残酷な描写あり
R-15
アメリウムの大地
場面はまたリノアへ。
色彩豊かな森林。
その獣道をかき分けて進むことしばらく、リノア達一行は夕焼けに似た色合いを持つ場所へと辿り着いた。そのあたりだけ季節感が大きく異なるようなそこには、不思議な匂いの風が吹いている。降り注ぐシロスの光も少しだけ違う雰囲気を纏っているようだった。
先刻、簡単な狩りと植物の採取、そしてミアベルの調理によって腹ごしらえを済ませた一行は、アールセンに導かれるままにこの場所へと到着した。日は傾き、翡翠色の空には赤みが差してきている。
「ここは……?」
「立ち入り禁止区域――アメリウムの大地、だと思います。昔から何度か聞いたことがあるんです。こんなにも特徴的な見た目だから、すぐにわかりました」
「アメリウムって確か……?」
「はい。この先が、大精霊アメリウムが大地と共に変質した場所。私たちからすれば、お伽話の舞台となります」
ミアベルが浮かない顔をする理由はリノアにもなんとなく察せられた。
世間に疎いとはいえ、これだけはやめといたほうがいい、なんて文言はヴァルティエからも聞くことがあったからだ。滅多になかったことではあるし随分昔のことだから内容は覚えていないが、それを踏み越えようとすると湧き上がってくる後ろめたさにはリノアも覚えがある。しかしここにきて引き返すわけにはいかない。
リノアはミアベルの手を握り、琥珀色の瞳に頷いた。
「大丈夫、何かあればわたしがミアベルを守る」
ミアベルが頷きを返して、リノアの手を強く握る。
二人を先導するアールセンはその息吹を感じていたが振り返ることはしなかった。それはこの二人への信頼がなせるものだが、一方でアールセンはこの大地に踏み込んだ際に感じた、粘ついた風から意識を逸らすことができなかったのである。
清浄なマナとは程遠い、穢れの濃いマナにアールセンは咽せそうになる。風の噂で聞いたとはいえ、本当にこんなところにまだ彼の存在があるのだろうか。穢れに侵された大精霊の個体はどんなふうになるのか、それはリノアと共に己の目で確認した。あんな状態になった大精霊が、これほどの長い時間をまともな精神で生きられるものだろうか。
「はは、どうかしてるな」
小さくぼやきながら、失笑する。他者の境遇なぞ知るよしもない。そんなものを考え始めるようになったのはいつからだったか。
「どうしたんだアールセン、急に立ち止まって」
「ん? ああいや、少し考え事をしていたんだ。俺の知る情報が果たして正しいのか、とか。この有り様を見た後じゃあ疑わしくてな」
「それでも、行くんだろう?」
ああ、とアールセンが応え、いつの間にか止まっていた足をもう一度動かし始めた。
世界が朱色だけになってしまったのではないかという錯覚に囚われるほどの景色を、三人は進む。足元に群生する植物も、立ち並んだ大木も、そのすべての葉が赤く染まっている。大木の幹ですらその表皮を赤らめているようだった。生気を感じられない、時が止まったような道を進み続ける。
そして、音がした。
草をかき分けるような、小動物が走り回るような音。それが四方八方からリノアたち三人を取り囲むようにして近づいてくる。
「リノア、ミアベルちゃん、走るぞ。ここじゃ分が悪い」
アールセンが風を纏って前へ突き進む。その風が作り出した空間を、二人が追いかける。接近していたはずの小動物と思われるものの姿はまだ捉えられていない。しかし、風に混じって音だけが追いかけてくる。それから逃げるように三人は朱色の森を駆け抜け――少し開けた場所へと辿り着いた。
くれないを宿す大樹に囲まれた広場。その赤茶けた大地に、枯れ草だけが散りばめられている。
「ミアベル、わたしとアールセンの間に入って動かないで」
「この気配は――へえ、お目にかかれるとはな」
リノアとアールセンが背中を向け合い周囲を警戒する。二人の間でミアベルも視線と首を動かし、その瞳が動く物体を捉えた。
