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作者: 我那覇キヨ
シーン2 [アオシマ]
 我那覇さんからの手紙に気づいたのは、眠りに落ちる寸前のことだった。ベッドからぼんやりと眺めた机の上の紙袋の中に、手土産の包装とは色が異なる矩形を見つけた。便箋かな、と思ったところで甘い眠りに落ちていったのが、昨日の最後の記憶だ。 

 その後はもう闇の中。夢を見たかどうかもわからない。なんとなく時間が経過したことだけは感じ取れるのが睡眠の不思議なところだと思う。

 ぼくは眠るのが好きだ。
 眠りをより良く味わうコツは逆説的だが、より気持ちよく目覚める環境を作ることだと思っている。

 深く、長く眠ったあとで窓から差し込む光に照らされて目が覚める。アラームの不粋な音ではなく、日の光で覚醒すると幸福を感じる。カーテンを開け放したままでいられる高層階のメリットに頬が緩む。すぐに身体を起こさず、ベッドの中で足を伸ばし、素足でシーツの感触を楽しむのもいい。

 気分が乗った日には、マンションのテラスに出て熱いコーヒーを飲んだりする。決まったモーニングルーチンも素敵だが、ぼくはそれに少しアレンジを追加するのが好きだ。

 その日はコーヒーとクッキーを楽しみながら、昨日見た便箋とおぼしき矩形の正体を確かめることにした。(本当は朝見たらベッドからでも便箋だとわかった。我那覇さんからのお礼のお手紙だろう)

 コーヒーケトルでお湯を沸かし、ペーパードリップに挽いた豆を入れる。これにお湯をそそぐ時の音がぼくは好きだ。

 ぼくはマグにコーヒーを注ぎ終えると、クッキーと共にトレイに乗せた。
 両手でトレイを持ちながら、二本の指でペーパーナイフと手紙を挟み、テラスへ移動する。淹れたてのコーヒーのいい香りが鼻腔をくすぐる。クッキーもお気に入りのメーカーのものだ。
 テラスに置いた籐のカフェテーブルまで運ぶと、ぼくはひと仕事終えた充実感を感じながら、手紙を開いた。

「アオシマくんへ。おかげさまで良い本が完成し、とても嬉しいです。ありがとうございます。ところで今回の本は、わたしが書き溜めていた作品を本にしたものですが、実はあの小説の作者はわたしではありません。あの小説『ファントム・オーダー』はわたしが学生の頃、恩師であるY先生と互いの作品を交換する中でいただいたものです。物語の続きが書けますか、とアオシマくんは言い、わたしは書けると答えましたがあれはうそです。わたしにはこの続きを書くことはできません。そこで恐縮なのですが、Y先生を探すお手伝いをお願いします。きっと手伝っていただけるものと信じて連絡をお待ちしています」

 コーヒーを飲もうとしてうまく口が開かず、そこで自分が手紙を読み始めてからずっと歯を食いしばっていたことに気づいた。

 意識して口を開き、意識して深呼吸をする。
 まずは息をゆっくり吐く。ゆっくり吸う。三回繰り返しながら、目をぎゅっと閉じる。落ち着こう。落ち着こう。落ち着こう。

 道路を走る車の音が聞こえる。直射日光が左手に当たっているのを暖かさで感じる。目を開く。

 部屋の中の壁掛け時計を見る。まだ七時半だ。開店が早い書店は八時くらいだろうか。同期の営業の桃瀬に電話すれば、今からでも販売を止められるだろうか……無理に決まってる。ぼくは時計の秒針が動くのをぼんやりと眺めていた。

 急がねばならない……だが何を?
 この手紙によれば、今日発売の小説、『ファントム・オーダー』は盗作だとのことだ。盗作と知った上で販売するわけにはいかない。会社の信用問題になるからだ。
 編集長、同僚の編集者、営業部隊のリーダー陣、大手取次、販売店の売り場スタッフ……彼らの仕事が台無しになってしまう。それも、自分が必死で作り上げた本のせいで。
 
 まさに悪夢だ。手紙を持つ手が震えてきた。

 誰に連絡すれば? 荒れてしまった呼吸をもう一度整えながら考える。
 そうだ。我那覇さんだ。
 もしかしたら我那覇さんによるタチの悪い冗談かも知れない。冗談を真に受けて全品回収なんてやってしまったら、ぼくは一生モノの恥さらしだ。

 よし、我那覇さんに電話しよう、そう思って時計を見たら、八時を過ぎていた。自分で思った以上に時間が経過している。
 もう一度深呼吸すると、ぼくは震える手で我那覇さんに電話をかけた。

 一コール目の音が鳴り終わらないうちに、電話は繋がった。

「おはようございます。アオシマくん。手紙を読んだのですね?」
「盗作ってことですか?」

 語気が強くならないように気をつけながら声を出す。電話を切られて雲隠れされたら終わりだ、と自分に言い聞かせる。

「手紙を読んでの通りです。盗作の定義について詳しくないので、出版前の作品に対して盗作という行為が成立するのかはわからないのですが、盗作と呼ぶのが適切だと思います。あの作品、『ファントム・オーダー』はわたしの作品ではありません。そしてこのことを知っているのはわたしとアオシマくんだけです」

 我那覇さんの声には冗談を言ってるようなふざけた調子はなかった。

「どうしてこんなことをしてしまったんです? 何が目的なんですか」
「手紙に書いた通り、消息のわからないY先生を探すためです。過激な手段を取ったことは謝ります。探偵を使って探したこともありますが、見つけることができなかったのです。動機についてはいくつかありますが、『面白い作品があって続きを読みたい』という気持ちが最も大きな動機です。作品を発表してしまえば、先生の方から出てきていただけるかもしれません。もちろんお会いしたら謝罪します。先生が許してくれず法に訴えるならば喜んで敗訴します。先生が出てきていただけない場合は、続刊までの間に人を巻き込んで探そうと思っていました」

 とんでもない内容を我那覇さんは淡々と話す。声だけでは真意が推し量れない。こんな不正確な状況を、どうやって会社に報告できるだろう? やはり会って話をする必要がある。

「……ひとまず、会って話をさせてください。今どこに居るんですか?」
「では居場所を伝えます。自由が丘のデニーズに居ます。ああ、それと最後に……」
「なんです?」
「殴ったりしませんか?」
「しませんよ!」

 思わず叫ぶと電話は切れた。ぼくは上着を掴むと急いで家を出た。
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