アメジスト
王都シャルケの遥か西には不浄の山がある。
山肌は青黒く、剣の切っ先のような頂きを何本も空に突き立てるその姿は黄泉の国への入り口だと伝えられている。
その昔、不浄の山に住み着いた魔物達は時折り山を降りて町や村を襲いに来た。
我こそはと魔物討伐を試みた者たちは一人も帰って来ず、人々は魔物に怯え、山を恐れ、近寄るものは誰も居なくなった。
人々が怯え暮らしていたある日、アメジストのペンダントを身に付けた一人の「聖女」が現れ、山に入った。それからは魔物達は大人しくなり、山から降りてくることは無くなった。
人々は「聖女」の帰還を待ったが、待てど暮らせど再び姿を現すことなく、長い年月が経つ間に「聖女」は自らの命と引き換えに魔物を抑えていると言われるようになった。
それは御伽噺になった遠い昔の話。
シャルケの「聖女」伝説。
突然シャルケ王国に伝わる御伽噺を語ったハイデンに呆気にとられ、人々は見えるはずのない山を思い浮かべて西側を見た。
もう少しで傾く太陽に薄らと黒い雲がかかり始めている。
「⋯⋯それがどうした」
さっさと去りたい所にシャルケの御伽噺を聞かされ、意味のない事だとジルベルトはハイデンを睨んだ。
「これがお前の「やらかし」なんだよ」
ハイデンはすっと人差し指をライラに向け、視線はジルベルトから外さない。
「ヒッ⋯⋯」と息を飲んだライラを庇いながらジルベルトが睨み返した。
「人を指差すのは失礼だろう」
「ライラの、そのアメジストのネックレス。お前とアーチハルトがプレゼントしたそうだな」
「ああ、ライラは「聖女」だからな。お前が無駄に話した「聖女」伝説になぞらえさせてもらったが?」
「それを、何処で手に入れた?」
ザワッと「世界樹」が枝を揺らした。
生温い風が微かに獣の臭いを運びシロが西の空に向かい「グルル⋯⋯」と喉を鳴らす。
「お前とアーチハルトは一ヶ月前、西の山でアメジストを取ってくるよう金銭を渡してゴロツキに頼んだのだろう?」
「だからなんだ。下々に仕事を斡旋しただけだ。不浄の山だか知らんが奴らは帰ってきたぞ」
「ああ、だからそこにアメジストがある。しかし、奴らはその後、無惨な姿で発見された」
「獣に喰い千切られたようだったそうだよ」
フィールがゴロツキ達の不審死調書をヒラヒラとジルベルトに突き出した。
──彼らは貴族が欲しがったアメジストを西の山へ取りに行き、それを売った金だ。と言ってました──
金銭を受け取ったゴロツキ達は王都から南の村で酒盛りをした。
夜通し騒ぎ、翌朝酒場の主人が店の裏で彼らを発見するに至った。
彼らは顔が抉られ、四肢が引き千切られた無残な姿だったと主人が証言している。
ジルベルトとゴロツキの契約はなんの問題も無かったが、狙った「物」がまずかったのだ。
不浄の山には「宝」がある。
いつしか「聖女」伝説には「聖女」の「宝」が隠されていると尾鰭が付いた。
「宝」を求め不浄の山に入る者が出て何人も命を落とした。這う這うの体で生きて帰った者は精神に異常をきたし、廃人となり果てている。
「「聖女」の「宝」⋯⋯それがそのアメジストなんだよ」
日が沈みきるまでまだあるのに薄暗くなり、獣の生臭さも強まる。雨でも降るのかと空を見上げた人々は言葉を失った。
太陽にかかる黒い雲だと思った影は無数の飛行物体。
思い出される一週間前に見た黒い影。
──魔物の群れだ──
一斉に人々は恐怖に悲鳴を上げ避難所に逃げ込み、ライオスを始めとした騎士団と魔導士達は「今度こそは守り抜く」と臨戦態勢の陣形を取った。
