聖獣
「うっわぁああっ!」「ぎゃーぁああ!」
「きゃぁああっ!」「いやああっ!」
──キィン──
マルケス達に向けて振り下ろされた爪を金属音が防ぎ、続いてドゥっと倒れ込む音が続いた。
「マルケス立て!」
「なっ! 貴様っ誰に向かって──」
自分達を助けにきたのは気が弱く、いつも自分達の顔色を窺っているダンだった。子爵の息子如きが侯爵家の嫡子に向かって失敬だと声を上げようとしたマルケスは息を飲む。
そのダンの背後に異形の魔物が再び襲い掛かろうと影を落としていたのだ。
「──っ!」
「グアっァァあーっ!」
「ダン君! 今だ!」
牙を剥いた魔物の横腹に白い狼が噛みつき注意が逸れたその一瞬の隙を突いてダンが斬り込む。
魔物はその攻撃をまともに受けズシンと転がった。
「ダン君、マルケス達を母さんの所へ!」
「分かった! ジョージ君、気を付けて!」
「貴様らっ俺達を守らせてやる! 早くコイツらを殺せ!」
喚くマルケスの声には頷かずジョージとダンは拳をコツンと合わせてニンマリして互いに背中を向けた。
「さあっこっちだ! シロ、行くよ!」
⋯⋯うんっ。ジョージしっかり掴まってて⋯⋯
ジョージとシロは魔物の間を自分について来るようにと誘導するように縫い走る。
魔物の注意がジョージに向けられたのを瞬時に確認したダンはマルケス達に叫んだ。
「マルケス! ダドリー! アンジェル! パーシー! ついて来いっ」
「貴様に指図され──」
「つべこべ言うな! 生き延びたいなら言うことを聞け!」
ジョージが魔物を惹きつけ作り出したチャンスだ。ダンは無駄にはさせないと声を荒げてマルケス達を走らせる。
時折残っていた魔物が襲って来るのをダンはその剣捌きで払いながら少なくなったとは言え虎視眈々と自分達を狙う敵意の中を走り抜け、マリア達が待つ祠へとマルケス達を届けた。
「なっ⋯⋯ゲルガー騎士団長、ハイデン様⋯⋯」
「マルケス達をお願いします!」
マルケス達が無事に二人に保護されたのを見届けてダンはクルリと方向を変え、来た道を戻って行った。
「何故団長が居るのに来てくれなかったんだ!」
「そ、そうよ! 騎士団も来ているのでしょう? 早く魔物を始末して!」
好き勝手に喚くマルケス達にやれやれと苦笑したハイデンは拳に「はぁー」と息を吹きかけ、ゴン、ゴン、ゴン、ゴンとゲンコツを響かせた。
「いったあぁい!」
「何をされるハイデン様!」
「君達はやらかした事の反省が必要だ。ジョージもダンも君達を助ける為に危険を犯しているんだ」
「そんなのアイツらが勝手にしているだけだ。そもそも下位のものが上位の為に命をかけられる事は光栄に思うべき──っいたあっ!」
今度はハイデンとゲルガーのダブルに落とされたゲンコツにマルケスは蹲った。
「馬鹿者! 本気でそう思っているのなら俺は容赦しない」
「ジョージとダンを侮辱する事は俺が許さない」
「まあまあ、ハイデン様、ゲルガー様抑えて抑えて。みんな怪我はない? あら、お嬢様足を捻っているのね。少し見せて」
マリアがそっとパーシーの足に触れる。
白金の優しい光がその足を包むとパーシーの表情が歪みヒックヒックとしゃくり上げ泣き出した。
つられてアンジェルも泣き出し、ダドリー、マルケスも俯きポタポタと涙を流した。
「怖かったね。もう大丈夫ですからね」
「ごめんなさい⋯⋯」
「謝るのは私にじゃないでしょ。ジョージとダン。二人にちゃんと謝ってくださいね」
しゃくり上げながら頷く四人を祠の中へ入らせ、マリアは魔法陣を発動させる。一人また一人と転移させ最後に「ジョージとダンは⋯⋯」と振り返ったマルケスにマリアは「私の息子とその騎士だもの大丈夫」だとヘラッと笑ってみせた。
「マリア! 早く来い!」
マルケスが消えた魔法陣にほっと息を吐いたマリアを呼ぶアレンの声。
