残酷な描写あり
第7回 明日に備える 昨日を探る:2-1
作中よりも過去における死ネタ、殺害方法への言及が含まれます。苦手な方はご注意ください。
山神や土地神は言わば下級神で、天の神よりも卑近な存在である。地域によっては神と捉えず、精霊と見做していることもあった。早い話が、仙術で呼び出すことが可能だ。場合によっては、使役することも。
可能といっても無論、術者の力量に左右されるわけではあるが、トシュにはいささか狡い裏技があった。即ち、召喚の呪文に祖父の名前を入れ込むのである。妖怪には父の名前が効くように、こういった下級神には祖父の名前が効く。尤も、かつて祖父が力任せ腕任せに扱き使ったためであって、大抵は怯えて飛び出してくるから、孫として謝る破目にもなるのだが。
人間や動物と同じように寝たり起きたりするわけでもないから、夜中に呼び出すこと自体は無礼や不敬や酷使には当たらない。トシュはまず寺院がある山の神を呼び、次に城下町まで行って土地の神を呼んだ。城下町といっても、それが〈錦鶏〉のほぼ全てである。あの寺院などは飛び地のように離れて建っているけれども、町は一つきりだ。
山神は山の神であり土地神は土地の神であって、その山やその土地に人間が暮らしていようと、決して人間のための神ではない。とはいえ、人間が暮らしていれば、大抵気に懸けてはいるものだ。山神は山へと彷徨い来った亡霊が確かに国王であることを保証してくれたし、土地神は国王の密かな死について語り、偽物の現状を教えてくれた。そうしたことを把握してはいても、罰を下すようなことはないわけだが。
「裏が取れたぜ。国王陛下に俺らを推挙してくだすったのはここの山神だとよ」
寺院に戻ったトシュは、ジョイドにまずそう告げた。
通りすがっただけでセディカを拾った二人であれば、自分たちを見込んで助けを求めてきた国王を無視するはずもなかったが、国王を無条件に信用したわけでもなかった。本物の国王は横暴であった、偽物は打って変わって慈悲深い君主である、というような話が聞かれるようなら考え直しただろう。そういった懸念は、だが、晴れたと言ってよい。よそ者なら死んでも惜しくないのだろう、などと穿った見方をする必要も、これでなくなったはずだ。何せ神が背後にいるのである。
問題の方士にトシュなら太刀打ちできるだろう、と山神が判断したのは、山の獣たちとの戦いぶりを見ていたからではなくて、恐らく父親を見知っているからだ。かつてあの虎たちをよく訪ねていた、あの狼の子ならばと。尤も、偽国王がこの山に足を踏み入れたことはないそうで、そちらの腕前はわからないという。国王に成り済ます前には来たことがあるかもしれないが、成り済ます前なのだから同定ができない。
一方で〈錦鶏〉の土地神は、方士が雨を降らせたところも石を金に変えたところも、国王を井戸に落としたところも、国王と瓜二つの姿に変身したところも見ているものの、トシュのことやトシュの父親のことは特に知らない。トシュと比べてどうか、という相対的な見当はつけられなかった。それでも、本物の国王とは見た目からにおいに至るまでそっくりになっていて、人間は勿論、妖怪にもなかなか区別がつかないだろうと聞けば、腕が立つのだろうとは察せられる。とはいっても内面まで写し取れるわけではないようで、時たま襤褸が出そうになると、弟とまで思った方士に裏切られた悲しみで変わってしまったのだろう、と思わせるように誘導しているとか。
「おまえって天の神が嫌いな割に、地上の神は信用してるよね」
「狼が天をありがたがるかよ」
ジョイドの言葉に、トシュはいささかずれた返事をした。巨大な体を持って生まれ、飢えを凌ごうとしたにすぎない〈世界狼〉を、天の神々は脅威と断じて拘束したのだ。
天の神々への不信はさておき、山神や土地神、森の神、川の神といった地上の神々は、実際のところ、情報源という意味では大分頼りになる。何の思惑も解釈も混ざらない、正確で純粋な事実をよこしてくれるのだから。話を聞くというよりも、記録を照会するようなものだと言うべきか。
ただ、逆に言えば、こちらから訊かなかったことを、気を利かせて教えてくれることは少ない。自分の山なり自分の土地なりで起こったことしか把握していないという弱みもある。確実な情報が得られることは、必要な情報、有用な情報が全て出揃うことと等値ではない。
青年たちは少女を起こさないよう注意しながら、わかったことを整理したり、推測をしたり相談をしたりして過ごした。どうせならあの亡霊が戻ってきて直接委細を話してくれればよいのに、それらしい気配は感じられない。少女の身にも相変わらず異常が感じられないのは結構なことだったが。
夜が明けてきた頃、というのは山の西側にいたのではわかりにくかったが、トシュは再び寺院を出て雲を飛ばした。
「熊どの、朝から失礼。虎どのに話があるんだが」
「松の老爺のところだと聞いていないか。当分帰るまいよ」
