N39D2b ready-5/6: 可能 2
静かに座る時間が動いていた時間を上回った。体感でなく現実に。
防風林の外で目立つ動きといえば、たまに銃声らしき短い音が聞こえたり、ドローンが飛ぶ様子が見えた程度だった。木々が並ぶ奥までは強い音しか届けられない。
潮風が吹き付ければ一見して通り抜けそうでも、木々が流れを左右へ割る。直進できない障害物が幾重にも並ぶ。蛇のようにうねれば隙間ひとつを簡単に通れても、隙間すべてを同時に通ろうとしたら蛇同士が次の障害物になる。風も同様に、正面衝突して勢いを殺ぐ。
あやは一応、左腕で電波を確認してはいるが、内容を解読するほどの気力はなかった。ごく短いノイズのような電波が一度だけの他は、都会の喧騒から離れて静かだった。
静かすぎて刺激がないから、おしゃべりを始めるまで時間はかからなかった。あやもリティスも積もる話がある。相手の人生に何があって、何がなくて、どう影響するか。先攻はあや、家族間のやりとりを語った。
「納得しました。彩さんにとっての蓮堂さんがいかに大きいか」
「でしょ。楽しみにしてよ」
「うまく行ってくれたらいいっすけど」
敵対勢力から仲間に引き込むとは、理想的な結果ではあるが、だからこそ防ぐ手立ての価値も高まる。奪われるくらいならば殺してしまえと考えるのが最も単純で、他には次から奪いたくないと後悔させるとか、奪わせて狙い目として使うとか、アイデア次第でいくらでも広げられる。
『レディ・メイド』はごく狭い役目を担う。親組織の正体は隠れているが、気配だけは伝わっていて、遥か遠くで風が吹けば桶屋を経由して客足が増える。底が知れないとは恐ろしい。身近な乱暴者よりも。
話の途中で、水平線ちかくの雲が光った。リティスとは別の暗号文、オオヤからあやや蓮堂への連絡だ。
内容は『沈黙』と『追跡』すなわち劣勢を気取られたか目的を果たされたかでの撤退が始まった。それをオオヤの部下が追う。
あやの説明を半信半疑で、あるいは感心したような顔で、リティスは頷いた。
「あの人たちを沈黙させるって大したもんすよ。何者っすか」
「あたしもわかんない。最近すこし挨拶したくらいだし」
「蓮堂さんの友達っすかね」
「たぶんね。ところで、どのぐらい知ってるのよ、あの人たちのこと」
家族の話が途中だった。リティスの番だ。
「デザイナーズベイビーって知ってますかね」
記事で読んだことがある。生まれは二〇二〇年代初頭の中国だった。本物かフェイク記事か、本物だとして信憑性はとかを考えなかった頃だ。それで生まれた子供が成人したニュースに軽く書かれていた。
「ゲノム編集じゃなくて、もちろん並行してやってるかもしれないっすけど、とにかくうちらはみんなそうみたいです」
「聞かされたんだ」
「はっきりではないっすけど。るるさんって分かりますか、さっき椎奈さんを抱えて帰ったあの人」
苦い相手だ。屋上から見下ろしている所へ手を振られなければ何事もなく終わるはずの仕事だった。
「彼女のお腹にいる子、拾ってきた精子っすよ。家事代行の顔でごみ箱から採取して、シャーレの上で選別しての人工授精です。親も含めて女だらけの大世帯がこうして作られていた、と」
確率がゼロでない限り、手品師が何度でも繰り返す。あやの前に現れたのはすべて、未来翔か犬山成美の娘と聞かされた。父親は各地の成功者で、遺伝的に強い個体ばかりが産まれてくる。健康さや賢さはもちろん、連中が求める性格も。
「ところがうちは、たったひとりの失敗作ですって。選別にミスがあったとかで」
リティスは目を逸らして、場違いに明るく語った。強がりは明白だった。強い否定を自分で使っておけば相手の否定がそれよりも弱くなる。技術としては知っているけど、あやは悲しい。そんな手段に頼るようになった環境が確かに目の前にある。
