(小学校)祝日大祭日儀式用唱歌』を制定しつつ、各学校で独自の卒業ソングが広まっていくことになる。それが各学校のネットワークを通じ、やがて『蛍の光』が主流になっていった。
こうして卒業ソングが広がってったんだけど、もうひとつ『卒業のことば』があるね。冒頭で書いた「楽しかった運動会!」ってやつ。あれは戦後あたりから群馬県の小学校校長『斎藤喜博』という方が広めていったものなので、もし「なんであんな恥ずかしいセリフ吐かなアカンねん」と思ってる方は彼に文句言ってくれれば幸い。これらの経緯をもって、日本の卒業式は『感動・涙・別れ』を強く意識するようになった。
しばらくは蛍の光一強で続いた卒業ソング。けど時代の流れと共に、日本にはいろいろな変化が起こってきたんだ。
:歴代の卒業ソングたち:
学校の生徒たちの思いつきか、あるいは先生の提案など理由は様々でしょうが、1960年代に入り、卒業ソングの多様化が見られるようになってきたんです。とくに多かったのが当時の流行歌をうたうこと。参考にした資料によると、60年代は『思い出のアルバム』や『今日の日はさようなら』が代表的。これは音楽の教科書にも載ってたような気がする今の子にとって馴染みあるかどうかは知らんけど。
こういった流行歌のほうが感動的でわかりやすいからね。とくに顕著なのが1979年に発売された『贈る言葉』。当時のやんちゃな子たちの心をひとつに! という名目もあったらしいが、とにかくこの歌は全国レベルに広まっていったのね。その後も長渕剛氏の『乾杯』、尾崎豊氏の『卒業』、森山直太朗氏の『さくら』に藤巻亮太氏・レミオロメンの『3月9日』など早々たる流行卒業ソングが生み出されていき、同時に生徒のアンケートなどで卒業ソングがチョイスされることが多くなっていった。その中でも、最近まで粘り強く残り続けてきた定番卒業ソングがあった。
仰げば尊し。
明治17(1884)年に上陸したこの歌は、ごく最近まで定番卒業ソングであり続けていた。わたしはもちろん、今でも多くの世代の人が歌えるだろう。っていうか、たぶんキミもうたえるんじゃないかな?
手元の資料によるとだいたい2000年代まで広くうたわれ続けたようだ。文部省主導で誕生したこの歌、実は何者によって作られた曲なのかわかってない。いちおう『Song fot the Close of School』というアメリカの楽曲がモデルとされているがその作曲者の正体も不明というね。
そういう逸話はともかく、日本アレンジ版は足繁く通った学びやを思い、互いに過ごした友を思い、そして学校に背を向け別れを告げるという古風ながらダイレクトに訴えかけるもの。まっすぐかついかにも卒業ソングらしい楽曲なので、最近まではずぅーっと定番卒業ソングだった。けど令和の時代、さすがにこの曲も時代遅れになっちゃったらしくてね? 今ではすっかりマイナー曲になってしまった。現役でうたってた身としてはちょっぴりさみしいかも知れない。
言うて、まだまだ伝統的に歌われる卒業ソングがありますよね。おそらくわたし世代以降ならみんな知ってるであろう定番中の定番。じゃあ今回の本題『旅立ちの日に』ってどんな歌? を解説してきましょう。
:いま、わかれのとき:
平成3(1991)年。当時埼玉県の校長だった『小嶋登』氏作詞、同じく音楽教諭の『坂本浩美』氏による作曲によって作られた曲です。
当時のやんちゃだった生徒たちをまとめるため生み出された曲。それから秩父市の『影森中学校』だけで歌われていたんだけど、それが学校の先生向け雑誌『教育音楽』に掲載され一躍有名に。そして合唱曲として日本全国に広まっていきました。わたしの記憶でもそのあたりからうたわれはじめたように思います。ちなみに、この雑誌は先生に向けた授業指導法、おすすめ合唱曲などをまとめた月刊誌で、一般書店やネットでも販売してるのでゲッチュできますよ。ちなみに開発秘話はだいたいこんな感じ。
坂本先生「校長! なんか生徒たちがグッとクるような歌詞つくって!」
小嶋校長「なにそのムチャぶり。いやムリだって才能ないし……」
――次の日――
坂本先生「ッ! わたしのデスクに見たことのない歌詞が……まさか校長!」
小嶋校長「何も言うな。それより作曲頼んだぞ」
坂本先生「はい――はいッ!」
――15分後――
坂本先生「できました!」
小嶋校長「はっや!」
坂本先生「さっそく卒業生を贈る会でサプライズ合唱しましょう!」
先生たち「え?」
ってことで、この『旅立ちの日に』は先生から生徒へ贈る言葉だったんですね。だから歌詞をよぉ~く読んでみると、どことなく先生方から生徒へのメッセージととれる部分もあるんです。その気持ちをもって、もう一度歌詞を読んでみてください――ほら、わかるでしょ?
卒業式を迎えたみなさん、これらを知った上でまた同級生を集めて『旅立ちの日に』をうたってみてください。カラオケでもなんでも、きっと感動が二重三重にやってくるはずですよ。
あらためて、卒業生のみなさまおめでとうございます。これから新しい日々が始まるでしょう。ぜひとも勇気と希望と愛をもって進学し、キミ自身の夢を叶えるため躍進できるよう心から祈っております。
あと数年後に卒業式を迎えるキミ。今という貴重な時間を大事にして、たくさんの良い思い出、ついでに悪い思い出もたくさん作っちゃってください。なぁーに、それらはある意味でかけがえのない大切な思い出になるさ。オッサンからのアドバイスだよ。
どんな卒業式を迎えたかな? どんな学校生活してるのかな? ぜひ好き勝手に感想を書いてください。あと☆での評価もおねがいね。
:参考、立教大学コラム:
ttps://www.rikkyo.ac.jp/closeup/research-n-faculty/2023/mknpps0000024qa6.html