帰る場所
──三年後──
十八歳となったジョージはこの年、学園の卒業を迎えた。
学園の広間では恒例となっている卒業パーティーが開かれ思い思いに着飾り卒業を祝う生徒や保護者、招待客で賑わっている。
その賑わいの中、ジョージは広間の隅で青くなったり赤くなったりと落ち着かないダンを宥めていた。
「ど、どどどうしようちゃんと言えるかな」
「もう⋯⋯ダン君は騎士候補生から騎士団に入るんでしょ? しっかり決めなきゃ」
ジョージは学園と教会に通い「聖人」としての心構えを深め、ダンは騎士としてその腕を磨いて来た。二人がそれぞれの道を見据えた三年だった。
そして今日は一つの区切りであり新たな一歩を踏み出す日だ。
そう、ダンの緊張も無理はない。
ダンは今日、これから一世一代の大勝負に出る。
「大勝負!? そ、そんなに大変な事を僕はしようとしてるの⋯⋯」
「え、違うの? 貴族って家同士の繋がりのために結婚するんだよね? だったらダン君のしようとしてる事って異例なんじゃない?」
「⋯⋯ジョージ君、貴族も政略結婚だけじゃないよ」
相変わらず貴族に対して少し尖った認識で首を傾げるジョージのおかげでダンに落ち着きが戻った。
貴族の婚姻には重要な意味がある。一つは家の繁栄のため。もう一つは家同士の繋がりの強化だ。
この二つを同時に満たすために様々な方法が取られる。
その一つが家同士の繋がりを強くするための結婚である。
これは血筋を重視する貴族たちにとって最も重要で、そのために政略結婚という手段が使われるのだ。
つまりダンがしようとしている事は貴族の常識ではあり得ない事なのではないか。
だからこそダンはそれに挑むのだから大勝負ではないか。
「大勝負⋯⋯」
「あ、ほらアリーが見てる。ダンにダンスを誘ってもらいたいんじゃない?」
ジョージがチラリと見た先、アリーがこちらを見て微笑んでいた。
「さあ、行って」ジョージはダンの背中を押す。
姿勢を正し、アリーの元へと向かうダン。かなり緊張しているのだろう。同じ側の足と手が同時に出ている後ろ姿にジョージは「頑張れ」と小さく声援を送った。
「よう、ダンはいよいよか?」
「マルケス。うん。上手くいくと良いな」
「知ってるか? 卒業パーティーって婚約破棄がよくされる場らしい⋯⋯って、あっ⋯⋯ごめんジョージ⋯⋯」
「いいよ、母さんは昔のことだって笑ってるから」
約二十年ほど前、ジョージの母親マリアは同じこの場所で当時王太子だったクリストファーとその婚約者だった令嬢の婚約破棄の原因とされ「聖女」である事を偽りだとされて冤罪を被され、今はセイントツリーと名を変えた「咎人の村」へ流されたのだった。
軽率だったと詫びるマルケスに「目出度いパーティーでそんな風潮が横行してるのって無関係の参加者には迷惑な話だよね」とジョージは笑う。
「だなあ。どうせなら告白の場の方が盛り上がるだろうに」
マルケスは「ふられたら大惨事だけど」と笑った。
「だから、ダンの行動が少しでも流れを変えたら素敵じゃない?」
「そうだな。そうなると良いよな」
ジョージの言葉にマルケスも笑顔になる。そして二人は拳を突き合わせた。
曲が始まり中央でダンスが始まった。
アリーの手を取りぎこちなく踊るダン。表情は緊張で固まっているのだからハラハラする。
やがて、曲の終わりが近付くと踊っていた人達が脇へと下がりダンとアリーだけが中央に残された。
「俺からの贈り物だ」
マルケスは楽団と生徒に協力を依頼していたのだ。卒業パーティーを盛り上げる演出を考えていると。
「マルケス⋯⋯失敗したら大惨事だって言ったよね」
「失敗なんかしないさ。ダンとアリー嬢はこの三年しっかり関係を築いていたし、両家も異論はないそうだ」
いつの間に家同士の話を纏めていたのか。マルケスが言うには他家の婚姻でも貴族社会では敏感に反応するものらしい。縦から横から話が飛び交う。
そう言えばマルケスは侯爵家なのだと思い出せば色々と納得できる。
「なあんだ」とジョージは苦笑する。
「貴族社会の常識を破るわけじゃないんだ」
「そうでもないぞ。なにせダンは「聖人の騎士」だ。爵位は子爵家でも有望株。伯爵家、侯爵家と狙っていた貴族は多い。ダンはそれらを選ばずアリー嬢を選んだんだ。それにな、ジョージだって「聖人」なんだぞ。狙われてるんだが?」
