残酷な描写あり
R-15
8.― DOUBLE KILLER ―
8.― DOUBLE KILLER ―
全く、次から次へと。この輝紫桜町はトラブルしか起きないのか。
男娼一人を追い詰める。高々、それだけの事に銃弾を三十六発も使った。お粗末な話だ。最近、輝紫桜町でばかり銃を撃っている。
腕利きのハッカーで、歓楽街の男娼。変わり者のCrackerImp。今は撃ち抜いた左肩を押さえながら、乱れた呼吸を整えていた。
黒のホルターネックのトップスは肩を大きく露出し、右肩には蛾のタトゥーが刻み込まれている。確か“ナバン”は蛾を意味する言葉で、組織のシンボルマークだった筈。
あんなえげつないドローンを使ったとは言え、こんな華奢で軟弱そうな男がヤクザを相手取り、しかも殲滅させたなんて想像し難いものがあるが、さっきのオートマタもおそらくコイツが仕掛けたものだろう。警察のオートマタが、警告もなく襲ってくる事はない。明らかに様子がおかしかった。
コイツには散々、振り回されてきたが、それもここまでだ。聞くべき情報を聞き出したら――消してしまおう。
CrackerImpから、拳銃のサイトに再び視線を戻すと、危うい異変が拳銃に起きていた。フィーディングジャム、排莢不良だった。
精密で高品質な日本の偽銃にしては、奇跡的とも言えるトラブルだが、状況によっては、致命的なミスに繋がりかねないものだ。戦場では常々言ってたものだ、ジャムは不運と幸運が混ざって入れ替わる物と。
一度、弾倉を外してからスライドを引き、引っ掛かった空の薬莢を落とす。再装填して改めてCrackerImpの後頭部に銃口を向けた。
「ちょっと、待ってよ!」
スライドのガチッという音に反応して、CrackerImpが慌てた様に口を開いた。深呼吸を一つして、両手を上げて見せる。
「降参、観念するよ……言う事聞くから、立ってそっち向いてもいい?」
CrackerImpが戦意を失っているのは、その背中越しからも充分に伝わっているが、そうする事に、一体どんな意図があるのか。探りを入れたくなる。
口では観念だなんて言ってるが、イチかバチかで飛びかかって来るのか、それとも、自分の背中を隠して、武器でも取り出そうとしてるのか。
CrackerImpのスボンのポケットにある膨らみ、縦長のあの雰囲気は折り畳み式ナイフの様に思える。
「なあ、頼むよ。少し下がって銃向けてれば済む事だろ? 勝ち目がないって事はちゃんと理解してるから……」
あれこれと考えを巡らせていると、僅かに振り向き、CrackerImpが催促をしてきた。薄く笑みを浮かべていた。状況を理解しているのか。
CrackerImpの言う通り、少し下がってしまえば、こちらのリスクは大きく下がる。それをわざわざ話して自分を不利にする理由は何だろうか。
いいだろう、所詮素人だ。これから情報を聞き出すのなら、多少の寛容を示してやれば、やり易くなるかもしれない。
銃口はそのままに、二歩ほど下がってやる。
「立て、ゆっくりだ」
CrackerImpは撃たれた左肩を押さえながら、ゆっくり立ち上がり、こちらを振り向いた途端、撃たれた左肩を二回、拳で殴った。地面には俺が放った弾丸がコツッと転がり落ちる。
かなり近い距離で撃った。貫通はしなかったが、骨に深く突き刺さっていると思っていた。
人間の骨の硬さで、拳で押し出せる様な浅さに、弾丸が止まるだろうか。違和感を感じずにいられなかった。その後もCrackerImpは、マイペースに膝の泥を払い、手櫛で乱れた髪を整えていた。
長い七三分けの黒髪にはビビットピンクが混ざっている。こうして改まって対面してみると、やはり普通の男とは違う生物に思える。
その辺の男に比べれば、確かに中性的で美形ではある。何にしても、俺の抱いていたオカマな雰囲気の男娼や、ナードなハッカーのイメージとは大きく異なっている事に間違いはなかった。
「ハイ、降参」CrackerImpは両手を低く広げて見せる。
「後ろから撃たれる方が一瞬で済んだのに、選択を誤ってないか?」
「冗談でしょ? 跪いて後ろから撃たれるなんて、雑魚のやられ方だよ。俺はそんなに安くない。やるなら、頭以外を撃ってね。今度はちゃんと“死ぬ”って認識してから死ぬよ……一瞬でお先真っ暗だなんて、二度と御免だからね」
まるで一度、死んだ事があるかの様な妙な言い方だった。CrackerImpの様子は落ち着いている。それどころか、こちらの出方を伺っている様にすら思えた。本来なら良くない傾向だ。これから殺す者と話をするのは。
