弔いの悪魔 4
たった一発の蹴り……ただそれだけなのだが、その威力は尋常ではなかった。
私は十数メートルは吹き飛ばされ、背後にあった森の木に背中を強く打ち付けられて、呼吸が一瞬止まった。
さらにグリーパーは、私を吹き飛ばした直後、私に向かって突進してくる。
完全に仕留めるつもりだ……今の私に躱す手立てはない。
これは本当に死んだかもしれないと覚悟した時、視界が黒い布で覆われる。
「させません!」
レシファーは、私が吹き飛ばされたと同時に飛び出していたため、グリーパーと私のあいだに入り込んでいた。
そして剣を受ける構えではなく、突き刺すように、突進してくるグリーパーに向ける。
普通に振っていても切れないなら、相手の速度を利用して突き刺すしかない。
レシファーの相打ち覚悟の構え……
私は、同情で契約してくれた彼女が、ここまで自分のために戦ってくれることに感謝した。
しかし、こんなところでパートナーを失いたくない!
「レシファー!!」
私の悲鳴と共に眼前で両者が衝突し、レシファーを咄嗟に支えようとした私に、彼女の体が叩きつけられる。
グリーパーは衝突の刹那、反射的に身をそらして致命傷を避けたが、それでも猛スピードで突っ込んできたために躱しきれず、レシファーが構えた剣がわき腹を裂いていた。
対するレシファーは、グリーパーが身をそらしたために、予想よりも軽い衝撃で済んだが、それでもかなりのダメージを負ってしまっていた。
「レシファー? 大丈夫?」
私はゆっくりと這いつくばりながら、倒れて動かない彼女の元へ……
レシファーの元に辿り着き、彼女の端整な顔を覗き込む。
彼女の体を触り、致命傷がないか探る。
仰向けに転がる彼女のお腹の上に手をかざし、残り少ない魔力を振り絞りサーチする……
全身を軽く見た感じだと、あばらが何本か折れてはいるが、それ以外に特筆すべきダメージはなかったのが幸いだ。
「良かった……」
私は大きく安堵のため息を漏らすと、今度は視線をグリーパーに向ける。
わき腹を裂かれたグリーパーは、しかしゆっくりとこちらに向かって歩き始めていた。
「もうさっきみたいな大胆な動作は出来ないみたいだけど、それは私も同じか……どうしたものかしら?」
誰に言うでもなくそう呟いた私は、体に残っている魔力量を確認する。
確認して絶望感に包まれる。本当に空っぽだった、もう何も起こせない。今の私はただの女……一応木の剣は持ってはいるが、先程吹き飛ばされた衝撃で腕も上がらない……
「これはもう無理かしら?」
私は内心もう諦めていた。
いくらなんでもここからの逆転は考えられなかった。
私の気持ちを知ってか知らずか、グリーパーはゆっくりと私達に向かって下品な笑みを浮かべる。
「こっちだ! トカゲ野郎!」
もう駄目だと思い、目を閉じていた私はこの場で聞いてはいけない声を聞いた。
急いで声の方を見るーー
そこにはエリックが例の盾を構えて、震えながら大声を張っていた。
「もう一度言うぞ! トカゲ野郎!」
エリックの声に反応して、あろうことかグリーパーは進路を私達からエリックに変更してしまった。
「エリック! 逃げて!」
私の声は届いているはずなのに、彼は反応しなかった。
どうにかしなければと考えを巡らせていた時、不意に脳内に声が響く。
「危険になったら呼べって言ったろ?」
脳内に声が響いたと同時に、私達とは反対側の森から一角獣と呼ぶべき魔獣が勢いよく現れ、エリックとグリーパーのあいだに割り込む。
「ポックリ?」
一瞬ポックリが化けたのかとも思ったが、ポックリ本体には大した戦闘能力は無いはずなので、これはポックリが単体で行った”召喚”に違いない。
新たに戦場に登場した一角獣は普通の馬ぐらいの大きさだが、その体の大きさよりも遥かに大きな存在感を放ち、その角をグリーパーに向けて威嚇する。
グリーパーは一瞬たじろぐが、それでも戦意を失わずに両方のかぎ爪を一角獣に向けて構え、走りだす――
一角獣も敵の動きを見て、その鋭く長い角を突き出し走り始める。
走り始めて数秒……
両者が交わる瞬間、グリーパーは両爪で引き裂くために腕を上に上げる……しかしその隙を見逃さず、一角獣は一気に加速してグリーパーの喉元に角を突き刺してしまった。
「凄い……」
エリックは恐怖も忘れて魅入っていた。
無理もない。
一角獣は神話とかに登場するイメージそのもので、美しくも荒々しい強い獣といった印象だ。
一角獣がゆっくりとグリーパーから角を引き抜くと、グリーパーは声一つ出さずにそのまま倒れこみ絶命した。
「いや~危なかったな」
また脳内にポックリの声が響く。
「ありがとう……助かったわ。でもどうしてこんなに強い魔獣を召喚できたの? 仮契約で、しかも距離も離れていたんじゃこんなこと出来るわけ……」
私は頭の中で様々な理由を探るが、一角獣を召喚できるだけのポテンシャルはポックリにも私にも、当然レシファーにもない。
一体どうやって……いや、もしかして!