「冗談やめてよ。僕は平民だよ。貴族じゃない」
「貴族ってな、「養子」と言うもので強引に引き入れる。ウチにジョージを養子にしないかって言って来る輩だっているんだ⋯⋯なるか? 義兄弟に」
「嫌だね。マルケスとは友達で充分」
「だよな」
ジョージとマルケスは互いにくだらない話をしたと吹き出した。
「えっ? なんで、どうして」
ダンの声が響いた。
曲が終わり、周りに誰も居なくなっている事に気付いたダンとアリーが驚きの表情で見回している。
「ダン君! 頑張れ!」
「ダン! 骨は拾ってやる!」
ジョージとマルケスの声にあわあわとしていたダンは深呼吸し、「よしっ」と気合を入れた。
それからダンはアリーの前に跪きその手を取った。
周囲の視線が集まる中、ダンはアリーを見上げる。
真っ直ぐな瞳に応えるようにアリーもダンだけを見つめる。
そして、ダンがゆっくりと口を開いた。
「アリー嬢。僕、は、貴女をお慕いしてます。どうか貴女を⋯⋯」
「守らせて下さい」そう言おうとしてダンは言葉を詰まらせた。
ダンは「聖人の騎士」アリーただ一人を守ると言えない。それは彼女に不誠実なのではないか。
「貴女を、ま、まも⋯⋯」
「ダン様。私からも宜しいですか。私は貴方の誠実さと優しさを好ましく思っております」
「アリー嬢⋯⋯。うん──どうか、僕と共に、これから先を歩んでください」
「はい。私はダン様と共に歩みたく思います」
アリーの返事に周囲が沸き立った。拍手喝采の中、二人は微笑み合い、ジョージに向かって「やったよー!」と叫ぶダンに笑いが起きた。
昔、婚約破棄の場だった学園の卒業パーティー。同じパーティーで婚約が結ばれた。
それは小さな変化なのだと思う。ただ、婚約破棄と同じにこの婚約発表も語り種になって行くのだろう。
それこそ貴族社会の常識を覆すような大騒動だったと尾鰭が付いて。
そうなれば良い。
ジョージはアリーと手を繋ぐダンに「おめでとう」と心から祝福を祈った。
────────────────────
「クロ、ジョージを頼んだぞ」
「色々なものを見て、色々な事を知って来るのよ。その話を楽しみにしてるからね。しっかり世界を回って来てね。ゆっくり旅をして良いのよ」
卒業パーティーから三日後の早朝、ジョージは旅立ちを迎えた。
「母さん⋯⋯父さんと二人きりになれるからって⋯⋯」
「あらあ? ヤキモチ? ジョージも愛してるわよ。だから旅をする事を認めたじゃない」
「危ないことは絶対にするなよ。帰りたくなったらすぐに帰って来い。それから──」
「分かってるよ父さん。母さんをよろしく」
⋯⋯クロ、ジョージを守って⋯⋯
⋯⋯ジョージ守る。クロはジョージの聖獣⋯⋯
シロとクロが鼻を寄せ擦り合う。ジョージはその微笑ましい姿に温かい気持ちを覚え、機嫌の良いマリアと心配顔のアレンにジョージは笑顔を見せた。
「それじゃ、行ってきます!」
ジョージがクロに跨がるとクロは「ウォオン」と一声上げて家族の頭上を三周回る。
ジョージを見上げたマリアとアレンは西の空へ飛んで行くジョージとクロが見えなくなるまで手を振り、シロは旅の安全を祈るように「アォオーン」と遠吠えを響かせた。
・
・
・
西の山の世界樹の幹にジョージは抱きつき、今までを思い返していた。
村での生活は楽しくて幸せに溢れていた。
クリストファーに誘われ王都の学園に通った時はマルケス達貴族の虐めにもあったが、ダンと言うかけがえのない友人と出会った。
「黒き聖女」の魔法陣を使ったマルケス達を追って来たこの西の山で「聖人」に目覚め世界樹を植えた。
王都に保管されていた「黒き聖女」の魔法陣は西の山の魔法陣があった祠に移され使用出来ないようにされた。
新たにその祠にはセイントツリー村へと繋がるマリアの魔法陣が置かれたが、旅を終えたらジョージの魔法陣と入れ替える予定だ。
旅に出ると決めてからの三年。色々な事があった。
クリストファーに王子が生まれ、ジョージは「聖人」として祝福を祈った。フィールとハイデン、ゲルガーは「黒き聖女」の魔法陣を持ち出した人物を突き止め、反クリストファー派の押さえ込みを行いクリストファー政権の地盤をより固める為に奔走している。そんな姿を見ると彼らはただのモフ好きおじさんではないのだと実感する。
