▼詳細検索を開く
作者: 鈴奈
 緋王様が走る。どこぞの知らない女の手を取り、降りしきる弾丸を避けながら。
 暗い路地に入り、緋王様は黒いスーツから短銃を取り出した。

『私のことはいいから、逃げて!』

 女の言う通りだ! そうしてください緋王様!

「逃げない! 君のことは絶対、俺が守るから!」

 キャ――――――――――!!!!

 よすぎる! かっこよすぎる! 好きすぎる!! 緋王様が2回目に主演を務めた映画、「刑事とお嬢」のクライマックスシーン!
 真面目なまなざしと甘い台詞! やすやすと甘い台詞を言ってしまう他の安いメンバーたちと違い、歌詞でしか甘い台詞を言わない緋王様の、伝説的胸きゅん台詞――――!!
 巻き戻して、もう一回! もう一回! もう一回! もう一回! ……
 30回繰り返し、満足した私は、一時停止してソファに寄りかかり、天を仰いだ。
 
 はあ……。
 緋王様は素晴らしい。普段の姿は涼やかで穏やかな京都人なのに、俳優として演じるとたちまち美しい登場人物になってしまう。アクションもスタントマンなしでするするとこなしてしまうのも、もはや天才としか言いようがない。今演じていたスーツ姿の刑事役もよかったが、冬から国民的時代劇に出演することが決まった。ジャパニーズ・ちょんまげ姿も絶対似合う! 楽しみだ。

 停止ボタンを押して、映画を終わらせる。
 このシーンの直後に命を落としてしまうから、ここで見終わると決めているのだ。緋王様には、永遠であってほしいから。

 そして、スペシャルコンテンツの「完成披露試写会イベント」を再生した。
 美しいスーツ姿の緋王様が登壇する! スタイル、良~~~~っ!
 緋王様が小さな段差でさっと振り向き、後ろにいたハイヒールとドレスで登壇した女優にやさしく手を差し伸べた。「大丈夫ですか」と小さく口が動いたのが見える。きゅん……っ!
 「刑事とお嬢」は、私がはじめて緋王様を観た記念すべき映画。そして、映画で好みすぎる美しい顔と演技力とを見て心惹かれた流れでこのイベント映像を再生し、この自然なやさしい所作に思いっきり心を掴まれたのである! その後、次々と緋王様の動画を見漁り、「推し」という言葉を知って、緋王様が「推し」だと自覚したのだ。
 つまりこの映画のイベントが、私が緋王様推しになったきっかけなのである。

 イベントがはじまると、緋王様の神々しい人間性が炸裂した。

「皆さん、今日はお忙しいところ、完成披露試写会イベントにお越しくださり、本当にありがとうございます。原作者の先生や監督、キャスト、スタッフが一丸となって、愛を込めて作った作品です。ぜひ皆さんにもたくさん愛していただけると嬉しいです。今日はよろしくお願いします」

 礼儀正しい主演挨拶! そしてその後、次から次へと緋王様の素晴らしい人間性を表すようなエピソードがキャストや監督から紹介される。

「毎日、キャストやスタッフ全員に差し入れを手渡しでくれるんです、感謝の言葉とともに」
「主演が決まってすぐ、監督と原作者の意図をしっかり反映したいから話しを聞く機会が欲しいって話をもらって。3人で、3時間以上話したんです。その時の彼の真剣なまなざしで、この作品は成功する、絶対最高の作品になるって確信しました。作品と役柄に本気で真摯に取り組んでくれた。彼以上にこの作品の主演にふさわしい俳優はいません」
「あれだけのアクションをスタントマンなしにこなせる俳優は、なかなかいないと思ってて。もともとの身体能力の高さもあるんでしょうけど、僕は知ってるんです。毎日夜遅くまで撮影した後、ジムに行って努力していたこと。誰にも何も言わずに密かにやっているのが、彼の人柄を表しているというか……本当に最高の俳優です」

 称賛の言葉をもらっても、緋王様は静かに俯き、ときどきかすかに首を振るばかり……。その所作も美しいが、最後にマイクを持った緋王様は、とても謙虚に「恐縮です」と呟いた。

「皆さんにお褒めいただきましたけど、僕がここにいられるのは、本当に皆さんのおかげやと思ってて。ここにいる人たちだけじゃなくて、それこそアクション指導の先生とか、ジムのインストラクターさんとか、本当にたくさんの人たちに助けてもらって、ここまでこられました。何より応援してくださるファンの皆さんのおかげです。いつも僕にたくさんの愛と力をくださり、ありがとうございます」

 深々と礼をする緋王様に、大きな拍手が浴びせられる。私も感動で涙を浮かべながら、拍手を送った。
 ああ、素晴らしい。なんて人格者。人間的魅力の塊。好きすぎる……!

