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作者: 真名鶴
5.イロノナイマチ
 何だそれ、と言われて初めてスケッチブックを覗き込まれていることに気付いた。ここで慌ててスケッチブックを閉じてしまえば、逆に興味を惹いてしまうのかもしれない。そう思うとそんなことはできず、何でもないようにゆっくりとスケッチブックを閉じた。
 放課後の教室はざわめていて、うるさくて、きらいだ。
 そもそも教室という場所が嫌なのだ。四角くて、四角四面で、何もかもを同じにしようとする。人類みな平等だなんて、クソ食らえ。
「絵を描いてた」
「漫画とかの絵じゃなくて?」
「そういうのは描かない」
 描けないではなくて、描かない。
 そういうものの方が一般的なのだと知っていても、描かない。描きたいものではないから、描かないだけ。このぐるぐるとめぐりめぐる頭の中をどうにかするのに、漫画の絵では駄目なのだ。
 別に誰かに褒めてほしいわけじゃない。
 誰かに理解を求めるわけじゃない。
 頭の中のぐるぐるを詰め込んで叩きつけて、そういうものが俺の絵だから。そんなの誰も見ないよと言われても、誰に何を言われても。
「色塗りは?」
「しない」
 白と黒。
 黒の濃淡。
 それだけで良かった。わざわざ色鉛筆を出したり、絵の具を出したり、そういうこともない。ただ鉛筆一本で、この頭の中をどうにかする。
 どうせ色を塗ったって、ぐちゃぐちゃになって最後は黒だ。
「さっきのは灰色の町みたいなのだったな」
「そうだけど。あれはイロノナイマチだから」
 閉ざしたスケッチブックの中の街並みは、荒れ果てて壊れている。その中にひとり人間を描こうとして、手を止めたのだ。
 荒れ果てた町の中で、朽ちるもの。そうして朽ち果ててしまえればきっと楽なのだ。世界も何もかも全部全部ぐちゃぐちゃに壊れて、生きているものはひとつもない。
「絵のタイトルか?」
「そんなとこ」
 ああ、こんな風に喋っている時間だっていやになる。
 どうせ理解できないくせに。別に理解しようとしなくていい。理解なんて気持ちが悪い。
「へえ、変なの」
 何でもないことのように言われたことばに、ああやっぱりかというものしか浮かんでこない。理解なんてものは要らない。理解しようとしなくていい。
 けれどそれなら、どうか口を閉ざしておいて欲しい。
「そうだね。俺もそう思う」
 こころにもないことを、言うしかない。
 俺は変なのか。きっと変なのだろう。でも別にそれを口にしようだなんて思っていない。
 でもこうして迎合して、おかしくないふりをして。頭の中はまたもぐるぐるとしはじめる。もうどこかに行ってくれと、それを口にすることもできないで。
 白い。
 しろいしろい。
 スケッチブックの端から見える白さが、気持ち悪い。
「俺、帰る」
「そっか。また明日」
 何を思って声をかけてくるのかも分からない相手に挨拶をして、リュックを背負って教室を出る。
 四角い。真四角で、みんなみんな同じように。にんげんはびょうどうである、だなんて、決して平等にできない部分がいくらでもあるのに。
 学校はきっと、檻なのだ。みんなみんな同じようにして、それから放逐するための。
 個性を大事にと言いながら、こういう場所は真逆を突き進む。そうしていつか社会に放り出されたときに、その足が止まるのだ。
 だってみんな同じであることが正しいことだったはずなのに、と。
 イロノナイマチで朽ちていく。あれは人間なのか、それとも機械なのか。朽ち果てた少女の姿を描き、そこにむき出しのコードでも描けば機械になるか。
 別に褒められたいわけじゃない。
 人を褒める言葉を紡ぐことだって、苦痛じゃない。
 すごいね。すごいね。素晴らしいね。そうして人には水をやる。
 ああ、でも。
 一切水を与えられないのならば、いつか俺は枯れていく。人に水をやって、人を褒めて、そうして一人で枯れていくのだ。
「描かなきゃ」
 イロノナイマチに、やはり少女を足さなければ。
 彼女が何かなど俺には分からない。ただこの頭の中に生まれてきたものを、見えてしまったものを、あの真っ白の上に描かねば頭が壊れる。
 白いものは汚れていく。白いものはすぐに黒くなる。
 汚れて、汚れて、そして最後には捨てるのだ。
「描かなきゃ」
 少女は何者だ。
 彼女は人間なのか、それとも機械か。
 人間であったのならば、朽ちることに恐怖はあるか。けれど頭の中にいる少女はうっすら微笑んですらもいて、その恐怖心すらも見えてはこない。
 イロノナイマチで、少女が朽ちる。
 ただ描かなきゃと繰り返して、駆けて、駆けて。駅のところではがたんごとんと音がする。
 ちょうど駅のホームにやってきた電車に飛び乗った。
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