ずんぐりとして可愛らしいフォルムを持つ生物。全体的に薄茶色を帯びて、腹回りは白めが強い。角のようにも見えるものが頭頂部に二本あり、その根元には深い蒼を宿す水晶玉がこれまた二つある。
見た目には愛らしい小動物が三人を取り囲んでいた。
「ここはアメリウムと我らの領域である。よそ者の来る場所ではない。――立ち去れ。これは警告である。これより先は閉ざされし大地。我ら以外が踏み込むこと能わず」
「俺たちは、そのアメリウムに会いにきたんだ。レイナスの情報を知りたくてな」
「清浄なるもの……この先は貴様の立ち入りを拒むだろう。それだけではない、レイナスの領域もだ」
「だろうな。ならばせめて、この二人を通してもらえないか?」
あくまで飄々とした態度でその小動物たちに語りかけるアールセン。しかしぴりぴりとした気配が彼らの間で火花を散らしている。
「それはできない。その二人がアメリウムにとって危険でないと判断できないからだ。無論我らにとっても」
「あーそうかい。それで、一応聞くがお前さんたちは何者だ?」
なおもペースを崩さないアールセンに小動物たちがぴょんぴょんとあちこちで飛び跳ねながら苛立ちを見せている。その感覚が少しずつ短くなっていくにつれ、赤茶色の大地のあちらこちらから粒子が舞い上がっていく。
小首を傾げながらその様子を眺めていたリノアが何かを感じて身構えた。
「清浄なるものよ、我らは新しきマナの系譜――ジンと名乗るものだ」
「へえ、お前さんたちはエレではなくジンっていうのか。エジダイハを随分と可愛らしくデフォルメしたような姿じゃないか。いい混ざり具合なんだろうな、どこか完成されているし、まるでこの世界そのものに似ている」
「ふん、憎めないことを云う。だが、エレとは今後呼ばぬことだ。……それでもこの先の領域には通せぬ。――大地よ、我らの意思に応え、かのものらを追い払う力を顕現せよ」
ジンたちの身体が山吹色の光を纏い、そしてそれが徐々に深みを帯びていく。
リノアたちの立っている大地が揺れた。めきめきと音を立て地面が隆起し、三人を中空へと突き上げる。
「ちっ……」
リノアは舌打ちと共にミアベルの手を取り、そのままアールセンめがけて投げつけた。アールセンもこれには驚きを隠せず、ミアベルとともに隆起していない大地へと落ちていく。それを確認したリノアが首肯し、空中で防御の構えをとった。
「大地の怒りよ、かのものを空に押し留めよ」
跳ね回るジンそれぞれの足元から音を立てて土の塊が生えた。それはうねる点を除けば柱のような様相を呈し、一斉にリノアへと向かっていく。そして隙間なくリノアを空中で押し潰さんが如く収束した。
「なっ……お前さんたちは積極的な攻撃行動が許されているのか」
「我らは穢れで生まれしものゆえに」
「それほどまでに、ジンという存在は……」
アールセンが軍帽を目深にかぶり、歯噛みした。ここにつれてきたことが間違いだったのだろうかと思案する。しかし、レイナス攻略のための何かがここにあるのは確かなはずだ。間違っていたはずがない。
その隣ではミアベルが、空に繋ぎ止められた土の塊を見つめて目を見開き絶句している。だがゆっくりと手を持ち上げて、細指がそれへと向けられた。
「アールセンさん……黒いシロスが、輝きを増して、います」
震える瞳と声が、アールセンの気付け薬になった。
アールセンにはその言葉の意味がわからなかった。しかし、風に混じる澱みにはすぐさま気がついた。どろりとした風が、かすかにアールセンの頬を撫でたのだ。
「これはまずい」
軍帽の鍔を持ち上げ、アールセンのライムグリーンの瞳がそれを捉えて黒く濁る。
風が吹いた。隙間なく覆われたはずの土の塊から。そしてそれを取り巻くように竜巻が起こる。それがやがて空に浮かぶそれを覆ったとき、変化が起こった。
土の塊に隙間が広がり、それは徐々にひび割れとなり、そこからさらに風が侵入する。
「はあっ!」
砕け散る。破片が旋風と共に四方八方へと飛び去り、薄墨色の肌の女性が姿を現した。汚れや傷ひとつない肢体を露わにし、風を纏う。不恰好な大剣がその手には握られ、臙脂色の瞳が燃えている。