和解したマルケスとダドリーは予定通り婚約者だったアンジェルとパーシーと学園卒業と同時に婚姻を結んだ。
彼らは「貴族は国を守る者」だと屋敷の門戸を開き定期的に平民や下級貴族の相談を受けている。人は変われば変わるものなのだとジョージは驚いたものだ。
そして、ダンは騎士として騎士団に入り、アリーとの婚約を結んだ。
本当なら挨拶をして出発すべきだったのだろう。
しかし、ジョージは日取りを家族以外の誰にも告げずに旅立つ事を決めた。
ジョージは村が、クリストファー達が、ダンが大好きだ。
だが、このまま村に居続けてしまえば自分はきっと甘えていつまでも知らないことばかりだろうと思えた。
旅に出て見聞を広める事が自分にとって一番良い選択だと、そう考え決意したのに別れを告げる事で旅に出る決意を揺らがせる事が怖かった。
自分が何も告げず旅に出た事を彼らは怒るかも知れない。
それでも、自分の知らない事をもっと知りたいと思う気持ちは止められない。
「ジョージ君!」
声が聞こえた方を振り返ると、そこには息を切らせたダンが立っていた。
その表情はいつもと変わらない穏やかな笑みに微かな怒りを含ませている。
「酷いじゃないか! 今日出発するなんて僕、聞いていない!」
「ダン君⋯⋯ごめん」
「村に行ったらジョージ君は旅立ったって、絶対西の山に立ち寄るだろうって「聖女のゲート」で追いかけて来て良かった。僕が引き止めるとでも思った? やっぱり一緒に行くって言うと思った? 思わないでしょう?」
ダンの問い掛けにジョージは何も言えずに俯いた。それは答えの代わりだ。
そんなジョージにダンは優しく笑いかける。
ジョージが何も告げず旅に出た理由はダンにも分かっていた。
ダンはジョージが優しいゆえに相手の意見を受け入れてしまうのだと知っている。だからこそ、相手が引き止めればジョージは相手の意思を尊重して自分の決めた事を揺らがせてしまうと。
「僕は止めないよ。一緒には行かないよ。笑って送り出す」
「ダン君⋯⋯」
「僕は「聖人の騎士」。「聖人」を信じる。だから、見送らせてよ」
そう言ってダンはジョージの手を握る。温かく力強い手にジョージは泣きそうになった。
暫く握り合った手はジョージから離された。
「ありがとう。僕は「聖人の騎士」に相応しい「聖人」としての答えを必ず見つけてくる」
「うん。待ってる。あ、でも余り遅くならないで? 僕に子供が出来たらジョージ君に祝福を祈ってもらうって決めてるんだから」
「⋯⋯えぇえー。忙しい旅になりそうだな⋯⋯」
「クリストファー陛下も二人目が出来たって言うし、確かマルケス達もだろうし⋯⋯あと、ジョージ君にも弟か妹が出来るかも知れないでしょう」
「なんだろ⋯⋯良いことなのになんか微妙な気分だよ」
そう言いながら二人は笑う。もう二度と会えない訳ではない。
「どこから回るの?」
「取り敢えずカイザー王国からかな」
「そっか⋯⋯気を付けて。──行ってらっしゃい。クロもジョージの言う事をちゃんと聞くんだよ」
「うん。行ってきます」
⋯⋯クロ、ちゃんと聞く。ダン、行ってくる⋯⋯
西の山は今日も穏やかだ。
ジョージはクロに跨がりダンに別れを告げる。
クロはダンの頭上をクルリと旋回しカイザー王国へと向けて飛び立ち、ダンはそれをいつまでも見送っていた。
────────────────────
各地で旅する「聖人」の噂が立ったのは暫くしてからだった。彼は黒い聖獣に乗り現れ、いつの間にか旅立って行くのだそう。
彼に会った人の話では困っていた事を手伝ってくれたお礼を渡そうとしたら断られたのだそうだ。
「自分は皆と変わらないただの人。聖人は「聖人の力」を使わせてもらっているだけ。凄いのは「聖人の力」で、当たり前の事をしただけ。そう言ってたよ。いやーさすが「聖人」だよ難しい事を言う」
そんな話があちこちで語られるようになった。
・
・
・
柔らかい日差しの春が過ぎ、命を輝かせるような光が注ぐ夏が過ぎ、安らぎを感じる風が通る秋が過ぎ、世界を浄化するような白い冬が過ぎ、季節が何巡かした頃。