出来るだけ手短に、早々に情報を聞き出さないと。
「それにしてもホント、凄腕だね。しかも、よくよく見たら、結構タイプなんだよね、アンタみたいな年上がさ。うん、そうだね、クソヤクザに殺されるよりはマシかも。ま、本音を言うと、死にたくないけど……」
今度は色目まで使ってきたが、これは明らかに時間稼ぎに思える。何が狙いかは分からないが、CrackerImpからは観念なんて感情は一切ないとハッキリした。――必死にもがいてる。
口元は笑みを浮かべていても、奥歯は硬く食い縛って恐怖を押さえているのだろう。殺し屋は兵士より他人の死と、その前後を様を間近に見る事が多いのでよく分かっていた。
「クラブで荒神会の幹部やったのもアンタだろ? あの夜は大変だったんだぜ。警察共で溢れ返って、お陰でこっちは閑古鳥だったよ。そして林組の事務所も襲ったって事は、林組の直属じゃない。ところで……」
一歩踏み出し、銃口を目の前に突き付けてCrackerImpの話を遮った。
「ベラベラとよく喋る奴だ……」
CrackerImpは、僅かに顔を逸らし口を閉ざした。化けの皮など、突き付けた銃口一つで、すぐに剥がれ落ちる。
それにしても、変わった左目だ。近くで見てみると、コンタクトや義眼の類いではないと分かる。赤黒い眼球に真っ赤な瞳孔、その目玉は、本当に見えているのだろうか。
どうやら、見えているらしい。CrackerImpはその赤黒い目で俺の目をしっかりと見据えていた。
それどころか、閉じた口の口角は薄っすら上がり、笑みに浮かべていた。
「黙ってもいいけど、俺に色々喋って欲しいんじゃないの? あんな無茶をしてまで俺なんかに執着するんだから、何か知りたい事があるんだろ? 殺し屋さん」
「お前から聞き出さなくても、他の方法もある。思い上がるなよ」
「でも、そんな遠回りをアンタは望んでない、そう顔に出てるぜ。どう考えても効率が悪いもんね」
この男の事を、少し見くびっていたのかも知れない。逃げ惑い、捕まり、そして銃撃戦を抜け出し、追い詰められる。これだけの目まぐるしく緊張状態が続いていても――思考の乱れがほとんどない。
手持ちの情報と、今の状況を照らし合わせた上で話していた。安っぽい軽口と男らしからぬ色目は鼻持ちならないが、冷静だった。
この手の修羅場に、多少の免疫を持っている様だ。度々、地獄と比喩される、輝紫桜町の人間だ――思っていた以上にタフなのかも知れない。
「食えない男だ……何が望みだ?」
方針を変えてみるのも悪くなさそうだ。俺が折れる形になってしまうが、CrackerImpに交渉の余地を残してやった方がスムーズに進行しそうだ。奴の言う通り、遠回りはしたくなかった。
それに殺そうと思えば、何時でも殺せる。それは依然として変わらない。
「アンタが俺を殺そうって言う理由が分からないけど、それがアンタの仕事だって言うのなら、殺さないでくれとは言わないよ。けど、今夜は一先ず見逃してほしいかな、そしてもし、出来る事なら、今俺がやってる仕事にケリを着けるまでは、殺すの保留してほしい。それが済んだら、殺すも犯すも、アンタの自由にしなよ」
随分、控え目な要望だ。ハッキリと殺さないでくれ、と言えばいいものを。そして気にかかる、引っ掛かった様な話し方をする。
時間稼ぎと言う雰囲気でもないが、会話せざるを得ない状況をCrackerImpは意図的に作り出していた。
「仕事?」
「林組から依頼された仕事は俺にとって、ついでみたいなもんさ。俺の目的は他にある。知ってると思うけど、荒神会だってただの使いっ走り、本当に手に入れたい情報はその先にある。せめて、それを手に入れて、クライアントに渡すまでは死に
たくないって話だよ」
CrackerImpは、広げていた両手を崩し、再び左肩を押さえながら話した。よく見ると、左手から血が滴り落ちている。
本来なら、動く事を許すべきではないが、コイツを相手に、そこまで警戒する気も、何時の間にか失せかけていた。
気を許した訳ではない。しかし会話を重ねると言う事は、こう言う事なのだ。無感情ではいられない。
今になって気付いたが、張り詰めているのは、CrackerImpだけじゃない、俺もそれなりに張り詰めていた。
CrackerImpの口数がやたら多いのは、それを和らげる為の時間稼ぎだったのかも知れない。高が男娼と油断して対処法を誤った。
どれも知らない情報ばかりだが、それをCrackerImpに悟られない様にしておかねば。表情は変えない。