 リン、と電話の音が聞こえた。
 ハデスめ。いい気分の時に……。しかも、こんな朝っぱらに!
 だが、出ないわけにもいかない。またここに来られては余計面倒だ。
 仕方ない、仕事モードに切り替えるか……。
 10回目のベルで、ようやく私はワインの瓶の中から黒電話を引き上げ、受話器を取った。

「おはようございます、ハデス」

『おはよう、キル・リ・エルデ。昨晩、標的の魂を届け忘れなかった? この後来られそう?』

 相変わらず意地の悪い……。湧き上がる怒りを飲み込んで、えほんと咳ばらいをした。

「本日も誠心誠意努めてまいります。必ずお届けしますので、お待ちください」

『毎日頑張るね。それでも狩れないのには、何か理由があるのかな?』

「特にありません。しばしお待ちください」

 受話器を置こうとして、はたとした。

「……一つお伺いしたいのですが。死神を見ることができる人間の存在に、前例はありましたか」

『西洋でも東洋でも聞いたことがないよ。そんな存在がいたら大問題だ。一秒でも早く魂を狩らないと』

「分かりました、ありがとうございます」

 今度こそ受話器を置いて、私はため息をついた。

 ウィルスに罹った皇の元へ行ったとき、皇は、本来目にできるはずのない死神姿の私を見つめた。
 本当に見えていたのか? 見えていたとしたら、なぜ?
 それを知れば、資料にあった「死神の姿で遠距離から仕掛けた攻撃も回避した」という理由も分かるだろう。
 皇が学校に来次第、調べてみるか。

***

 皇が復帰した。私が様子を見に行ってから二日が経っていた。
 靴箱に、皇からの手紙が入っていた。

『キルコさん

 キルコさんと昼食をとった後、高熱が出てしましました。キルコさんは体調、大丈夫でしたか? 僕の罹患したウィルスに、キルコさんが罹っているのではと心配していました。
 今日なのですが、念のため、一日マスクをつけています。顔を見せられないと思います。なので、昼食も今日は別でお願いします。
 マスクを取れる段階になりましたら、また手紙でお知らせします。すみません。

 皇 秀英』
 
 くそ……。もうウィルスは使うまい。
 
 退屈な授業中、皇の後姿をぼんやり眺めながら、ふと、皇に対する気持ちを整理しようと思い立った。
 最近、「推せる」や、「死んでほしくない」など、萌えを越えるような感情が湧いてきている。
 「推し」という好きカーストの頂点に君臨する緋王様の王座に、皇が片足を置いているかのよう……。
 失礼! 緋王様に失礼! 背徳感……!
 大体、緋王様という推しがいながらそんなことを思うなんて、不純極まりない……! 浮気だ! 美しくない!
 皇と緋王様への気持ちを整理し、皇への気持ちに一線を引こう。
 
 まずは、皇についての感情を、頭の中で一覧にする。
 
 顔が好き。
 普段は無表情なのに真面目な顔をしたり微笑んだりするときゅんとする。
 顔が見えている時に繰り出す甘めの言動に萌える。
 つまりギャップ萌えの宝庫。
 もはや、もそもそしているところも可愛い。それでいて色気も時々繰り出してくる。
 私のために慣れないことを頑張ってくれる努力家なところが、応援したくなる。

 次に、緋王様への感情を整理する。

 顔が好き。
 常に微笑みを称えていて、存在中からやさしさと色気が溢れ出していて素敵。
 普段萌えるような言葉を言わないからこそ歌詞や演技でぽろりと萌え台詞を出した時が爆発的に萌える!!
 いつも周りへの感謝を忘れず、礼儀正しく、謙虚な物腰が日本人の鏡!
 演技や歌、ダンスの才能に溢れている上、見えない努力も欠かさない努力家なところが応援したくなる……。

 こう考えると、「応援したくなる」という気持ちが「推せる」という気持ちにつながっているようだ。
 だが、こうして比較すると、皇に惹かれている点と緋王様に惹かれている点には明らかな違いがあることが分かった。
 
