残酷な描写あり
第7回 明日に備える 昨日を探る:2-2
作中よりも過去における死ネタが含まれます。苦手な方はご注意ください。
虎がいれば虎に告げるのが自然であったろうけれども、拘りがあるわけではない。それじゃあ、と注進先を目の前の熊に変更して、〈錦鶏〉の太子が狩りに出てくるらしいことを伝える。要するに、この山の鳥や獣が獲物として狙われているわけなので。
「義理堅いな。そんな情報をわざわざ拾ってきたのか」
「偶然だよ」
知ったからには黙っているのも気が引けたのだ。どうせこの山の肉食獣だってこの山の鳥や獣を食べているのだけれども、人間に狩られるとなると不快さが違う。
手土産は渡したとばかり、トシュは本題に移った。
「思い当たることがあればでいいんだが。五年前か三年前に妙なことはなかったか」
妙なこと、という漠然とした尋ね方は、山神や土地神には向かない。
「妙なことはなかったが。何を知りたい」
「五年前に〈錦鶏〉に来たっつう方士が、三年前に国王を殺してすり替わったって話を聞いてな。どうやらデマでもないらしいんだが、そいつの正体が今一つわからねえんだよ」
土地神の見立てでは、人間ではない、という。雨を降らせたのも石を金に変えたのも、人間が修めた仙術ではなかったと。神が人間に身を窶しているのでも、神から遣わされて賞罰を与えているのでもない。神の仕業であれば、他の神を誤魔化す必要はないからだ。
だが、どうにも煮えきらないことに、妖怪だ、とすっぱり言い切ってもくれなかった。〈錦鶏〉に足を踏み入れたそのときから人間の姿をしていたし、国王に成り済ましてからはずっと国王の姿でいて、虎だの熊だの狼だの鷹だのといった正体を現したことが一度もないのだという。神たるものそれぐらいは見通せないのか、と期待するのは勝手というものだろう、自分に呼び出されてくれるような相手に対して。
「あんたは何か知らないか」
ふむ、と熊は衣の中で腕を組んだ。
「五年前か。〈錦鶏〉に住み着いたという妖怪が訪ねてきたな。互いに不干渉で行きたいと言いに来た」
「不干渉?」
「自分がこの山に手を出さない代わり、我らもあの国に手を出さないでほしいと。どうせこっちは人里に興味なぞないからな。了承して終わりだ」
連れも供もおらず、一人で乗り込んできたというから、腕には自信があるのだろう。その妖怪が例の方士であって、最初から王と入れ替わるつもりでいたのだとしたら、この山の妖怪たちに邪魔されないよう手を打っておいたとしてもおかしくない。山神からはそんな話は聞かなかったが、別段変わったこととは思わなかったのかもしれない。
場合によっては援護してもらおうと考えていたわけではないが、望んだところで援護は得られないことになる。相手がこの山に逃げ込んだり、猛獣たちに泣きついてけしかけてきたりしないだけ、重畳か。
「妖怪だったんだな?」
「妖怪同士仲良くやろうと本人は言ったよ。——霊獣が妖怪になるものかどうかは知らないが」
トシュは眉を上げた。
「なるほど?」
霊獣ならば、年を経るまでもなく化けるまでもなく、霊妙な力を備えているだろう。麒麟は理想の政治を感じ取り、鳳凰は理想の君主を感じ取る。錦鶏は火炎を避けるという。このように何かに特化しているもので、妖怪の力のように汎用的ではない印象はあるが。
霊獣も年を経て妖怪に変わることがあるのか、霊獣そのものを妖怪の一種と見做して妖怪同士と言ったのか。いずれにせよ、その力や術の性質は、一般の妖怪とはどこか異なるものになりそうだ。霊獣が生息しているわけではない土地の神では、ただの妖怪ではないことは見て取れても、霊獣だとまではわからなかったのかもしれない——国名に反して、この国に錦鶏はいないようだから。
「そういうことは、俺よりも連れの方が詳しいな」
半ば独り言のように呟いて、口元へ手をやってトシュは考えた。
意図せず少し間が空いたところで、ふっと熊は息を吐いた。
「調べてどうするとは訊かないが、我々が後で父上に恨まれるようなことはしないでくれたまえよ。目と鼻の先にいておいて見殺しにするような結果になったら、申し訳が立たないからな」
「……そんなに過保護かね」
父親にとっては、またこの熊やあの虎にとっても、百年も生きていない若造など赤子も同然だろうけれども。
「おまえの父上が人間に惚れたり、子供のために人間に紛れて暮らすだなんて大変なことなんだぞ。我々と対等に付き合っていたことも驚きだというのに」
「虎どのとは同格ぐらいじゃないのか」