驚きと喜びが混ざり合ったその声に急いで祠を出たマリアが見たもの。山に一筋の光が差し、白金に輝く光が西の山を包み込んでいる光景が広がっていた。それはとても美しく壮大なものだった。
「何が起きているんだ? 山が輝いている」
「これは⋯⋯あの時と同じ光だ」
ゲルガーとハイデンは十三年前に王都を復活させたマリアの光に似ているとその光景に見惚れ立ちすくむ。
⋯⋯ふと、足元がふわりとした。
何事かと視線を落とすとその足元に青々とした草が生え、周りの木々達もその枝葉をざわつかせながら急激な成長を始めていた。
「あの子はとうとう開花させてしまったのだな⋯⋯」
「そう、みたい。ふふっ。お祝いしないと、ね?」
清らかな風が吹き、空気が浄化されて行く。
西の山、麓の森、祠。全てが輝く。
光の世界をどれくらいの時間眺めていたのだろうか。さっと頭上を影が横切った。
マリア達が見上げると二匹の狼が空を駆ける姿。
それは白い狼と黒い狼。
ゆっくりと降りて来る影をマリアは満面の笑みで迎えた。
───────────────────
マルケス達を祠に届けたダンはジョージを追って森を駆けていた。
シロの足に追いつけるわけがないのに何としてもジョージの元へ行かなくてはならないのだとただそれだけの思いで魔物達を薙ぎ払いながら駆ける。
どっちへ行ったのか、どこに行ったのか。森は何も答えない。
しかし、不思議とダンにはジョージの居場所がわかる。
「こっちだ。無事で居てジョージ君」
ダンが窪みを飛び越えたその時。
ガサリと茂みが揺れ黒い影が飛び出して来た。
咄嗟にダンが剣を向けるとその影はヒラリとそれを避けあろう事かヒョイっとダンをその背中に乗せた。
「えっ!? 何、君。え!? シロ!? え!? 違う? 君、誰!?」
⋯⋯ボクが連れて行く⋯⋯
黒い影は真っ黒な狼。
脳裏に「黒き聖女」の聖獣は真っ黒な狼だったと甦りダンは身を強張らせた。
「えっ!? 何で!? 君「黒き聖女」の聖獣!? 何で!?」
⋯⋯しっかり掴まって⋯⋯
「ぴきゃあああっぁぁぁあ!」
ダンの悲鳴を乗せた黒い狼は大地を蹴って駆け出した。
黒い狼は風を巻き起こし、木々を避けさせ魔物を蹴散らす。落とされまいとダンは必死にしがみつきその背中に顔を埋めた。
この黒い狼からは敵意を感じない。それどころか、何故か安らぎを感じるのだ。日向の匂いがするその背中は温かくダンを包んでくれている。
「君は「黒き聖女」の聖獣じゃない⋯⋯の?」
⋯⋯ボクはボク。ただそれだけ⋯⋯
黒い狼が川を飛び越えたその先、多くの魔物に囲まれたジョージとシロの姿が見えた。
黒い狼は迷う事なく魔物の群れへと突入しタシッとジョージとシロの背後に背中合わせで着地した。
「ダン君! どうして!」
「ジョージ君と僕は友達だもん。僕はもう友達が苦しんでいる時に見ないふりをしないって決めたんだ」
二人と二匹を囲む魔物達がジリジリと間合いを詰め始めた。
シロの威嚇で一度は引いても直ぐに牙を剥く魔物達。多分絶体絶命なのだろうがジョージの心は凪いでいる。
「そう言えば、君は誰?」
ダンを乗せた黒い狼は目を細めてジョージに伏せた。当然背中のダンもジョージに伏す姿勢になりコロンと滑り落ちた。
⋯⋯ボクの聖人ジョージ。これを植えて⋯⋯
「僕の!? 君⋯⋯僕の聖獣⋯⋯なの?」
教会で教えられた歴代の聖獣はどれも「白」だった。そして黒い聖獣は「黒き聖女」の眷属だと。
しかし、シロが警戒している節はなく、ダンに至ってはその毛並みを愛おしそうに撫でている。ふにゃりとしたその表情は少しフィールに似ている気がする。
ジョージも黒い狼に対して恐怖も忌避もない。心にあるのは「彼は自分の分身」なのだという安心感だ。
黒い狼はすっと目を細めるといつのまに咥えていたのだろうか黒い狼の口に咥えられた細い枝をジョージに差し出した。
