姉妹 4
私は全身から体温が抜け落ちていくのを感じていた。
今回ばかりは厳しいかも知れないな……
「これで終いにしてあげる!」
カルシファーのやけに嬉しそうな声が鳴り響く。
彼女の声に従って、私にとっての死神がゆっくりと近づいてくる。
レシファーは横たわる私の眼前に迫っていた。
「アレシア……」
脳内に私の名前を呼ぶポックリの声が響く。彼もどうにかしたいのだろうが、どうすれば良いのか分からないのだろう。ポックリの実力では、出てきたところで無駄死にだ。
「安心してアレシア。貴女を殺した後に、さっき魔獣を召喚したあの狸も殺してあげるわ。それなら寂しくないでしょう?」
カルシファーは勝ちを確信したのか、今までにないほど口数が多くなっている。
そっか、そうよね。ポックリの存在もバレているわよね。
「ポックリ……逃げて」
私は念話でポックリに逃走を促す。
「嫌だ!」
ポックリは間髪入れずにそう短く答える。
我儘言わないでよね……私は誰にも死んでほしく無いって言ったじゃない……
「もうここまでよ」
カルシファーの死刑宣告が、レシファーの体をゆっくりと動かす。
私は覚悟を決めて、私に向かって剣を構えるレシファーの姿を視界におさめる。
「レシ、ファー……?」
私を殺そうとするレシファーの顔を見て、驚いた。
無表情で私と戦っていたはずの彼女の顔はひどく歪み、その長い睫毛を涙で湿らせていた。
「アレシア様……」
彼女の口から私の名が聞こえる。
彼女が私を呼んでいる。
「どうしたの! 早く殺しなさい!」
明らかに動揺しているカルシファーの命令は、しかしレシファーに届いていなかった。
届いていないというよりも、聞こえているがなんとか抗っていると言った方が正しいだろう。
「なんで……」
カルシファーは驚きの表情を浮かべる。
彼女からしてみれば不気味だろう。
カルシファーの魔法は解けていない。いまだにレシファーの洗脳は解かれていないし、まったく指示が通らないわけでもない。
それなのに、私を殺せという指示だけは最後の最後で通らない。
レシファーは剣を構えてはいる。振りかざしてはいる。後はそれを振り下ろすだけ。
しかしそれが実行されない。
剣が振り下ろされることはない。
レシファーは大量の汗を、歪ませた顔に滲ませながら、なんとか残酷な命令に逆らっていた。
「レシファー!!」
「アレシア様……」
レシファーは、私の呼びかけに反応して私の名前を呼ぶ。
彼女の洗脳はまだ解けてはいないが、それでも少しずつレシファーを縛る鎖は解け始めている。
「嘘よ! そんな事あり得ない! レシファー! 早くアレシアを殺しなさい!」
半分パニック状態のカルシファーは、さらに自身の妹に命令する。
それでもレシファーは動かない。
それどころか、徐々に振りかざした剣を下げ始めている。
体の支配権を取り戻しつつあるのだ。
「そんな……どうして?」
カルシファーは唖然とした表情で、自身の魔法を自力で解きつつあるレシファーを見る。
どうして? 彼女からしたらそうだろう。
こんな事を言うのは恥ずかしいけれど仕方がない。
教えてあげる。
「簡単よカルシファー。私とレシファーの絆が、姉妹の絆を上回っただけ。ただそれだけよ」
長い期間契約していた悪魔と魔女のあいだには、絆が生まれる。その絆が今の現状を作り出した。カルシファーの洗脳は解けかけ、私は九死に一生を得たのだ。
「絆? そんなものが私の魔法を打ち負かしたとでも言うつもり?」
カルシファーは私の説明がお気に召さなかったのか、食って掛かる。
お前には分からないだろう。
魔女を憎んで、平等な契約じゃないとかなんとか騒いでいたお前には。
この世に平等なんて存在しない。
あるのは納得するかどうかの主観のみ。
客観的に見たら、私とレシファーの契約は不平等だろう。私は彼女から貰うばかりで、対価らしい対価を支払っていない。
しかし、その契約が今の絆を生み出し、私とレシファーを再び繋げたのだ。
私とレシファーの契約は、私達双方が納得しての契約だ。そこに外野の出る幕はない。
「ええそうよ。魔女との契約に、不満しか抱かなかったお前には分からないでしょうけれど」
私は少し呼吸を整える。
「それに、もうそろそろよ」
私の言葉に反応して、カルシファーはレシファーに視線を向ける。
レシファーはもうすでに剣を下ろしていた。
「レシファー!」
「ここまでです。お姉様」
カルシファーの声は、正気に戻ったレシファーの声によって遮られる。
レシファーは剣を握ったまま私の隣にしゃがみ込み、回復魔法をかける。あの巨大な葉っぱだ。レシファーの回復魔法の中では一番効果がある。
「謝罪は後でさせて頂きます」
「そんなの良いのに……」
私は、剣を片手に立ち上がるレシファーを見上げる。
「そうは行きません。ですが、とりあえずは敵の撃破を」
レシファーはそう言って実の姉の方を向く。
ここで攻守逆転。
カルシファーの洗脳は完全に解け、レシファーは自分を取り戻した。
「お姉様。貴女を殺す前に、一つだけ聞きたいことがあります」
レシファーは一度深呼吸をして、再び剣を構える。
「……貴女はどうして魔女を憎むのですか?」
「どうしてですって?」
カルシファーは、意味が分からないと言いたげな顔で聞き返す。
「はい。貴女はいつからここまで変わってしまったのですか? 私の知っているお姉様、三〇〇年前はこんな人ではなかった」
やっぱりそうだったんだ。
最初から今のカルシファーだったら、レシファーはお姉様だなんて呼ぶはずがない。昔は違ったのだ。
だからレシファーは不思議に思ったのだろう。
キテラと契約して敵側にいたことに。カルシファーが、自分の知らないあいだに変貌していることに……
「前にも言ったでしょう? 魔女と悪魔の契約が不平等だって」
「違います。そんな建前を聞いてるんじゃなくて、お姉様本人のことを聞いているのです」
レシファーは言葉遣いこそ丁寧だが、その言い方には、言い訳を許さない強さがある。
「私が魔女を憎む理由……それを貴女に聞かれるなんてね……」
カルシファー俯きながら口を開く。
「お前がアレシアと契約したからよ! それも対価を伴わない契約! それから三〇〇年ものあいだ、アレシアにつきっきりで戻って来なかった!」
私とレシファーは意外な理由に驚く。
カルシファーが魔女を憎むようになったのは私のせい?