「クローデッドの魔力ね」
「ご名答」
「クローデッドの死体を食べた貴方には、まだ彼女の魔力が残っていたってことかしら?」
「もう今ので使い切っちまったけどな……それにその一角獣も、もうじき消える……」
脳内に響くポックリの声はどこか寂し気に聞こえ、少し申し訳ない気持ちになった。
彼にとって、クローデッドの魔力は出来るだけ長く感じていたかったに違いないのに……私が弱いのがいけなかった。
いくら魔力がほとんど無かったとはいえ、グリーパーのような魔獣に苦戦していてはここから先やっていけない。
「ポックリはこの後どうするの?」
「俺はこのまま一人でキテラの居場所を探る。俺一人なら、そうそう敵に見つかるものじゃない」
確かにポックリの言う通りかもしれない。
私達魔女は、周囲の感知については魔力感知に任せている部分が大きい。だからポックリのような小さい魔力の悪魔だと、気づかれにくいのだ。
「分かったわ。何かわかったら連絡頂戴」
「ああ」
ポックリは一言だけ返事をすると念話を切った。
彼も彼で、さっそくキテラの居場所の捜索に乗り出したのだろう。
「アレシア! 大丈夫?」
エリックは盾を持ったまま私の元へ駆け寄ってきた。
「ええ大丈夫よ……ただ、ちょっとレシファーを運ぶの手伝ってくれる?」
エリックは頷くと、盾を私に預けてレシファーを抱え上げる。
一体あの細い体のどこにそんな力があるのかと驚いたが、私が最初にエリックに出会ってから二年経過していることを思い出し、自分自身に呆れた。
彼は今十四歳になっている。
体つきも子供と大人のあいだ……小柄なレシファー一人ならなんとか持ち上げられるぐらいには力もついていたのだ。
長く生き過ぎたせいで、時間の感覚がおかしくなっていたみたい。
一体私は、いつまでエリックのことを子供と認識し続けるつもりなのだろう。
あの子を過剰に庇おうとした時の、レシファーの呆れたような目が脳裏に焼き付いて離れない。
おそらく彼女はこう言いたいのだ「いつまでエリックを無力な子供扱いする気ですか?」と……エリックはもう自分で自分の身を守れる。
もちろん守る対象には違いないが、今までみたいな守り方ではいずれ限界が訪れる。
「大丈夫~エリック?」
「大丈夫~」
エリックは時折ふらついてはいたが、なんとかレシファーを抱えて小屋まで行けそうだ。
もう少し、あの子を頼っても良いのかも知れないわね……
私はそう心の中で呟き、エリックから手渡された盾を片手にゆっくりと立ち上がる。
立ち上がるだけでも全身が悲鳴を上げたが、顔をしかめて、息を整え、ゆっくりと歩き出す。
エリックに続いて小屋に戻る途中、一角獣と目が合ったが、一角獣は私に物憂げな優しい眼差しを向けたまま……そのまま静かに消えていった……
私は十数メートルは吹き飛ばされ、背後にあった森の木に背中を強く打ち付けられて、呼吸が一瞬止まった。
さらにグリーパーは、私を吹き飛ばした直後、私に向かって突進してくる。
完全に仕留めるつもりだ……今の私に躱す手立てはない。
これは本当に死んだかもしれないと覚悟した時、視界が黒い布で覆われる。
「させません!」
レシファーは、私が吹き飛ばされたと同時に飛び出していたため、グリーパーと私のあいだに入り込んでいた。
そして剣を受ける構えではなく、突き刺すように、突進してくるグリーパーに向ける。
普通に振っていても切れないなら、相手の速度を利用して突き刺すしかない。
レシファーの相打ち覚悟の構え……
私は、同情で契約してくれた彼女が、ここまで自分のために戦ってくれることに感謝した。
しかし、こんなところでパートナーを失いたくない!