⋯⋯ジョージ。植える⋯⋯
「これを植えるの? この状況で!?」
「僕がジョージ君を守るよ」
⋯⋯ボクも! この子もジョージ守る!⋯⋯
「分かった」と座り込んだジョージの両脇に白と黒の狼が立ち、背後をダンが剣を構えた。
ジョージは枝を持ちそっと目を閉じて風を感じるように天を仰ぐ。
「グルルル」シロと黒い狼が唸る声と時折聞こえる衝撃の圧。
キィン。これはダンの剣が魔物の爪を弾いた音。
自分の為に彼らは戦ってくれているのだ。
それに応える為にジョージは両手で大地を掘る。
どうか誰も傷付きませんように、どうか魔物達に安らぎを。
そう祈りながらジョージは枝を大地に植える。
⋯⋯ジョージ! 危ない!⋯⋯
植えた枝に祈るジョージの頭上に魔物の爪が振り上げられた。
──ガキン──
「──っくっうぅっ」
振り下ろされた爪をダンの剣が受け、大きな魔物の力に押されたダンから呻き声が漏れる。
──どうかこの地に安寧を。
ジョージは深く祈る。細く、か弱く、風が吹けば折れるだろう、雨が降らなければ枯れるだろうこの頼りない枝は自分自身だ。
どうか風が吹いても折れない意思を心を繁らせる恵の雨を。
強くなりたい。強くなる──。
「ワォオォォー」
「ウォオォォー」
白と黒の狼。二匹の聖獣が咆哮をあげると大地に植えられた細い枝は白金に輝き、スクスクと天へと向かってその枝葉を伸ばし、その幹はムクムクと太さを増し、その根はグングンと力強く大地へと張って行った。
姿を現した天を衝く世界樹。ジョージはその幹に抱きつき「よろしくね」と囁く。
世界樹はそれに応えて枝葉を揺らし白金の光を辺り一面へと降り注いだ。
「君達の領域を犯してごめん。もう、安心して良いよ。僕が君達を守るから。僕が君達を受け入れる」
溢れる光の中、振り返ったジョージはニコリと笑い、魔物達に向かって両腕を広げた。一つまた一つと魔物達が光へと姿を変えその光は西の山全体から世界樹へと導かれて行く。
芽吹く草花。青い芽を揺らす木々。空気が浄化され、清らかな風が吹き、川のせせらぎは輝いた。
この時、ジョージは「聖人」として目覚めたのだった。
「⋯⋯ジョージ君。僕は君を守る騎士になる」
「やめてよダン君。友達だって言ったじゃないか」
跪くダンを慌てて立たせたジョージはその手を握りぶんぶんと振る。
「ダン君は僕の友達。そして「聖人の騎士」だ」
「⋯⋯うん⋯⋯うん。ありがとう。僕はジョージ君の友達だ」
「⋯⋯聖女じゃなくてごめん、ね? 僕、女の子が好きなんだけど」
「なっ! 何言ってるんだよ! 僕だって女の子が好きだ」
「アリーだよね。知ってる」
「や、やめてよぉお」
ダンが片想いしている子爵令嬢アリー。婚約を申し込みたいと思いながら自信が無いとグズグスしているのをジョージは知っている。そんなダンを揶揄ったジョージは「頑張れ」とダンの肩を抱き二人は声を上げて笑った。
「シロと、⋯⋯黒い聖獣。君達も、ありがとう」
⋯⋯おめでとうジョージ⋯⋯
シロがジョージに頬擦りする。しかし、黒い聖獣は一歩下がった所でどことなく羨ましそうにお座りをしてジョージを見ているだけだった。
「おいで」とジョージが手を伸ばすと遠慮がちに鼻をその手に寄せて黒い聖獣はスリっとひと撫でするだけでまた距離を置いてお座りしてしまった。
「ジョージ君。名前、つけてあげよう」
「そうだね。黒い聖獣じゃ呼び辛いよね。母さんの聖獣はシロだから、僕の聖獣、君はクロだ」
⋯⋯いい名前ボクはシロ。クロはクロだ⋯⋯
「あははっやっぱり「聖女」様とジョージ君は親子だね」
「クロ、おいで」
⋯⋯クロ、ジョージの聖獣になれる?⋯⋯
「よろしく。クロ」
近付いてくれないのなら自分が近付く。ジョージがクロの首に抱きつきその背中を撫でるとクロは愛おしそうにジョージに頬擦りを返してくれた。
