残酷な描写あり
第11回 山を離れる 宮に乗り込む:2-2
「お嬢様、お借りします」
ジョイドはセディカに貸した首飾りに手をかけた。
投げ上げたように、首飾りは頭より高くまで飛び上がった。落ちてくるときには紐が長く伸びて、セディカと国王とを囲う形で着地する。
「お二人とも、その外へ出られませんように」
「ええ。——この中にいれば、安全です」
流石に驚いたらしい国王に、セディカは知った顔で教えた。セディカとてこの首飾りの詳細な効果は知らないが、それだけわかっていれば十分だ。
それからトシュは三人を背にして、山を登る方向へ数歩戻った。朱塗りの棒まで握っているから、こちらの緊張も高まる。手にした棒をしかし構えていないということは、危険と決まったわけではないのかもしれないけれど——。
「おお、間に合った!」
駆け下りてくる姿を認めて、目が点になった。四十歳ほどの、色黒の、男性——寺院に着く直前にも顔を合わせた、木の妖怪の一人だったのだ。竹、だったか。
「そこで止まれ。何の用だ」
トシュは怒った声で命じて、大股に近づいていった。応じて立ち止まった竹は、明るい顔をしていて不快がる様子もない。
その先の会話は聞こえなかったけれども、不穏な気配は感じられなかった。そのうち竹はがっかりしたように肩を落とし、だが気を取り直したようにガッツポーズを見せた。気が変わったらいつでも呼んでくれ、というようなことを言ったらしい。
竹が引き返していき、その姿が見えなくなっても、少しの間、トシュは戻ってこなかった。ようやく踵を返したときには、苛立ちと呆れと疲れの色を、隠しもせず顔に浮かべていた。
「何だって?」
「力になりたいとさ。どこからどんな話を聞いてきたのか知らんが」
ジョイドの問いに、嘆息混じりに答える。熊に助言を仰いだことをセディカは聞いていなかったから、熊ぐらいしかいないのではと指摘するにも、国王の前だから伏せたのだろうと推測するにも至らなかった。
拍子抜けでもしたかと思えばそうでもないようで、トシュの眉間には刻みつけたような縦皺が寄っている。
「やる気だけで絡んでくるやつが一番面倒なんだわ。余計なことをするなとは言っといたが、本当にわかってんのかね」
「あの者は」
問うたのは国王である。
「この山に棲む木の精ですよ。人間に悪意を持ってはいないようですが、人間にとって何が害になるかを理解していない節がある」
ジョイドの解説に、セディカは目を瞬いた。言っていいんだ、と思ったので。
「〈錦鶏〉の人が〈連なる五つの山〉を越えることはありますか?」
「まず、あるまい。山へ立ち入る者はあるが、〈神宝多き寺〉が事実上の果てだ」
「それなら、心配することもないかもしれませんね。山の奥まで入っていくと、あれやその仲間に遭遇して——悪気なく、仲間に引きずり込まれる危険がありますが」
「わざわざここまで出てくることもないでしょうしな。俺らが行っちまえば」
トシュが付け加えて肩を竦め、懐くんじゃねえよと口の中でぼやいた。それからジョイドにちらと目をやれば、ジョイドは頷いて、首飾りの外に出るよう中の二人を促した。つまり今のアイコンタクトは、竹は本当に去ったのか、他にも誰かが潜んではいないか、といったことを確認し合ったのだろう。拾い上げた首飾りが元の大きさにするすると縮まるのを、国王は興味深げに眺めている。
「地面に置いたものを身につけろというのは気が引けますが」
「理由がわかっているのに文句は言わないわ」
受け取って、首にかけ直す。実は国王に譲るべきなのではないか、と今になって閃いてしまったけれども、気づかなかったことにした。三人とも、咎めないだろう。
その先は特に邪魔も入らなかった。トシュとジョイドは先ほどの竹のことを喋ったり、山奥で宴会を見かけたら恐らく木の妖怪たちだとか、その宴会に加わって飲み食いをしてはいけないとかいったことを話したり、していた。国王に聞かせるためなのだろうかとセディカは思った。セディカにも、無論トシュとジョイドにも、とうにわかっているはずのことだ。
山道の終わり、山の出口は、両側に石の柱が立っていて、少し離れたところからでもそれとわかった。間を通り抜けてから柱を見上げれば、〈神宝多き寺〉の名前が彫りつけてある。
「山の外に出たわね」
セディカは呟いた。これで〈誓約〉の条件から外れたわけだ、とまでは、国王の前では口にしにくい。先ほどの竹が木の妖怪であることもあっさり明かしていたのだし、こちらも実は隠し立てしなくともよいのかもしれないが。
「お姫さんに怪我がなくて何よりですよ。枯れ木どもが嫌がらせでもしてきたらどうしてやろうかと思いましたが」
トシュはそんな言い方で、〈誓約〉の話だと通じたことを示した。枯れ木ねえ、とジョイドが説明的な相槌を打った。
