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作者: 喉飴かりん
残酷な描写あり
閑話
 戦争調査隊に就職したいです、と書いた電報をチャグに返信した翌朝。チャグからさっそく「週末の午後二時頃、僕の家に来て。履歴書の書き方を教えてあげるから」という返事が届いた。文面の下にはチャグ宅の住所が記載されていた。

 就職するのに履歴書というものが必要だなんて初めて知り、一体何を書けばいいのか今から不安になった。

 指定された当日、ヨト駅からアサ町へ向かい、旅客自動車に乗って運転手にチャグ宅の住所を教えた。閑静な住宅街の中を進み、約束の午後二時頃にチャグ宅に着く。最初来たときは真っ暗だったからよく見えなかったけれど、中流階級の木造二階建て一軒家で玄関前に小さな庭と車庫がある。

 呼び出し鈴を鳴らして暫しすると扉が開き、割烹着姿のおばさんが出てきて笑顔で出迎えた。

「ユミンちゃん! お久しぶりね!」
 
 ずっとあなたを待っていたのよ! と言わんばかりにおばさんの声は弾んでいた。おばさんの明るさに気圧されつつ、私は挨拶する。

「あ⋯⋯チャグのお母さん、お久しぶりです」

 おばさんの脇を通って真っ白な中型犬のリョギが飛び出てきて、私の周りをぐるぐる回り出す。三角の耳をぴんと立て、ふさふさの尻尾をぶんぶん激しく振っている。どうやらわんこにも熱烈に歓迎されているようだ。
 おばさんも、リョギも、そんなに私が来たのが嬉しいのか。一人と一匹の熱い出迎えに私は半ば混乱し、硬直してしまう。棒立ちになっている私の手をおばさんがぐいっと掴んで、玄関口まで引っ張っていった。

「さぁ、入って」

「は、はい⋯⋯」

 おばさんに促されて私は玄関に入り、かまちで靴を脱いだ。玄関を上がって居間に入ると、食卓の椅子に座るチャグの姿が目に入った。彼の前には複数枚の白い紙と万年筆、鉛筆が置かれている。

 あの白紙が履歴書だろうか。紙がたくさん置かれているが、まさかあの紙数枚にびっしりと履歴を書かなければいけないのだろうか。小卒の資格と農業という職歴以外何も書くことがないのに! と私は焦った。

 私が焦っていることなどちっとも気づいていないように、チャグはにこにこ笑いながら挨拶してきた。  

「こんにちは。お久だね。四ヶ月ぶりかな?」

「お久しぶりです、チャグさん⋯⋯」

「じゃ、さっそく履歴書の書き方を教えるから。座って」

 チャグの隣に座り、彼に書き方を教わりながら履歴書に名前、生年月日、年齢、住所を鉛筆で下書きしていく。最後に仕事の志望動機を書くことになった。

「志望動機⋯⋯って?」

「なぜこのお仕事に就きたいのかって理由さ。読んだ人が『この人を採用したいな』と思う文を書くんだ」

 なぜ戦争調査隊に入りたいのか。ヤケ村から距離を置くため出稼ぎしたいからという理由以外何もない。だが、それだとなぜ数多ある仕事の中からわざわざ戦争調査隊を選んで就職したいと思ったのか教えて、という採用側の求めている適切な答えにはならない気がする。他の良い理由が思い浮かばず焦りがさらなる焦りを生み、私は頭を抱えてチャグに訊いた。

「村から出稼ぎしたいから頑張ります⋯⋯じゃ駄目ですか?」

 チャグは苦笑混じりに頷いた。

「それは駄目かな。うーん、いい例としては『自分はこういうことが得意なのでこの特技を仕事に活かしたいです』、という感じかな」

 いきなり難問にぶつかってしまった。

「自分の得意を仕事に活かす?⋯⋯でも、私に仕事に使えそうな得意分野なんてありません。農作業と歴史が得意ってことくらいしか⋯⋯」

 チャグは「それだ!」と言うように卓上を手で軽く叩き、声を弾ませて言った。

「それだよ、ユミンちゃん! 戦争調査隊では戦史とか戦況報告書とか読まないといけない時もあるから、情報を読み解く能力は必須だ。まだ小等生で難解な戦況報告書を読めたユミンちゃんは、いい即戦力になるよ」