ジョージはまだ知らない事が多いとクロを抱きしめる力を強めた。
「聖女」「聖人」には世界樹と聖獣の眷属がいる。
聖獣は総じて白いものとされているが、それは人が決めた狭い認識。聖獣は姿や色に拘らない存在。だからこそ聖獣なのだ。
そしてジョージは確信する「黒き聖女」が連れていた聖獣も黒く、番える「聖女」と共に魔に落ちた存在に思われているがそれは誤りだった。彼はずっと「聖女」に番える聖獣だったのだと。
「聖女」「聖人」と「聖獣」は一心同体。
だからこそ彼は「黒き聖女」と共にこの西の山に還ったのだ。
「さあ、クロ、シロ、ダン君。帰ろう」
世界樹の光が和らぎジョージはクロの背中に跨った。
シロはダンをヒョイっと背中に乗せ「ウォン」と一声上げる。続いて遠慮がちにクロが「ウォォン?」と上げた声にジョージ達は「頑張れ」と笑った。
・
・
・
「う⋯⋯うわああぁ。はぁはぁ⋯⋯」
「モフモフが二つっモフモフがっ二つも⋯⋯!」
帰還したジョージはマリアに「聖人」として世界樹を植え西の山を浄化したと報告した。
それを聞いたマリアは頷き、アレンは「よくやった」とジョージを撫でた。
そして、マリアとアレンのように、ジョージとダンは「聖人」と「聖人の騎士」になったのだと告げるとアレンが嬉しそうにダンを抱きしめ、マリアはジョージを抱きしめてくれた。
「それから、僕の聖獣。クロだよ」
クロを紹介するとハイデンとゲルガーにもみくちゃにされながらクロは「ウォン」と一声上げた。
⋯⋯ボク、クロ⋯⋯
「クロ可愛いなぁ」
「ああ、クロ可愛い」
「シロ、クロ可愛いっ」
「ああ、シロ、クロ可愛いなぁ」
⋯⋯クロ、可愛い⋯⋯
おじさん二人が蕩けた表情で二匹を堪能する姿は「奥方には見せてはいけない気がする」とアレンが苦笑する。
「似ている夫婦だから大丈夫、一緒にモフるわ」とケラケラ笑うのはマリアだ。
「さて、ハイデン様とゲルガー様は先にクリストファー様に報告してください。やんちゃ坊主達の事もお願いします」
「ジョージとダンは一度村へ帰って来い。謁見前に着替えないとな」
マルケス達を転送させた魔法陣は王都直通。それにハイデンとゲルガーを通させると、それを片付けたマリアは村への魔法陣を広げ「着替えの準備をしておくからね」と手を振った。
ジョージは魔法陣への足をふと、止めて西の山を振り返った。
光は収まり風にざわつく森の木々の奥。そこに見えるのは世界樹だ。
ふと、世界樹に並ぶ影が揺らいだ。
「どうしたの?」
「あれ⋯⋯「黒き聖女」と「聖獣」⋯⋯」
影が頭を下げ、二つの影は光の玉となり世界樹へと溶けていった気がする。
⋯⋯黒き聖女はアメジスト。黒き聖獣はオニキス⋯⋯
「あの子、オニキス⋯⋯って言うんだ。クロの兄弟?」
⋯⋯ボクはクロ。ジョージの魂から生まれた⋯⋯
「クロは僕。僕はクロだね」
⋯⋯ボクはマリアだよ。マリアはボク!⋯⋯
ぴょんぴょんとシロが跳ねるとクロも一緒に跳ねた。
「聖獣って不思議だね。それに、可愛い」
「うん。聖獣の事も、僕は知らない事が多いんだなって。まだ本物の「聖人」には程遠い」
肩をすくめたジョージの背中をダンはパシンと叩く。
咳き込んだジョージの顔をダンは覗き込みニンマリと笑った。
「そりゃあ、そうだよ。僕達はこれから知るんだから」
「そう、だね──」
「知らないなら、知れば良い」
ジョージとダンは声を揃えた。
二人は再び世界樹を振り返り両腕を高く掲げて深呼吸する。
──僕は一人じゃない。
知らないことは教わればいい。教わり、教える。自分達は達はひよっこ「聖人」と「聖人の騎士」。
二人は互いに頷き合い、見守るシロとクロに微笑み、小さな一歩を大きく踏み出した。
「きゃぁああっ!」「いやああっ!」