「レシファー!!」
私の悲鳴と共に眼前で両者が衝突し、レシファーを咄嗟に支えようとした私に、彼女の体が叩きつけられる。
グリーパーは衝突の刹那、反射的に身をそらして致命傷を避けたが、それでも猛スピードで突っ込んできたために躱しきれず、レシファーが構えた剣がわき腹を裂いていた。
対するレシファーは、グリーパーが身をそらしたために、予想よりも軽い衝撃で済んだが、それでもかなりのダメージを負ってしまっていた。
「レシファー? 大丈夫?」
私はゆっくりと這いつくばりながら、倒れて動かない彼女の元へ……
レシファーの元に辿り着き、彼女の端整な顔を覗き込む。
彼女の体を触り、致命傷がないか探る。
仰向けに転がる彼女のお腹の上に手をかざし、残り少ない魔力を振り絞りサーチする……
全身を軽く見た感じだと、あばらが何本か折れてはいるが、それ以外に特筆すべきダメージはなかったのが幸いだ。
「良かった……」
私は大きく安堵のため息を漏らすと、今度は視線をグリーパーに向ける。
わき腹を裂かれたグリーパーは、しかしゆっくりとこちらに向かって歩き始めていた。
「もうさっきみたいな大胆な動作は出来ないみたいだけど、それは私も同じか……どうしたものかしら?」
誰に言うでもなくそう呟いた私は、体に残っている魔力量を確認する。
確認して絶望感に包まれる。本当に空っぽだった、もう何も起こせない。今の私はただの女……一応木の剣は持ってはいるが、先程吹き飛ばされた衝撃で腕も上がらない……
「これはもう無理かしら?」
私は内心もう諦めていた。
いくらなんでもここからの逆転は考えられなかった。
私の気持ちを知ってか知らずか、グリーパーはゆっくりと私達に向かって下品な笑みを浮かべる。
「こっちだ! トカゲ野郎!」
もう駄目だと思い、目を閉じていた私はこの場で聞いてはいけない声を聞いた。
急いで声の方を見るーー
そこにはエリックが例の盾を構えて、震えながら大声を張っていた。
「もう一度言うぞ! トカゲ野郎!」
エリックの声に反応して、あろうことかグリーパーは進路を私達からエリックに変更してしまった。
「エリック! 逃げて!」
私の声は届いているはずなのに、彼は反応しなかった。
どうにかしなければと考えを巡らせていた時、不意に脳内に声が響く。
「危険になったら呼べって言ったろ?」
脳内に声が響いたと同時に、私達とは反対側の森から一角獣と呼ぶべき魔獣が勢いよく現れ、エリックとグリーパーのあいだに割り込む。
「ポックリ?」
一瞬ポックリが化けたのかとも思ったが、ポックリ本体には大した戦闘能力は無いはずなので、これはポックリが単体で行った”召喚”に違いない。
新たに戦場に登場した一角獣は普通の馬ぐらいの大きさだが、その体の大きさよりも遥かに大きな存在感を放ち、その角をグリーパーに向けて威嚇する。
グリーパーは一瞬たじろぐが、それでも戦意を失わずに両方のかぎ爪を一角獣に向けて構え、走りだす――
一角獣も敵の動きを見て、その鋭く長い角を突き出し走り始める。
走り始めて数秒……
両者が交わる瞬間、グリーパーは両爪で引き裂くために腕を上に上げる……しかしその隙を見逃さず、一角獣は一気に加速してグリーパーの喉元に角を突き刺してしまった。
「凄い……」
エリックは恐怖も忘れて魅入っていた。
無理もない。
一角獣は神話とかに登場するイメージそのもので、美しくも荒々しい強い獣といった印象だ。
一角獣がゆっくりとグリーパーから角を引き抜くと、グリーパーは声一つ出さずにそのまま倒れこみ絶命した。
「いや~危なかったな」
また脳内にポックリの声が響く。
「ありがとう……助かったわ。でもどうしてこんなに強い魔獣を召喚できたの? 仮契約で、しかも距離も離れていたんじゃこんなこと出来るわけ……」
私は頭の中で様々な理由を探るが、一角獣を召喚できるだけのポテンシャルはポックリにも私にも、当然レシファーにもない。
一体どうやって……いや、もしかして!