「そこの女! お前は「聖女」なんだろ! 魔物を追い払え!」
「そうだっ! そのデカイ奴に命令しろ!」
「ワシを助ければ愛人にしてやる!」
ライラを「聖女」だと崇め持ち上げていた貴族達が叫ぶ。
我先に避難所に駆け込みながら好き勝手に指図する貴族にマリアは「聖女」ライラとの扱いの落差に「あはは」と笑い「愛人は嫌ですー。怪我したら治しますよ」と「世界樹」の幹に両手を付いた。
「アレン、国王陛下をお願いね。シロ、クリストファー様達の側に居て」
魔物の急降下が早いか、マリアの「聖女」の力が発動するのが早いかの僅差で東西南北に植えられた「世界樹」が白金に光り、突撃して来た魔物を弾き飛ばした。
黒い雨の様に何度も降り注いでは弾かれる魔物を見上げていたクリストファーが魔物達の隙間から黒い狼に乗り見下ろす人影を見つけた。
「あれは黒い狼と、黒き⋯⋯「聖女」⋯⋯」
シャルケの「聖女」伝説には続きがある。
──アメジストを身に付けた「聖女」は長い年月の間に魔に落ち、黒き「聖女」となった──
「ライラ! アメジストのネックレスを渡せ!」
「嫌です! これはジル様とアーチが⋯⋯っ」
「平民には手にする事が出来ない額で買い取ったんだぞ!」
頓珍漢な抵抗を見せるライラとジルベルトにハイデン達の話を聞いても、理解出来ないのかとクリストファーは珍しく苛つく。
「宝」の噂は本当だったのだ。西の山から持ち出されたアメジストは「聖女」の「宝」⋯⋯黒き「聖女」のものだ。
彼女は奪われたアメジストを取り戻す為に魔物を引き連れて王都にやって来たと予想がつくものを、ライラとジルベルトはこの期に及んでまで何一つ分かっていない。
ジルベルトとアーチハルトの行いが王都を魔物の標的にさせ、人々が傷付いた原因となった。
ライラは「聖女」でありながらアメジストの出所を知っても返したくないとはどんな神経をしているのか。
いい加減自分に都合の良い「言葉」だけを聞き、自分の事だけを考えるな。と、声を上げる。
「君も「聖女」なら他人を思え! 他人を敬え! 黒き「聖女」はそのアメジストを取り返しに来ていたんだ!」
二度も王都を襲わせはしない。
二度も「彼女」に襲わせたくない。
らちが開かないと踏んだ魔物達は街への攻撃から目標を変え、貴族街へと雪崩れ込んで行く。
「止めろっ!」「早く蹴散らせ!」「ああっ!ワシの屋敷が!」
真っ青になりながら悲鳴を上げる貴族達にライラの意識が向けられた隙にフィールがライラを、ハイデンがジルベルトを取り押さえ、ゲルガーがライラからアメジストを取り上げた。
「クリストファー!」
投げられたアメジストを受け取りクリストファーはシロに飛び乗った。
「シロ! 頼む」
⋯⋯任せて⋯⋯
「ウオオオオオン」とシロが遠吠えを上げクリストファーを乗せて地を蹴った。
急上昇する白い狼は魔物達の群を破り、傾いた日の光が空を染めるのを覗かせ、その黄金の軌跡は黒き「聖女」に向け一直線に貫いた。
・
・
・
その頬は青白く、その瞳は漆黒。
長く黒い髪を風になびかせた「聖女」は表情なく静かに手を差し出した。
彼女が御伽噺の「聖女」であれば数百年経っている。魔物を引き連れた目の前の女性は既に人ではなく、「聖女」でもない。
街を襲い、何人もの命を奪った「魔女」だ。
クリストファーは対峙する畏怖に対して恐怖が込み上げ震えが起きた。
──黒き「聖女」の「宝」を奪ったのは我々だ。
ジルベルト、アーチハルト、ライラが黒き「聖女」からアメジストを奪ったのが始まりだ。