──キィン──
マルケス達に向けて振り下ろされた爪を金属音が防ぎ、続いてドゥっと倒れ込む音が続いた。
「マルケス立て!」
「なっ! 貴様っ誰に向かって──」
自分達を助けにきたのは気が弱く、いつも自分達の顔色を窺っているダンだった。子爵の息子如きが侯爵家の嫡子に向かって失敬だと声を上げようとしたマルケスは息を飲む。
そのダンの背後に異形の魔物が再び襲い掛かろうと影を落としていたのだ。
「──っ!」
「グアっァァあーっ!」
「ダン君! 今だ!」
牙を剥いた魔物の横腹に白い狼が噛みつき注意が逸れたその一瞬の隙を突いてダンが斬り込む。
魔物はその攻撃をまともに受けズシンと転がった。
「ダン君、マルケス達を母さんの所へ!」
「分かった! ジョージ君、気を付けて!」
「貴様らっ俺達を守らせてやる! 早くコイツらを殺せ!」
喚くマルケスの声には頷かずジョージとダンは拳をコツンと合わせてニンマリして互いに背中を向けた。
「さあっこっちだ! シロ、行くよ!」
⋯⋯うんっ。ジョージしっかり掴まってて⋯⋯
ジョージとシロは魔物の間を自分について来るようにと誘導するように縫い走る。
魔物の注意がジョージに向けられたのを瞬時に確認したダンはマルケス達に叫んだ。
「マルケス! ダドリー! アンジェル! パーシー! ついて来いっ」
「貴様に指図され──」
「つべこべ言うな! 生き延びたいなら言うことを聞け!」
ジョージが魔物を惹きつけ作り出したチャンスだ。ダンは無駄にはさせないと声を荒げてマルケス達を走らせる。
時折残っていた魔物が襲って来るのをダンはその剣捌きで払いながら少なくなったとは言え虎視眈々と自分達を狙う敵意の中を走り抜け、マリア達が待つ祠へとマルケス達を届けた。
「なっ⋯⋯ゲルガー騎士団長、ハイデン様⋯⋯」
「マルケス達をお願いします!」
マルケス達が無事に二人に保護されたのを見届けてダンはクルリと方向を変え、来た道を戻って行った。
「何故団長が居るのに来てくれなかったんだ!」
「そ、そうよ! 騎士団も来ているのでしょう? 早く魔物を始末して!」
好き勝手に喚くマルケス達にやれやれと苦笑したハイデンは拳に「はぁー」と息を吹きかけ、ゴン、ゴン、ゴン、ゴンとゲンコツを響かせた。
「いったあぁい!」
「何をされるハイデン様!」
「君達はやらかした事の反省が必要だ。ジョージもダンも君達を助ける為に危険を犯しているんだ」
「そんなのアイツらが勝手にしているだけだ。そもそも下位のものが上位の為に命をかけられる事は光栄に思うべき──っいたあっ!」
今度はハイデンとゲルガーのダブルに落とされたゲンコツにマルケスは蹲った。
「馬鹿者! 本気でそう思っているのなら俺は容赦しない」
「ジョージとダンを侮辱する事は俺が許さない」
「まあまあ、ハイデン様、ゲルガー様抑えて抑えて。みんな怪我はない? あら、お嬢様足を捻っているのね。少し見せて」
マリアがそっとパーシーの足に触れる。
白金の優しい光がその足を包むとパーシーの表情が歪みヒックヒックとしゃくり上げ泣き出した。
つられてアンジェルも泣き出し、ダドリー、マルケスも俯きポタポタと涙を流した。
「怖かったね。もう大丈夫ですからね」
「ごめんなさい⋯⋯」
「謝るのは私にじゃないでしょ。ジョージとダン。二人にちゃんと謝ってくださいね」
しゃくり上げながら頷く四人を祠の中へ入らせ、マリアは魔法陣を発動させる。一人また一人と転移させ最後に「ジョージとダンは⋯⋯」と振り返ったマルケスにマリアは「私の息子とその騎士だもの大丈夫」だとヘラッと笑ってみせた。
「マリア! 早く来い!」
マルケスが消えた魔法陣にほっと息を吐いたマリアを呼ぶアレンの声。
