残酷な描写あり
第12回 狼の奮迅 青年の意地:2-1
戦闘シーン(暴力描写)、殺害方法への言及が含まれます。苦手な方はご注意ください。
ぎゅんと速度を上げて追い抜き、振り向きざま棒を左右に伸ばして、勢いよく風車のように回転させる。遮られた偽のセディカは、流石に慌てて急停止した。
「逃げんなよ。話がある」
ぴたりと棒を止め、構え直したトシュを、セディカの顔と声と、セディカらしくない表情と口調が睨みつけて罵った。
「横から首を突っ込みやがって。俺がここの玉座をいただいたからといって、貴様に何の関係がある」
「関係ないで逃げるにはおいたが過ぎるぜ」
逆鱗とジョイドに評された、大嫌いな逃げ口上に、トシュも苛立ちを抑えずに返す。
「獅子ともあろうもんが、か弱い人間を陥れて恥ずかしくないのか?」
獅子。霊獣。虎をも凌ぐ四つ足の獣。
偽のセディカは目を円くした後、どこか含みのある笑いを浮かべた。
「俺を獅子と知っていたか」
「知られたくなきゃ、牡丹に近づかなけりゃよかったのさ」
熊から聞いたとはおくびにも出さず、簡単な推理だとばかりに嘯く。獅子は牡丹の下で眠るのだ。獅子の肉を食らう虫が獅子の身中に生じるから、牡丹の朝露で駆除するのである。人間の体になっているなら、虫が湧くことも肉を食われることも本当はなかったかもしれないけれど、わかっていてもなるべく牡丹に触れていたい、という心理も不自然なものではあるまい。
少女の姿はたちまちに、夏の木々のように青々とした毛並みの、堂々たる獅子の姿へと変わった。
「わかっていながらいい度胸よ」
吐くが早いか、身を躍らせて襲いかかる。〈神前送り〉の呪符を叩きつけてしまうか、動きを封じる別の呪符を使うかとも考えたものの、結局飛び退くだけにして、トシュは代わりにバンダナを毟るように外して投げつけた。バンダナがほどけて広がり、ばさりと獅子の目を覆った隙に、一応距離を取っておく。
ほどけて広がったのは術によるものだが、バンダナそのものは何でもない、単純な目隠しだ。仮にも〈慈愛天女〉の加護を期待しているからには、話し合う機会も与えずにいきなり強硬手段に出るわけにもいかないのである。その手段の実態が「神に全てを委ねる」という謙虚なものであっても。
「俺は〈慈愛天女〉の薫陶を受けた身なんでね。井戸に三年漬け込まれた王を憐れんでるだけさ。漬け込んだおまえが王の太刀打ちできない相手だってんなら、なおさら引くわけにゃいかねえんだわ」
「軟弱なやつを崇めている」
頭を振ってバンダナを払い、獅子はせせら笑った。挑発だろうが、別に腹は立たない。寧ろ、その通りだなと苦々しく思う。そうでなければ、今は絶好のチャンスだったのに。
「だからおまえは命拾いしてんだぜ、人殺しの乗っ取り野郎よ。おまえが金輪際、あの王とあの国とあの王の周りに寄りつかないと自分で誓うなら、俺は手を引いてやる」
「聞かんと言ったら?」
「力尽くで引き剥がす」
「ほざけ」
二度目の突進をいなして振り返った先には、方士の格好をした人間の姿がある。これが即ち、この獅子が人間になるときの、誰を真似たわけでもない本来の姿なのだろう。人さし指を立てた右手を顔の前に構えていたから、おっと危ない、とこちらも呪文を一つ唱えた。普通の人間が見ていても何かが起こったようには思えなかっただろうが、仙術や法術に通じている者、もしくは妖怪が見ていれば、何かしらの術がトシュに降りかかり、弾かれて霧散したことを認識したはずだ。
「乳臭い小僧が。獅子たるこの俺を見縊ったこと、後悔させてやるわ」
「何でえ、それが理由かね」
その正体は獅子であると知りながら、恐れ入らなかったことが気に食わないのか。これは自分が焚きつけたことになるのだろうかと思いながら、トシュは棒の先でぴしりと獅子を指した。
「そんなら受けてやる。俺とおまえのサシの勝負だ。俺は誰の手も借りない、おまえも誰の手も借りちゃならない。今の今から勝負が着くまで、誰一人として巻き込むな」
町からはもう遠く離れたし、獅子が再び逃げ込もうとしても、ジョイドの手配と寺院の祈願によって阻まれるだろう。この上〈誓約〉で縛るまでもないかもしれないが。
忌々しく思い浮かべたのは、意気揚々と追ってきた竹である。一度は引いていったものの、もしも何かを思いついてまた馳せ参じてきたら、邪魔だ。助太刀のつもりの余計な関与を防ぐためにも、〈誓約〉の強制を利用するのは悪くない。