CrackerImpの口振りからすると、林組だけじゃなく、別の雇い主からも、この一件で雇われている。そして荒神会には黒幕が存在していて、手に入れたい情報は、その黒幕が握っていると言う事か。
俺やCrackerImpが、林組に雇われた理由とは何なのだろうか。
「誰に雇われてる?」
「言えないね」
ここに来て、CrackerImpから拒否される。こちらの問いに対して、迷いもなく即答してきた。
「自分の立場が分かってないようだな」
大した効果は望めないが、CrackerImpへ近づいて更に銃口を突き付ける。すると、CrackerImpは銃口から逸らしていた顔を元へ戻し、眉間を銃口へ差し出してきた。
上目遣いのCrackerImpと睨み合う。
「脅したって無駄だよ、クライアントは明かさない。でもまぁ、アンタ等に影響を及ぼす様な存在じゃないよ。一般人さ」
「その一般人の為に、お前は危ない橋を渡っているのか? ハッカーなんて、そこまで責任感が必要な仕事でもないだろ?」
見上げるCrackerImpに対して、見下して言い返した。
今時、個人活動でハッカーと名乗る奴自体が珍しい方だ。ハッカーの大半は複数人で計画的なサイバーテロを起こす連中ばかりだった。
控え目な命乞い、クライアントの要望に応える、クライアントの正体は明かさない。全ては自身の仕事の対する責任感か、或いは使命感か。
「そんなもの、俺の知った事じゃないよ。アンタや周りが思ってる、スタンダードってヤツに、なんで俺が合わせないとならいんだい? やりたいからやってる。俺はただ、自分の心に正直で在りたいだけだよ。人助けは誇れる事だろ?」
どうやら、使命感らしい。よく分からない性格だ、尻軽で減らず口の多い軽い面を持ちながら、ある部分においては頑なで強い意志を突き通そうする。それも自分が殺されるかもしれないと言うこんな状況で命乞いをしつつ、我を通そうともする。
殺し屋なんて仕事をしている俺が思うのも、おかしな話だが、その混沌とした思考が、人助けと言う善意に向いているのは、確かに誇れるし悪くないと思えた。
「ま、尽くがちなのはHOEの性かもしれないけどね」
CrackerImpは少々遜った様な笑みを浮かべながら言った。男とは思えない程の妖艶な雰囲気。かと言って女と言う訳でもない。
これは、ほぼ間違いなく、CrackerImpが強かに意図して俺を誘導したところもあるのだろうが、俺はこの男に――興味を持ち始めていた。
戦場、裏社会。それぞれ十年以上やってきてるが、こんな奴は初めてだった。
「いいだろ、知ってる事を全て話せ。それによっては、見逃してやる」
「ポケットにメモリーが入ってる、取り出してもいい? ゆっくりだろ、分かってるって……」
CrackerImpが欲しがっていたであろう言葉をくれてやり、見返りの情報を頂く事にした。
こちらの次の台詞を予想して、CrackerImpはこれ見よがしに、ゆっくりとメモリーを摘み出して見せた。
「セキュリティを解除するよ。このままだと、接続すると同時に、全部ぶっ壊すからね」
そう言うと、CrackerImpはメモリーを中央から真っ二つに割り、一方を反対に回して再び、くっ付けた。自作だろうか、変わった仕組みのメモリーだった。
ゆっくり差し出されたメモリーを受けとる。こうして見る分には、真ん中から脱着できる様には、見えないデザインをしていた。多少の力を加えても外れない。抜け目のなさが伺えるな。
「荒神会から奪った情報と、林組から奪った情報。それを統合して纏めたレポートも入ってる。今、俺が持ってる全ての情報、全部あげるよ。それでアンタのお役に立てるなら……」
CrackerImpにとって、手に入れた情報には、それほど価値はなさそうに思えた。それともクライアントに手渡し済みの情報だろうか。
何にしても、大した情報も手に入ってなかった俺にとっては、収穫と言えるが。
「林組の目的は何だったんだ?」
ここまでのCrackerImpを見る限りでは、嘘や誤魔化しの類いは見受けられなかった。信じている訳ではないが、こちらが優位か、僅かばかり対等な関係で成立していた。
万が一、このメモリーに価値がなかった時を想定して、最低限の事は直接聞いておこうと思った。
「俺もアンタも、林組に利用されたのさ。連中が荒神会にやろうとしてた事が荒神会にバレたら不味いからね。林組は関わりのない外部の人間に仕事をさせて、用が済んだら消すって、始めから決めてたんだよ。アンタだってギャラもらってないんだろ?」
図星だ。CrackerImpの話し振りでは、俺と同じで林組との揉め事の種は金の様だ。