驚きと喜びが混ざり合ったその声に急いで祠を出たマリアが見たもの。山に一筋の光が差し、白金に輝く光が西の山を包み込んでいる光景が広がっていた。それはとても美しく壮大なものだった。
「何が起きているんだ? 山が輝いている」
「これは⋯⋯あの時と同じ光だ」
ゲルガーとハイデンは十三年前に王都を復活させたマリアの光に似ているとその光景に見惚れ立ちすくむ。
⋯⋯ふと、足元がふわりとした。
何事かと視線を落とすとその足元に青々とした草が生え、周りの木々達もその枝葉をざわつかせながら急激な成長を始めていた。
「あの子はとうとう開花させてしまったのだな⋯⋯」
「そう、みたい。ふふっ。お祝いしないと、ね?」
清らかな風が吹き、空気が浄化されて行く。
西の山、麓の森、祠。全てが輝く。
光の世界をどれくらいの時間眺めていたのだろうか。さっと頭上を影が横切った。
マリア達が見上げると二匹の狼が空を駆ける姿。
それは白い狼と黒い狼。
ゆっくりと降りて来る影をマリアは満面の笑みで迎えた。
───────────────────
マルケス達を祠に届けたダンはジョージを追って森を駆けていた。
シロの足に追いつけるわけがないのに何としてもジョージの元へ行かなくてはならないのだとただそれだけの思いで魔物達を薙ぎ払いながら駆ける。
どっちへ行ったのか、どこに行ったのか。森は何も答えない。
しかし、不思議とダンにはジョージの居場所がわかる。
「こっちだ。無事で居てジョージ君」
ダンが窪みを飛び越えたその時。
ガサリと茂みが揺れ黒い影が飛び出して来た。
咄嗟にダンが剣を向けるとその影はヒラリとそれを避けあろう事かヒョイっとダンをその背中に乗せた。
「えっ!? 何、君。え!? シロ!? え!? 違う? 君、誰!?」
⋯⋯ボクが連れて行く⋯⋯
黒い影は真っ黒な狼。
脳裏に「黒き聖女」の聖獣は真っ黒な狼だったと甦りダンは身を強張らせた。
「えっ!? 何で!? 君「黒き聖女」の聖獣!? 何で!?」
⋯⋯しっかり掴まって⋯⋯
「ぴきゃあああっぁぁぁあ!」
ダンの悲鳴を乗せた黒い狼は大地を蹴って駆け出した。
黒い狼は風を巻き起こし、木々を避けさせ魔物を蹴散らす。落とされまいとダンは必死にしがみつきその背中に顔を埋めた。
この黒い狼からは敵意を感じない。それどころか、何故か安らぎを感じるのだ。日向の匂いがするその背中は温かくダンを包んでくれている。
「君は「黒き聖女」の聖獣じゃない⋯⋯の?」
⋯⋯ボクはボク。ただそれだけ⋯⋯
黒い狼が川を飛び越えたその先、多くの魔物に囲まれたジョージとシロの姿が見えた。
黒い狼は迷う事なく魔物の群れへと突入しタシッとジョージとシロの背後に背中合わせで着地した。
「ダン君! どうして!」
「ジョージ君と僕は友達だもん。僕はもう友達が苦しんでいる時に見ないふりをしないって決めたんだ」
二人と二匹を囲む魔物達がジリジリと間合いを詰め始めた。
シロの威嚇で一度は引いても直ぐに牙を剥く魔物達。多分絶体絶命なのだろうがジョージの心は凪いでいる。
「そう言えば、君は誰?」
ダンを乗せた黒い狼は目を細めてジョージに伏せた。当然背中のダンもジョージに伏す姿勢になりコロンと滑り落ちた。
⋯⋯ボクの聖人ジョージ。これを植えて⋯⋯
「僕の!? 君⋯⋯僕の聖獣⋯⋯なの?」
教会で教えられた歴代の聖獣はどれも「白」だった。そして黒い聖獣は「黒き聖女」の眷属だと。
しかし、シロが警戒している節はなく、ダンに至ってはその毛並みを愛おしそうに撫でている。ふにゃりとしたその表情は少しフィールに似ている気がする。
ジョージも黒い狼に対して恐怖も忌避もない。心にあるのは「彼は自分の分身」なのだという安心感だ。
黒い狼はすっと目を細めるといつのまに咥えていたのだろうか黒い狼の口に咥えられた細い枝をジョージに差し出した。
⋯⋯ジョージ。植える⋯⋯