 皇に惹かれているのは、主に顔とギャップ。
 緋王様に惹かれているのは、美しいお顔ときゅんとする笑顔と最上級の才能、そして、素晴らしい人間性。
 緋王様はとにかくやさしい。周りをとても大切にしていて、静かな気配りと知的な言葉で周りを温かく明るい気持ちにさせてくださる、愛に溢れた人格者! それでいて謙虚で誠実で努力家で……人間的魅力が止まらない!
 そうだ。私が緋王様を「推し」だと思ったのは、緋王様の人間的魅力を知ってから。
 私にとって「推し」とは、人間的魅力があるか否かだ。
 
 では、皇には性格面での人間的魅力があるだろうか?
 ……思いつかない!

 よし! やはり、私の推しは緋王様! 皇は推しではない! 
 空想の中で、緋王様の王座に片足をかけていた皇を、ピンと跳ね飛ばす。
 安心した。これまで通り、美しい一途の愛を緋王様に抱いて生きよう。
 
 皇は、いうなれば萌え供給機。緋王様からの萌えを摂取できない地獄のような仕事場で、萌えを摂取できる相手。推し代行といったほうがいいかもしれない。
 推し代行……うん、しっくりくる。
 そうだ。今度から、皇への鎌の手が止まりそうになったら、「こいつは推し代行、こいつは推し代行、殺しても本命の緋王様がいる……」と頭の中で繰り返そう。
 なんだか、皇を殺せるような気がしてきた。

 運命写真を撮る。皇の後ろ姿が浮かび上がる。
 このタイミングなら、確かめたいことも確かめられる。
 今日の仕事は、放課後に行う。

***

 終会が終わるとすぐ、私は屋上にワープし、死神の姿に変わった。
 玄関から歩いていく皇の姿を見下ろす。
 また様々な部活から声を掛けられているが、あまり声が出ないのだろう、「ごめん」というジェスチャーをして断っていた。

 皇は豪邸住まいの大金持ちだが、登下校に車は使わない。電車もバスも使わない。
 40分かけて徒歩で登下校しているのだと、引継ぎの資料に書かれていた。
 
 私は、皇の跡をつけた。人のたくさんいるところに出たら姿を見せてみようかと思ったが、全然、人気のあるところに出る気配がない。ずっと人も猫もカラスもいない閑散とした裏道を歩いている。
 あるところで右に曲がって、私は、はっとした。

 ジャパニーズ・居酒屋……!

 日本酒と、ジャパニーズ・つまみの宝庫……!
 あ、この店のメニューに書いてある日本酒、この前の「ひおさんぽ」で緋王様がおすすめしていた銘柄では?
 おつまみに、牛筋の煮込みもある! ほかほかの煮込み、食べてみたかったのだ……。
 緋王様の「ひおさんぽ」で巡っていたところではないが、この仕事が終わったら帰りに寄って……。

「キルコさん?」

 はっと皇の方を見る。
 皇が、振り返っていた。
 はっきりと私の方を見ているわけではなかった。
 だが、きょろきょろとあたりを見ながら、私の方に近づいてきた。
 しゃがんで店の看板を眺めていた私は、とっさに看板の後ろに隠れた。皇が、ゆっくり前を通過していく。
 見えていない? だが、やはり何かに気付いていた様子だった。
 確かめるなら、今か。

 私は、JK姿に変わった。

「皇さん」

「キルコさん。やっぱり。どうしたんですか? こんなところで」

「ちょっと用事があって。それより、どうして私がいるって気付いたんですか?」

「準静電界です」

 人が発する微弱な電流――つまり、気配を察する、ということらしい。
 え? 私、神だが? 神にも準静電界があるのだろうか?
 おそるべし、科学。おそるべし、皇の察知能力。

「でも、どうして私だと?」

「僕もまだ準静電界について十分な研究ができておらず、はっきりとしたことは言えないのですが……なんとなく、キルコさんのことは分かるんです」

 なぜ……?
 しかし、皇にも分からないなら、これ以上追求しようがない。
 諦めよう。

「ところで、用事とはなんですか?」

「もう済みました」

「そうですか。それなら、この先の道は危ないので行かない方がいいです。戻って、右に曲がると安全に駅の方に行けます。送りたいのですが、この道だと、僕が一緒にいる方が危険なので、せめて見送らせてください」

 皇が道に手を伸ばし、帰るように促す。

 だが――やっぱり皇の顔を見ずに一日を終えるのは惜しい!
 こんなに近くにいるのに……!
 萌え供給機。推し代行。だけど――いや、だからこそ、1日の退屈さを我慢した褒美が欲しい!