だとすれば、林組の連中のお粗末さには、同情すら抱いてしまうな。たかが金で俺達と揉めた挙句、同じ夜に見事に返り討ちに合うとは。とんだ笑い話だ。
「でも、俺には金が必要だった……。だからリスクは感じてたけど、林組の仕事も引き受けた。結果、荒っぽい手段を使わざるを得なかったけどね」
後はメモリーの情報でも見ろと言う訳か、予想通り断片的な話で終わった。かと言って追求する気もないが。
あのホテルで、どの様なやり取りをしていたのかは知らないが、こんな華奢な男が、安田特製のドローンを使ったとは言え、ヤクザと渡り合い皆殺しにすると言うのは、やはり信じ難いものがあるが、この強かさと直向きな性格を察するに、躊躇した上での決断だったのだろうと想像がつく。
それも含めて、この男に対して、興味を抱くところでもあった。
「それで? 今夜は勘弁してもらえるの? それとも、振り回したお詫びに、タダでヤらしてあげようか? 精一杯、御奉仕するよ、殺し屋さん」
向けていた銃口を避けて、女性の様な腕組みの姿勢でCrackerImpが言ってきた。手慣れている様な挑発的な色目使い。もう、ここには殺す者、殺される者の関係は完全に破綻していた。
この男は毎晩の様に、この歓楽街で客となる男に向けて、こんな表情を見せているのだろうか。不意にそんな事が、頭を過った。
「気色悪い奴だ、笑えないな」
銃を下ろした。こんな状況でバカ真面目に拳銃を構えているのは間抜けだ。俺もCrackerImpも、緊張感はとっくに消え失せていた。
「何故、笑うの? 俺は、この街の誰よりもカラフルでイカしてるビッチだぜ。この地獄の大歓楽街で同性、異性だ“オトコ”とか“オンナ”だとか言ってるヤツの方が野暮じゃない? 色眼鏡外して俺を見てみなよ、殺し屋さん……」
なんて奴だ、今まで銃口を向けて殺気を向けていた奴に向かって無遠慮に近付いてきて、上目遣いに真っ直ぐ色目を使ってくるとは。舐められているのか、それとも頭のネジが外れたクソ度胸か。
HOEだのビッチだの、恥ずかしげもなく口にする。間近に見るCrackerImpは不敵な薄い笑みと、色気に満ちながらも、どこかギラ付いた目。
言われ慣れているであろう、ありきたりな誹謗中傷や軽蔑の言葉等には決して揺らがない強い意志を感じさせた。
大歓楽街、輝紫桜町のポルノデーモンか。
「……不思議な人。よく“見えない”な」
「失せろ……振り返らずに真っ直ぐ行け」
つくづく、調子の狂う相手だ。根負けしてCrackerImpから目を逸らしてしまった。
CrackerImpを見逃してやる事にした。収穫はあったし、この調子では殺した後に後味の悪さが残りそうだった。――やはり会話はすべきじゃない。
「恩に着るよ、イケてる殺し屋さん」
一瞬、CrackerImpの表情が弱々しく緩んだ様な気がした。その顔を確認する間もなく、CrackerImpは踵を返し、その場を去る。
無防備なその後ろ姿の、その顔はどんな顔をしているのか。命拾いした事に胸を撫で下ろしているか、それとも、してやったりと、ほくそ笑んでいるか。
「おい!」
CrackerImpが五メートル程離れた辺りで、一度呼び止めた。背中がその声にびくりと反応して、立ち止まる。
「警告してやる。お前がこの一件に関わり続けるのは勝手だ。好きな様にすればいい……ただし、この先、俺の視界に入って邪魔になる様なら、問答無用で殺すからな。二度と俺に会わない様に祈ってろ」
背を向けるCrackerImpと、俺に間に沈黙が続いた。背を向けるCrackerImpを睨み続ける。
歓楽街の赤紫の光に染まっている空を見上げ、しばらくしてから、CrackerImpは僅かに振り向く。表情ははっきり見えないが、赤黒い左目は俺をしっかり見据えていた。
気のせいだろうか、赤く光っている様にも見える。――まさに悪魔だった。
「覚えておくよ。でも、どうだろうなぁ。俺達はもう、同じ方向を向いてしまってる。案外、横を向いたら傍に居たりして……」
CrackerImpは右手をひらひらと振り、細い路地の闇へ去って行った。
手掛かりとなるハッカーと接触して得たもの、それはこの一件の裏の深さと言ったところか。覚悟はしていたが、ややこしい事になってきたな。
三四式の弾倉を取り外し、スライドを引く。使う事なく切り捨てた弾丸が地面へと転がった。
弾倉は空になった。珍しく残弾を把握し損ねている。そして、ジャムを起こした上に残り一発。相手が相手なら、命取りになっていたかもしれない。
ジャムは不運と幸運が混ざって入れ替わる物、か。