クリストファーはどう渡せば良いのか悩んだ末にアメジストを掲げると一匹の魔物が背後から飛来し、スレスレのところを通り過ぎざまにアメジストを攫った。
「聖女」の元にアメジストが渡ると、街や貴族街への攻撃を止め、引き上げた魔物達がクリストファーと黒き「聖女」を取り囲み渦を巻いた。
・
・
・
マリアは地上でシロに乗るクリストファーと黒い狼に乗る黒き「聖女」を見上げていた。
「馬鹿な奴だ。「魔女」に敵うはずがない。アイツも終わりだな」
「父上は僕に王の器はないなんて言っていたけどアイツが居なくなれば僕が王なんだ⋯⋯」
「二人ともおやめになって! そんな⋯⋯そんな恐ろしい事をっ⋯⋯」
ある意味の清々しさを感じるほど、事の重大さと、己の「やらかし」の自覚がない三人に周囲から憎しみとも怒りとも取れ、呆れとも取れる視線が向けられたが「自分達の世界」に入り込んだ三人は外界が見えないようだった。
「マリアよ⋯⋯クリストファーは、息子は大丈夫だろうか」
国王が不安を零す。その言葉は「国王」としてではなく父親の言葉。
見上げたままマリアは「もちろんです」と答え振り返った。
「クリストファー様はこの国で二番目に強く、二番目にお優しい方です。それは必ず「聖女」様に伝わります」
「二番⋯⋯。一番は誰だ」
「それは勿論アレンです。私にとって、ですが」
「ね?」とアレンの手を取るマリアに思わず頰が緩む。
こちらはこちらでマリアの惚気だ。
あっけらかんとした軽口に国王の口元に笑みが浮かぶ。マリアが言うのだから大丈夫だ。
国王は祈るように頷いた。
「あっ! 魔物が引いて行く」
声に見上げると空を埋め尽くしていた魔物達が西へと長い列を成していた。
「アイツ! 「魔女」を逃したのか!」
「何も出来ないクセに出しゃばり過ぎのクズだ」
「なんてこと⋯⋯クリストファー様は、また女性に誑かされたのですね⋯⋯」
自分達の行いを棚に上げるどころか無かった事になったのか「頭の病」を疑う三人の言葉は誰にも聞こえなかった。聞こえていても聞こえない。もう誰も彼らを認めていないのだから。
それよりも黒い狼と白い狼のシルエットが夕陽に映える光景に目を奪われていた。
それは一枚の絵画のように完成された景色だった。
暫くして、黒い狼が魔物達を追いかけるように西へ駆け出すのを見送った白い狼はゆっくりと地上へ降りて来た。
・
・
・
周りを魔物に囲まれたクリストファーは黒き「聖女」と見つめ合っていた。
「黒き「聖女」、我々が貴女から大切な物を奪った事を謝罪する。
しかし、貴女も⋯⋯我々の大切な物を奪った」
悔しさと憎しみが溢れそうになる。
「許せない気持ちはある⋯⋯それでも、私は、貴女を受け入れる⋯⋯引いて、くれないだろうか。
──引いてくれるなら、貴女が望むのなら私の命を貴女に捧げよう」
魔物達の唸りが激しくなった。彼らに「言葉」があるのなら恐らくクリストファーは罵倒されているのだろう。
しかしクリストファーには畏怖の感情はあっても、もう不思議と恐怖は無い。交換条件に黒き「聖女」が望むのなら命を取られる事があっても受け入れられる。
国王はああ言ったが、シャルケの王族は弟のアーチハルトが居る。自分がどうにかなってしまっても血筋が絶えることはない。
「⋯⋯っ、どうか──っ!」
クリストファーが願いを乞うように黒き「聖女」に顔を上げると彼女にギュンと至近距離に詰められ息を飲んだ。
漆黒の瞳がクリストファーを射抜き、いよいよ覚悟を決めた。
『アメジスト⋯⋯』
「アメジスト。貴女はアメジストと言うのか」