 私は、皇の目の前に立った。息で曇ったメガネを取って、マスクを取る。
 皇は、はっと両手で口を覆い、後ずさった。

「だめです。まだ感染の危険が……」

「大丈夫です。顔みせてください。少しでいいので」

 皇は、少し考えると、三歩下がった。
 そして、口を覆っていた両手で、前髪を掻き上げた。

 ――ああ……。
 やっぱり、この顔、好き――。

 皇が、はっと目を見開いた。

「キルコさん!」

 皇が、ばっと私に手を伸ばし、二の腕を掴む。後ろの路地に、強引に引き入れる。メガネとマスクが手から落ちる。

 ダダダダダダダッ!!

 凄まじい銃声と火花が、さっきまで私たちがいたところに飛び散る。
 皇は、ぽそりと呟いた。

「すみません、キルコさん。巻き込むつもりはなかったのですが。
 でも、必ず守りますから」

 も……っ! 萌え……っ!!
 と芽吹いた萌えの気持ちは、皇が鞄から取り出した粉の入った袋をみて、しゅんとしぼんだ。
 なんだ、この怪しい薬は。
 皇は袋の中に、ペットボトルの液体を中に入れた。もくもくと煙が立つ。それを、銃弾が転がっているところに投げた。

「伏せて!」
 
 皇が私を抱きしめ、煙に背を向ける。
 その途端、ドオン! という凄まじい音が炎とともに上がった。
 皇の背中に、火の粉が降りかかる。
 あたりは、煙で充満していた。店から、悲鳴と、「消防車を呼べ!」という声が聞こえてきた。
 皇は、鞄からタオルを取り出し、私の顔に押し当てた。

「これで顔を覆ってください。少し走ります。僕についてきてください。絶対、守りますから」

 皇が私の手首を掴み、走り出した。煙に隠れながら道路から出る。
 キャ~~~~! いい~~~っ! 「刑事とお嬢」みたい~~~~っ!

 廃ビルの階段を駆け登る。屋上にたどり着くと、長銃を持った汚いオヤジが見えた。
 皇の手が離れる。

「ここで待っていてください。絶対にこちらに来ないでください」

 そう言い残し、皇はさっと屋上に躍り出た。

「な……っ! なんでここが分かった!?」

「銃声、銃弾が堕ちてきた角度、銃弾の種類――それらの情報を数字に落とし込めば、狙撃手の位置を計算することは簡単です」

 皇が、男に近づいていく。男は銃を構え、ダン! と一発、撃った。
 だが、弾丸は皇が前に出した鞄にめり込んだ。

「な、なんで……」

「超高分子量ポリエチレン繊維の特注なので」
 
 男は後ずさりながら、「クソッ! クソッ!」と言いながら何度も撃ってきたが、すべて鞄にはじかれてしまった。
 皇が、鞄から透明の液体の入った黒い銃を取り出し、構えた。

 なななな、なんだあれっ! リアル「刑事とお嬢」!
 かっこいい~~~~!

 男は「ヒィッ!」と鳴き、しりもちをついた。

「本物ではありません。濃硫酸が入った水鉄砲です。濃硫酸は、皮膚等につけると溶ける劇薬です。このように」

 皇は持っていたハンカチを水鉄砲で撃った。たちまち、布にじんわりと穴があいた。
 男の顔が、恐怖の色に染まりあがる。

「そ、それを、どうする気だ……!」

「撃ちます。ただし、この後僕たちを追ってこないと約束するなら、撃ちません」

 男はすぐに、「わ、分かったよ!」と答えた。
 皇はほっと安堵の息を吐き、男に背を向けた。

 終わった。

 ――いや、終わらせまい。

 どんなに萌えても、この男は私の標的。だから、運命写真を撮った時点で決めていた。
 今日一番のチャンスであるこのタイミングで仕掛けると。
 私は、男の脳に念じた。
 
 ――銃を取りなさい。そして、撃ちなさい。

 男が、銃を握った。そして、銃口を皇に向けた。
 音に反応して、皇が振り向いた。

「皇さん」

「キルコさん!?」

 階段から顔を出した私に、注意がそれた。
 男が、引き金を引いた。

 パァン!

