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作者: 我那覇キヨ
シーン5 [アオシマ]
 コーヒーを飲もうと席を立ったところで、夕方から出社してきた編集長の金田さんに声をかけられた。昨日、編集長に我那覇さんの『ファントム・オーダー』の原稿データを送っておいたのだ。さらなるプロモーションを行うにあたり、編集長も作品内容を把握しておくため、目を通すとのことだった。
 かなりの量があるため、簡単には読み終わらないだろうと思っていたのだが……

「目を通すどころか、昨日からノンストップで全部読んじまったよ」

 打ち合わせブースに座るなり、編集長は机に身を乗り出して言った。顔が汗と脂でテカテカと光っており、目は異様に輝いている。

「ヤッベェ本作ってるな。アオシマ。この本は売りまくるぞ。昨日もらった原稿だけどよ、まだシリーズが完結してねぇのだけはタマに傷だが、続刊出してる間に完結まで書いてもらおうじゃねえか」
 編集長は興奮した様子でまくしたてる。

「はい。ぼくもそう考えてます」
「で、どうなんだ? 我那覇センセイの進捗は? キチンと完結させられそうなのかよ?」
「あ、いえ、まだ一年以上期間もありますし……」
 ぼくの返事に編集長が身を乗り出して距離を詰めて来る。

「だからって作家を遊ばせてちゃダメだろうが……休まず書かせねぇとあっという間に一年なんて経っちまうぞ」
「はい」
「いいかアオシマ。編集なんてやつはな、ハイエナってなじられてようやく一人前だ。お高くとまった作家センセイの仮面を叩き割って、服を脱がせて、パンツを剥ぎ取ってからが本番だ。作家センセイが自分でも気づいてない、ケツのホクロの数を数えるのが俺たちの仕事だ。奴らがダシを取り終えたつもりでいる、その骨までしゃぶり尽くせ。作家センセイがもうここが限界ですって言ったら『またイチから考えましょう』って言うんだ。いいな」

 ……でも編集長。ぼくたちがかぶりついた骨には毒が仕込んであったんです。しかも骨にはカエシがついていて、深く刺さってもう取り除くことはできないんです。こんなことが言えたらどれだけ楽だったろう。でもぼくの口から出た言葉は違うものだった。

「わかりました。金田編集長」
「そこでだ!」
 編集長はいきなり大声を出す。

「お前のタイムカード見たんだが、このところ全然編集部から出てねぇじゃねえか。我那覇センセイのところには行ってねえのか? ん? なんでだ? 一巻がちょっと売れたからって燃え尽きちまったか?」
「いえ、そういうワケでは……」
「じゃあどういうワケだよ」
 編集長が顔をグイっと近づけてくる。荒い鼻息がこちらにかかる。

「その、ちょっといざこざがありまして、少し気まずい状態なんです……」
「女か? 女をとられたか? でも、確か我那覇センセイはあれ、既婚者だろ? いきなりスキャンダルはマズイな……」

 話がわけのわからない方向に暴走しそうだったので、慌ててぼくは口をはさむ。

「いえいえいえ、全然違います。その、創作方針についてちょっと口論になりまして……」

 嘘は言っていないな、と思いつつも、もっとうまい言い方ができなかったものかと語尾が小さくなる。

 編集長は黙ってぼくを睨みつけている。
 ああ、さっきの暴走はぼくの咄嗟の反応を引き出すためのトラップだったのか。
 なにか怪しまれているのか。いや、だとしても真相には気づけないはずだ。こんな事態を想像するはずもない。
 今はただ、知らんぷりをしていればいい。
 予想以上のヒットに驚いて、仕事量が増えて疲れてるだけ、そう装えばいいのだ。
 ぼくがそう考えていると、編集長は不意に表情を崩すと笑いかけてきた。

「じゃあ大丈夫だな。わかった。俺がひと肌脱いでやる。三人で飲みに行くぞ」
「ええ?」
「まぁアオシマはまだ若いからな。だが、作家とモメて気まずくなるようじゃいけねぇ。いいか? 基本的に作家は書く媒体を選べねえ。俺たちが作家を選んで書かせる。作家は注文を受けてからしか作品が書けねぇ。俺たちは猛獣使いで、猛獣の作家センセイをうまく飼い慣らす必要がある。だからモメるのなんて当たり前だ。そそのかして、調教して、ヤツらの一番キワドイところを表に出させるんだよ! 我那覇のおっさんを育てて伸ばそうなんて思うんじゃねえぞ。作家は自分を切り刻んでモノを書くんだ。次が残るような書かせ方するんじゃねぇ。一生に一本しか描けねぇような傑作を書いてもらって、それであのセンセイとはサヨナラでもいいじゃねぇか。俺が猛獣使いの手本、見せてやるよ」

 怪気炎を上げる編集長を見ながら、ぼくはその食事の席で、どんな顔をして座っていればいいのだろうと途方にくれてしまった。
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