石と同じ名前。
『私は人間を許さない。私は「貴方」を許す』
急な風が背後から吹き付けクリストファーはシロにしがみ付いた。
風圧の中目を開くと魔物達がシロとクリストファーの脇を猛スピードで通り過ぎて行く。
周りから魔物が居なくなると黒い狼はクルリと向きを変え夕日に向かい駆け出した。
その姿が西の彼方へ消えるまで見送るクリストファーにシロが「クゥン」と声をかけた。
⋯⋯クリストファー帰る⋯⋯
「ああ、ありがとうシロ。帰ろう」
ゆっくりと優雅に下降するクリストファーを父親、友人が迎える。
シロの背中から降り立つとマリアは「シロを乗りこなせるようになりましたね」と笑い、アレンがシロを労う。
ゲルガーがクリストファーの頭をこねくり回しフィールは肩を組みながら笑い、ハイデンとハイタッチを交わした。
ふと視線に顔を上げると父親の顔をした国王と目が合った。
「こ、く⋯⋯ち、父上⋯⋯」
「よく、やった⋯⋯っ、無事で良かった」
成人してから初めて父親に抱きしめられた。
強く大きかった父親がクリストファーには小さく感じ、ほんの少し、寂しくも感じた。
暖かく親子を眺めた友人達が頷き合い、もう危機は脱したと人々に声を掛けて回る。
「じゃあ、村から夕飯運んできますね」
マリアがいそいそとアレンと共に「聖女」のゲートへ向かう。
少し進んだところで「あっ」と立ち止まり笑顔で付け足した。
「その前に、薬湯茶飲みましょう!」
「うわあ⋯⋯」
薬湯茶の味を思い出した人々が新たな脅威に苦笑いする。
国王を始めライオスと騎士団も苦い顔をし、魔導士達は「聖女」様特製薬湯茶だと歓喜に沸いた。
山肌は青黒く、剣の切っ先のような頂きを何本も空に突き立てるその姿は黄泉の国への入り口だと伝えられている。
その昔、不浄の山に住み着いた魔物達は時折り山を降りて町や村を襲いに来た。
我こそはと魔物討伐を試みた者たちは一人も帰って来ず、人々は魔物に怯え、山を恐れ、近寄るものは誰も居なくなった。
人々が怯え暮らしていたある日、アメジストのペンダントを身に付けた一人の「聖女」が現れ、山に入った。それからは魔物達は大人しくなり、山から降りてくることは無くなった。
人々は「聖女」の帰還を待ったが、待てど暮らせど再び姿を現すことなく、長い年月が経つ間に「聖女」は自らの命と引き換えに魔物を抑えていると言われるようになった。
それは御伽噺になった遠い昔の話。
シャルケの「聖女」伝説。
突然シャルケ王国に伝わる御伽噺を語ったハイデンに呆気にとられ、人々は見えるはずのない山を思い浮かべて西側を見た。
もう少しで傾く太陽に薄らと黒い雲がかかり始めている。
「⋯⋯それがどうした」
さっさと去りたい所にシャルケの御伽噺を聞かされ、意味のない事だとジルベルトはハイデンを睨んだ。
「これがお前の「やらかし」なんだよ」
ハイデンはすっと人差し指をライラに向け、視線はジルベルトから外さない。
「ヒッ⋯⋯」と息を飲んだライラを庇いながらジルベルトが睨み返した。
「人を指差すのは失礼だろう」
「ライラの、そのアメジストのネックレス。お前とアーチハルトがプレゼントしたそうだな」
「ああ、ライラは「聖女」だからな。お前が無駄に話した「聖女」伝説になぞらえさせてもらったが?」
「それを、何処で手に入れた?」
ザワッと「世界樹」が枝を揺らした。
生温い風が微かに獣の臭いを運びシロが西の空に向かい「グルル⋯⋯」と喉を鳴らす。
「お前とアーチハルトは一ヶ月前、西の山でアメジストを取ってくるよう金銭を渡してゴロツキに頼んだのだろう?」
