R-15
第8話 やっぱりキャラ作ってたのか?
大学というのは、人それぞれが割と個性的に生きる場所である。少なくとも高校まで、様々な校則に苛まされていたアキラはそう思っていた。
制服がなく、髪の色に制限がない。ただそれだけでも自由を多く手にした気分なのに、さらには交友関係まで自由である。同じクラスだからというだけで一蓮托生にされていた高校とは大違いだ。
そういうわけで、アキラは今、数人のグループとお昼休みを共有している。そのうち二人はこの大学で初めて知り合った仲間だ。残り三人は高校からの友人で、そのうち二人は学部が違うが、こうして頻繁に会う。
「いいよな。アキラたちは夏休みがあって」
「俺らは資格取得の講習だもんな」
そうぼやく友人に、アキラは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「いいだろう~?まあ、俺らは特に資格もいらないし」
偉そうにふんぞり返るアキラだが、別に偉くはない。もっと言うなら、この夏に資格を身に着けようという友人たちの方が偉い。そんなことはアキラも分かっている。
「そうだ。俺らで予定を合わせてさ。海にでも行こうぜ」
「なんだよケンゴ?男ばっかで海か?」
「解ってねぇな。ナンパに行こうって言ってんだよ。どうせお前らも彼女いないんだろう?この機に捕まえに行こうぜ。あ、抜け駆けしちまったらゴメンな」
「何でケンゴが抜け駆けできる前提になってんだっての。このメンツなら一番の余り物だろう」
「うっわ、ひでぇ」
「つーか、誰の車で行くわけ?」
「ショウヘイとトウヤでいいだろう」
「いいわけないだろう。まだ俺教習所通い始めたばっかだって」
「そういうのは合宿で取れよ。……って、あれか。トウヤは夏期講習もあんのか」
中庭に、そんな会話が響く。モテない男子大学生の集い。周囲から見たらどう映るのかは分からなかったが、本人にしたら楽しいから問題ない。日当たりのいいベンチは、季節も相まって少し暑い。
「そういえば、アキラは免許取らないの?」
ショウヘイに聞かれて、アキラは適当な笑みを作った。
「いや、俺は自転車で満足っていうか、なんかタイミング逃しちゃってさ」
「なんだそれ?」
ショウヘイが突っ込むと、ケンゴが思い出したように言う。
「ああ、そういえばアキラ。今日すっげぇ自転車で来てたよな。あれって買い直したのか?」
「ん。ああ、そうなんだよ」
話題が自分のクロスバイクの話になる。アキラは密かに嬉しかった。実は11万円もしたことや、本気を出せば原チャリと同じくらい速いことなど、自慢したいことは沢山あった。変速ギアが20段もついているなんて、みんなは驚くだろうな。
「ん?」
そう考えていると、遠くから一人の女子が歩いてくる。アキラに向かって、まっすぐに。
薄手のブラウスと花柄のスカートにメッシュのカーディガンを合わせた彼女は、いつもと違う雰囲気をまとっていた。金色のブレスレットとペンダントが、余計にその印象を変えている。
ただ、髪型はいつも通り、左側だけ編み込んだショートヘアなんだよな。露出した左耳には、銀色のイヤーカフ。よくよく見れば自転車のチェーンを改造したものだったりする。
そんな美女……ルリは、アキラの目の前まで来て一礼する。
「こんにちは、アキラ様。先日はお買い上げ、ありがとうございました。あれから調子はどうですか?」
それを聞いた全員が、固まる。凍り付く。時を止める。
しばらく無言の時間が続いた後、ハッと我に返ったケンゴが、アキラ以外のメンバーを呼び集めて少し離れた。
「おい、あれって同じ学年の吉識だよな?」
「ああ。クール&ミステリアスで一部から人気の吉識瑠璃だ。間違いない」
「その吉識が今、アキラを様付けで呼んだぞ。なんだアキラ様って」
「えっと、あの……カノジョ、的な?」
「どこの世界に彼氏を様付けする女がいるんだっての。なろうテンプレ小説でも最近見ねぇぞ」
「マサツグ様面白かったな」
「なろうの見過ぎだって言われるかもしれないけど、彼女じゃないなら奴隷とか?もしくは従者」
「そ、れ、だ!」
「いや、それだ。じゃねぇよ。何で平成末期の日本で奴隷がいるんだよ。しかも大学の同学年に」
「ラノベなら売れる。なろうなら受けない」