けれども否定はできない。半端な考えでは下手な気休めが関の山で、それなら何も言わない方がマシだ。こんなときは話を逸らすのが常套で、逸らす先が露骨ではいけない。ではどこに? 自分自身の生い立ちにまで関わる話から逸らすなど、露骨にならないはずがない。同等に重要な話なんか。
「すみません、重くなっちゃいました。そんな血縁者の割振りっすけど、崖下にいる取引隊が雨宮鼓と鈴林春花とうち、護衛隊がさっきの椎奈さんとるるさん、司令塔が黒田凛丹とキノさん、で全部っす。船で拾いに来る人は、誰も聞かされてないみたいっす」
助け船だ。リティスが自分から話題を変えてくれた。こういう気配りができるあたり、失敗作と言われて肯定するには苦しい。
「取引って、何を?」
「謎の物体っす。すみません、信用されてなくて、聞けませんでした」
「仕方なしだね。あたしも聞いてないものが急に出てきたことあるし」
「にしても急に椎奈さんの方へ行けって言われたときは驚きましたよ。崖を登る間にも、上の方から花粉が落ちてくるんですもん」
その取引隊が逃げるには、海を泳ぐしか道はない。崖下の地形はあやも見ていた。退路を断って船に拾わせれば逃げ道も潰せたところを、蓮堂はそうでない計画にした。受け渡しを阻止したいか、逃げ道を用意して追う計画かだ。
「そうだ、これ受け取ってくださいよ」
リティスはブラジャーに隠し持っていたものを出した。小さなジッパーバッグ、中にはいくつかの細いものが入っている。
「毛?」
「そう、うちの血縁者たちの髪です。遺伝子検査とか、きっとできるでしょうし」
本当にできるかはわからないが、少なくとも信用を築く手土産にはなりそうな気がした。『レディ・メイド』で会っていない者の毛は持っていない。
信用のための手土産をポケットにしまった。見た目こそただのゴミと同じでも、リティスがこれを渡す様子からは大人の色気を感じた。
防風林の外で目立つ動きといえば、たまに銃声らしき短い音が聞こえたり、ドローンが飛ぶ様子が見えた程度だった。木々が並ぶ奥までは強い音しか届けられない。
潮風が吹き付ければ一見して通り抜けそうでも、木々が流れを左右へ割る。直進できない障害物が幾重にも並ぶ。蛇のようにうねれば隙間ひとつを簡単に通れても、隙間すべてを同時に通ろうとしたら蛇同士が次の障害物になる。風も同様に、正面衝突して勢いを殺ぐ。
あやは一応、左腕で電波を確認してはいるが、内容を解読するほどの気力はなかった。ごく短いノイズのような電波が一度だけの他は、都会の喧騒から離れて静かだった。
静かすぎて刺激がないから、おしゃべりを始めるまで時間はかからなかった。あやもリティスも積もる話がある。相手の人生に何があって、何がなくて、どう影響するか。先攻はあや、家族間のやりとりを語った。
「納得しました。彩さんにとっての蓮堂さんがいかに大きいか」
「でしょ。楽しみにしてよ」
「うまく行ってくれたらいいっすけど」
敵対勢力から仲間に引き込むとは、理想的な結果ではあるが、だからこそ防ぐ手立ての価値も高まる。奪われるくらいならば殺してしまえと考えるのが最も単純で、他には次から奪いたくないと後悔させるとか、奪わせて狙い目として使うとか、アイデア次第でいくらでも広げられる。
『レディ・メイド』はごく狭い役目を担う。親組織の正体は隠れているが、気配だけは伝わっていて、遥か遠くで風が吹けば桶屋を経由して客足が増える。底が知れないとは恐ろしい。身近な乱暴者よりも。
話の途中で、水平線ちかくの雲が光った。リティスとは別の暗号文、オオヤからあやや蓮堂への連絡だ。
内容は『沈黙』と『追跡』すなわち劣勢を気取られたか目的を果たされたかでの撤退が始まった。それをオオヤの部下が追う。
