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作者: 我那覇キヨ
シーン21 [アオシマ]
 我那覇さんの『新世界へ』は『亡霊の注文』の出版社から出した。急いで出版する必要があるため、校正や表紙データの作成など、本になる直前までの作業はぼくが行った。

 表紙は、事故後のチェルノブイリの自然を撮影している写真家のものを使うことにした。息を飲むほど美しい森林と、野生の馬の群れの写真。調べてはじめて知ったが、事故から三十年以上経った今、チェルノブイリの周りは野生の王国と化している。汚染の影響を書いたレポートも多数あったが、放射能汚染による害よりも人間が居なくなったことによるプラスの影響の方が自然にとって大きいのだろう。

 写真の許可をもらい、本のデータが完成したところで、ぼくは黒木先輩をオフィスの外に呼び出した。

 企画会議で編集長に本が潰されない方法を黒木先輩に相談したら「すでに出来上がってるんだったら、向こうの出版社で出すのがいいな」と、あっさりと言われてしまった。

「フリー編集者の企画として売り込むといい。向こうの出版社にカネをもらいつつ、本の作者にも作業の実費要求しな。大丈夫。これだけ話題性あるんだし売れるよ。お前の名前だけ適当に伏せとけよ。一応、相手の出版社訴えてるのはアオシマなんだし。顔は向こうもわかってるだろうが、名前だけ別ならとやかく言わず協力してもらえるように頼んでおくよ」

 そんなわけで『新世界へ』は、正体不明の編集者の持ち込み企画として進み、このたび発売となった。この本もまた、ファントムからのオーダーということだ。

 『新世界へ』は、渦中の作家の新作ということで話題を集め、よく売れた。売れたと共にものすごいバッシングを受けた。

 物語の青年に感情移入して同情する者もそれなりには居たが、それ以上に、現実の事故被害者を物語の中でテロリストとして描いたことや、実在する施設への詳細なテロ計画の描写などの表現が問題となった。

 文章表現としても、『ファントム・オーダー』の品のある文体と異なり、登場人物の怒りや悲しみが伝わる生々しい文体、ともすればお涙頂戴とも言われかねないストーリー展開なども槍玉にあげられた。

「やはり『ファントム・オーダー』は盗作だったのだ」と我那覇さんを叩く声もついでに膨れあがった。

 評論家との公開対談で我那覇さんが言った言葉も、炎上に拍車をかけた。

「日本の怪談の特徴ですが、幽霊として恐れられているお菊さんも貞子も加耶子も、すべて理不尽な事件の被害者ですね。社会を回す構造として暴力的な権力者である旦那様が居る。この暴力の矛先にたまたま選ばれた人が非業の死を遂げる。世間は社会を回す構造である旦那様の罪を黙認する。この罪悪感があるから、幽霊となった被害者の復讐を恐れる。これが日本の怪談の構造です。わたしはその伝統に則ってストーリーテリングしただけです」

 この我那覇さんの発言は切り取られ、様々な媒体で繰り返し再生されて炎上した。炎上の効果で『ファントム・オーダー』もよく売れたが、エスカレートし過ぎたため、不買運動を呼びかける団体さえ現れた。

 そのタイミングで編集長が動いた。

 『ファントム・オーダー』の真の作者としてY先生を見つけたことを報告し、これまでのぼくと我那覇さんの裁判を即刻和解させ、作者変更の記者会見を行ったのだ。

 奇妙な会見だった。

 ぼくは我那覇さんに事実誤認のまま裁判を行ったことを謝った。

 編集長もぼくを信じて裁判に協力したことを我那覇さんに謝った。

 我那覇さんは盗作を出版させたことをぼくと編集長に謝り、Y先生に対して盗作を行ったことを謝った。この謝罪会見のどこにも真実はない。真実はないゆえに、誰もが感情を乱さず、適切な範囲の言葉を紡げた。その後で弁護士が、賠償額の算定方法についての説明を行った。

 最初から司法を巻き込んだマッチポンプだったのでは、という記者からの質問が出た。我那覇さんは真摯な表情で答えた。

「わたしの行動は軽率で、多くの方にご迷惑をおかけしました。深く反省しています。賠償金の支払いは、わたしの責任を示すための第一歩に過ぎません。今後は、二度とこのような事態を引き起こさないよう、自分の行動を謹んでいきたいと思います」
 我那覇さんの言葉のすぐ後で、黒木先輩が促し、担当弁護士が口を開く。我那覇さんが支払う賠償額の概算が伝えられると記者たちは追求を控えた。
 我那覇さんの言葉に誠意を感じたのか、賠償額の大きさが功を奏したのか、それはわからない。