「聞いてねぇよ。なろうじゃなくて現実の話をしろよ」
聞こえっぱなしの内緒話が、ダダ洩れして中庭に響く。そのうち誰かが代表して訊いて来いって話が決まり、言い出しっぺのケンゴがやってくる。
「あ、あのー、吉識さん?」
あまりルリと話したことのないケンゴは、緊張しつつもその名を呼ぶ。ルリは無表情のまま、
「はい。どうしました?えっと……」
「ケンゴです」
「ケンゴさん。私に何か御用ですか?」
首をかしげるルリ。
(なんで俺はケンゴさんなんだよ。アキラは様なのに……)
と、なにやら意味不明な理不尽?……を感じつつ、本題に切り込む。
「な、なんでアキラを様って呼ぶのかなって?いや、聞き間違いならゴメンな。でも、えっと……お二人の関係は?」
そう訊かれたとき、アキラはとっさに正しく答えようとした。といっても、身体が急には動かないし、言葉は突然には紡げない。
結果として、ルリに先に答えられてしまった。
「先日、(自転車を)お買い上げいただきました。正式にアキラ様が(自転車の)所有者となりましたので、ご挨拶を……」
「買われた?所有者!?」
ケンゴが素っ頓狂な声を出す。なろう読み専歴2年。彼にとっては聞き慣れたワードだが、まさか異世界以外で聞くことになるとは……
そんなケンゴのリアクションを意に介さず、ルリは続ける。
「はい。ただ、(クロスバイクが)初めてだったので、(硬いサドルで)腰などを痛めていないかと心配になりまして……アキラ様ご自身が気持ちよければ、私から言う事は無いのですが……
あ、私はもう慣れましたから、むしろ(サドルが)硬いのは(重心が安定するから)快感です。
それと、アキラ様。昨晩、気になったことが一点だけあります。もう少し(膝をトップチューブに)擦っていただくようなイメージで、規則的に(ペダルを)回していただけると、もっと気持ちよく行けると思うのです。
行く……というより、飛んじゃうような感覚ですね。気持ちいいと思います。太ももの内側を(トップチューブに)擦られるの、私も好きです。
もちろん、(あの車体は)アキラ様が所有者ですから、アキラ様の自由にしていただいていいのですよ。ただ、どうせなら隅々まで知っていただきたかったので……」
「あば、あばばばば……」
ケンゴが泡を吹いて倒れる。女にモテない同士――そう思っていた親友が、自分より先に何段も大人の階段(?)を登っていた。それがショックでならない。
「ケンゴー。ケンゴー!」
「おい、しっかりしろ。まだ決まったわけじゃないぞ」
「そうだ。こういう主語の抜けた話は、ただの誤解とラブコメ漫画の世界で相場が決まっている……」
仲間たちがケンゴを介抱しに来る。一方、アキラは状況が悪化していくのを見ながら、余計に一言も発せられない。ここで言い方を誤れば最後、友人たちとの付き合いはおろか、大学生活も終わる。言葉は慎重に選ばなければならない。
そんな中、ルリは両手を重ねて、スカートの前をキュッと握った。緊張した面持ちに見えなくもない無表情のまま、アキラに語り掛ける。
「そういえば、(お店に入荷した)新しい(レーシング)パンツ。アキラ様のお気に召す(商品だ)と思ったので、穿いてきちゃいました。見ていただけますか?よろしければ、触って(パッドの感触などを、店頭で)確かめていただきたいと……」
ルリがそう言って、自分のスカートをたくし上げる。角度的には、アキラにしかスカートの中は見えない。
競輪選手が穿くような、スパッツのようなものが見える。レーシングパンツ。通称レーパンと呼ばれるアイテムだ。
「「「あば、あばばばばば……」」」
ケンゴたちは全滅した。その後、彼らの行方を知る者は誰一人いなかった。というのは冗談だとしても……
「あ、おい。待てケンゴ。ショウヘイ。トウヤ。ミツル。伊藤君!誤解だ。これは誤解なんだ」
まるでクモの子を散らすように、モテない男子パーティは解散する。一目散に逃げ去った彼らに、アキラの声は届かない。
中庭に、ルリとアキラだけが取り残される。
「……ルリ。天然にもほどがあるぞ?」
「はて?天然……ですか。私が?」
「他に誰がいるんだよ!」
アキラが言うと、ルリはより表情を硬くした。なんだろう?無表情と言うより、本当の表情を隠しているかのようだ。意図的なポーカーフェイス。あるいは、笑いをこらえている?