一通の手紙がマリアの元へ届いた。
マリアが手紙を広げニッコリと微笑むとアレンとシロは頬を緩ませた。
──それから暫くして──
その日を今か今かと待ち続けた数日後。
黒い聖獣がセイントツリーへと降り立った。
マリアとアレン。その足元にシロ。
クリストファーと王妃。フィール、ハイデン、ゲルガー。
マルケスとアンジェル。ダドリーとパーシー。
そしてダンとアリー。
彼らが見上げていた空に黒い聖獣が姿を現した。その背には大きく手を振る影。
世界樹の根元に着地した黒い聖獣の背から降り立った青年は端正になった顔に穏やかな笑みをたたえて振り返った。
「ただいま」
「お帰りなさい。ジョージ、クロ」
誰もが皆、笑顔で迎える。彼らはジョージを揉みくちゃにしながら口々に帰還を喜んだ。
「立派になったな」
「さあ、話を聞かせて」
アレンとマリアに抱きしめられたジョージは懐かしさに二人を抱きしめ返す。
「お帰り。我が「聖人」殿」
「ただいま。僕の「聖人の騎士」様」
逞しくなった親友が差し出す手を握りジョージは「へへっ」と笑い返した。
「色々聞かせてもらうけど、先に紹介してくれないかな」
「へへっ。そうだね」
ジョージは後ろで待っていた女性に手を差し出す。
その女性はゆっくりとジョージの手を取ると、頬を染めてぎゅっと力を込める。ジョージはその手に自分の指を絡めるとはにかむように微笑んだ。
その表情に期待の視線が集まり、ジョージは笑って口を開いた。
「僕の、お嫁さんになってくれるひと」
「あの、私、カヤと、申します! ど、どうかよろしくおねがいっしまっ⋯⋯ああっ!」
真っ赤になりながら頭を下げたカヤが勢いのまま皆の方へと転がってしまった。
彼女を抱きとめたマリアがそのままカヤを抱きしめる。
ジョージと出会ってくれてありがとう。ジョージのそばにいてくれてありがとう。
マリアの瞳から温かい雫が溢れた。
それは、アレンも、クリストファー達も。ジョージにも。
どんな事があっても笑っていたマリアの初めて見る涙だった。
「ありがとう。カヤちゃん」
「おかあ⋯⋯様」
ジョージとカヤは顔を見合わせて微笑み合う。
二人が村をぐるりと見渡せば皆の顔には笑みが浮かんでいる。
「あっ! コラ! クロ! こんな時に、やめないか!」
⋯⋯クリストファーも飛ぶ⋯⋯
⋯⋯ボクも飛ぶ!⋯⋯
「だから! なんで! 聖獣は私を乗せたがるんだ!」
突然、シロとクロがクリストファーに戯れ、クロの背中にクリストファーをヒョイっと背負った。
「ああっ! あぁあ!」
たしゅんっ。と大地を蹴ったクロがクリストファーを乗せて世界樹をぐるりと旋回する。
後に続いたシロが「ウォオオォン」と吠えると清らかな風が吹き、小川が輝き村が暖かい空気に包まれた。
「昔からクリストファー様って動物に好かれ易いのよね」
アレンが頭を抱える隣でマリアがケラケラ笑う。
「陛下⋯⋯」
クリストファーの叫びに笑いを堪えた王妃とマルケス達。
「次は俺」
「いいや、俺」
「僕だね」
いつも通りのゲルガー達。
「僕は本当に帰って来たんだね」
「どんな事が有っても、どこに行ってもジョージ君の帰る場所はこの村だよ」
そう言ってダンが指さした先、小さな世界樹が揺れている。
「西の山の世界樹から声が聞こえてね。ひと枝持って来たら昨日、急に育ったんだよ」
世界樹もジョージの帰還を喜んでいる。そう語るダンに頷きジョージはカヤの肩を抱いて照れ臭そうに笑った。
・
・
・
旅をする「聖人」の話は各地に残されている。人助けをしていた。川の水を輝かせた。お姫様を助け出した。邪悪な竜を従えさせた⋯⋯。その語られる話の半分は御伽噺だ。
しかし旅をした「聖人」は存在した。
黒い聖獣は彼を乗せて空を駆ける。そして、どこからともなく現れては消える。
その光景は、まるで彼が本当に神であるかのような神秘性を感じさせ、その姿を見た者の中には彼を神として信仰する者まで現れたという。
しかし、彼は決して自分の事を特別だとは言わずただ一言だけ。
──自分は皆と同じ、普通の人間だよ──
こう言ったのだそうだ。
十八歳となったジョージはこの年、学園の卒業を迎えた。