俺もCrackerImpもある意味では――幸運だったかもしれないな。
全く、次から次へと。この輝紫桜町はトラブルしか起きないのか。
男娼一人を追い詰める。高々、それだけの事に銃弾を三十六発も使った。お粗末な話だ。最近、輝紫桜町でばかり銃を撃っている。
腕利きのハッカーで、歓楽街の男娼。変わり者のCrackerImp。今は撃ち抜いた左肩を押さえながら、乱れた呼吸を整えていた。
黒のホルターネックのトップスは肩を大きく露出し、右肩には蛾のタトゥーが刻み込まれている。確か“ナバン”は蛾を意味する言葉で、組織のシンボルマークだった筈。
あんなえげつないドローンを使ったとは言え、こんな華奢で軟弱そうな男がヤクザを相手取り、しかも殲滅させたなんて想像し難いものがあるが、さっきのオートマタもおそらくコイツが仕掛けたものだろう。警察のオートマタが、警告もなく襲ってくる事はない。明らかに様子がおかしかった。
コイツには散々、振り回されてきたが、それもここまでだ。聞くべき情報を聞き出したら――消してしまおう。
CrackerImpから、拳銃のサイトに再び視線を戻すと、危うい異変が拳銃に起きていた。フィーディングジャム、排莢不良だった。
精密で高品質な日本の偽銃にしては、奇跡的とも言えるトラブルだが、状況によっては、致命的なミスに繋がりかねないものだ。戦場では常々言ってたものだ、ジャムは不運と幸運が混ざって入れ替わる物と。
一度、弾倉を外してからスライドを引き、引っ掛かった空の薬莢を落とす。再装填して改めてCrackerImpの後頭部に銃口を向けた。
「ちょっと、待ってよ!」
スライドのガチッという音に反応して、CrackerImpが慌てた様に口を開いた。深呼吸を一つして、両手を上げて見せる。
「降参、観念するよ……言う事聞くから、立ってそっち向いてもいい?」
CrackerImpが戦意を失っているのは、その背中越しからも充分に伝わっているが、そうする事に、一体どんな意図があるのか。探りを入れたくなる。
口では観念だなんて言ってるが、イチかバチかで飛びかかって来るのか、それとも、自分の背中を隠して、武器でも取り出そうとしてるのか。
CrackerImpのスボンのポケットにある膨らみ、縦長のあの雰囲気は折り畳み式ナイフの様に思える。
「なあ、頼むよ。少し下がって銃向けてれば済む事だろ? 勝ち目がないって事はちゃんと理解してるから……」
あれこれと考えを巡らせていると、僅かに振り向き、CrackerImpが催促をしてきた。薄く笑みを浮かべていた。状況を理解しているのか。
CrackerImpの言う通り、少し下がってしまえば、こちらのリスクは大きく下がる。それをわざわざ話して自分を不利にする理由は何だろうか。
いいだろう、所詮素人だ。これから情報を聞き出すのなら、多少の寛容を示してやれば、やり易くなるかもしれない。
銃口はそのままに、二歩ほど下がってやる。
「立て、ゆっくりだ」
CrackerImpは撃たれた左肩を押さえながら、ゆっくり立ち上がり、こちらを振り向いた途端、撃たれた左肩を二回、拳で殴った。地面には俺が放った弾丸がコツッと転がり落ちる。
かなり近い距離で撃った。貫通はしなかったが、骨に深く突き刺さっていると思っていた。
人間の骨の硬さで、拳で押し出せる様な浅さに、弾丸が止まるだろうか。違和感を感じずにいられなかった。その後もCrackerImpは、マイペースに膝の泥を払い、手櫛で乱れた髪を整えていた。
長い七三分けの黒髪にはビビットピンクが混ざっている。こうして改まって対面してみると、やはり普通の男とは違う生物に思える。
その辺の男に比べれば、確かに中性的で美形ではある。何にしても、俺の抱いていたオカマな雰囲気の男娼や、ナードなハッカーのイメージとは大きく異なっている事に間違いはなかった。
「ハイ、降参」CrackerImpは両手を低く広げて見せる。
「後ろから撃たれる方が一瞬で済んだのに、選択を誤ってないか?」
「冗談でしょ? 跪いて後ろから撃たれるなんて、雑魚のやられ方だよ。俺はそんなに安くない。やるなら、頭以外を撃ってね。今度はちゃんと“死ぬ”って認識してから死ぬよ……一瞬でお先真っ暗だなんて、二度と御免だからね」
まるで一度、死んだ事があるかの様な妙な言い方だった。CrackerImpの様子は落ち着いている。それどころか、こちらの出方を伺っている様にすら思えた。本来なら良くない傾向だ。これから殺す者と話をするのは。
出来るだけ手短に、早々に情報を聞き出さないと。