「だからなんだ。下々に仕事を斡旋しただけだ。不浄の山だか知らんが奴らは帰ってきたぞ」
「ああ、だからそこにアメジストがある。しかし、奴らはその後、無惨な姿で発見された」
「獣に喰い千切られたようだったそうだよ」
フィールがゴロツキ達の不審死調書をヒラヒラとジルベルトに突き出した。
──彼らは貴族が欲しがったアメジストを西の山へ取りに行き、それを売った金だ。と言ってました──
金銭を受け取ったゴロツキ達は王都から南の村で酒盛りをした。
夜通し騒ぎ、翌朝酒場の主人が店の裏で彼らを発見するに至った。
彼らは顔が抉られ、四肢が引き千切られた無残な姿だったと主人が証言している。
ジルベルトとゴロツキの契約はなんの問題も無かったが、狙った「物」がまずかったのだ。
不浄の山には「宝」がある。
いつしか「聖女」伝説には「聖女」の「宝」が隠されていると尾鰭が付いた。
「宝」を求め不浄の山に入る者が出て何人も命を落とした。這う這うの体で生きて帰った者は精神に異常をきたし、廃人となり果てている。
「「聖女」の「宝」⋯⋯それがそのアメジストなんだよ」
日が沈みきるまでまだあるのに薄暗くなり、獣の生臭さも強まる。雨でも降るのかと空を見上げた人々は言葉を失った。
太陽にかかる黒い雲だと思った影は無数の飛行物体。
思い出される一週間前に見た黒い影。
──魔物の群れだ──
一斉に人々は恐怖に悲鳴を上げ避難所に逃げ込み、ライオスを始めとした騎士団と魔導士達は「今度こそは守り抜く」と臨戦態勢の陣形を取った。
「そこの女! お前は「聖女」なんだろ! 魔物を追い払え!」
「そうだっ! そのデカイ奴に命令しろ!」
「ワシを助ければ愛人にしてやる!」
ライラを「聖女」だと崇め持ち上げていた貴族達が叫ぶ。
我先に避難所に駆け込みながら好き勝手に指図する貴族にマリアは「聖女」ライラとの扱いの落差に「あはは」と笑い「愛人は嫌ですー。怪我したら治しますよ」と「世界樹」の幹に両手を付いた。
「アレン、国王陛下をお願いね。シロ、クリストファー様達の側に居て」
魔物の急降下が早いか、マリアの「聖女」の力が発動するのが早いかの僅差で東西南北に植えられた「世界樹」が白金に光り、突撃して来た魔物を弾き飛ばした。
黒い雨の様に何度も降り注いでは弾かれる魔物を見上げていたクリストファーが魔物達の隙間から黒い狼に乗り見下ろす人影を見つけた。
「あれは黒い狼と、黒き⋯⋯「聖女」⋯⋯」
シャルケの「聖女」伝説には続きがある。
──アメジストを身に付けた「聖女」は長い年月の間に魔に落ち、黒き「聖女」となった──
「ライラ! アメジストのネックレスを渡せ!」
「嫌です! これはジル様とアーチが⋯⋯っ」
「平民には手にする事が出来ない額で買い取ったんだぞ!」
頓珍漢な抵抗を見せるライラとジルベルトにハイデン達の話を聞いても、理解出来ないのかとクリストファーは珍しく苛つく。
「宝」の噂は本当だったのだ。西の山から持ち出されたアメジストは「聖女」の「宝」⋯⋯黒き「聖女」のものだ。
彼女は奪われたアメジストを取り戻す為に魔物を引き連れて王都にやって来たと予想がつくものを、ライラとジルベルトはこの期に及んでまで何一つ分かっていない。
ジルベルトとアーチハルトの行いが王都を魔物の標的にさせ、人々が傷付いた原因となった。
ライラは「聖女」でありながらアメジストの出所を知っても返したくないとはどんな神経をしているのか。
いい加減自分に都合の良い「言葉」だけを聞き、自分の事だけを考えるな。と、声を上げる。