「これを植えるの? この状況で!?」
「僕がジョージ君を守るよ」
⋯⋯ボクも! この子もジョージ守る!⋯⋯
「分かった」と座り込んだジョージの両脇に白と黒の狼が立ち、背後をダンが剣を構えた。
ジョージは枝を持ちそっと目を閉じて風を感じるように天を仰ぐ。
「グルルル」シロと黒い狼が唸る声と時折聞こえる衝撃の圧。
キィン。これはダンの剣が魔物の爪を弾いた音。
自分の為に彼らは戦ってくれているのだ。
それに応える為にジョージは両手で大地を掘る。
どうか誰も傷付きませんように、どうか魔物達に安らぎを。
そう祈りながらジョージは枝を大地に植える。
⋯⋯ジョージ! 危ない!⋯⋯
植えた枝に祈るジョージの頭上に魔物の爪が振り上げられた。
──ガキン──
「──っくっうぅっ」
振り下ろされた爪をダンの剣が受け、大きな魔物の力に押されたダンから呻き声が漏れる。
──どうかこの地に安寧を。
ジョージは深く祈る。細く、か弱く、風が吹けば折れるだろう、雨が降らなければ枯れるだろうこの頼りない枝は自分自身だ。
どうか風が吹いても折れない意思を心を繁らせる恵の雨を。
強くなりたい。強くなる──。
「ワォオォォー」
「ウォオォォー」
白と黒の狼。二匹の聖獣が咆哮をあげると大地に植えられた細い枝は白金に輝き、スクスクと天へと向かってその枝葉を伸ばし、その幹はムクムクと太さを増し、その根はグングンと力強く大地へと張って行った。
姿を現した天を衝く世界樹。ジョージはその幹に抱きつき「よろしくね」と囁く。
世界樹はそれに応えて枝葉を揺らし白金の光を辺り一面へと降り注いだ。
「君達の領域を犯してごめん。もう、安心して良いよ。僕が君達を守るから。僕が君達を受け入れる」
溢れる光の中、振り返ったジョージはニコリと笑い、魔物達に向かって両腕を広げた。一つまた一つと魔物達が光へと姿を変えその光は西の山全体から世界樹へと導かれて行く。
芽吹く草花。青い芽を揺らす木々。空気が浄化され、清らかな風が吹き、川のせせらぎは輝いた。
この時、ジョージは「聖人」として目覚めたのだった。
「⋯⋯ジョージ君。僕は君を守る騎士になる」
「やめてよダン君。友達だって言ったじゃないか」
跪くダンを慌てて立たせたジョージはその手を握りぶんぶんと振る。
「ダン君は僕の友達。そして「聖人の騎士」だ」
「⋯⋯うん⋯⋯うん。ありがとう。僕はジョージ君の友達だ」
「⋯⋯聖女じゃなくてごめん、ね? 僕、女の子が好きなんだけど」
「なっ! 何言ってるんだよ! 僕だって女の子が好きだ」
「アリーだよね。知ってる」
「や、やめてよぉお」
ダンが片想いしている子爵令嬢アリー。婚約を申し込みたいと思いながら自信が無いとグズグスしているのをジョージは知っている。そんなダンを揶揄ったジョージは「頑張れ」とダンの肩を抱き二人は声を上げて笑った。
「シロと、⋯⋯黒い聖獣。君達も、ありがとう」
⋯⋯おめでとうジョージ⋯⋯
シロがジョージに頬擦りする。しかし、黒い聖獣は一歩下がった所でどことなく羨ましそうにお座りをしてジョージを見ているだけだった。
「おいで」とジョージが手を伸ばすと遠慮がちに鼻をその手に寄せて黒い聖獣はスリっとひと撫でするだけでまた距離を置いてお座りしてしまった。
「ジョージ君。名前、つけてあげよう」
「そうだね。黒い聖獣じゃ呼び辛いよね。母さんの聖獣はシロだから、僕の聖獣、君はクロだ」
⋯⋯いい名前ボクはシロ。クロはクロだ⋯⋯
「あははっやっぱり「聖女」様とジョージ君は親子だね」
「クロ、おいで」
⋯⋯クロ、ジョージの聖獣になれる?⋯⋯
「よろしく。クロ」
近付いてくれないのなら自分が近付く。ジョージがクロの首に抱きつきその背中を撫でるとクロは愛おしそうにジョージに頬擦りを返してくれた。