「それにしてもホント、凄腕だね。しかも、よくよく見たら、結構タイプなんだよね、アンタみたいな年上がさ。うん、そうだね、クソヤクザに殺されるよりはマシかも。ま、本音を言うと、死にたくないけど……」
今度は色目まで使ってきたが、これは明らかに時間稼ぎに思える。何が狙いかは分からないが、CrackerImpからは観念なんて感情は一切ないとハッキリした。――必死にもがいてる。
口元は笑みを浮かべていても、奥歯は硬く食い縛って恐怖を押さえているのだろう。殺し屋は兵士より他人の死と、その前後を様を間近に見る事が多いのでよく分かっていた。
「クラブで荒神会の幹部やったのもアンタだろ? あの夜は大変だったんだぜ。警察共で溢れ返って、お陰でこっちは閑古鳥だったよ。そして林組の事務所も襲ったって事は、林組の直属じゃない。ところで……」
一歩踏み出し、銃口を目の前に突き付けてCrackerImpの話を遮った。
「ベラベラとよく喋る奴だ……」
CrackerImpは、僅かに顔を逸らし口を閉ざした。化けの皮など、突き付けた銃口一つで、すぐに剥がれ落ちる。
それにしても、変わった左目だ。近くで見てみると、コンタクトや義眼の類いではないと分かる。赤黒い眼球に真っ赤な瞳孔、その目玉は、本当に見えているのだろうか。
どうやら、見えているらしい。CrackerImpはその赤黒い目で俺の目をしっかりと見据えていた。
それどころか、閉じた口の口角は薄っすら上がり、笑みに浮かべていた。
「黙ってもいいけど、俺に色々喋って欲しいんじゃないの? あんな無茶をしてまで俺なんかに執着するんだから、何か知りたい事があるんだろ? 殺し屋さん」
「お前から聞き出さなくても、他の方法もある。思い上がるなよ」
「でも、そんな遠回りをアンタは望んでない、そう顔に出てるぜ。どう考えても効率が悪いもんね」
この男の事を、少し見くびっていたのかも知れない。逃げ惑い、捕まり、そして銃撃戦を抜け出し、追い詰められる。これだけの目まぐるしく緊張状態が続いていても――思考の乱れがほとんどない。
手持ちの情報と、今の状況を照らし合わせた上で話していた。安っぽい軽口と男らしからぬ色目は鼻持ちならないが、冷静だった。
この手の修羅場に、多少の免疫を持っている様だ。度々、地獄と比喩される、輝紫桜町の人間だ――思っていた以上にタフなのかも知れない。
「食えない男だ……何が望みだ?」
方針を変えてみるのも悪くなさそうだ。俺が折れる形になってしまうが、CrackerImpに交渉の余地を残してやった方がスムーズに進行しそうだ。奴の言う通り、遠回りはしたくなかった。
それに殺そうと思えば、何時でも殺せる。それは依然として変わらない。
「アンタが俺を殺そうって言う理由が分からないけど、それがアンタの仕事だって言うのなら、殺さないでくれとは言わないよ。けど、今夜は一先ず見逃してほしいかな、そしてもし、出来る事なら、今俺がやってる仕事にケリを着けるまでは、殺すの保留してほしい。それが済んだら、殺すも犯すも、アンタの自由にしなよ」
随分、控え目な要望だ。ハッキリと殺さないでくれ、と言えばいいものを。そして気にかかる、引っ掛かった様な話し方をする。
時間稼ぎと言う雰囲気でもないが、会話せざるを得ない状況をCrackerImpは意図的に作り出していた。
「仕事?」
「林組から依頼された仕事は俺にとって、ついでみたいなもんさ。俺の目的は他にある。知ってると思うけど、荒神会だってただの使いっ走り、本当に手に入れたい情報はその先にある。せめて、それを手に入れて、クライアントに渡すまでは死に
たくないって話だよ」
CrackerImpは、広げていた両手を崩し、再び左肩を押さえながら話した。よく見ると、左手から血が滴り落ちている。
本来なら、動く事を許すべきではないが、コイツを相手に、そこまで警戒する気も、何時の間にか失せかけていた。
気を許した訳ではない。しかし会話を重ねると言う事は、こう言う事なのだ。無感情ではいられない。
今になって気付いたが、張り詰めているのは、CrackerImpだけじゃない、俺もそれなりに張り詰めていた。
CrackerImpの口数がやたら多いのは、それを和らげる為の時間稼ぎだったのかも知れない。高が男娼と油断して対処法を誤った。
どれも知らない情報ばかりだが、それをCrackerImpに悟られない様にしておかねば。表情は変えない。
CrackerImpの口振りからすると、林組だけじゃなく、別の雇い主からも、この一件で雇われている。そして荒神会には黒幕が存在していて、手に入れたい情報は、その黒幕が握っていると言う事か。