その話は無論覚えていたが、帰ってこないほどとは思っていなかったから驚く。
「……ひょっとしたら物凄え面倒なことを頼んじまったか?」
「あれは楽しんでいるのさ」
肩を竦めて熊は断定した。
可能といっても無論、術者の力量に左右されるわけではあるが、トシュにはいささか狡い裏技があった。即ち、召喚の呪文に祖父の名前を入れ込むのである。妖怪には父の名前が効くように、こういった下級神には祖父の名前が効く。尤も、かつて祖父が力任せ腕任せに扱き使ったためであって、大抵は怯えて飛び出してくるから、孫として謝る破目にもなるのだが。
人間や動物と同じように寝たり起きたりするわけでもないから、夜中に呼び出すこと自体は無礼や不敬や酷使には当たらない。トシュはまず寺院がある山の神を呼び、次に城下町まで行って土地の神を呼んだ。城下町といっても、それが〈錦鶏〉のほぼ全てである。あの寺院などは飛び地のように離れて建っているけれども、町は一つきりだ。
山神は山の神であり土地神は土地の神であって、その山やその土地に人間が暮らしていようと、決して人間のための神ではない。とはいえ、人間が暮らしていれば、大抵気に懸けてはいるものだ。山神は山へと彷徨い来った亡霊が確かに国王であることを保証してくれたし、土地神は国王の密かな死について語り、偽物の現状を教えてくれた。そうしたことを把握してはいても、罰を下すようなことはないわけだが。
「裏が取れたぜ。国王陛下に俺らを推挙してくだすったのはここの山神だとよ」
寺院に戻ったトシュは、ジョイドにまずそう告げた。
通りすがっただけでセディカを拾った二人であれば、自分たちを見込んで助けを求めてきた国王を無視するはずもなかったが、国王を無条件に信用したわけでもなかった。本物の国王は横暴であった、偽物は打って変わって慈悲深い君主である、というような話が聞かれるようなら考え直しただろう。そういった懸念は、だが、晴れたと言ってよい。よそ者なら死んでも惜しくないのだろう、などと穿った見方をする必要も、これでなくなったはずだ。何せ神が背後にいるのである。
問題の方士にトシュなら太刀打ちできるだろう、と山神が判断したのは、山の獣たちとの戦いぶりを見ていたからではなくて、恐らく父親を見知っているからだ。かつてあの虎たちをよく訪ねていた、あの狼の子ならばと。尤も、偽国王がこの山に足を踏み入れたことはないそうで、そちらの腕前はわからないという。国王に成り済ます前には来たことがあるかもしれないが、成り済ます前なのだから同定ができない。
一方で〈錦鶏〉の土地神は、方士が雨を降らせたところも石を金に変えたところも、国王を井戸に落としたところも、国王と瓜二つの姿に変身したところも見ているものの、トシュのことやトシュの父親のことは特に知らない。トシュと比べてどうか、という相対的な見当はつけられなかった。それでも、本物の国王とは見た目からにおいに至るまでそっくりになっていて、人間は勿論、妖怪にもなかなか区別がつかないだろうと聞けば、腕が立つのだろうとは察せられる。とはいっても内面まで写し取れるわけではないようで、時たま襤褸が出そうになると、弟とまで思った方士に裏切られた悲しみで変わってしまったのだろう、と思わせるように誘導しているとか。
「おまえって天の神が嫌いな割に、地上の神は信用してるよね」
「狼が天をありがたがるかよ」
ジョイドの言葉に、トシュはいささかずれた返事をした。巨大な体を持って生まれ、飢えを凌ごうとしたにすぎない〈世界狼〉を、天の神々は脅威と断じて拘束したのだ。
天の神々への不信はさておき、山神や土地神、森の神、川の神といった地上の神々は、実際のところ、情報源という意味では大分頼りになる。何の思惑も解釈も混ざらない、正確で純粋な事実をよこしてくれるのだから。話を聞くというよりも、記録を照会するようなものだと言うべきか。
ただ、逆に言えば、こちらから訊かなかったことを、気を利かせて教えてくれることは少ない。自分の山なり自分の土地なりで起こったことしか把握していないという弱みもある。確実な情報が得られることは、必要な情報、有用な情報が全て出揃うことと等値ではない。
青年たちは少女を起こさないよう注意しながら、わかったことを整理したり、推測をしたり相談をしたりして過ごした。どうせならあの亡霊が戻ってきて直接委細を話してくれればよいのに、それらしい気配は感じられない。少女の身にも相変わらず異常が感じられないのは結構なことだったが。
夜が明けてきた頃、というのは山の西側にいたのではわかりにくかったが、トシュは再び寺院を出て雲を飛ばした。
「熊どの、朝から失礼。虎どのに話があるんだが」
「松の老爺のところだと聞いていないか。当分帰るまいよ」
その話は無論覚えていたが、帰ってこないほどとは思っていなかったから驚く。
「……ひょっとしたら物凄え面倒なことを頼んじまったか?」
「あれは楽しんでいるのさ」
肩を竦めて熊は断定した。