「それだけじゃないわ! この町の上級悪魔達は、最初こそレシファーの行動に理解を示していたけれど、徐々にそうではなくなっていった。状況が変わるにつれ、悪魔達が魔女に復讐しようという流れになるにつれて、敵であるアレシアを庇うレシファーを批判する声が次第に大きくなっていったの! 三〇〇年間もずっとよ!」
カルシファーは、自身の内にため込んでいたものを吐き出すように叫び続けた。
「私はその報告を、ミノタウロスから逐一聞いていたわ。キテラの隣でね」
そうか。ミノタウロスは、異界とあちらの世界を自由に行き来できる。そうすれば間接的に町の統治が可能というわけか。
彼女からしてみれば、人気者だった妹を独り占めし、レシファーに悪評を塗ることになった私は邪魔者だったということ。
カルシファーの中では、私=魔女という図式が出来上がり、周りの悪魔達の復讐心も相まって魔女を憎むようになったと。
「なるほど分かりました。お姉様の気持ちはよく分かりました。けれど……」
そこでレシファーは一度言葉を切って、実の姉を睨みつける。
「理解と納得は違います」
今回ばかりは厳しいかも知れないな……
「これで終いにしてあげる!」
カルシファーのやけに嬉しそうな声が鳴り響く。
彼女の声に従って、私にとっての死神がゆっくりと近づいてくる。
レシファーは横たわる私の眼前に迫っていた。
「アレシア……」
脳内に私の名前を呼ぶポックリの声が響く。彼もどうにかしたいのだろうが、どうすれば良いのか分からないのだろう。ポックリの実力では、出てきたところで無駄死にだ。
「安心してアレシア。貴女を殺した後に、さっき魔獣を召喚したあの狸も殺してあげるわ。それなら寂しくないでしょう?」
カルシファーは勝ちを確信したのか、今までにないほど口数が多くなっている。
そっか、そうよね。ポックリの存在もバレているわよね。
「ポックリ……逃げて」
私は念話でポックリに逃走を促す。
「嫌だ!」
ポックリは間髪入れずにそう短く答える。
我儘言わないでよね……私は誰にも死んでほしく無いって言ったじゃない……
「もうここまでよ」
カルシファーの死刑宣告が、レシファーの体をゆっくりと動かす。
私は覚悟を決めて、私に向かって剣を構えるレシファーの姿を視界におさめる。
「レシ、ファー……?」
私を殺そうとするレシファーの顔を見て、驚いた。
無表情で私と戦っていたはずの彼女の顔はひどく歪み、その長い睫毛を涙で湿らせていた。
「アレシア様……」
彼女の口から私の名が聞こえる。
彼女が私を呼んでいる。
「どうしたの! 早く殺しなさい!」
明らかに動揺しているカルシファーの命令は、しかしレシファーに届いていなかった。
届いていないというよりも、聞こえているがなんとか抗っていると言った方が正しいだろう。
「なんで……」
カルシファーは驚きの表情を浮かべる。
彼女からしてみれば不気味だろう。
カルシファーの魔法は解けていない。いまだにレシファーの洗脳は解かれていないし、まったく指示が通らないわけでもない。
それなのに、私を殺せという指示だけは最後の最後で通らない。
レシファーは剣を構えてはいる。振りかざしてはいる。後はそれを振り下ろすだけ。
しかしそれが実行されない。
剣が振り下ろされることはない。
レシファーは大量の汗を、歪ませた顔に滲ませながら、なんとか残酷な命令に逆らっていた。
「レシファー!!」
「アレシア様……」
レシファーは、私の呼びかけに反応して私の名前を呼ぶ。
彼女の洗脳はまだ解けてはいないが、それでも少しずつレシファーを縛る鎖は解け始めている。
「嘘よ! そんな事あり得ない! レシファー! 早くアレシアを殺しなさい!」
半分パニック状態のカルシファーは、さらに自身の妹に命令する。
それでもレシファーは動かない。
それどころか、徐々に振りかざした剣を下げ始めている。
体の支配権を取り戻しつつあるのだ。
「そんな……どうして?」
カルシファーは唖然とした表情で、自身の魔法を自力で解きつつあるレシファーを見る。
どうして? 彼女からしたらそうだろう。
こんな事を言うのは恥ずかしいけれど仕方がない。
教えてあげる。
「簡単よカルシファー。私とレシファーの絆が、姉妹の絆を上回っただけ。ただそれだけよ」