「お前は、いったい何がしたいんだよ」
「そうですね。先日の賭けに負けましたので、その鬱憤を晴らそうと思いまして」
「計算ずくだったのか!ひでぇ」
「私は普段から学校でこのキャラですから、変な噂がいくつか増えようとダメージはありません。一方で交友関係が広く、リア充なアキラ様にはダメージが大きいと思いました」
「玉砕覚悟なのかよ!しかもリスクとリターンを天秤にかけた狡猾さ。悲しい人間関係まで利用する戦術。本当にひでぇ!」
嘆くアキラを見て、ルリは内心で勝ち誇った。これからもアキラ様と呼んで、からかい続けよう。そう決意を固めて、とりあえずスカートを脱ぐ。
「ここからは本題。アキラ様は、このようなレーパンに興味はありますか?」
「……見る方か?」
「穿く方です」
ぴしゃりと言ったルリは、それからスカートを穿きなおす。
(見る方……そのような性癖もあるのですね。油断していました)
少なくともルリにとって、レーパンは正装である。それをまるで男性の観賞用のように言われるのは面白くない。女性としての立場から言って不快。自転車乗りの立場から言っても不快である。
「アキラ様。この後、ご予定はありますか?」
「いや、無いと思うぞ。主にお前のせいで」
本当なら友人一同とどこかに行こうと思っていたのだが、友人一同だけどこかに行ってしまったからな。
「そうですか。では、一度お店まで来ていただけますか?実は昨日、紹介しようと思ったアイテムなどをすっかり忘れていましたので」
「アイテム?」
と言われても、アキラはピンとこない。それを察して、ルリは説明を加える。
「簡単に言えば、私が身に着けているレーパンや、ヘルメットや、グローブ。あるいは自転車に付けるライト、スタンド、ベルなどのご案内です。煩わしいと思うのなら強制はしませんが、あれば便利かと思いまして」
なるほど。とアキラは納得する。
今朝もローマで学校に来たまでは良いが、鍵が付いていないことに気づいて困っていたところだ。ひとまず監視カメラの前に置いてきたが、不安と言えば不安である。
スタンドがないので柱に立てかけているだけの状態だし、ライトもないので暗くなる前に帰ろうとは思っていた。
「すみません。本当は、お買い上げいただいた時に説明しなくてはならなかったのですが……」
勝負に負けたことが悔しくて、すっかり忘れていた。
「まあ、いいよ。それじゃあ、今日でいいか?」
「はい。私は午後も授業があるので、16時からバイトに入ります。それ以降でしたら、終日いますので、いつでもご来店ください」
大仰に手を広げたルリは、深くお辞儀をしてから言う。
「自転車に乗るにあたって、意外なものが必要になることがあります。また、必要そうなものが要らない場合もあります。
乗る人によって、それは全く異なります。私に出来るのは、アキラ様からご要望をうかがう事だけ。
その中から、最適な装備を選び出しましょう。あなたのためだけに」
制服がなく、髪の色に制限がない。ただそれだけでも自由を多く手にした気分なのに、さらには交友関係まで自由である。同じクラスだからというだけで一蓮托生にされていた高校とは大違いだ。
そういうわけで、アキラは今、数人のグループとお昼休みを共有している。そのうち二人はこの大学で初めて知り合った仲間だ。残り三人は高校からの友人で、そのうち二人は学部が違うが、こうして頻繁に会う。
「いいよな。アキラたちは夏休みがあって」
「俺らは資格取得の講習だもんな」
そうぼやく友人に、アキラは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「いいだろう~?まあ、俺らは特に資格もいらないし」