「君も「聖女」なら他人を思え! 他人を敬え! 黒き「聖女」はそのアメジストを取り返しに来ていたんだ!」
二度も王都を襲わせはしない。
二度も「彼女」に襲わせたくない。
らちが開かないと踏んだ魔物達は街への攻撃から目標を変え、貴族街へと雪崩れ込んで行く。
「止めろっ!」「早く蹴散らせ!」「ああっ!ワシの屋敷が!」
真っ青になりながら悲鳴を上げる貴族達にライラの意識が向けられた隙にフィールがライラを、ハイデンがジルベルトを取り押さえ、ゲルガーがライラからアメジストを取り上げた。
「クリストファー!」
投げられたアメジストを受け取りクリストファーはシロに飛び乗った。
「シロ! 頼む」
⋯⋯任せて⋯⋯
「ウオオオオオン」とシロが遠吠えを上げクリストファーを乗せて地を蹴った。
急上昇する白い狼は魔物達の群を破り、傾いた日の光が空を染めるのを覗かせ、その黄金の軌跡は黒き「聖女」に向け一直線に貫いた。
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その頬は青白く、その瞳は漆黒。
長く黒い髪を風になびかせた「聖女」は表情なく静かに手を差し出した。
彼女が御伽噺の「聖女」であれば数百年経っている。魔物を引き連れた目の前の女性は既に人ではなく、「聖女」でもない。
街を襲い、何人もの命を奪った「魔女」だ。
クリストファーは対峙する畏怖に対して恐怖が込み上げ震えが起きた。
──黒き「聖女」の「宝」を奪ったのは我々だ。
ジルベルト、アーチハルト、ライラが黒き「聖女」からアメジストを奪ったのが始まりだ。
クリストファーはどう渡せば良いのか悩んだ末にアメジストを掲げると一匹の魔物が背後から飛来し、スレスレのところを通り過ぎざまにアメジストを攫った。
「聖女」の元にアメジストが渡ると、街や貴族街への攻撃を止め、引き上げた魔物達がクリストファーと黒き「聖女」を取り囲み渦を巻いた。
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マリアは地上でシロに乗るクリストファーと黒い狼に乗る黒き「聖女」を見上げていた。
「馬鹿な奴だ。「魔女」に敵うはずがない。アイツも終わりだな」
「父上は僕に王の器はないなんて言っていたけどアイツが居なくなれば僕が王なんだ⋯⋯」
「二人ともおやめになって! そんな⋯⋯そんな恐ろしい事をっ⋯⋯」
ある意味の清々しさを感じるほど、事の重大さと、己の「やらかし」の自覚がない三人に周囲から憎しみとも怒りとも取れ、呆れとも取れる視線が向けられたが「自分達の世界」に入り込んだ三人は外界が見えないようだった。
「マリアよ⋯⋯クリストファーは、息子は大丈夫だろうか」
国王が不安を零す。その言葉は「国王」としてではなく父親の言葉。
見上げたままマリアは「もちろんです」と答え振り返った。
「クリストファー様はこの国で二番目に強く、二番目にお優しい方です。それは必ず「聖女」様に伝わります」
「二番⋯⋯。一番は誰だ」
「それは勿論アレンです。私にとって、ですが」
「ね?」とアレンの手を取るマリアに思わず頰が緩む。
こちらはこちらでマリアの惚気だ。
あっけらかんとした軽口に国王の口元に笑みが浮かぶ。マリアが言うのだから大丈夫だ。
国王は祈るように頷いた。
「あっ! 魔物が引いて行く」
声に見上げると空を埋め尽くしていた魔物達が西へと長い列を成していた。
「アイツ! 「魔女」を逃したのか!」