長い期間契約していた悪魔と魔女のあいだには、絆が生まれる。その絆が今の現状を作り出した。カルシファーの洗脳は解けかけ、私は九死に一生を得たのだ。
「絆? そんなものが私の魔法を打ち負かしたとでも言うつもり?」
カルシファーは私の説明がお気に召さなかったのか、食って掛かる。
お前には分からないだろう。
魔女を憎んで、平等な契約じゃないとかなんとか騒いでいたお前には。
この世に平等なんて存在しない。
あるのは納得するかどうかの主観のみ。
客観的に見たら、私とレシファーの契約は不平等だろう。私は彼女から貰うばかりで、対価らしい対価を支払っていない。
しかし、その契約が今の絆を生み出し、私とレシファーを再び繋げたのだ。
私とレシファーの契約は、私達双方が納得しての契約だ。そこに外野の出る幕はない。
「ええそうよ。魔女との契約に、不満しか抱かなかったお前には分からないでしょうけれど」
私は少し呼吸を整える。
「それに、もうそろそろよ」
私の言葉に反応して、カルシファーはレシファーに視線を向ける。
レシファーはもうすでに剣を下ろしていた。
「レシファー!」
「ここまでです。お姉様」
カルシファーの声は、正気に戻ったレシファーの声によって遮られる。
レシファーは剣を握ったまま私の隣にしゃがみ込み、回復魔法をかける。あの巨大な葉っぱだ。レシファーの回復魔法の中では一番効果がある。
「謝罪は後でさせて頂きます」
「そんなの良いのに……」
私は、剣を片手に立ち上がるレシファーを見上げる。
「そうは行きません。ですが、とりあえずは敵の撃破を」
レシファーはそう言って実の姉の方を向く。
ここで攻守逆転。
カルシファーの洗脳は完全に解け、レシファーは自分を取り戻した。
「お姉様。貴女を殺す前に、一つだけ聞きたいことがあります」
レシファーは一度深呼吸をして、再び剣を構える。
「……貴女はどうして魔女を憎むのですか?」
「どうしてですって?」
カルシファーは、意味が分からないと言いたげな顔で聞き返す。
「はい。貴女はいつからここまで変わってしまったのですか? 私の知っているお姉様、三〇〇年前はこんな人ではなかった」
やっぱりそうだったんだ。
最初から今のカルシファーだったら、レシファーはお姉様だなんて呼ぶはずがない。昔は違ったのだ。
だからレシファーは不思議に思ったのだろう。
キテラと契約して敵側にいたことに。カルシファーが、自分の知らないあいだに変貌していることに……
「前にも言ったでしょう? 魔女と悪魔の契約が不平等だって」
「違います。そんな建前を聞いてるんじゃなくて、お姉様本人のことを聞いているのです」
レシファーは言葉遣いこそ丁寧だが、その言い方には、言い訳を許さない強さがある。
「私が魔女を憎む理由……それを貴女に聞かれるなんてね……」
カルシファー俯きながら口を開く。
「お前がアレシアと契約したからよ! それも対価を伴わない契約! それから三〇〇年ものあいだ、アレシアにつきっきりで戻って来なかった!」
私とレシファーは意外な理由に驚く。
カルシファーが魔女を憎むようになったのは私のせい?
「それだけじゃないわ! この町の上級悪魔達は、最初こそレシファーの行動に理解を示していたけれど、徐々にそうではなくなっていった。状況が変わるにつれ、悪魔達が魔女に復讐しようという流れになるにつれて、敵であるアレシアを庇うレシファーを批判する声が次第に大きくなっていったの! 三〇〇年間もずっとよ!」
カルシファーは、自身の内にため込んでいたものを吐き出すように叫び続けた。
「私はその報告を、ミノタウロスから逐一聞いていたわ。キテラの隣でね」
そうか。ミノタウロスは、異界とあちらの世界を自由に行き来できる。そうすれば間接的に町の統治が可能というわけか。
彼女からしてみれば、人気者だった妹を独り占めし、レシファーに悪評を塗ることになった私は邪魔者だったということ。
カルシファーの中では、私=魔女という図式が出来上がり、周りの悪魔達の復讐心も相まって魔女を憎むようになったと。
「なるほど分かりました。お姉様の気持ちはよく分かりました。けれど……」
そこでレシファーは一度言葉を切って、実の姉を睨みつける。
「理解と納得は違います」