偉そうにふんぞり返るアキラだが、別に偉くはない。もっと言うなら、この夏に資格を身に着けようという友人たちの方が偉い。そんなことはアキラも分かっている。
「そうだ。俺らで予定を合わせてさ。海にでも行こうぜ」
「なんだよケンゴ?男ばっかで海か?」
「解ってねぇな。ナンパに行こうって言ってんだよ。どうせお前らも彼女いないんだろう?この機に捕まえに行こうぜ。あ、抜け駆けしちまったらゴメンな」
「何でケンゴが抜け駆けできる前提になってんだっての。このメンツなら一番の余り物だろう」
「うっわ、ひでぇ」
「つーか、誰の車で行くわけ?」
「ショウヘイとトウヤでいいだろう」
「いいわけないだろう。まだ俺教習所通い始めたばっかだって」
「そういうのは合宿で取れよ。……って、あれか。トウヤは夏期講習もあんのか」
中庭に、そんな会話が響く。モテない男子大学生の集い。周囲から見たらどう映るのかは分からなかったが、本人にしたら楽しいから問題ない。日当たりのいいベンチは、季節も相まって少し暑い。
「そういえば、アキラは免許取らないの?」
ショウヘイに聞かれて、アキラは適当な笑みを作った。
「いや、俺は自転車で満足っていうか、なんかタイミング逃しちゃってさ」
「なんだそれ?」
ショウヘイが突っ込むと、ケンゴが思い出したように言う。
「ああ、そういえばアキラ。今日すっげぇ自転車で来てたよな。あれって買い直したのか?」
「ん。ああ、そうなんだよ」
話題が自分のクロスバイクの話になる。アキラは密かに嬉しかった。実は11万円もしたことや、本気を出せば原チャリと同じくらい速いことなど、自慢したいことは沢山あった。変速ギアが20段もついているなんて、みんなは驚くだろうな。
「ん?」
そう考えていると、遠くから一人の女子が歩いてくる。アキラに向かって、まっすぐに。
薄手のブラウスと花柄のスカートにメッシュのカーディガンを合わせた彼女は、いつもと違う雰囲気をまとっていた。金色のブレスレットとペンダントが、余計にその印象を変えている。
ただ、髪型はいつも通り、左側だけ編み込んだショートヘアなんだよな。露出した左耳には、銀色のイヤーカフ。よくよく見れば自転車のチェーンを改造したものだったりする。
そんな美女……ルリは、アキラの目の前まで来て一礼する。
「こんにちは、アキラ様。先日はお買い上げ、ありがとうございました。あれから調子はどうですか?」
それを聞いた全員が、固まる。凍り付く。時を止める。
しばらく無言の時間が続いた後、ハッと我に返ったケンゴが、アキラ以外のメンバーを呼び集めて少し離れた。
「おい、あれって同じ学年の吉識だよな?」
「ああ。クール&ミステリアスで一部から人気の吉識瑠璃だ。間違いない」
「その吉識が今、アキラを様付けで呼んだぞ。なんだアキラ様って」
「えっと、あの……カノジョ、的な?」
「どこの世界に彼氏を様付けする女がいるんだっての。なろうテンプレ小説でも最近見ねぇぞ」
「マサツグ様面白かったな」
「なろうの見過ぎだって言われるかもしれないけど、彼女じゃないなら奴隷とか?もしくは従者」
「そ、れ、だ!」
「いや、それだ。じゃねぇよ。何で平成末期の日本で奴隷がいるんだよ。しかも大学の同学年に」
「ラノベなら売れる。なろうなら受けない」
「聞いてねぇよ。なろうじゃなくて現実の話をしろよ」
聞こえっぱなしの内緒話が、ダダ洩れして中庭に響く。そのうち誰かが代表して訊いて来いって話が決まり、言い出しっぺのケンゴがやってくる。
「あ、あのー、吉識さん?」
あまりルリと話したことのないケンゴは、緊張しつつもその名を呼ぶ。ルリは無表情のまま、
「はい。どうしました?えっと……」
「ケンゴです」
「ケンゴさん。私に何か御用ですか?」
首をかしげるルリ。
(なんで俺はケンゴさんなんだよ。アキラは様なのに……)
