残酷な描写あり
第2回 祈りが届く 助けが来る:3-1
セディカの荷物の中身は主に着替えで、食料は入っていなかった。何かしらの理由で荷物を改められた場合、少女の服になど出てこられては怪しまれるから、一緒に捨てていったということなのだろう。
もう今さら驚かないが、蒸しパンやら餅菓子やら干し果物やら茸やらを、ジョイドがセディカの分まで並べる。セディカは手を合わせて食前の祈りを口にした。帝国の言葉ではない、〈金烏〉の言葉でもない、〈金烏〉の古語だということでもないらしい。母から教えられたもので、食堂へ向かう前にこっそりと、父に隠れて唱えておくのが常だった。父がこの習慣を気に入らずに怒鳴ったことがあったのか、母が最初から秘密にしていたのかはわからない。こうして本当に食事の前に唱える機会が巡ってくるとは。
「……今のって」
見れば、二人が妙な顔をしていた。
「お祈りだけど。食事の前の」
「お祈りっていうか、結構ちゃんとした守護呪だったよ?」
「……守護呪?」
今度はセディカが呆気に取られる番だった。
もう一回聞かせてくれと請われて、困惑しながら繰り返す。相手は意味を理解できるらしいと思うと、文句を間違えていたらどうしようという方向での緊張も少しした。
「やっぱ〈慈愛天女〉の加護か。この長さじゃ効果の高は知れてるにしても、食事の前ってことは毎日三回ずつ唱えてるわけだな?」
「それじゃ、置き去りにされることまでは防げなくても、同じときにちょうど俺らがこの山に入って声を聞きつける、ぐらいの効果はまああるかもね。俺らも〈慈愛神〉には頼りがちだからねえ、信徒同士で助け合いなさいって言われてんのかな」
〈慈愛天女〉。〈慈愛神〉。耳慣れない名ではなかった。他にも〈慈悲神〉、〈慈悲神仙〉、〈慈愛の御方〉などと、宗派や時代や地方によって様々な呼び方を持つ、人気の高い神である。セディカが馴染んでいるのは〈慈しみの君〉で、民間には恐らくこれが最も浸透している。
耳慣れない名ではない、が。……その、守護呪……?
「誰に教わった、食前の祈りだなんて」
「……お母様。……西の習慣だと思ってた」
「何もんだ、おまえのお母様は」
「少なくとも俺がいた頃には、そんな習慣は聞いたことなかったなあ」
無理を言われたときのような苦笑いをしてから、ジョイドが真面目な顔になる。
「お母様は、君がいつか酷い目に遭うんじゃないかって心配してたんだね。かといってあんまり小さい子に、他人の悪意から身を守るための呪文を毎日唱えなさいね、とも言うに言えなかったのかな」
「……わたし、わかってなかったのに」
返答とも独り言ともつかず、セディカは呟いた。
日々繰り返し唱えていても、そこに〈慈しみの君〉に縋る気持ちは全くなかった。あるのはその日の糧を得られたことへの感謝であって、〈慈しみの君〉よりも〈実りの君〉に向けたものであったろう。それでも、この守護呪に効果があったのだとすれば。お守りください、と祈り続けていたことになるのだとすれば。
祈っていたのは、自分ではなく——母だ。
もう今さら驚かないが、蒸しパンやら餅菓子やら干し果物やら茸やらを、ジョイドがセディカの分まで並べる。セディカは手を合わせて食前の祈りを口にした。帝国の言葉ではない、〈金烏〉の言葉でもない、〈金烏〉の古語だということでもないらしい。母から教えられたもので、食堂へ向かう前にこっそりと、父に隠れて唱えておくのが常だった。父がこの習慣を気に入らずに怒鳴ったことがあったのか、母が最初から秘密にしていたのかはわからない。こうして本当に食事の前に唱える機会が巡ってくるとは。
「……今のって」
見れば、二人が妙な顔をしていた。
「お祈りだけど。食事の前の」
「お祈りっていうか、結構ちゃんとした守護呪だったよ?」
「……守護呪?」
今度はセディカが呆気に取られる番だった。
もう一回聞かせてくれと請われて、困惑しながら繰り返す。相手は意味を理解できるらしいと思うと、文句を間違えていたらどうしようという方向での緊張も少しした。
「やっぱ〈慈愛天女〉の加護か。この長さじゃ効果の高は知れてるにしても、食事の前ってことは毎日三回ずつ唱えてるわけだな?」
「それじゃ、置き去りにされることまでは防げなくても、同じときにちょうど俺らがこの山に入って声を聞きつける、ぐらいの効果はまああるかもね。俺らも〈慈愛神〉には頼りがちだからねえ、信徒同士で助け合いなさいって言われてんのかな」
〈慈愛天女〉。〈慈愛神〉。耳慣れない名ではなかった。他にも〈慈悲神〉、〈慈悲神仙〉、〈慈愛の御方〉などと、宗派や時代や地方によって様々な呼び方を持つ、人気の高い神である。セディカが馴染んでいるのは〈慈しみの君〉で、民間には恐らくこれが最も浸透している。
耳慣れない名ではない、が。……その、守護呪……?
「誰に教わった、食前の祈りだなんて」
「……お母様。……西の習慣だと思ってた」
「何もんだ、おまえのお母様は」
「少なくとも俺がいた頃には、そんな習慣は聞いたことなかったなあ」
無理を言われたときのような苦笑いをしてから、ジョイドが真面目な顔になる。
「お母様は、君がいつか酷い目に遭うんじゃないかって心配してたんだね。かといってあんまり小さい子に、他人の悪意から身を守るための呪文を毎日唱えなさいね、とも言うに言えなかったのかな」
「……わたし、わかってなかったのに」
返答とも独り言ともつかず、セディカは呟いた。
日々繰り返し唱えていても、そこに〈慈しみの君〉に縋る気持ちは全くなかった。あるのはその日の糧を得られたことへの感謝であって、〈慈しみの君〉よりも〈実りの君〉に向けたものであったろう。それでも、この守護呪に効果があったのだとすれば。お守りください、と祈り続けていたことになるのだとすれば。
祈っていたのは、自分ではなく——母だ。