残酷な描写あり
第2回 祈りが届く 助けが来る:2-2
作中よりも過去における死ネタが含まれます。苦手な方はご注意ください。
とはいえ、帝国の外を見下す意識が一掃されたわけではなく、激減したとも言えなかった。残るところにはそれだけ根強く、ひょっとしたら頑なさを増して、残っている。にも拘らず、差別はすっかり撤廃されたものと楽天的に思い込んでいる者もあった。セディカに励ますつもりの言葉をかけた幾人かのように、それが差別的な言動であり意識であることを自覚せず、理解ある味方を自認する者が一番厄介かもしれない。
そうした町であったからこそ、父は母と結婚したのだ。結婚したときには、母が異国の血を引くことも、ついでに片親育ちであることも問題にしていなかったのだ。否、問題にしないことこそが粋だとか、クールだとでも思っていたのだ。——陶酔していたのだ。差別心のない自分、という幻想に酔っていたのだ。いざ結婚してみたら、思った以上に風当たりが強くて酔いが醒めたのだろう。
セディカは酔いが醒めた後の父しか知らない。母が結婚を決めたときの父を、その面影を、名残を知らない。粗を探して、みつからなければ難癖をつけて、西の女めと母を罵倒する父しか、知らない。
「ん? 親戚の家に行けって言ったのは親父さんだよな?」
「うん。……お母様は、五年前に亡くなった」
「……そう。お母様の魂に平安を」
神妙にジョイドが祈りを捧げ、慌てたようにトシュも倣った。
セディカは拳を握った。
「祭祀だなんて、嘘だったんだと思う。お父様に聞いただけで、〈金烏〉から使者が来たわけでもないし、手紙が来たのを見せてもらったわけでもないもの。——そもそも、〈連なる五つの山〉を越えるだなんて。おかしかったのよ、何から何まで」
帝国と西国の一部との境界を成す五つの山。迂回すれば無論のこと時間がかかるけれども、それでも迂回する道程が一般的なのは、一つ一つが大きく深い山であるからだ。立ち入る者はあっても越えていく者は稀だと聞く。
何から何までおかしかったのに、どうして従ってしまったのか。受け入れてしまったのか。目を瞑ってしまったのか。
……まさか自分の父親が、悪事を企むとは考えなかった、のだ。あるいは、まさか自分の身に、悪しき企みが降りかかるとも思わなかったのだ。
父が、自分を。捨てる——追い払う——死なせようと、する——など。
「いや、俺らは越えようとしてんだけどな。結構奥まで道あるし」
「俺らはね。旅慣れない人間や、お嬢様が通るルートではないでしょ」
トシュの呟きにセディカははたと、何か手痛い失敗でも発覚したかのように固まってしまったが、ジョイドの返しでトシュの方は納得したようだった。
「連れの二人と、多分すれ違ったよな?」
「狩人でも木樵でも、山の向こうから来た感じでもないとは思ったのよね。ご主人様の娘さんを見失って慌ててるって風ではなかったなあ」
「被害妄想の線は薄いか。残念ながら、ってとこだな」
実の親がそんなことをするものか、と反駁されなかったことを喜んだものだろうか。
ううん、とジョイドが呻る。
「しかし困ったね。家に送ってあげても意味がないし、初志貫徹で親戚の家に連れていってあげてもしょうがないってわけ」
「行くだけ行ってみてもいいんじゃねえか。親戚がいること自体は事実だろ、それは普通当てがあるって言うぞ」
「それは言えてる。とりあえず目指してみるのはありかもね。どうする?」
二人で話し合っていると思ったら、急に決断を求められて戸惑う。ずっとセディカのことを話してはいたのだが。
「どう……」
「ああ、慌てて決めなくていいよ。どうせ今日はもう動かないでしょ」
「……どうして?」
ずっと潜んでいた疑問が口を衝いた。
「わたしは、ありがたいけど。そこまでしてくれる理由……」
父の家まで送る理由も、親戚の家まで連れていく理由も。そもそも、あの宴の場から引き離す理由だって。縁もゆかりもないこの二人に、あるはずがないのに。
一度きょとんとしたジョイドの顔が、そんなことか、とばかりに緩む。
「ここが町中ならそこまでしないけどね、山の中だもの。じゃあさよなら、ってわけにはいかないじゃない」
「中途半端な手助けだったら、ない方がマシだしな」
トシュの方は何か忌々しい過去でもあるのか顔を顰めている。
「ここで放り出されて野垂れ死んだり、山を下りたとこで放り出されて路頭に迷うぐらいなら、やつらの中に放っとかれた方がよっぽど幸せだったさ。ひたすら楽しく喋ってるだけで一生だって過ごせたろうよ」
「別に、身の振り方が決まるまで面倒見ようってわけじゃないからね。親戚さんに引き渡したら多分そこで終わりよ」