 銃弾が皇の肩をかすめた。男の気配を察知して、身を避けたらしい。
 直後、皇が水鉄砲を構え、引き金を引いた。
 男の手の甲に、濃硫酸が直撃する。

「あぢぃいいいいいいいいい!!!!」

 男の手が赤く溶ける。長銃が、からんと落ちた。

「キルコさん!」

 皇が私のところに全速力で駆け寄ってきた。

「怪我はありませんか!? 流れ弾は来ませんでしたか?」

「大丈夫です」

「そうですか……。よかった」
 
 風が吹いた。皇の前髪が上がる。皇の微笑に、ドキリと、胸が高鳴る。
 皇は破れた肩をそのままに、「もう少し待っていてください」とやさしく微笑み、男の方に向かっていった。
 
 萌え……。やさしい微笑み、萌え……。
 というか、自分のほうが怪我の心配があるのに、私を優先して……。
 や、やさしい……。

 いや。だめだ。こんなことでほだされては!
 今が最高の好機。もう一度、今度は確実に仕留める!
 
 当たりに散らばる弾丸に念を送る。
 三つの弾丸が、私の念によって浮遊する。先端が、皇の心臓に向いていた。
 さあ、飛べ。そして、皇の心臓を貫くのだ!
 銃弾が私の思い通りに、皇に向かって飛んだ。

 その時だった。
 皇が、男のかたわらに膝をつき、男の赤くなった手を取った。
 鞄から出した応急処置バッグのようなものから包帯を取り出し、巻きつける。

「大丈夫ですか。すみませんでした。応急処置ですが。病院、必ず行ってくださいね」

 ……え?
 ちょ……え。さっきまで自分の命を狙っていたやつを、助け……? 
 え……っ。

 や……やさしい――――っ!!
 なんてやさしさ! まさに、無償の愛! 最高の人間性! もはや神――っ!

 ずきゅうぅうん! と太い矢のようなものに心臓を貫かれ、私の体は固まっていた。
 そして、弾丸も。皇の背後で、ぴたりと止まってしまっていた。
 
 はっと気付いた私は、首を振った。

 ――だ、だめだ! ときめきを越えろ!
 
 こいつは、推し代行。推し代行、推し代行、推し代行、推し代行……!
 こいつがいなくなっても、緋王様がいる!
 
 こいつが、いなくなっても――――。

 …………む、無理……。

 私は、ぺたりとその場に崩れた。

***

 消防隊の赤いランプを背に、私たちはその場を後にした。
 黙々と、線路脇の道を歩く。道には、誰もいなかった。
 皇は、私の1mほど後ろを歩いていた。マスクとメガネが爆発に巻き込まれてしまったので、感染対策のつもりらしい。

「キルコさん。本当にすみませんでした、巻き込んでしまって」

 皇は、ぽつぽつと語った。
 小学校に上がったころから、登下校時にほとんど毎日襲撃犯に命を狙われ続けているのだということ。
 送迎の車やバス、電車でも襲われたことがあり、いろいろな人を巻き込んでしまったこと。
 だから、登下校は自分一人で行動しているのだということ。
 護身用に化学物質を持ち歩いていること。

 襲撃犯に狙われ続けていることは引継ぎ書類で知っていたが、まさか、化学物質や物理計算で10年間防ぎ続けていたとは。
 多少の隙は見つけられそうだが、結局回避されてしまう気がする。潜り抜けてきた場数が違う……。

 立ち止まり、振り向いて、皇を見つめた。
 皇も立ち止まり、不思議そうに私を見つめ返した。

 ――10年の間、ずっと、他人のために一人で苦労を背負ってきたなんて……。
 やさしい。なんてやさしいのだろう……。誰かを巻き込まないように、自分の身を投げうって、一人きりで戦って……。胸が、ぎゅっと締めつけられる。
 いや、今更だ。皇はずっとやさしかった。それどころか、礼儀正しいし、誠実だし、努力家だし。
 かなり人間性が高いではないか。
 私が、顔と萌えばかりに気を取られて、気付かなかっただけだ。

 皇は、人間的魅力に溢れている……。
 
 熱い気持ちが心の底から湧き上がり、唇から溢れ出した。
 
「――好き…………」
 
 皇の顔も、皇の性格も、全部。
 いなくなってほしくない。存在していてほしい。彼の生きざまを、応援したいと思うほどに——。
 
 私は、確信した。
 
 私は、皇 秀英を「推し」ている。
Twitter