「私が、即戦力?」

「十分そうだと思うよ、僕は」

 チャグの鋭く細められた目から『僕は本当にユミンちゃんが即戦力だと思っているよ』という真剣さが伝わってきて、自然と背筋が伸びた。
 今まで誰の役にも立てなかった自分を、チャグは必要としてくれているのかもしれない。そう考えると彼のご厚意を無下にするわけにはいかず、もう後には引けない気持ちになってきた。

「たくさんの戦況報告書を読んで当時のことを調べ、お父さんの属していた部隊の基地がある場所を突き止めました、って書いてみようか。これは凄くいいネタになるよ」

「そのネタで、大丈夫なんですか?」

 チャグは自信ありげに頷く。

「大丈夫。それで行こう」

 それからチャグの考えた文章を私は志望動機欄に下書きしていった。私ではとても書けそうにない巧みな文に思わず舌を巻く。これなら書類選考は通るかもしれない。

 そう期待に胸を踊らせる一方、私は自分の不甲斐なさに呆れていた。

 自分はチャグを平和ボケ脳と馬鹿にしておきながら、結局彼がいなければ何もできない愚かで弱っちい小娘だ。

 私は片手で頭を抱え、嘆く。

「私は、チャグに助けられてばかりね」

 チャグは苦笑混じりに言った。

「何言ってんのさ、君を助けるのが僕の仕事だもの」

「ありがとう」

 村に手足を拘束され身動きが取れない私を唯一解放してくれるのはチャグだけだ。彼を平和ボケ脳だなんてもう罵っちゃいけないな、と私は反省するのだった。

 志望動機を書き終えると、鉛筆で下書きした箇所全てを万年筆で清書した。一時間後にやっと履歴書を書き終え、ひたすら筆を動かし痺れた片手を揉んで私はあくびした。

 チャグが笑顔を浮かべて拍手する。

「はい、よくできました」

 緊張で強張っていた肩がほぐれ、私は脱力し椅子にもたれかかる。

「やっと⋯⋯履歴書が出来上がったんですね」

「うん。あとは写真を貼り付けて役所に提出するだけだ」

 続いて外に出て写真屋で証明写真を撮り、履歴書に貼り付ける。出来上がった履歴書を郵便局に出し、後は書類選考の可否を待つのみとなった。

 チャグ宅を出て汽車に乗る。汽車に揺られる中、私は窓越しを流れる景色を眺めながら「もし落ちたらどうしよう」と緊張で身を硬くしていた。落選したら、村人たちと毎日顔を合わせなければならない日々が延々と続くことだろう。そうならないためにもどうか私を落とさないで⋯⋯と日頃恨んでいる神様にこの日だけは祈りを捧げた。

 帰宅して三日後、書類選考通過の通知書が自宅に届いた。神様はどうやら私に微笑んでくれたようだ。チャグに合格したと知らせてまた一週間後、今度はユゴ市役所の歴史課にて二次選考である面接を受けることになった。

 この一週間連日、早朝に畑仕事を終えるとチャグ宅へ向かい、彼と共に面接の練習を朝から夕まで受けた。扉の開け方から挨拶の仕方まで全て徹底的に仕込み、質疑応答の練習ではチャグが面接官役をやって質問を出し、私は一つ一つ答えていく。

 チャグ宅の食卓を面接会場代わりにして、質疑応答の練習を執り行った。向かいの椅子に座るチャグがさっそく質問を出してくる。

「戦争調査隊に就職したいと思った理由は何ですか?」

 緊張で震える両手を膝の上で硬く握りながら、私は一つ一つの言葉を振り絞るように志望動機を語る。

「私は父が戦争中どこで何をやっていたのか知りたくて、戦況報告書を読み――」

 志望動機は履歴書に書いたとおりのことを丸暗記して語ればいいのだが、カンペもないし面接官の顔を終始じっと見ながら話さなきゃいけないため、緊張感で時々続きの文を忘れたり、噛んだりしてしまった。