俺やCrackerImpが、林組に雇われた理由とは何なのだろうか。
「誰に雇われてる?」
「言えないね」
ここに来て、CrackerImpから拒否される。こちらの問いに対して、迷いもなく即答してきた。
「自分の立場が分かってないようだな」
大した効果は望めないが、CrackerImpへ近づいて更に銃口を突き付ける。すると、CrackerImpは銃口から逸らしていた顔を元へ戻し、眉間を銃口へ差し出してきた。
上目遣いのCrackerImpと睨み合う。
「脅したって無駄だよ、クライアントは明かさない。でもまぁ、アンタ等に影響を及ぼす様な存在じゃないよ。一般人さ」
「その一般人の為に、お前は危ない橋を渡っているのか? ハッカーなんて、そこまで責任感が必要な仕事でもないだろ?」
見上げるCrackerImpに対して、見下して言い返した。
今時、個人活動でハッカーと名乗る奴自体が珍しい方だ。ハッカーの大半は複数人で計画的なサイバーテロを起こす連中ばかりだった。
控え目な命乞い、クライアントの要望に応える、クライアントの正体は明かさない。全ては自身の仕事の対する責任感か、或いは使命感か。
「そんなもの、俺の知った事じゃないよ。アンタや周りが思ってる、スタンダードってヤツに、なんで俺が合わせないとならいんだい? やりたいからやってる。俺はただ、自分の心に正直で在りたいだけだよ。人助けは誇れる事だろ?」
どうやら、使命感らしい。よく分からない性格だ、尻軽で減らず口の多い軽い面を持ちながら、ある部分においては頑なで強い意志を突き通そうする。それも自分が殺されるかもしれないと言うこんな状況で命乞いをしつつ、我を通そうともする。
殺し屋なんて仕事をしている俺が思うのも、おかしな話だが、その混沌とした思考が、人助けと言う善意に向いているのは、確かに誇れるし悪くないと思えた。
「ま、尽くがちなのはHOEの性かもしれないけどね」
CrackerImpは少々遜った様な笑みを浮かべながら言った。男とは思えない程の妖艶な雰囲気。かと言って女と言う訳でもない。
これは、ほぼ間違いなく、CrackerImpが強かに意図して俺を誘導したところもあるのだろうが、俺はこの男に――興味を持ち始めていた。
戦場、裏社会。それぞれ十年以上やってきてるが、こんな奴は初めてだった。
「いいだろ、知ってる事を全て話せ。それによっては、見逃してやる」
「ポケットにメモリーが入ってる、取り出してもいい? ゆっくりだろ、分かってるって……」
CrackerImpが欲しがっていたであろう言葉をくれてやり、見返りの情報を頂く事にした。
こちらの次の台詞を予想して、CrackerImpはこれ見よがしに、ゆっくりとメモリーを摘み出して見せた。
「セキュリティを解除するよ。このままだと、接続すると同時に、全部ぶっ壊すからね」
そう言うと、CrackerImpはメモリーを中央から真っ二つに割り、一方を反対に回して再び、くっ付けた。自作だろうか、変わった仕組みのメモリーだった。
ゆっくり差し出されたメモリーを受けとる。こうして見る分には、真ん中から脱着できる様には、見えないデザインをしていた。多少の力を加えても外れない。抜け目のなさが伺えるな。
「荒神会から奪った情報と、林組から奪った情報。それを統合して纏めたレポートも入ってる。今、俺が持ってる全ての情報、全部あげるよ。それでアンタのお役に立てるなら……」
CrackerImpにとって、手に入れた情報には、それほど価値はなさそうに思えた。それともクライアントに手渡し済みの情報だろうか。
何にしても、大した情報も手に入ってなかった俺にとっては、収穫と言えるが。
「林組の目的は何だったんだ?」
ここまでのCrackerImpを見る限りでは、嘘や誤魔化しの類いは見受けられなかった。信じている訳ではないが、こちらが優位か、僅かばかり対等な関係で成立していた。
万が一、このメモリーに価値がなかった時を想定して、最低限の事は直接聞いておこうと思った。
「俺もアンタも、林組に利用されたのさ。連中が荒神会にやろうとしてた事が荒神会にバレたら不味いからね。林組は関わりのない外部の人間に仕事をさせて、用が済んだら消すって、始めから決めてたんだよ。アンタだってギャラもらってないんだろ?」
図星だ。CrackerImpの話し振りでは、俺と同じで林組との揉め事の種は金の様だ。
