残酷な描写あり
第4回 虎の約束 狼の誓い:1-2
四分の三は妖怪であるところのトシュとジョイドも、セディカに食事を与えるに当たっては、昨夜も今朝も気をつけた。といっても、妖気を——人間への影響を抑えた、などと言い立てるのすら馬鹿馬鹿しいことだ。服を着る程度の手間でしかない。
ともあれ、妖怪となった木々が根を張っている場所での食事という意味でも、妖怪と共に摂る食事という意味でも、饗しどころか正反対もよいところの所業であったと、少なくともこの熊は理解しているようだ。幾らか安心した矢先、
「その娘が取り込まれたとて、おまえに何の関わりがある」
野牛が初めて口を挟んだ。
「俺が関係してるかどうかで、あいつが人生潰されていいかどうかが変わるのか?」
青年はドスの利いた声を出した。
関わりなどあるものか。自分だけではない、この山にいる誰一人として、あの少女に関わりはない。少女を危険に曝した方は松だの杏だの二十本近くもいた上に、その泣き言を聞いて動いてくれる猛獣が十頭ばかりと、その猛獣に泣き言を聞く能力を与えたほどの大妖怪が三人もついているのに。
「言っておく。この山に——〈連なる五つの山〉にいる間、あいつは俺が守る。傷一つでもつけやがったらただじゃおかねえ」
気迫に押されて、野牛はたじろいだ。トシュは据わった目を虎に戻した。
「これなら口出ししてもいいな? 〈慈愛天女〉のしもべを舐めんなよ」
それは勇み足であったかもしれない。関係がないのだから引っ込んでいろと煽ったのではなくて、野牛は実際に不思議そうにしていたのだから。
虎と熊はというと、少々おもしろそうにしていた。
「そこまで言うのであれば、そなたの——そうさな、妹であるとでも思おう。妹の危難を見過ごせぬのは兄として当然だな」
「……その辺だ」
妥当な解釈に、ここは引くことにする。過剰に反応してしまったとは思った。昨夜木の精たちを叱りつけたときは、あまりにも話が通じなかったので。
「妹の危難を救っただけのことだと申すのであれば、これ以上この山の平和を乱しはすまいな」
「約束はできねえな。あの枯れ木どもが別の娘を捕まえるようならまた殴り込むぜ」
「〈慈愛天女〉のしもべにしては随分と過激だ」
熊がフードの陰で笑いを噛み殺す一方、虎はからからと豪快に笑った。
「よかろう。獣たちにはおまえたちを襲わぬよう命じておく。松どのにも言って聞かせよう。人間と関わるのであれば、こちらが気を配ってやらねばならぬとな」
「助かる」
ほっと息が吐かれて、トシュは素直に礼を言った。虎だろうと大蛇だろうと何度襲われても追い払う自信はあったが、流石に楽々とはいかないだろう。松の老人を始めとするあの木々が、今後もいつ迷い込んだ旅人を無自覚に死地に引き込むか知れたものではない、とわかっていながら無策に去ることにも抵抗があったのだ。
野牛はどうにも呑み込めないようではあったが、敢えて異を唱えようとはしなかった。
「あの爺さんが一番古株なのか?」
「ああ。松どのを中心に段々と増えた」
「じゃ、意見できるのはあんたらぐらいしかいないんだな」
がつんと言ってやってくれ、と冗談めかして青年は託した。
「あのお嬢さんはさっさと外に連れてくわ。いつまでも火種にうろつかれてちゃ、気を遣う方も落ち着かねえだろ」
セディカが聞けば自分が悪いのかとむくれるかもしれないが、煙草と酒の臭いが充満する賭場は幼児のいてよい場所ではないのだ。速やかに連れ出すに限る。
虎は最後に軽い調子で付け加えた。
「親父どのに、また酒を酌み交わしたいと伝えてくれ」
「まず会わねえんだけどな」
これには苦笑いで答えざるをえなかった。
結局のところ、この三人がまともに取り合ってくれるのは、かつて父と親しくしていたからだ。顔を見せなくなって久しい友の息子でなかったら、果たしてどうだったか。
妖怪としての父を、トシュはよく知らない。
一番知っているのは人間としての、母の夫としてトシュの父親として、人前に現すための姿だ。二番目は、狼としての——母に付き従い、母に箔をつけるための姿だ。母に向けられるまなざしを、猿の子供への侮蔑から、荒れ狂う狼を屈服させ、従属させた女傑への尊敬と畏怖に変えた。
妖怪と交わり、妖怪として振る舞っていたのは、母を見初めるより前のことである。息子の自分が知るわけがない。その息子も十分成長したからと人里をとっくに離れているから、今は再び妖怪として過ごしているとしても、やはり知るわけがない。