「だから、そのため、⋯⋯あ、ああ⋯⋯何だったけ⋯⋯」

 慌てて続きを思い出そうとする私をなだめるように、チャグは優しく言った。

「大丈夫、焦らないで」

「は、はい⋯⋯」

 一旦深呼吸をして、続きの文を思い出して口をゆっくり開く。

「あ、そのため、戦況報告書を⋯⋯」

 本番でつまづいたらおしまいだ。練習を初めてからもう五日経つのに、まだ一回も志望動機の全文を完璧に言い終えられていないので、本当に大丈夫だろうかと末恐ろしかった。

 そして一週間が経ち、面接当日を迎えた。

 当日の昼頃、チャグが小等学校の卒業式に着たという制服上下をおばさんから借り、身に着けた。

 チャグ宅のおばさんの寝室に置いてある縦置き鏡に映る自分の姿を見ながら、私は背伸びするなり胸を張るなり格好つけてみた。

「なんか、地味な格好ですね」

 黒い背広とズボン、片手に革鞄という会社員みたいな格好だった。私の後ろにいるおばさんがくすくすと笑う。

「とてもお似合いよユミンちゃん。あなたは顔がとっても可愛いからどんな服も着こなせるわ」

 またまたお世辞を、と私は溜め息をつく。しかし可愛いだの何だのとお世辞を言われても、以前感じていたような違和感を覚えることはなくなっていた。我ながら慣れたものだ。

 会社員風の服装のまま外へ出て、私はチャグと共にアサ駅から汽車に乗った。一時間後、ユゴ市に着いて徒歩で三十分ほど街中を歩くと、市役所にたどり着いた。二階の東四棟は文化部になっており、そこに歴史課の事務室がある。

 面接会場は事務室隣の会議室となっている。私は緊張に心臓を高鳴らせて扉を叩き、「失礼します」と答えた。奥から「入れ、小娘」という聞き覚えのあるおじさんの無愛想な声が響いて、驚きのあまり私は飛び上がりそうになった。

 おじさん!? チャグのお父さんがなぜここに? と疑問に思いながら恐る恐る取手を回して、扉を開ける。狭い室内の中央に置かれた机の前に、制服に身を固めたおじさんが挑戦的な笑みを浮かべて座っていた。

「よぉ、小娘。まさか戦争調査隊を志望するとはな」

 混乱しながらも練習した通りおじさんにお辞儀をし、私は彼の向かいの席に座った。

「俺は調査隊の調査長であり、歴史課長でもあるんだ。聞き取りや現地調査の時以外は市役所で働いている」

「か、課長さんだったんですね」

「無駄話はここまで。じゃあ、質疑応答始めるぞ」

 おじさんは懐から取り出した一枚の紙を広げ、質問を一つ一つ読み上げていった。

 名前は? 住所は? 生年月日は? 学歴は? 職歴は? 趣味や特技は? という簡単な質疑応答を続けた後、いよいよ志望動機を答えることになった。
 喉が震えて時々声がか細くなってしまうことがあったけれど、無事全文を一句一字間違えることなく言い終えられた。

「なるほど。⋯⋯で、最後の質問だ」

 おじさんは睨むように目を鋭く細めて訊いた。

「なぜ親父を探している?」

 もっとも答えてはいけない質問をいきなりぶつけられて面食らい、私は閉口するしかなかった。そういえば今までチャグたちになぜ父を探しているのか言ったことはなかった。彼らは私の父探しを手伝う中、ずっと探す動機を知りたかったのかもしれない。

「お前が戦争調査隊に務めたいと言っていたとチャグから聞いた時から、勘繰っていたんだ。あいつ、親父を探すために戦争調査隊に入りたいんじゃないのかと」

 おじさんの言う通り、あわよくば戦争調査隊に入って父を探したいという欲望もある。その欲望をおじさんに見抜かれてしまったのか、と私は思わず固唾を呑んでしまう。喉から発せられたその音を「はいそうです」という答えだと感じ取ったのか、おじさんは机から少し身を乗り出して追い討ちをかけるように訊いてきた。