だとすれば、林組の連中のお粗末さには、同情すら抱いてしまうな。たかが金で俺達と揉めた挙句、同じ夜に見事に返り討ちに合うとは。とんだ笑い話だ。
「でも、俺には金が必要だった……。だからリスクは感じてたけど、林組の仕事も引き受けた。結果、荒っぽい手段を使わざるを得なかったけどね」
後はメモリーの情報でも見ろと言う訳か、予想通り断片的な話で終わった。かと言って追求する気もないが。
あのホテルで、どの様なやり取りをしていたのかは知らないが、こんな華奢な男が、安田特製のドローンを使ったとは言え、ヤクザと渡り合い皆殺しにすると言うのは、やはり信じ難いものがあるが、この強かさと直向きな性格を察するに、躊躇した上での決断だったのだろうと想像がつく。
それも含めて、この男に対して、興味を抱くところでもあった。
「それで? 今夜は勘弁してもらえるの? それとも、振り回したお詫びに、タダでヤらしてあげようか? 精一杯、御奉仕するよ、殺し屋さん」
向けていた銃口を避けて、女性の様な腕組みの姿勢でCrackerImpが言ってきた。手慣れている様な挑発的な色目使い。もう、ここには殺す者、殺される者の関係は完全に破綻していた。
この男は毎晩の様に、この歓楽街で客となる男に向けて、こんな表情を見せているのだろうか。不意にそんな事が、頭を過った。
「気色悪い奴だ、笑えないな」
銃を下ろした。こんな状況でバカ真面目に拳銃を構えているのは間抜けだ。俺もCrackerImpも、緊張感はとっくに消え失せていた。
「何故、笑うの? 俺は、この街の誰よりもカラフルでイカしてるビッチだぜ。この地獄の大歓楽街で同性、異性だ“オトコ”とか“オンナ”だとか言ってるヤツの方が野暮じゃない? 色眼鏡外して俺を見てみなよ、殺し屋さん……」
なんて奴だ、今まで銃口を向けて殺気を向けていた奴に向かって無遠慮に近付いてきて、上目遣いに真っ直ぐ色目を使ってくるとは。舐められているのか、それとも頭のネジが外れたクソ度胸か。
HOEだのビッチだの、恥ずかしげもなく口にする。間近に見るCrackerImpは不敵な薄い笑みと、色気に満ちながらも、どこかギラ付いた目。
言われ慣れているであろう、ありきたりな誹謗中傷や軽蔑の言葉等には決して揺らがない強い意志を感じさせた。
大歓楽街、輝紫桜町のポルノデーモンか。
「……不思議な人。よく“見えない”な」
「失せろ……振り返らずに真っ直ぐ行け」
つくづく、調子の狂う相手だ。根負けしてCrackerImpから目を逸らしてしまった。
CrackerImpを見逃してやる事にした。収穫はあったし、この調子では殺した後に後味の悪さが残りそうだった。――やはり会話はすべきじゃない。
「恩に着るよ、イケてる殺し屋さん」
一瞬、CrackerImpの表情が弱々しく緩んだ様な気がした。その顔を確認する間もなく、CrackerImpは踵を返し、その場を去る。
無防備なその後ろ姿の、その顔はどんな顔をしているのか。命拾いした事に胸を撫で下ろしているか、それとも、してやったりと、ほくそ笑んでいるか。
「おい!」
CrackerImpが五メートル程離れた辺りで、一度呼び止めた。背中がその声にびくりと反応して、立ち止まる。
「警告してやる。お前がこの一件に関わり続けるのは勝手だ。好きな様にすればいい……ただし、この先、俺の視界に入って邪魔になる様なら、問答無用で殺すからな。二度と俺に会わない様に祈ってろ」
背を向けるCrackerImpと、俺に間に沈黙が続いた。背を向けるCrackerImpを睨み続ける。
歓楽街の赤紫の光に染まっている空を見上げ、しばらくしてから、CrackerImpは僅かに振り向く。表情ははっきり見えないが、赤黒い左目は俺をしっかり見据えていた。
気のせいだろうか、赤く光っている様にも見える。――まさに悪魔だった。
「覚えておくよ。でも、どうだろうなぁ。俺達はもう、同じ方向を向いてしまってる。案外、横を向いたら傍に居たりして……」
CrackerImpは右手をひらひらと振り、細い路地の闇へ去って行った。
手掛かりとなるハッカーと接触して得たもの、それはこの一件の裏の深さと言ったところか。覚悟はしていたが、ややこしい事になってきたな。
三四式の弾倉を取り外し、スライドを引く。使う事なく切り捨てた弾丸が地面へと転がった。
弾倉は空になった。珍しく残弾を把握し損ねている。そして、ジャムを起こした上に残り一発。相手が相手なら、命取りになっていたかもしれない。
ジャムは不運と幸運が混ざって入れ替わる物、か。
俺もCrackerImpもある意味では――幸運だったかもしれないな。