学園の広間では恒例となっている卒業パーティーが開かれ思い思いに着飾り卒業を祝う生徒や保護者、招待客で賑わっている。
その賑わいの中、ジョージは広間の隅で青くなったり赤くなったりと落ち着かないダンを宥めていた。
「ど、どどどうしようちゃんと言えるかな」
「もう⋯⋯ダン君は騎士候補生から騎士団に入るんでしょ? しっかり決めなきゃ」
ジョージは学園と教会に通い「聖人」としての心構えを深め、ダンは騎士としてその腕を磨いて来た。二人がそれぞれの道を見据えた三年だった。
そして今日は一つの区切りであり新たな一歩を踏み出す日だ。
そう、ダンの緊張も無理はない。
ダンは今日、これから一世一代の大勝負に出る。
「大勝負!? そ、そんなに大変な事を僕はしようとしてるの⋯⋯」
「え、違うの? 貴族って家同士の繋がりのために結婚するんだよね? だったらダン君のしようとしてる事って異例なんじゃない?」
「⋯⋯ジョージ君、貴族も政略結婚だけじゃないよ」
相変わらず貴族に対して少し尖った認識で首を傾げるジョージのおかげでダンに落ち着きが戻った。
貴族の婚姻には重要な意味がある。一つは家の繁栄のため。もう一つは家同士の繋がりの強化だ。
この二つを同時に満たすために様々な方法が取られる。
その一つが家同士の繋がりを強くするための結婚である。
これは血筋を重視する貴族たちにとって最も重要で、そのために政略結婚という手段が使われるのだ。
つまりダンがしようとしている事は貴族の常識ではあり得ない事なのではないか。
だからこそダンはそれに挑むのだから大勝負ではないか。
「大勝負⋯⋯」
「あ、ほらアリーが見てる。ダンにダンスを誘ってもらいたいんじゃない?」
ジョージがチラリと見た先、アリーがこちらを見て微笑んでいた。
「さあ、行って」ジョージはダンの背中を押す。
姿勢を正し、アリーの元へと向かうダン。かなり緊張しているのだろう。同じ側の足と手が同時に出ている後ろ姿にジョージは「頑張れ」と小さく声援を送った。
「よう、ダンはいよいよか?」
「マルケス。うん。上手くいくと良いな」
「知ってるか? 卒業パーティーって婚約破棄がよくされる場らしい⋯⋯って、あっ⋯⋯ごめんジョージ⋯⋯」
「いいよ、母さんは昔のことだって笑ってるから」
約二十年ほど前、ジョージの母親マリアは同じこの場所で当時王太子だったクリストファーとその婚約者だった令嬢の婚約破棄の原因とされ「聖女」である事を偽りだとされて冤罪を被され、今はセイントツリーと名を変えた「咎人の村」へ流されたのだった。
軽率だったと詫びるマルケスに「目出度いパーティーでそんな風潮が横行してるのって無関係の参加者には迷惑な話だよね」とジョージは笑う。
「だなあ。どうせなら告白の場の方が盛り上がるだろうに」
マルケスは「ふられたら大惨事だけど」と笑った。
「だから、ダンの行動が少しでも流れを変えたら素敵じゃない?」
「そうだな。そうなると良いよな」
ジョージの言葉にマルケスも笑顔になる。そして二人は拳を突き合わせた。
曲が始まり中央でダンスが始まった。
アリーの手を取りぎこちなく踊るダン。表情は緊張で固まっているのだからハラハラする。
やがて、曲の終わりが近付くと踊っていた人達が脇へと下がりダンとアリーだけが中央に残された。
「俺からの贈り物だ」
マルケスは楽団と生徒に協力を依頼していたのだ。卒業パーティーを盛り上げる演出を考えていると。
「マルケス⋯⋯失敗したら大惨事だって言ったよね」
「失敗なんかしないさ。ダンとアリー嬢はこの三年しっかり関係を築いていたし、両家も異論はないそうだ」
いつの間に家同士の話を纏めていたのか。マルケスが言うには他家の婚姻でも貴族社会では敏感に反応するものらしい。縦から横から話が飛び交う。
そう言えばマルケスは侯爵家なのだと思い出せば色々と納得できる。
「なあんだ」とジョージは苦笑する。
「貴族社会の常識を破るわけじゃないんだ」
「そうでもないぞ。なにせダンは「聖人の騎士」だ。爵位は子爵家でも有望株。伯爵家、侯爵家と狙っていた貴族は多い。ダンはそれらを選ばずアリー嬢を選んだんだ。それにな、ジョージだって「聖人」なんだぞ。狙われてるんだが?」