「クローデッドの魔力ね」
「ご名答」
「クローデッドの死体を食べた貴方には、まだ彼女の魔力が残っていたってことかしら?」
「もう今ので使い切っちまったけどな……それにその一角獣も、もうじき消える……」
脳内に響くポックリの声はどこか寂し気に聞こえ、少し申し訳ない気持ちになった。
彼にとって、クローデッドの魔力は出来るだけ長く感じていたかったに違いないのに……私が弱いのがいけなかった。
いくら魔力がほとんど無かったとはいえ、グリーパーのような魔獣に苦戦していてはここから先やっていけない。
「ポックリはこの後どうするの?」
「俺はこのまま一人でキテラの居場所を探る。俺一人なら、そうそう敵に見つかるものじゃない」
確かにポックリの言う通りかもしれない。
私達魔女は、周囲の感知については魔力感知に任せている部分が大きい。だからポックリのような小さい魔力の悪魔だと、気づかれにくいのだ。
「分かったわ。何かわかったら連絡頂戴」
「ああ」
ポックリは一言だけ返事をすると念話を切った。
彼も彼で、さっそくキテラの居場所の捜索に乗り出したのだろう。
「アレシア! 大丈夫?」
エリックは盾を持ったまま私の元へ駆け寄ってきた。
「ええ大丈夫よ……ただ、ちょっとレシファーを運ぶの手伝ってくれる?」
エリックは頷くと、盾を私に預けてレシファーを抱え上げる。
一体あの細い体のどこにそんな力があるのかと驚いたが、私が最初にエリックに出会ってから二年経過していることを思い出し、自分自身に呆れた。
彼は今十四歳になっている。
体つきも子供と大人のあいだ……小柄なレシファー一人ならなんとか持ち上げられるぐらいには力もついていたのだ。
長く生き過ぎたせいで、時間の感覚がおかしくなっていたみたい。
一体私は、いつまでエリックのことを子供と認識し続けるつもりなのだろう。
あの子を過剰に庇おうとした時の、レシファーの呆れたような目が脳裏に焼き付いて離れない。
おそらく彼女はこう言いたいのだ「いつまでエリックを無力な子供扱いする気ですか?」と……エリックはもう自分で自分の身を守れる。
もちろん守る対象には違いないが、今までみたいな守り方ではいずれ限界が訪れる。
「大丈夫~エリック?」
「大丈夫~」
エリックは時折ふらついてはいたが、なんとかレシファーを抱えて小屋まで行けそうだ。
もう少し、あの子を頼っても良いのかも知れないわね……
私はそう心の中で呟き、エリックから手渡された盾を片手にゆっくりと立ち上がる。
立ち上がるだけでも全身が悲鳴を上げたが、顔をしかめて、息を整え、ゆっくりと歩き出す。
エリックに続いて小屋に戻る途中、一角獣と目が合ったが、一角獣は私に物憂げな優しい眼差しを向けたまま……そのまま静かに消えていった……