「やはりそうなのか?」

 蛇に睨まれた蛙のごとく私は固まってしまい、一言も言葉を発することができなくなってしまう。

「母を弄んだ挙げ句、お前を地獄に突き落としたような奴と会ってどうするつもりだ?」

 殺します、なんて口が裂けても言えないので咄嗟に思いついた嘘を口にする。

「と、問い詰めます。何で母にあんな酷いことをしたのかって⋯⋯」

 おじさんは頷いたが表情は固く、納得していないようだった。

「そうか。でも、もし会えたとしても『知らん、俺の子じゃない』と白を切られると思うぞ」

「それでも⋯⋯構いません」

 むしろそう言ってくれたほうが殺しやすい。

 おじさんは立ち上がり、真昼の日差しの射し込む窓辺に立って言った。

「小娘、親父に会いたいという私情を解消するためにわざわざうちに務めたいならやめてくれ。そんな気持ちで仕事をしてほしくない。帰りたまえ」

 腹底がぞわっと凍て付いた。履歴書を書いて一次選考通過し、何日もチャグと面接の練習をしてようやく見えてきた希望を呆気なくむしり取られてしまった。

「そ、そんな⋯⋯」

 面接中であることも忘れて私は立ち上がり、おじさんの背後に詰め寄って言い訳する。

「お、おじさん、そ、そんなつもりじゃ⋯⋯」

 そんなつもりじゃないは嘘だけれど、ここで正直に「はい父のことを知りたいがため努めたくて」なんて言ったらおしまいだ。

 おじさんは肩越しから私を睨みつけた。

「目が嘘を付いていると言っているぞ」

 もう何を言ってもお前を採用するつもりはない、と突き放すようなおじさんの口調に目の奥がじわりと熱くなる。
 ここで採用されなかったら、村人たちをずっとずっと苦しめるはめになるのに⋯⋯。

「違います! 本当に⋯⋯ 私⋯⋯」

 涙声になって震えてしまう。

「何度も言わせるな。帰りたまえ」

 足元が急にふらついて立てなくなり、私はその場に膝を付いた。せっかく書類選考が通ってここまできたのに。こんなはずじゃなかった。涙が溢れ出て頬を伝い落ち、ズボンに黒いシミを点々と作ってゆく。

 頭上から舌打ちと共に吐き捨てるようなおじさんの声が降ってきた。

「相変わらず面倒くさいやつめ」

 私は唇を噛み締めて肩を震わせ、泣き出しそうになるのを必死に堪えた。もうだめだ。内定はもう出されないんだ。諦めて立ち上がろうとした、その時だった。  

「父さんっ!」

 扉越しからチャグの叫び声が響いてきた。何事かと後ろを振り返った時、チャグが扉を勢いよく開いて飛び込んできた。

「父さん、ごめん、ユミンちゃんを戦争調査隊に誘ったのは僕だ。ユミンちゃんがヤケ村事件のことでいじめられているから、少しでも村と距離をおけるようにと思って⋯⋯」

「仕事に私情を挟むんじゃない、チャグ!」

 チャグは首を横に振り、真剣な表情を浮かべておじさんを説得するように言った。

「父さん、戦争調査隊のもう一つの役目を忘れたの? 戦争被害者の声を拾い上げて救助するのも僕達の仕事だよ? ユミンちゃんがいじめられているのは、全部戦争のせいなんだ。ユミンちゃんは戦争被害者の一人だ。だから僕達には彼女を助ける義務がある。村から引き離すことでユミンちゃんが少しでも救われるのなら、それは僕達の仕事を成し遂げたってことなる」

 チャグに反論するかと思いきや、おじさんは「う⋯⋯」と困ったように小さな呻き声を上げた。困惑した様子のおじさんにチャグは尚も畳み掛ける。

「ユミンちゃんをこのまま放置するのなら、それは職務放棄同然だ。職務規定にもちゃんと書いてあるよ、戦争被害者が救助を求めていることを知っておきながら無視するのは違反だって。僕達も、ユミンちゃんが戦争の被害を受けて苦しんでいることを知っているよね。だから無視したら業務違反で更迭されるかもよ? どうする? 父さん?」

 戦争被害者の救助を求める声を無視したら職務規定で違反とされている、なんて言われたらもうおじさんに反論の余地なんてないだろう。案の定、おじさんは何も答えなかった。いや、答えられないのかもしれない。後ろを振り返っておじさんを見上げると、彼は固く唇を結んで俯いていた。