「冗談やめてよ。僕は平民だよ。貴族じゃない」
「貴族ってな、「養子」と言うもので強引に引き入れる。ウチにジョージを養子にしないかって言って来る輩だっているんだ⋯⋯なるか? 義兄弟に」
「嫌だね。マルケスとは友達で充分」
「だよな」
ジョージとマルケスは互いにくだらない話をしたと吹き出した。
「えっ? なんで、どうして」
ダンの声が響いた。
曲が終わり、周りに誰も居なくなっている事に気付いたダンとアリーが驚きの表情で見回している。
「ダン君! 頑張れ!」
「ダン! 骨は拾ってやる!」
ジョージとマルケスの声にあわあわとしていたダンは深呼吸し、「よしっ」と気合を入れた。
それからダンはアリーの前に跪きその手を取った。
周囲の視線が集まる中、ダンはアリーを見上げる。
真っ直ぐな瞳に応えるようにアリーもダンだけを見つめる。
そして、ダンがゆっくりと口を開いた。
「アリー嬢。僕、は、貴女をお慕いしてます。どうか貴女を⋯⋯」
「守らせて下さい」そう言おうとしてダンは言葉を詰まらせた。
ダンは「聖人の騎士」アリーただ一人を守ると言えない。それは彼女に不誠実なのではないか。
「貴女を、ま、まも⋯⋯」
「ダン様。私からも宜しいですか。私は貴方の誠実さと優しさを好ましく思っております」
「アリー嬢⋯⋯。うん──どうか、僕と共に、これから先を歩んでください」
「はい。私はダン様と共に歩みたく思います」
アリーの返事に周囲が沸き立った。拍手喝采の中、二人は微笑み合い、ジョージに向かって「やったよー!」と叫ぶダンに笑いが起きた。
昔、婚約破棄の場だった学園の卒業パーティー。同じパーティーで婚約が結ばれた。
それは小さな変化なのだと思う。ただ、婚約破棄と同じにこの婚約発表も語り種になって行くのだろう。
それこそ貴族社会の常識を覆すような大騒動だったと尾鰭が付いて。
そうなれば良い。
ジョージはアリーと手を繋ぐダンに「おめでとう」と心から祝福を祈った。
────────────────────
「クロ、ジョージを頼んだぞ」
「色々なものを見て、色々な事を知って来るのよ。その話を楽しみにしてるからね。しっかり世界を回って来てね。ゆっくり旅をして良いのよ」
卒業パーティーから三日後の早朝、ジョージは旅立ちを迎えた。
「母さん⋯⋯父さんと二人きりになれるからって⋯⋯」
「あらあ? ヤキモチ? ジョージも愛してるわよ。だから旅をする事を認めたじゃない」
「危ないことは絶対にするなよ。帰りたくなったらすぐに帰って来い。それから──」
「分かってるよ父さん。母さんをよろしく」
⋯⋯クロ、ジョージを守って⋯⋯
⋯⋯ジョージ守る。クロはジョージの聖獣⋯⋯
シロとクロが鼻を寄せ擦り合う。ジョージはその微笑ましい姿に温かい気持ちを覚え、機嫌の良いマリアと心配顔のアレンにジョージは笑顔を見せた。
「それじゃ、行ってきます!」
ジョージがクロに跨がるとクロは「ウォオン」と一声上げて家族の頭上を三周回る。
ジョージを見上げたマリアとアレンは西の空へ飛んで行くジョージとクロが見えなくなるまで手を振り、シロは旅の安全を祈るように「アォオーン」と遠吠えを響かせた。
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西の山の世界樹の幹にジョージは抱きつき、今までを思い返していた。
村での生活は楽しくて幸せに溢れていた。
クリストファーに誘われ王都の学園に通った時はマルケス達貴族の虐めにもあったが、ダンと言うかけがえのない友人と出会った。
「黒き聖女」の魔法陣を使ったマルケス達を追って来たこの西の山で「聖人」に目覚め世界樹を植えた。
王都に保管されていた「黒き聖女」の魔法陣は西の山の魔法陣があった祠に移され使用出来ないようにされた。
新たにその祠にはセイントツリー村へと繋がるマリアの魔法陣が置かれたが、旅を終えたらジョージの魔法陣と入れ替える予定だ。
旅に出ると決めてからの三年。色々な事があった。
クリストファーに王子が生まれ、ジョージは「聖人」として祝福を祈った。フィールとハイデン、ゲルガーは「黒き聖女」の魔法陣を持ち出した人物を突き止め、反クリストファー派の押さえ込みを行いクリストファー政権の地盤をより固める為に奔走している。そんな姿を見ると彼らはただのモフ好きおじさんではないのだと実感する。