時間の流れが遅くなったかのような速度で、リノアは地面へと降り立ち、大剣を横なぎに振り抜いた。
「この気配は……まさか、その姿で?」
「アールセン、こいつらは食べられるのか?」
「え? あーいや、それはどうかな……ミアベルちゃんの腕次第かもな」
「ええっ?」
「ふうん。なら、やりがいがある」
リノアの口角がわずかに持ち上がった。しかし言葉や表情とは裏腹に、リノアの胸中は少しだけざわついていた。
端的に云えば、イラついている。
「さて、お前さえやれば他は黙るかしら?」
大剣の鋒を正面に見据えたジンに向け、リノアは一歩足を踏み出した。その足が地面に触れた瞬間、周囲を囲むジンたちが震えながら遠ざかっていくのを視界の端に捉える。
「我らに危害を加えれば尚更、アメリウムに会うことは敵うまい」
「関係ない。わたしは、一方的にやられるのが気に食わない。やられたなら、やり返す。それだけ」
大きく一歩を踏み出し、リノアが前進した。大剣を担ぎ、いつでも振り下ろせるように相手を見据える。
「大地の守護を。壁よ、現出せよ。我はジン、マナより生まれしものなり」
リノアの視界の下方から上方までを、壁が瞬時に覆った。それに一瞬気を取られるも、リノアは力任せに大剣を叩きつける。
岩にでもぶつかったような甲高い音が響いて、リノアの大剣が一度弾かれた。
「へえ……」
小さく口を開いて感嘆の声を漏らしたかと思えば、リノアは口の端を結んだ。一歩後退し、呼吸を止め、ゆらりと得物を振りかぶる。力強い踏み出しとともに、大剣の重量と自らの怪力を加えた、連続した斬撃を放った。
「まだまだ……わたしを、こんなもので阻めると思うな」
一撃叩き込むごとに、壁にはわずかながらひびが入っていった。臙脂色の瞳はそれを見逃すことはなく、そこへと集中してリズムよく大剣を当て続ける。
勢いを増すごとに、リノアは禍々しい気配を纏っていった。それはこの場にいる誰もが感じ取っていた。アールセンも、ミアベルも、ジンたちにも、リノアの纏う仄暗い気配が背中を這い上がるのがわかっていた。
そし砕け散る、壁。
「忌々しい存在め、お前のような存在をこの先に通すわけにはいかぬのだ」
「それでも、わたしは進まなければならない。通してもらうぞ」
ジンを正面に捉え、リノアは得物を叩きつけようとして――できなかった。
「興味深い気配がするから来てみれば、なるほどこの来訪者は予想外でしたね」
先ほどよりもはるかに強固な土壁に阻まれたのである。しかも、大剣が振り下ろされるただ一点にのみ絞られたわずかな壁に。
それはまるで白刃取りのように鮮やかだった。
「ふふ、僕のことが大事なのはわかりますが、誰彼構わず攻撃してはなりませんよ? 今みたいにこわーい目に遭ってしまいますからね」
「しかし、アメリウム、我らは」
「わかっていますよ。君たちがとてもいい子なのは」
土壁から這い出した蔦によって大剣を絡め取られ、微動だにすることができないリノア。壁の向こうにいる存在の顔が認識できないが、それはジンの頭を撫でているらしかった。
「あなたにも迷惑をかけましたね。ジンたちは自分たちの領域に入られることをひどく嫌うので。お許しください」
「お前は……?」
リノアは興が削がれて、得物を持つ手から力を抜いた。それを蔦から、壁から感じ取って、その存在も込めた力を解いた。
蔦が土壁へと吸い込まれ、壁も砂のように崩れ去っていく。それとともに、壁の向こうにいた存在の姿が露わになった。
明るい黄色がかった肌色に、火傷のような土色が半分ほど混ざっている。そんな状態でも美しいとわかる顔の作り。男とも女ともつかないその顔の眼窩には山吹色の瞳と、黄土色の瞳が収められている。スラリと伸びた長身には、ひとつなぎの浅葱色の服を纏うのみだ。
その両目がにこりと笑い、唇が小さく開いた。
「ようこそ、過剰肥沃に侵された赤茶色の大地へ。僕の名前はアメリウム。かつてこの地に大地のマナの祝福を施していた大精霊にして、今はセエレと成り果てた、穢れしものです」