ジョイドはセディカに貸した首飾りに手をかけた。
投げ上げたように、首飾りは頭より高くまで飛び上がった。落ちてくるときには紐が長く伸びて、セディカと国王とを囲う形で着地する。
「お二人とも、その外へ出られませんように」
「ええ。——この中にいれば、安全です」
流石に驚いたらしい国王に、セディカは知った顔で教えた。セディカとてこの首飾りの詳細な効果は知らないが、それだけわかっていれば十分だ。
それからトシュは三人を背にして、山を登る方向へ数歩戻った。朱塗りの棒まで握っているから、こちらの緊張も高まる。手にした棒をしかし構えていないということは、危険と決まったわけではないのかもしれないけれど——。
「おお、間に合った!」
駆け下りてくる姿を認めて、目が点になった。四十歳ほどの、色黒の、男性——寺院に着く直前にも顔を合わせた、木の妖怪の一人だったのだ。竹、だったか。
「そこで止まれ。何の用だ」
トシュは怒った声で命じて、大股に近づいていった。応じて立ち止まった竹は、明るい顔をしていて不快がる様子もない。
その先の会話は聞こえなかったけれども、不穏な気配は感じられなかった。そのうち竹はがっかりしたように肩を落とし、だが気を取り直したようにガッツポーズを見せた。気が変わったらいつでも呼んでくれ、というようなことを言ったらしい。
竹が引き返していき、その姿が見えなくなっても、少しの間、トシュは戻ってこなかった。ようやく踵を返したときには、苛立ちと呆れと疲れの色を、隠しもせず顔に浮かべていた。
「何だって?」
「力になりたいとさ。どこからどんな話を聞いてきたのか知らんが」
ジョイドの問いに、嘆息混じりに答える。熊に助言を仰いだことをセディカは聞いていなかったから、熊ぐらいしかいないのではと指摘するにも、国王の前だから伏せたのだろうと推測するにも至らなかった。
拍子抜けでもしたかと思えばそうでもないようで、トシュの眉間には刻みつけたような縦皺が寄っている。
「やる気だけで絡んでくるやつが一番面倒なんだわ。余計なことをするなとは言っといたが、本当にわかってんのかね」
「あの者は」
問うたのは国王である。
「この山に棲む木の精ですよ。人間に悪意を持ってはいないようですが、人間にとって何が害になるかを理解していない節がある」
ジョイドの解説に、セディカは目を瞬いた。言っていいんだ、と思ったので。
「〈錦鶏〉の人が〈連なる五つの山〉を越えることはありますか?」
「まず、あるまい。山へ立ち入る者はあるが、〈神宝多き寺〉が事実上の果てだ」
「それなら、心配することもないかもしれませんね。山の奥まで入っていくと、あれやその仲間に遭遇して——悪気なく、仲間に引きずり込まれる危険がありますが」
「わざわざここまで出てくることもないでしょうしな。俺らが行っちまえば」
トシュが付け加えて肩を竦め、懐くんじゃねえよと口の中でぼやいた。それからジョイドにちらと目をやれば、ジョイドは頷いて、首飾りの外に出るよう中の二人を促した。つまり今のアイコンタクトは、竹は本当に去ったのか、他にも誰かが潜んではいないか、といったことを確認し合ったのだろう。拾い上げた首飾りが元の大きさにするすると縮まるのを、国王は興味深げに眺めている。
「地面に置いたものを身につけろというのは気が引けますが」
「理由がわかっているのに文句は言わないわ」
受け取って、首にかけ直す。実は国王に譲るべきなのではないか、と今になって閃いてしまったけれども、気づかなかったことにした。三人とも、咎めないだろう。
その先は特に邪魔も入らなかった。トシュとジョイドは先ほどの竹のことを喋ったり、山奥で宴会を見かけたら恐らく木の妖怪たちだとか、その宴会に加わって飲み食いをしてはいけないとかいったことを話したり、していた。国王に聞かせるためなのだろうかとセディカは思った。セディカにも、無論トシュとジョイドにも、とうにわかっているはずのことだ。
山道の終わり、山の出口は、両側に石の柱が立っていて、少し離れたところからでもそれとわかった。間を通り抜けてから柱を見上げれば、〈神宝多き寺〉の名前が彫りつけてある。
「山の外に出たわね」
セディカは呟いた。これで〈誓約〉の条件から外れたわけだ、とまでは、国王の前では口にしにくい。先ほどの竹が木の妖怪であることもあっさり明かしていたのだし、こちらも実は隠し立てしなくともよいのかもしれないが。
「お姫さんに怪我がなくて何よりですよ。枯れ木どもが嫌がらせでもしてきたらどうしてやろうかと思いましたが」
トシュはそんな言い方で、〈誓約〉の話だと通じたことを示した。枯れ木ねえ、とジョイドが説明的な相槌を打った。