和解したマルケスとダドリーは予定通り婚約者だったアンジェルとパーシーと学園卒業と同時に婚姻を結んだ。
彼らは「貴族は国を守る者」だと屋敷の門戸を開き定期的に平民や下級貴族の相談を受けている。人は変われば変わるものなのだとジョージは驚いたものだ。
そして、ダンは騎士として騎士団に入り、アリーとの婚約を結んだ。
本当なら挨拶をして出発すべきだったのだろう。
しかし、ジョージは日取りを家族以外の誰にも告げずに旅立つ事を決めた。
ジョージは村が、クリストファー達が、ダンが大好きだ。
だが、このまま村に居続けてしまえば自分はきっと甘えていつまでも知らないことばかりだろうと思えた。
旅に出て見聞を広める事が自分にとって一番良い選択だと、そう考え決意したのに別れを告げる事で旅に出る決意を揺らがせる事が怖かった。
自分が何も告げず旅に出た事を彼らは怒るかも知れない。
それでも、自分の知らない事をもっと知りたいと思う気持ちは止められない。
「ジョージ君!」
声が聞こえた方を振り返ると、そこには息を切らせたダンが立っていた。
その表情はいつもと変わらない穏やかな笑みに微かな怒りを含ませている。
「酷いじゃないか! 今日出発するなんて僕、聞いていない!」
「ダン君⋯⋯ごめん」
「村に行ったらジョージ君は旅立ったって、絶対西の山に立ち寄るだろうって「聖女のゲート」で追いかけて来て良かった。僕が引き止めるとでも思った? やっぱり一緒に行くって言うと思った? 思わないでしょう?」
ダンの問い掛けにジョージは何も言えずに俯いた。それは答えの代わりだ。
そんなジョージにダンは優しく笑いかける。
ジョージが何も告げず旅に出た理由はダンにも分かっていた。
ダンはジョージが優しいゆえに相手の意見を受け入れてしまうのだと知っている。だからこそ、相手が引き止めればジョージは相手の意思を尊重して自分の決めた事を揺らがせてしまうと。
「僕は止めないよ。一緒には行かないよ。笑って送り出す」
「ダン君⋯⋯」
「僕は「聖人の騎士」。「聖人」を信じる。だから、見送らせてよ」
そう言ってダンはジョージの手を握る。温かく力強い手にジョージは泣きそうになった。
暫く握り合った手はジョージから離された。
「ありがとう。僕は「聖人の騎士」に相応しい「聖人」としての答えを必ず見つけてくる」
「うん。待ってる。あ、でも余り遅くならないで? 僕に子供が出来たらジョージ君に祝福を祈ってもらうって決めてるんだから」
「⋯⋯えぇえー。忙しい旅になりそうだな⋯⋯」
「クリストファー陛下も二人目が出来たって言うし、確かマルケス達もだろうし⋯⋯あと、ジョージ君にも弟か妹が出来るかも知れないでしょう」
「なんだろ⋯⋯良いことなのになんか微妙な気分だよ」
そう言いながら二人は笑う。もう二度と会えない訳ではない。
「どこから回るの?」
「取り敢えずカイザー王国からかな」
「そっか⋯⋯気を付けて。──行ってらっしゃい。クロもジョージの言う事をちゃんと聞くんだよ」
「うん。行ってきます」
⋯⋯クロ、ちゃんと聞く。ダン、行ってくる⋯⋯
西の山は今日も穏やかだ。
ジョージはクロに跨がりダンに別れを告げる。
クロはダンの頭上をクルリと旋回しカイザー王国へと向けて飛び立ち、ダンはそれをいつまでも見送っていた。
────────────────────
各地で旅する「聖人」の噂が立ったのは暫くしてからだった。彼は黒い聖獣に乗り現れ、いつの間にか旅立って行くのだそう。
彼に会った人の話では困っていた事を手伝ってくれたお礼を渡そうとしたら断られたのだそうだ。
「自分は皆と変わらないただの人。聖人は「聖人の力」を使わせてもらっているだけ。凄いのは「聖人の力」で、当たり前の事をしただけ。そう言ってたよ。いやーさすが「聖人」だよ難しい事を言う」
そんな話があちこちで語られるようになった。
・
・
・
柔らかい日差しの春が過ぎ、命を輝かせるような光が注ぐ夏が過ぎ、安らぎを感じる風が通る秋が過ぎ、世界を浄化するような白い冬が過ぎ、季節が何巡かした頃。