フードの陰に見えた微笑は、事情を承知している、少なくともそう自認している者のそれだった。わかっていないなと思われたのか、誤魔化しているなと思われたのか。
「親父の話はいいんだよ」
トシュは顎を突き出した。
「で——霊獣の、何だ?」
「義理堅いな。そんな情報をわざわざ拾ってきたのか」
「偶然だよ」
知ったからには黙っているのも気が引けたのだ。どうせこの山の肉食獣だってこの山の鳥や獣を食べているのだけれども、人間に狩られるとなると不快さが違う。
手土産は渡したとばかり、トシュは本題に移った。
「思い当たることがあればでいいんだが。五年前か三年前に妙なことはなかったか」
妙なこと、という漠然とした尋ね方は、山神や土地神には向かない。
「妙なことはなかったが。何を知りたい」
「五年前に〈錦鶏〉に来たっつう方士が、三年前に国王を殺してすり替わったって話を聞いてな。どうやらデマでもないらしいんだが、そいつの正体が今一つわからねえんだよ」
土地神の見立てでは、人間ではない、という。雨を降らせたのも石を金に変えたのも、人間が修めた仙術ではなかったと。神が人間に身を窶しているのでも、神から遣わされて賞罰を与えているのでもない。神の仕業であれば、他の神を誤魔化す必要はないからだ。
だが、どうにも煮えきらないことに、妖怪だ、とすっぱり言い切ってもくれなかった。〈錦鶏〉に足を踏み入れたそのときから人間の姿をしていたし、国王に成り済ましてからはずっと国王の姿でいて、虎だの熊だの狼だの鷹だのといった正体を現したことが一度もないのだという。神たるものそれぐらいは見通せないのか、と期待するのは勝手というものだろう、自分に呼び出されてくれるような相手に対して。
「あんたは何か知らないか」
ふむ、と熊は衣の中で腕を組んだ。
「五年前か。〈錦鶏〉に住み着いたという妖怪が訪ねてきたな。互いに不干渉で行きたいと言いに来た」
「不干渉?」
「自分がこの山に手を出さない代わり、我らもあの国に手を出さないでほしいと。どうせこっちは人里に興味なぞないからな。了承して終わりだ」
連れも供もおらず、一人で乗り込んできたというから、腕には自信があるのだろう。その妖怪が例の方士であって、最初から王と入れ替わるつもりでいたのだとしたら、この山の妖怪たちに邪魔されないよう手を打っておいたとしてもおかしくない。山神からはそんな話は聞かなかったが、別段変わったこととは思わなかったのかもしれない。
場合によっては援護してもらおうと考えていたわけではないが、望んだところで援護は得られないことになる。相手がこの山に逃げ込んだり、猛獣たちに泣きついてけしかけてきたりしないだけ、重畳か。
「妖怪だったんだな?」
「妖怪同士仲良くやろうと本人は言ったよ。——霊獣が妖怪になるものかどうかは知らないが」
トシュは眉を上げた。
「なるほど?」
霊獣ならば、年を経るまでもなく化けるまでもなく、霊妙な力を備えているだろう。麒麟は理想の政治を感じ取り、鳳凰は理想の君主を感じ取る。錦鶏は火炎を避けるという。このように何かに特化しているもので、妖怪の力のように汎用的ではない印象はあるが。
霊獣も年を経て妖怪に変わることがあるのか、霊獣そのものを妖怪の一種と見做して妖怪同士と言ったのか。いずれにせよ、その力や術の性質は、一般の妖怪とはどこか異なるものになりそうだ。霊獣が生息しているわけではない土地の神では、ただの妖怪ではないことは見て取れても、霊獣だとまではわからなかったのかもしれない——国名に反して、この国に錦鶏はいないようだから。
「そういうことは、俺よりも連れの方が詳しいな」
半ば独り言のように呟いて、口元へ手をやってトシュは考えた。
意図せず少し間が空いたところで、ふっと熊は息を吐いた。
「調べてどうするとは訊かないが、我々が後で父上に恨まれるようなことはしないでくれたまえよ。目と鼻の先にいておいて見殺しにするような結果になったら、申し訳が立たないからな」
「……そんなに過保護かね」
父親にとっては、またこの熊やあの虎にとっても、百年も生きていない若造など赤子も同然だろうけれども。
「おまえの父上が人間に惚れたり、子供のために人間に紛れて暮らすだなんて大変なことなんだぞ。我々と対等に付き合っていたことも驚きだというのに」
「虎どのとは同格ぐらいじゃないのか」
フードの陰に見えた微笑は、事情を承知している、少なくともそう自認している者のそれだった。わかっていないなと思われたのか、誤魔化しているなと思われたのか。
「親父の話はいいんだよ」
トシュは顎を突き出した。
「で——霊獣の、何だ?」