そんなに気にすることじゃないの、と手を振るジョイドに、親戚ってのがヤバそうなやつらじゃなければなとトシュが言い添える。理屈はわかるけれども、理屈通りに実行するのは、かなり——親切なことではないかと、思うのだけれど。
そうした町であったからこそ、父は母と結婚したのだ。結婚したときには、母が異国の血を引くことも、ついでに片親育ちであることも問題にしていなかったのだ。否、問題にしないことこそが粋だとか、クールだとでも思っていたのだ。——陶酔していたのだ。差別心のない自分、という幻想に酔っていたのだ。いざ結婚してみたら、思った以上に風当たりが強くて酔いが醒めたのだろう。
セディカは酔いが醒めた後の父しか知らない。母が結婚を決めたときの父を、その面影を、名残を知らない。粗を探して、みつからなければ難癖をつけて、西の女めと母を罵倒する父しか、知らない。
「ん? 親戚の家に行けって言ったのは親父さんだよな?」
「うん。……お母様は、五年前に亡くなった」
「……そう。お母様の魂に平安を」
神妙にジョイドが祈りを捧げ、慌てたようにトシュも倣った。
セディカは拳を握った。
「祭祀だなんて、嘘だったんだと思う。お父様に聞いただけで、〈金烏〉から使者が来たわけでもないし、手紙が来たのを見せてもらったわけでもないもの。——そもそも、〈連なる五つの山〉を越えるだなんて。おかしかったのよ、何から何まで」
帝国と西国の一部との境界を成す五つの山。迂回すれば無論のこと時間がかかるけれども、それでも迂回する道程が一般的なのは、一つ一つが大きく深い山であるからだ。立ち入る者はあっても越えていく者は稀だと聞く。
何から何までおかしかったのに、どうして従ってしまったのか。受け入れてしまったのか。目を瞑ってしまったのか。
……まさか自分の父親が、悪事を企むとは考えなかった、のだ。あるいは、まさか自分の身に、悪しき企みが降りかかるとも思わなかったのだ。
父が、自分を。捨てる——追い払う——死なせようと、する——など。
「いや、俺らは越えようとしてんだけどな。結構奥まで道あるし」
「俺らはね。旅慣れない人間や、お嬢様が通るルートではないでしょ」
トシュの呟きにセディカははたと、何か手痛い失敗でも発覚したかのように固まってしまったが、ジョイドの返しでトシュの方は納得したようだった。
「連れの二人と、多分すれ違ったよな?」
「狩人でも木樵でも、山の向こうから来た感じでもないとは思ったのよね。ご主人様の娘さんを見失って慌ててるって風ではなかったなあ」
「被害妄想の線は薄いか。残念ながら、ってとこだな」
実の親がそんなことをするものか、と反駁されなかったことを喜んだものだろうか。
ううん、とジョイドが呻る。
「しかし困ったね。家に送ってあげても意味がないし、初志貫徹で親戚の家に連れていってあげてもしょうがないってわけ」
「行くだけ行ってみてもいいんじゃねえか。親戚がいること自体は事実だろ、それは普通当てがあるって言うぞ」
「それは言えてる。とりあえず目指してみるのはありかもね。どうする?」
二人で話し合っていると思ったら、急に決断を求められて戸惑う。ずっとセディカのことを話してはいたのだが。
「どう……」
「ああ、慌てて決めなくていいよ。どうせ今日はもう動かないでしょ」
「……どうして?」
ずっと潜んでいた疑問が口を衝いた。
「わたしは、ありがたいけど。そこまでしてくれる理由……」
父の家まで送る理由も、親戚の家まで連れていく理由も。そもそも、あの宴の場から引き離す理由だって。縁もゆかりもないこの二人に、あるはずがないのに。
一度きょとんとしたジョイドの顔が、そんなことか、とばかりに緩む。
「ここが町中ならそこまでしないけどね、山の中だもの。じゃあさよなら、ってわけにはいかないじゃない」
「中途半端な手助けだったら、ない方がマシだしな」
トシュの方は何か忌々しい過去でもあるのか顔を顰めている。
「ここで放り出されて野垂れ死んだり、山を下りたとこで放り出されて路頭に迷うぐらいなら、やつらの中に放っとかれた方がよっぽど幸せだったさ。ひたすら楽しく喋ってるだけで一生だって過ごせたろうよ」
「別に、身の振り方が決まるまで面倒見ようってわけじゃないからね。親戚さんに引き渡したら多分そこで終わりよ」
そんなに気にすることじゃないの、と手を振るジョイドに、親戚ってのがヤバそうなやつらじゃなければなとトシュが言い添える。理屈はわかるけれども、理屈通りに実行するのは、かなり——親切なことではないかと、思うのだけれど。