ジョージはまだ知らない事が多いとクロを抱きしめる力を強めた。
「聖女」「聖人」には世界樹と聖獣の眷属がいる。
聖獣は総じて白いものとされているが、それは人が決めた狭い認識。聖獣は姿や色に拘らない存在。だからこそ聖獣なのだ。
そしてジョージは確信する「黒き聖女」が連れていた聖獣も黒く、番える「聖女」と共に魔に落ちた存在に思われているがそれは誤りだった。彼はずっと「聖女」に番える聖獣だったのだと。
「聖女」「聖人」と「聖獣」は一心同体。
だからこそ彼は「黒き聖女」と共にこの西の山に還ったのだ。
「さあ、クロ、シロ、ダン君。帰ろう」
世界樹の光が和らぎジョージはクロの背中に跨った。
シロはダンをヒョイっと背中に乗せ「ウォン」と一声上げる。続いて遠慮がちにクロが「ウォォン?」と上げた声にジョージ達は「頑張れ」と笑った。
・
・
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「う⋯⋯うわああぁ。はぁはぁ⋯⋯」
「モフモフが二つっモフモフがっ二つも⋯⋯!」
帰還したジョージはマリアに「聖人」として世界樹を植え西の山を浄化したと報告した。
それを聞いたマリアは頷き、アレンは「よくやった」とジョージを撫でた。
そして、マリアとアレンのように、ジョージとダンは「聖人」と「聖人の騎士」になったのだと告げるとアレンが嬉しそうにダンを抱きしめ、マリアはジョージを抱きしめてくれた。
「それから、僕の聖獣。クロだよ」
クロを紹介するとハイデンとゲルガーにもみくちゃにされながらクロは「ウォン」と一声上げた。
⋯⋯ボク、クロ⋯⋯
「クロ可愛いなぁ」
「ああ、クロ可愛い」
「シロ、クロ可愛いっ」
「ああ、シロ、クロ可愛いなぁ」
⋯⋯クロ、可愛い⋯⋯
おじさん二人が蕩けた表情で二匹を堪能する姿は「奥方には見せてはいけない気がする」とアレンが苦笑する。
「似ている夫婦だから大丈夫、一緒にモフるわ」とケラケラ笑うのはマリアだ。
「さて、ハイデン様とゲルガー様は先にクリストファー様に報告してください。やんちゃ坊主達の事もお願いします」
「ジョージとダンは一度村へ帰って来い。謁見前に着替えないとな」
マルケス達を転送させた魔法陣は王都直通。それにハイデンとゲルガーを通させると、それを片付けたマリアは村への魔法陣を広げ「着替えの準備をしておくからね」と手を振った。
ジョージは魔法陣への足をふと、止めて西の山を振り返った。
光は収まり風にざわつく森の木々の奥。そこに見えるのは世界樹だ。
ふと、世界樹に並ぶ影が揺らいだ。
「どうしたの?」
「あれ⋯⋯「黒き聖女」と「聖獣」⋯⋯」
影が頭を下げ、二つの影は光の玉となり世界樹へと溶けていった気がする。
⋯⋯黒き聖女はアメジスト。黒き聖獣はオニキス⋯⋯
「あの子、オニキス⋯⋯って言うんだ。クロの兄弟?」
⋯⋯ボクはクロ。ジョージの魂から生まれた⋯⋯
「クロは僕。僕はクロだね」
⋯⋯ボクはマリアだよ。マリアはボク!⋯⋯
ぴょんぴょんとシロが跳ねるとクロも一緒に跳ねた。
「聖獣って不思議だね。それに、可愛い」
「うん。聖獣の事も、僕は知らない事が多いんだなって。まだ本物の「聖人」には程遠い」
肩をすくめたジョージの背中をダンはパシンと叩く。
咳き込んだジョージの顔をダンは覗き込みニンマリと笑った。
「そりゃあ、そうだよ。僕達はこれから知るんだから」
「そう、だね──」
「知らないなら、知れば良い」
ジョージとダンは声を揃えた。
二人は再び世界樹を振り返り両腕を高く掲げて深呼吸する。
──僕は一人じゃない。
知らないことは教わればいい。教わり、教える。自分達は達はひよっこ「聖人」と「聖人の騎士」。
二人は互いに頷き合い、見守るシロとクロに微笑み、小さな一歩を大きく踏み出した。