あやの説明を半信半疑で、あるいは感心したような顔で、リティスは頷いた。
「あの人たちを沈黙させるって大したもんすよ。何者っすか」
「あたしもわかんない。最近すこし挨拶したくらいだし」
「蓮堂さんの友達っすかね」
「たぶんね。ところで、どのぐらい知ってるのよ、あの人たちのこと」
家族の話が途中だった。リティスの番だ。
「デザイナーズベイビーって知ってますかね」
記事で読んだことがある。生まれは二〇二〇年代初頭の中国だった。本物かフェイク記事か、本物だとして信憑性はとかを考えなかった頃だ。それで生まれた子供が成人したニュースに軽く書かれていた。
「ゲノム編集じゃなくて、もちろん並行してやってるかもしれないっすけど、とにかくうちらはみんなそうみたいです」
「聞かされたんだ」
「はっきりではないっすけど。るるさんって分かりますか、さっき椎奈さんを抱えて帰ったあの人」
苦い相手だ。屋上から見下ろしている所へ手を振られなければ何事もなく終わるはずの仕事だった。
「彼女のお腹にいる子、拾ってきた精子っすよ。家事代行の顔でごみ箱から採取して、シャーレの上で選別しての人工授精です。親も含めて女だらけの大世帯がこうして作られていた、と」
確率がゼロでない限り、手品師が何度でも繰り返す。あやの前に現れたのはすべて、未来翔か犬山成美の娘と聞かされた。父親は各地の成功者で、遺伝的に強い個体ばかりが産まれてくる。健康さや賢さはもちろん、連中が求める性格も。
「ところがうちは、たったひとりの失敗作ですって。選別にミスがあったとかで」
リティスは目を逸らして、場違いに明るく語った。強がりは明白だった。強い否定を自分で使っておけば相手の否定がそれよりも弱くなる。技術としては知っているけど、あやは悲しい。そんな手段に頼るようになった環境が確かに目の前にある。
けれども否定はできない。半端な考えでは下手な気休めが関の山で、それなら何も言わない方がマシだ。こんなときは話を逸らすのが常套で、逸らす先が露骨ではいけない。ではどこに? 自分自身の生い立ちにまで関わる話から逸らすなど、露骨にならないはずがない。同等に重要な話なんか。
「すみません、重くなっちゃいました。そんな血縁者の割振りっすけど、崖下にいる取引隊が雨宮鼓と鈴林春花とうち、護衛隊がさっきの椎奈さんとるるさん、司令塔が黒田凛丹とキノさん、で全部っす。船で拾いに来る人は、誰も聞かされてないみたいっす」
助け船だ。リティスが自分から話題を変えてくれた。こういう気配りができるあたり、失敗作と言われて肯定するには苦しい。
「取引って、何を?」
「謎の物体っす。すみません、信用されてなくて、聞けませんでした」
「仕方なしだね。あたしも聞いてないものが急に出てきたことあるし」
「にしても急に椎奈さんの方へ行けって言われたときは驚きましたよ。崖を登る間にも、上の方から花粉が落ちてくるんですもん」
その取引隊が逃げるには、海を泳ぐしか道はない。崖下の地形はあやも見ていた。退路を断って船に拾わせれば逃げ道も潰せたところを、蓮堂はそうでない計画にした。受け渡しを阻止したいか、逃げ道を用意して追う計画かだ。
「そうだ、これ受け取ってくださいよ」
リティスはブラジャーに隠し持っていたものを出した。小さなジッパーバッグ、中にはいくつかの細いものが入っている。
「毛?」
「そう、うちの血縁者たちの髪です。遺伝子検査とか、きっとできるでしょうし」
本当にできるかはわからないが、少なくとも信用を築く手土産にはなりそうな気がした。『レディ・メイド』で会っていない者の毛は持っていない。
信用のための手土産をポケットにしまった。見た目こそただのゴミと同じでも、リティスがこれを渡す様子からは大人の色気を感じた。