と、なにやら意味不明な理不尽?……を感じつつ、本題に切り込む。
「な、なんでアキラを様って呼ぶのかなって?いや、聞き間違いならゴメンな。でも、えっと……お二人の関係は?」
そう訊かれたとき、アキラはとっさに正しく答えようとした。といっても、身体が急には動かないし、言葉は突然には紡げない。
結果として、ルリに先に答えられてしまった。
「先日、(自転車を)お買い上げいただきました。正式にアキラ様が(自転車の)所有者となりましたので、ご挨拶を……」
「買われた?所有者!?」
ケンゴが素っ頓狂な声を出す。なろう読み専歴2年。彼にとっては聞き慣れたワードだが、まさか異世界以外で聞くことになるとは……
そんなケンゴのリアクションを意に介さず、ルリは続ける。
「はい。ただ、(クロスバイクが)初めてだったので、(硬いサドルで)腰などを痛めていないかと心配になりまして……アキラ様ご自身が気持ちよければ、私から言う事は無いのですが……
あ、私はもう慣れましたから、むしろ(サドルが)硬いのは(重心が安定するから)快感です。
それと、アキラ様。昨晩、気になったことが一点だけあります。もう少し(膝をトップチューブに)擦っていただくようなイメージで、規則的に(ペダルを)回していただけると、もっと気持ちよく行けると思うのです。
行く……というより、飛んじゃうような感覚ですね。気持ちいいと思います。太ももの内側を(トップチューブに)擦られるの、私も好きです。
もちろん、(あの車体は)アキラ様が所有者ですから、アキラ様の自由にしていただいていいのですよ。ただ、どうせなら隅々まで知っていただきたかったので……」
「あば、あばばばば……」
ケンゴが泡を吹いて倒れる。女にモテない同士――そう思っていた親友が、自分より先に何段も大人の階段(?)を登っていた。それがショックでならない。
「ケンゴー。ケンゴー!」
「おい、しっかりしろ。まだ決まったわけじゃないぞ」
「そうだ。こういう主語の抜けた話は、ただの誤解とラブコメ漫画の世界で相場が決まっている……」
仲間たちがケンゴを介抱しに来る。一方、アキラは状況が悪化していくのを見ながら、余計に一言も発せられない。ここで言い方を誤れば最後、友人たちとの付き合いはおろか、大学生活も終わる。言葉は慎重に選ばなければならない。
そんな中、ルリは両手を重ねて、スカートの前をキュッと握った。緊張した面持ちに見えなくもない無表情のまま、アキラに語り掛ける。
「そういえば、(お店に入荷した)新しい(レーシング)パンツ。アキラ様のお気に召す(商品だ)と思ったので、穿いてきちゃいました。見ていただけますか?よろしければ、触って(パッドの感触などを、店頭で)確かめていただきたいと……」
ルリがそう言って、自分のスカートをたくし上げる。角度的には、アキラにしかスカートの中は見えない。
競輪選手が穿くような、スパッツのようなものが見える。レーシングパンツ。通称レーパンと呼ばれるアイテムだ。
「「「あば、あばばばばば……」」」
ケンゴたちは全滅した。その後、彼らの行方を知る者は誰一人いなかった。というのは冗談だとしても……
「あ、おい。待てケンゴ。ショウヘイ。トウヤ。ミツル。伊藤君!誤解だ。これは誤解なんだ」
まるでクモの子を散らすように、モテない男子パーティは解散する。一目散に逃げ去った彼らに、アキラの声は届かない。
中庭に、ルリとアキラだけが取り残される。
「……ルリ。天然にもほどがあるぞ?」
「はて?天然……ですか。私が?」
「他に誰がいるんだよ!」
アキラが言うと、ルリはより表情を硬くした。なんだろう?無表情と言うより、本当の表情を隠しているかのようだ。意図的なポーカーフェイス。あるいは、笑いをこらえている?