それに。
これまで細々と、調査や下準備にばかり気を配ってきたので。
そろそろ気兼ねなく一暴れしたいという本音も、実のところ、ある。
「逃げんなよ。話がある」
ぴたりと棒を止め、構え直したトシュを、セディカの顔と声と、セディカらしくない表情と口調が睨みつけて罵った。
「横から首を突っ込みやがって。俺がここの玉座をいただいたからといって、貴様に何の関係がある」
「関係ないで逃げるにはおいたが過ぎるぜ」
逆鱗とジョイドに評された、大嫌いな逃げ口上に、トシュも苛立ちを抑えずに返す。
「獅子ともあろうもんが、か弱い人間を陥れて恥ずかしくないのか?」
獅子。霊獣。虎をも凌ぐ四つ足の獣。
偽のセディカは目を円くした後、どこか含みのある笑いを浮かべた。
「俺を獅子と知っていたか」
「知られたくなきゃ、牡丹に近づかなけりゃよかったのさ」
熊から聞いたとはおくびにも出さず、簡単な推理だとばかりに嘯く。獅子は牡丹の下で眠るのだ。獅子の肉を食らう虫が獅子の身中に生じるから、牡丹の朝露で駆除するのである。人間の体になっているなら、虫が湧くことも肉を食われることも本当はなかったかもしれないけれど、わかっていてもなるべく牡丹に触れていたい、という心理も不自然なものではあるまい。
少女の姿はたちまちに、夏の木々のように青々とした毛並みの、堂々たる獅子の姿へと変わった。
「わかっていながらいい度胸よ」
吐くが早いか、身を躍らせて襲いかかる。〈神前送り〉の呪符を叩きつけてしまうか、動きを封じる別の呪符を使うかとも考えたものの、結局飛び退くだけにして、トシュは代わりにバンダナを毟るように外して投げつけた。バンダナがほどけて広がり、ばさりと獅子の目を覆った隙に、一応距離を取っておく。
ほどけて広がったのは術によるものだが、バンダナそのものは何でもない、単純な目隠しだ。仮にも〈慈愛天女〉の加護を期待しているからには、話し合う機会も与えずにいきなり強硬手段に出るわけにもいかないのである。その手段の実態が「神に全てを委ねる」という謙虚なものであっても。
「俺は〈慈愛天女〉の薫陶を受けた身なんでね。井戸に三年漬け込まれた王を憐れんでるだけさ。漬け込んだおまえが王の太刀打ちできない相手だってんなら、なおさら引くわけにゃいかねえんだわ」
「軟弱なやつを崇めている」
頭を振ってバンダナを払い、獅子はせせら笑った。挑発だろうが、別に腹は立たない。寧ろ、その通りだなと苦々しく思う。そうでなければ、今は絶好のチャンスだったのに。
「だからおまえは命拾いしてんだぜ、人殺しの乗っ取り野郎よ。おまえが金輪際、あの王とあの国とあの王の周りに寄りつかないと自分で誓うなら、俺は手を引いてやる」
「聞かんと言ったら?」
「力尽くで引き剥がす」
「ほざけ」
二度目の突進をいなして振り返った先には、方士の格好をした人間の姿がある。これが即ち、この獅子が人間になるときの、誰を真似たわけでもない本来の姿なのだろう。人さし指を立てた右手を顔の前に構えていたから、おっと危ない、とこちらも呪文を一つ唱えた。普通の人間が見ていても何かが起こったようには思えなかっただろうが、仙術や法術に通じている者、もしくは妖怪が見ていれば、何かしらの術がトシュに降りかかり、弾かれて霧散したことを認識したはずだ。
「乳臭い小僧が。獅子たるこの俺を見縊ったこと、後悔させてやるわ」
「何でえ、それが理由かね」
その正体は獅子であると知りながら、恐れ入らなかったことが気に食わないのか。これは自分が焚きつけたことになるのだろうかと思いながら、トシュは棒の先でぴしりと獅子を指した。
「そんなら受けてやる。俺とおまえのサシの勝負だ。俺は誰の手も借りない、おまえも誰の手も借りちゃならない。今の今から勝負が着くまで、誰一人として巻き込むな」
町からはもう遠く離れたし、獅子が再び逃げ込もうとしても、ジョイドの手配と寺院の祈願によって阻まれるだろう。この上〈誓約〉で縛るまでもないかもしれないが。
忌々しく思い浮かべたのは、意気揚々と追ってきた竹である。一度は引いていったものの、もしも何かを思いついてまた馳せ参じてきたら、邪魔だ。助太刀のつもりの余計な関与を防ぐためにも、〈誓約〉の強制を利用するのは悪くない。
それに。
これまで細々と、調査や下準備にばかり気を配ってきたので。
そろそろ気兼ねなく一暴れしたいという本音も、実のところ、ある。