一通の手紙がマリアの元へ届いた。
マリアが手紙を広げニッコリと微笑むとアレンとシロは頬を緩ませた。
──それから暫くして──
その日を今か今かと待ち続けた数日後。
黒い聖獣がセイントツリーへと降り立った。
マリアとアレン。その足元にシロ。
クリストファーと王妃。フィール、ハイデン、ゲルガー。
マルケスとアンジェル。ダドリーとパーシー。
そしてダンとアリー。
彼らが見上げていた空に黒い聖獣が姿を現した。その背には大きく手を振る影。
世界樹の根元に着地した黒い聖獣の背から降り立った青年は端正になった顔に穏やかな笑みをたたえて振り返った。
「ただいま」
「お帰りなさい。ジョージ、クロ」
誰もが皆、笑顔で迎える。彼らはジョージを揉みくちゃにしながら口々に帰還を喜んだ。
「立派になったな」
「さあ、話を聞かせて」
アレンとマリアに抱きしめられたジョージは懐かしさに二人を抱きしめ返す。
「お帰り。我が「聖人」殿」
「ただいま。僕の「聖人の騎士」様」
逞しくなった親友が差し出す手を握りジョージは「へへっ」と笑い返した。
「色々聞かせてもらうけど、先に紹介してくれないかな」
「へへっ。そうだね」
ジョージは後ろで待っていた女性に手を差し出す。
その女性はゆっくりとジョージの手を取ると、頬を染めてぎゅっと力を込める。ジョージはその手に自分の指を絡めるとはにかむように微笑んだ。
その表情に期待の視線が集まり、ジョージは笑って口を開いた。
「僕の、お嫁さんになってくれるひと」
「あの、私、カヤと、申します! ど、どうかよろしくおねがいっしまっ⋯⋯ああっ!」
真っ赤になりながら頭を下げたカヤが勢いのまま皆の方へと転がってしまった。
彼女を抱きとめたマリアがそのままカヤを抱きしめる。
ジョージと出会ってくれてありがとう。ジョージのそばにいてくれてありがとう。
マリアの瞳から温かい雫が溢れた。
それは、アレンも、クリストファー達も。ジョージにも。
どんな事があっても笑っていたマリアの初めて見る涙だった。
「ありがとう。カヤちゃん」
「おかあ⋯⋯様」
ジョージとカヤは顔を見合わせて微笑み合う。
二人が村をぐるりと見渡せば皆の顔には笑みが浮かんでいる。
「あっ! コラ! クロ! こんな時に、やめないか!」
⋯⋯クリストファーも飛ぶ⋯⋯
⋯⋯ボクも飛ぶ!⋯⋯
「だから! なんで! 聖獣は私を乗せたがるんだ!」
突然、シロとクロがクリストファーに戯れ、クロの背中にクリストファーをヒョイっと背負った。
「ああっ! あぁあ!」
たしゅんっ。と大地を蹴ったクロがクリストファーを乗せて世界樹をぐるりと旋回する。
後に続いたシロが「ウォオオォン」と吠えると清らかな風が吹き、小川が輝き村が暖かい空気に包まれた。
「昔からクリストファー様って動物に好かれ易いのよね」
アレンが頭を抱える隣でマリアがケラケラ笑う。
「陛下⋯⋯」
クリストファーの叫びに笑いを堪えた王妃とマルケス達。
「次は俺」
「いいや、俺」
「僕だね」
いつも通りのゲルガー達。
「僕は本当に帰って来たんだね」
「どんな事が有っても、どこに行ってもジョージ君の帰る場所はこの村だよ」
そう言ってダンが指さした先、小さな世界樹が揺れている。
「西の山の世界樹から声が聞こえてね。ひと枝持って来たら昨日、急に育ったんだよ」
世界樹もジョージの帰還を喜んでいる。そう語るダンに頷きジョージはカヤの肩を抱いて照れ臭そうに笑った。
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旅をする「聖人」の話は各地に残されている。人助けをしていた。川の水を輝かせた。お姫様を助け出した。邪悪な竜を従えさせた⋯⋯。その語られる話の半分は御伽噺だ。
しかし旅をした「聖人」は存在した。
黒い聖獣は彼を乗せて空を駆ける。そして、どこからともなく現れては消える。
その光景は、まるで彼が本当に神であるかのような神秘性を感じさせ、その姿を見た者の中には彼を神として信仰する者まで現れたという。
しかし、彼は決して自分の事を特別だとは言わずただ一言だけ。
──自分は皆と同じ、普通の人間だよ──
こう言ったのだそうだ。