その獣道をかき分けて進むことしばらく、リノア達一行は夕焼けに似た色合いを持つ場所へと辿り着いた。そのあたりだけ季節感が大きく異なるようなそこには、不思議な匂いの風が吹いている。降り注ぐシロスの光も少しだけ違う雰囲気を纏っているようだった。
先刻、簡単な狩りと植物の採取、そしてミアベルの調理によって腹ごしらえを済ませた一行は、アールセンに導かれるままにこの場所へと到着した。日は傾き、翡翠色の空には赤みが差してきている。
「ここは……?」
「立ち入り禁止区域――アメリウムの大地、だと思います。昔から何度か聞いたことがあるんです。こんなにも特徴的な見た目だから、すぐにわかりました」
「アメリウムって確か……?」
「はい。この先が、大精霊アメリウムが大地と共に変質した場所。私たちからすれば、お伽話の舞台となります」
ミアベルが浮かない顔をする理由はリノアにもなんとなく察せられた。
世間に疎いとはいえ、これだけはやめといたほうがいい、なんて文言はヴァルティエからも聞くことがあったからだ。滅多になかったことではあるし随分昔のことだから内容は覚えていないが、それを踏み越えようとすると湧き上がってくる後ろめたさにはリノアも覚えがある。しかしここにきて引き返すわけにはいかない。
リノアはミアベルの手を握り、琥珀色の瞳に頷いた。
「大丈夫、何かあればわたしがミアベルを守る」
ミアベルが頷きを返して、リノアの手を強く握る。
二人を先導するアールセンはその息吹を感じていたが振り返ることはしなかった。それはこの二人への信頼がなせるものだが、一方でアールセンはこの大地に踏み込んだ際に感じた、粘ついた風から意識を逸らすことができなかったのである。
清浄なマナとは程遠い、穢れの濃いマナにアールセンは咽せそうになる。風の噂で聞いたとはいえ、本当にこんなところにまだ彼の存在があるのだろうか。穢れに侵された大精霊の個体はどんなふうになるのか、それはリノアと共に己の目で確認した。あんな状態になった大精霊が、これほどの長い時間をまともな精神で生きられるものだろうか。
「はは、どうかしてるな」
小さくぼやきながら、失笑する。他者の境遇なぞ知るよしもない。そんなものを考え始めるようになったのはいつからだったか。
「どうしたんだアールセン、急に立ち止まって」
「ん? ああいや、少し考え事をしていたんだ。俺の知る情報が果たして正しいのか、とか。この有り様を見た後じゃあ疑わしくてな」
「それでも、行くんだろう?」
ああ、とアールセンが応え、いつの間にか止まっていた足をもう一度動かし始めた。
世界が朱色だけになってしまったのではないかという錯覚に囚われるほどの景色を、三人は進む。足元に群生する植物も、立ち並んだ大木も、そのすべての葉が赤く染まっている。大木の幹ですらその表皮を赤らめているようだった。生気を感じられない、時が止まったような道を進み続ける。
そして、音がした。
草をかき分けるような、小動物が走り回るような音。それが四方八方からリノアたち三人を取り囲むようにして近づいてくる。
「リノア、ミアベルちゃん、走るぞ。ここじゃ分が悪い」
アールセンが風を纏って前へ突き進む。その風が作り出した空間を、二人が追いかける。接近していたはずの小動物と思われるものの姿はまだ捉えられていない。しかし、風に混じって音だけが追いかけてくる。それから逃げるように三人は朱色の森を駆け抜け――少し開けた場所へと辿り着いた。
くれないを宿す大樹に囲まれた広場。その赤茶けた大地に、枯れ草だけが散りばめられている。
「ミアベル、わたしとアールセンの間に入って動かないで」
「この気配は――へえ、お目にかかれるとはな」
リノアとアールセンが背中を向け合い周囲を警戒する。二人の間でミアベルも視線と首を動かし、その瞳が動く物体を捉えた。
ずんぐりとして可愛らしいフォルムを持つ生物。全体的に薄茶色を帯びて、腹回りは白めが強い。角のようにも見えるものが頭頂部に二本あり、その根元には深い蒼を宿す水晶玉がこれまた二つある。