「お前は、いったい何がしたいんだよ」
「そうですね。先日の賭けに負けましたので、その鬱憤を晴らそうと思いまして」
「計算ずくだったのか!ひでぇ」
「私は普段から学校でこのキャラですから、変な噂がいくつか増えようとダメージはありません。一方で交友関係が広く、リア充なアキラ様にはダメージが大きいと思いました」
「玉砕覚悟なのかよ!しかもリスクとリターンを天秤にかけた狡猾さ。悲しい人間関係まで利用する戦術。本当にひでぇ!」
嘆くアキラを見て、ルリは内心で勝ち誇った。これからもアキラ様と呼んで、からかい続けよう。そう決意を固めて、とりあえずスカートを脱ぐ。
「ここからは本題。アキラ様は、このようなレーパンに興味はありますか?」
「……見る方か?」
「穿く方です」
ぴしゃりと言ったルリは、それからスカートを穿きなおす。
(見る方……そのような性癖もあるのですね。油断していました)
少なくともルリにとって、レーパンは正装である。それをまるで男性の観賞用のように言われるのは面白くない。女性としての立場から言って不快。自転車乗りの立場から言っても不快である。
「アキラ様。この後、ご予定はありますか?」
「いや、無いと思うぞ。主にお前のせいで」
本当なら友人一同とどこかに行こうと思っていたのだが、友人一同だけどこかに行ってしまったからな。
「そうですか。では、一度お店まで来ていただけますか?実は昨日、紹介しようと思ったアイテムなどをすっかり忘れていましたので」
「アイテム?」
と言われても、アキラはピンとこない。それを察して、ルリは説明を加える。
「簡単に言えば、私が身に着けているレーパンや、ヘルメットや、グローブ。あるいは自転車に付けるライト、スタンド、ベルなどのご案内です。煩わしいと思うのなら強制はしませんが、あれば便利かと思いまして」
なるほど。とアキラは納得する。
今朝もローマで学校に来たまでは良いが、鍵が付いていないことに気づいて困っていたところだ。ひとまず監視カメラの前に置いてきたが、不安と言えば不安である。
スタンドがないので柱に立てかけているだけの状態だし、ライトもないので暗くなる前に帰ろうとは思っていた。
「すみません。本当は、お買い上げいただいた時に説明しなくてはならなかったのですが……」
勝負に負けたことが悔しくて、すっかり忘れていた。
「まあ、いいよ。それじゃあ、今日でいいか?」
「はい。私は午後も授業があるので、16時からバイトに入ります。それ以降でしたら、終日いますので、いつでもご来店ください」
大仰に手を広げたルリは、深くお辞儀をしてから言う。
「自転車に乗るにあたって、意外なものが必要になることがあります。また、必要そうなものが要らない場合もあります。
乗る人によって、それは全く異なります。私に出来るのは、アキラ様からご要望をうかがう事だけ。
その中から、最適な装備を選び出しましょう。あなたのためだけに」