 苦々しい表情で黙ったままのおじさんを追い詰めるように、チャグは言った。

「これは就活じゃない。戦争被害者の救済なんだ」

 おじさんがチャグの説得に気圧されている。私も負けじと正座し、頭を下げておじさんに訴えた。

「お願いします! 書類作成とか入力作業とか簡単な作業でもいいので、どうか私を雇ってください! お願いしますっ!」

 沈黙が訪れ、天井に吊るされた電灯の音が静寂の中に響いた。暫しの時が流れた後、おじさんは舌打ちして呆れたように答えた。

「やれやれ⋯⋯お前らには負けたよ」

 私は顔を上げておじさんを見つめた。

 おじさんは呆れ混じりに微笑んで、一言⋯⋯。

「ユミン・ナリメ、お前を採用する」

 と言った。

 半ば生きた屍のようになっていた身体に猛烈な喜びが満ち満ちていき、私は無意識のうちに笑みを浮かべた。

「やったぁっ!」

 チャグが嬉しそうに声を上げる。私も立ち上がって飛び跳ね、チャグと手を叩き合って喜びを分かち合った。

 チャグは親指を立てて掲げ、声を張り上げる。

「作戦大成功!」

 おじさんの「作戦?」という怪訝そうな声が背後から聞こえた。



 ◆ ◆ ◆


 それから一週間後、自宅に市役所から内定通知書が届いた。
 内定通知書を受け取ったその日、私は喜びを堪えきれず外で小さい子供のようにぴょんぴょんと飛び跳ねてしまった。

 これで、一週間のうち数日だけだが村と距離を置くことができる。

 内定通知書が来た翌日、チャグから電報が届いた。『今晩うちに来れる? 内定が出たお祝いをしたいんだ』と書かれていたので、その日の夕方に汽車に乗って私はアサ町へ向かった。タクシーに乗っている最中、喜びに浸るあまり酔っぱらいのようになっていた私を運転手が怪しむような目でバックミラー越しから見ていた。

 チャグ宅に着いて呼び出し鈴を鳴らすと、前みたいにおばさんが満面の笑みで飛び出してきた。

「ユミンちゃん! 待っていたわ! さぁ、入って!」

 おばさんと共に中に入ると、料理のいい匂いが居間の方から漂ってきた。急に食欲が湧いてきて、胃がぎゅるると音を立てる。

 居間の食卓机には、皿に盛られた美味しそうな料理がたくさん並んでいた。鴨肉の汁物、大きなカブを輪切りにして真ん中をくり抜き色取り取りの野菜を詰め込んだ料理、蜂蜜漬け林檎麺などの惣菜。それらに囲まれるようにして、食卓机の中央には大きな丸鶏の照り焼きが置かれていた。
 絵に描いたような豪華すぎる料理に、私は呆然とする。おばさんが私の両肩に手を置いて囁くように言った。

「全部ユミンちゃんのお祝いのために作ったの。たくさん食べてね」

「これ⋯⋯全部、私のために⋯⋯?」

 その時、居間と隣接する階段からチャグとおじさんが降りてきた。チャグの両腕には一つの四角い大きな箱がある。

「ユミンちゃん、これ⋯⋯出勤の時に着る服ね」

 チャグは箱の蓋を開けて中を見せた。中には茶色の背広と白いワイシャツ、赤茶色のリボンが入っている。女学生の着る制服みたいな可愛らしい服だった。

「これが、私の職服?」

「そうだよ」

 胸が震えて、目の奥が熱くなる。おばさんもチャグも、私のために身に余るような素敵なものを無償でくれるなんて。言いようのない感謝の気持ちと喜びと共に涙もこみ上げてきて、私は両手で目を拭う。

「皆さん⋯⋯ありがとうございます、ありがとうございます⋯⋯!」

 チャグの隣りにいるおじさんが溜め息混じりに言った。

「それにしても、チャグにはまいったな。まさか職務規定違反を出して採用を強要させるとは」

 チャグは得意げに言った。

「最終手段の作戦として取っておいたんだ。悪く思わんでね」

「やられたぞ。まったく」

 おばさんが食卓の椅子に座り、私達に声をかけた。

「ほらほら、冷めないうちに早く食べましょうよ」

 私達はそれぞれ席に付き、おばさんお手製の豪華な料理を堪能した。

 この日は、今までの人生の中で一番喜びに浮かれた楽しい一日になった。
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