「何も出来ないクセに出しゃばり過ぎのクズだ」
「なんてこと⋯⋯クリストファー様は、また女性に誑かされたのですね⋯⋯」
自分達の行いを棚に上げるどころか無かった事になったのか「頭の病」を疑う三人の言葉は誰にも聞こえなかった。聞こえていても聞こえない。もう誰も彼らを認めていないのだから。
それよりも黒い狼と白い狼のシルエットが夕陽に映える光景に目を奪われていた。
それは一枚の絵画のように完成された景色だった。
暫くして、黒い狼が魔物達を追いかけるように西へ駆け出すのを見送った白い狼はゆっくりと地上へ降りて来た。
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周りを魔物に囲まれたクリストファーは黒き「聖女」と見つめ合っていた。
「黒き「聖女」、我々が貴女から大切な物を奪った事を謝罪する。
しかし、貴女も⋯⋯我々の大切な物を奪った」
悔しさと憎しみが溢れそうになる。
「許せない気持ちはある⋯⋯それでも、私は、貴女を受け入れる⋯⋯引いて、くれないだろうか。
──引いてくれるなら、貴女が望むのなら私の命を貴女に捧げよう」
魔物達の唸りが激しくなった。彼らに「言葉」があるのなら恐らくクリストファーは罵倒されているのだろう。
しかしクリストファーには畏怖の感情はあっても、もう不思議と恐怖は無い。交換条件に黒き「聖女」が望むのなら命を取られる事があっても受け入れられる。
国王はああ言ったが、シャルケの王族は弟のアーチハルトが居る。自分がどうにかなってしまっても血筋が絶えることはない。
「⋯⋯っ、どうか──っ!」
クリストファーが願いを乞うように黒き「聖女」に顔を上げると彼女にギュンと至近距離に詰められ息を飲んだ。
漆黒の瞳がクリストファーを射抜き、いよいよ覚悟を決めた。
『アメジスト⋯⋯』
「アメジスト。貴女はアメジストと言うのか」
石と同じ名前。
『私は人間を許さない。私は「貴方」を許す』
急な風が背後から吹き付けクリストファーはシロにしがみ付いた。
風圧の中目を開くと魔物達がシロとクリストファーの脇を猛スピードで通り過ぎて行く。
周りから魔物が居なくなると黒い狼はクルリと向きを変え夕日に向かい駆け出した。
その姿が西の彼方へ消えるまで見送るクリストファーにシロが「クゥン」と声をかけた。
⋯⋯クリストファー帰る⋯⋯
「ああ、ありがとうシロ。帰ろう」
ゆっくりと優雅に下降するクリストファーを父親、友人が迎える。
シロの背中から降り立つとマリアは「シロを乗りこなせるようになりましたね」と笑い、アレンがシロを労う。
ゲルガーがクリストファーの頭をこねくり回しフィールは肩を組みながら笑い、ハイデンとハイタッチを交わした。
ふと視線に顔を上げると父親の顔をした国王と目が合った。
「こ、く⋯⋯ち、父上⋯⋯」
「よく、やった⋯⋯っ、無事で良かった」
成人してから初めて父親に抱きしめられた。
強く大きかった父親がクリストファーには小さく感じ、ほんの少し、寂しくも感じた。
暖かく親子を眺めた友人達が頷き合い、もう危機は脱したと人々に声を掛けて回る。
「じゃあ、村から夕飯運んできますね」
マリアがいそいそとアレンと共に「聖女」のゲートへ向かう。
少し進んだところで「あっ」と立ち止まり笑顔で付け足した。
「その前に、薬湯茶飲みましょう!」
「うわあ⋯⋯」
薬湯茶の味を思い出した人々が新たな脅威に苦笑いする。
国王を始めライオスと騎士団も苦い顔をし、魔導士達は「聖女」様特製薬湯茶だと歓喜に沸いた。