ただ、妖怪の間では有名なようで、こうして時々、助けられるのだ。交流のあった者にも面識があったにすぎない者にも、時には評判を聞いているだけの者にも、敵にも味方にも一目置かれている、偉大——な、父に。
ともあれ、妖怪となった木々が根を張っている場所での食事という意味でも、妖怪と共に摂る食事という意味でも、饗しどころか正反対もよいところの所業であったと、少なくともこの熊は理解しているようだ。幾らか安心した矢先、
「その娘が取り込まれたとて、おまえに何の関わりがある」
野牛が初めて口を挟んだ。
「俺が関係してるかどうかで、あいつが人生潰されていいかどうかが変わるのか?」
青年はドスの利いた声を出した。
関わりなどあるものか。自分だけではない、この山にいる誰一人として、あの少女に関わりはない。少女を危険に曝した方は松だの杏だの二十本近くもいた上に、その泣き言を聞いて動いてくれる猛獣が十頭ばかりと、その猛獣に泣き言を聞く能力を与えたほどの大妖怪が三人もついているのに。
「言っておく。この山に——〈連なる五つの山〉にいる間、あいつは俺が守る。傷一つでもつけやがったらただじゃおかねえ」
気迫に押されて、野牛はたじろいだ。トシュは据わった目を虎に戻した。
「これなら口出ししてもいいな? 〈慈愛天女〉のしもべを舐めんなよ」
それは勇み足であったかもしれない。関係がないのだから引っ込んでいろと煽ったのではなくて、野牛は実際に不思議そうにしていたのだから。
虎と熊はというと、少々おもしろそうにしていた。
「そこまで言うのであれば、そなたの——そうさな、妹であるとでも思おう。妹の危難を見過ごせぬのは兄として当然だな」
「……その辺だ」
妥当な解釈に、ここは引くことにする。過剰に反応してしまったとは思った。昨夜木の精たちを叱りつけたときは、あまりにも話が通じなかったので。
「妹の危難を救っただけのことだと申すのであれば、これ以上この山の平和を乱しはすまいな」
「約束はできねえな。あの枯れ木どもが別の娘を捕まえるようならまた殴り込むぜ」
「〈慈愛天女〉のしもべにしては随分と過激だ」
熊がフードの陰で笑いを噛み殺す一方、虎はからからと豪快に笑った。
「よかろう。獣たちにはおまえたちを襲わぬよう命じておく。松どのにも言って聞かせよう。人間と関わるのであれば、こちらが気を配ってやらねばならぬとな」
「助かる」
ほっと息が吐かれて、トシュは素直に礼を言った。虎だろうと大蛇だろうと何度襲われても追い払う自信はあったが、流石に楽々とはいかないだろう。松の老人を始めとするあの木々が、今後もいつ迷い込んだ旅人を無自覚に死地に引き込むか知れたものではない、とわかっていながら無策に去ることにも抵抗があったのだ。
野牛はどうにも呑み込めないようではあったが、敢えて異を唱えようとはしなかった。
「あの爺さんが一番古株なのか?」
「ああ。松どのを中心に段々と増えた」
「じゃ、意見できるのはあんたらぐらいしかいないんだな」
がつんと言ってやってくれ、と冗談めかして青年は託した。
「あのお嬢さんはさっさと外に連れてくわ。いつまでも火種にうろつかれてちゃ、気を遣う方も落ち着かねえだろ」
セディカが聞けば自分が悪いのかとむくれるかもしれないが、煙草と酒の臭いが充満する賭場は幼児のいてよい場所ではないのだ。速やかに連れ出すに限る。
虎は最後に軽い調子で付け加えた。
「親父どのに、また酒を酌み交わしたいと伝えてくれ」
「まず会わねえんだけどな」
これには苦笑いで答えざるをえなかった。
結局のところ、この三人がまともに取り合ってくれるのは、かつて父と親しくしていたからだ。顔を見せなくなって久しい友の息子でなかったら、果たしてどうだったか。
妖怪としての父を、トシュはよく知らない。
一番知っているのは人間としての、母の夫としてトシュの父親として、人前に現すための姿だ。二番目は、狼としての——母に付き従い、母に箔をつけるための姿だ。母に向けられるまなざしを、猿の子供への侮蔑から、荒れ狂う狼を屈服させ、従属させた女傑への尊敬と畏怖に変えた。
妖怪と交わり、妖怪として振る舞っていたのは、母を見初めるより前のことである。息子の自分が知るわけがない。その息子も十分成長したからと人里をとっくに離れているから、今は再び妖怪として過ごしているとしても、やはり知るわけがない。
ただ、妖怪の間では有名なようで、こうして時々、助けられるのだ。交流のあった者にも面識があったにすぎない者にも、時には評判を聞いているだけの者にも、敵にも味方にも一目置かれている、偉大——な、父に。