見た目には愛らしい小動物が三人を取り囲んでいた。
「ここはアメリウムと我らの領域である。よそ者の来る場所ではない。――立ち去れ。これは警告である。これより先は閉ざされし大地。我ら以外が踏み込むこと能わず」
「俺たちは、そのアメリウムに会いにきたんだ。レイナスの情報を知りたくてな」
「清浄なるもの……この先は貴様の立ち入りを拒むだろう。それだけではない、レイナスの領域もだ」
「だろうな。ならばせめて、この二人を通してもらえないか?」
あくまで飄々とした態度でその小動物たちに語りかけるアールセン。しかしぴりぴりとした気配が彼らの間で火花を散らしている。
「それはできない。その二人がアメリウムにとって危険でないと判断できないからだ。無論我らにとっても」
「あーそうかい。それで、一応聞くがお前さんたちは何者だ?」
なおもペースを崩さないアールセンに小動物たちがぴょんぴょんとあちこちで飛び跳ねながら苛立ちを見せている。その感覚が少しずつ短くなっていくにつれ、赤茶色の大地のあちらこちらから粒子が舞い上がっていく。
小首を傾げながらその様子を眺めていたリノアが何かを感じて身構えた。
「清浄なるものよ、我らは新しきマナの系譜――ジンと名乗るものだ」
「へえ、お前さんたちはエレではなくジンっていうのか。エジダイハを随分と可愛らしくデフォルメしたような姿じゃないか。いい混ざり具合なんだろうな、どこか完成されているし、まるでこの世界そのものに似ている」
「ふん、憎めないことを云う。だが、エレとは今後呼ばぬことだ。……それでもこの先の領域には通せぬ。――大地よ、我らの意思に応え、かのものらを追い払う力を顕現せよ」
ジンたちの身体が山吹色の光を纏い、そしてそれが徐々に深みを帯びていく。
リノアたちの立っている大地が揺れた。めきめきと音を立て地面が隆起し、三人を中空へと突き上げる。
「ちっ……」
リノアは舌打ちと共にミアベルの手を取り、そのままアールセンめがけて投げつけた。アールセンもこれには驚きを隠せず、ミアベルとともに隆起していない大地へと落ちていく。それを確認したリノアが首肯し、空中で防御の構えをとった。
「大地の怒りよ、かのものを空に押し留めよ」
跳ね回るジンそれぞれの足元から音を立てて土の塊が生えた。それはうねる点を除けば柱のような様相を呈し、一斉にリノアへと向かっていく。そして隙間なくリノアを空中で押し潰さんが如く収束した。
「なっ……お前さんたちは積極的な攻撃行動が許されているのか」
「我らは穢れで生まれしものゆえに」
「それほどまでに、ジンという存在は……」
アールセンが軍帽を目深にかぶり、歯噛みした。ここにつれてきたことが間違いだったのだろうかと思案する。しかし、レイナス攻略のための何かがここにあるのは確かなはずだ。間違っていたはずがない。
その隣ではミアベルが、空に繋ぎ止められた土の塊を見つめて目を見開き絶句している。だがゆっくりと手を持ち上げて、細指がそれへと向けられた。
「アールセンさん……黒いシロスが、輝きを増して、います」
震える瞳と声が、アールセンの気付け薬になった。
アールセンにはその言葉の意味がわからなかった。しかし、風に混じる澱みにはすぐさま気がついた。どろりとした風が、かすかにアールセンの頬を撫でたのだ。
「これはまずい」
軍帽の鍔を持ち上げ、アールセンのライムグリーンの瞳がそれを捉えて黒く濁る。
風が吹いた。隙間なく覆われたはずの土の塊から。そしてそれを取り巻くように竜巻が起こる。それがやがて空に浮かぶそれを覆ったとき、変化が起こった。
土の塊に隙間が広がり、それは徐々にひび割れとなり、そこからさらに風が侵入する。
「はあっ!」
砕け散る。破片が旋風と共に四方八方へと飛び去り、薄墨色の肌の女性が姿を現した。汚れや傷ひとつない肢体を露わにし、風を纏う。不恰好な大剣がその手には握られ、臙脂色の瞳が燃えている。
時間の流れが遅くなったかのような速度で、リノアは地面へと降り立ち、大剣を横なぎに振り抜いた。
「この気配は……まさか、その姿で?」
「アールセン、こいつらは食べられるのか?」
「え? あーいや、それはどうかな……ミアベルちゃんの腕次第かもな」
「ええっ?」
「ふうん。なら、やりがいがある」
リノアの口角がわずかに持ち上がった。しかし言葉や表情とは裏腹に、リノアの胸中は少しだけざわついていた。
端的に云えば、イラついている。
「さて、お前さえやれば他は黙るかしら?」
大剣の鋒を正面に見据えたジンに向け、リノアは一歩足を踏み出した。その足が地面に触れた瞬間、周囲を囲むジンたちが震えながら遠ざかっていくのを視界の端に捉える。
「我らに危害を加えれば尚更、アメリウムに会うことは敵うまい」
「関係ない。わたしは、一方的にやられるのが気に食わない。やられたなら、やり返す。それだけ」
大きく一歩を踏み出し、リノアが前進した。大剣を担ぎ、いつでも振り下ろせるように相手を見据える。
「大地の守護を。壁よ、現出せよ。我はジン、マナより生まれしものなり」
リノアの視界の下方から上方までを、壁が瞬時に覆った。それに一瞬気を取られるも、リノアは力任せに大剣を叩きつける。
岩にでもぶつかったような甲高い音が響いて、リノアの大剣が一度弾かれた。
「へえ……」
小さく口を開いて感嘆の声を漏らしたかと思えば、リノアは口の端を結んだ。一歩後退し、呼吸を止め、ゆらりと得物を振りかぶる。力強い踏み出しとともに、大剣の重量と自らの怪力を加えた、連続した斬撃を放った。
「まだまだ……わたしを、こんなもので阻めると思うな」
一撃叩き込むごとに、壁にはわずかながらひびが入っていった。臙脂色の瞳はそれを見逃すことはなく、そこへと集中してリズムよく大剣を当て続ける。
勢いを増すごとに、リノアは禍々しい気配を纏っていった。それはこの場にいる誰もが感じ取っていた。アールセンも、ミアベルも、ジンたちにも、リノアの纏う仄暗い気配が背中を這い上がるのがわかっていた。
そし砕け散る、壁。
「忌々しい存在め、お前のような存在をこの先に通すわけにはいかぬのだ」
「それでも、わたしは進まなければならない。通してもらうぞ」
ジンを正面に捉え、リノアは得物を叩きつけようとして――できなかった。
「興味深い気配がするから来てみれば、なるほどこの来訪者は予想外でしたね」
先ほどよりもはるかに強固な土壁に阻まれたのである。しかも、大剣が振り下ろされるただ一点にのみ絞られたわずかな壁に。
それはまるで白刃取りのように鮮やかだった。
「ふふ、僕のことが大事なのはわかりますが、誰彼構わず攻撃してはなりませんよ? 今みたいにこわーい目に遭ってしまいますからね」
「しかし、アメリウム、我らは」
「わかっていますよ。君たちがとてもいい子なのは」
土壁から這い出した蔦によって大剣を絡め取られ、微動だにすることができないリノア。壁の向こうにいる存在の顔が認識できないが、それはジンの頭を撫でているらしかった。
「あなたにも迷惑をかけましたね。ジンたちは自分たちの領域に入られることをひどく嫌うので。お許しください」
「お前は……?」
リノアは興が削がれて、得物を持つ手から力を抜いた。それを蔦から、壁から感じ取って、その存在も込めた力を解いた。
蔦が土壁へと吸い込まれ、壁も砂のように崩れ去っていく。それとともに、壁の向こうにいた存在の姿が露わになった。
明るい黄色がかった肌色に、火傷のような土色が半分ほど混ざっている。そんな状態でも美しいとわかる顔の作り。男とも女ともつかないその顔の眼窩には山吹色の瞳と、黄土色の瞳が収められている。スラリと伸びた長身には、ひとつなぎの浅葱色の服を纏うのみだ。
その両目がにこりと笑い、唇が小さく開いた。
「ようこそ、過剰肥沃に侵された赤茶色の大地へ。僕の名前はアメリウム。かつてこの地に大地のマナの祝福を施していた大精霊にして、今はセエレと成り果てた、穢れしものです」