 ひとしきり厳しい質問が終わると、Y先生へと質問が移った。そこですかさず編集長は『ファントム・オーダー』の最終巻の宣伝をしようとしたが、黒木先輩が机の上のコップをひっくり返すファインプレイで止めることに成功した。ビショビショになったズボンを拭きながら、編集長はこの場が謝罪会見であることをすんでのところで思い出した。

 Y先生は記者の質問すべてに、期待以上の回答をし、記者会見は成功裏に終わった。

 会見場から退場し、記者たちの解散を待つ間、我那覇さんとY先生とぼくだけが、控え室に取り残された。

「『新世界へ』の影響で、そちらのボランティアにご迷惑がかかっていませんか?」

 我那覇さんがY先生に尋ねる。

「寄付がたくさん集まっています。これまでなかったことなので、驚いています」
「それは予想外です。ありがたいことですね」

 表面上、Y先生が何を考えているかはわからない。盗作のことについてどのように受け止めているのか、そもそもY先生がテロを企てていたのか、それらはすべてわからないままだ。

 そう。ぼくは我那覇さんの言葉の真偽を判断しなかった。ぼくにはわからなかったのだ。Y先生の企みの有無も、我那覇さんの言葉がただの妄想に過ぎないのかどうかも。

 ぼくにはわからなかった。

 ただ思っただけだ。

「この本を出せば世界が変わるな」と。

 ぼくはぼくで、自分の素直な欲望に従ったのだ。

 我那覇さんから原稿を渡された日、この本を出すことで我那覇さんの受ける損害についても話しあった。

 Y先生がテロを企てているなら、それは警察や公安に任せるべきだとも言った。

 こんなテロの計画書を物語にして出版するようなことをしても解決にはならないと。
 傷つける人の多さに比べて、得られるものが少なすぎると。

 我那覇さんはぼくの意見に同意した上で、こう言ったのだ。

「でも、アオシマくん、こうすれば『ファントム・オーダー』の続きが読めそうじゃないですか」

 そこまで言われたら、もう止めるよりも協力するほうが楽だ。

 ほかの編集者と組んで本を出されるよりは、という気持ちもなかったわけじゃない。

 確かに、テロが起きても、先生が逮捕されても、『ファントム・オーダー』の続きは読めなくなるだろう。それに、これは単なる結果論に過ぎないが、『新世界へ』へのバッシングのため、作者交代の会見が当初よりも早まったのも事実だ。

 しかし、最終的には我那覇さんの一人負けの事態となった。賠償金は『亡霊の注文』と『新世界へ』の印税収入を合わせてもまだ足りないだろう。それでも我那覇さんは満足そうだった。嬉しくてたまらないという様子で、Y先生に話しかけている。Y先生も楽しそうだ。話題がダイナミックに展開しながら笑いが絶えない。

 それを見ながらぼくは思い出す。

「仮にY先生がテロを企てていたとしても、この物語が出版されたからって諦めるとは限らないじゃないですか」
 原稿を渡された日、ぼくは我那覇さんにそう言った。

 我那覇さんは笑ってこう答えた。
「もちろんです。『ファントム・オーダー』でお金が手に入るので、これからはお金が必要なテロを考えるかも知れません。次は巻き込まれる人が少なければいいですね」

「そうなったらどうする気なんですか?」

 ぼくがそう言うと、我那覇さんは少し考え込むような表情を見せた。

「そうですね。でも、そもそも先生に大量のお金があるならテロ以外のやり方を選んでくれるかも知れません。先生は倫理的な人ですから、お金を払って社会を良い方向に導こうとするのではないでしょうか」

「なるほど。だとしたら我々が心配する必要はないのかも知れませんね」

「ええ。ただ万が一、先生が別の過激な行動を考えるなら……」
 
 我那覇さんは言葉を切り、ぼくを見つめた。

「……それが面白くて正しそうなら、わたしは参加します」

 ぼくは我那覇さんの言葉を受けて、にやりと笑った。
 
「だったら、それも実行前に書いて本にしてしまうのでどうでしょう」

 我那覇さんがぼくの言葉に吹き出す。

「それいいですね! いやーアオシマくん、編集者として成長しましたね!」

「おかげさまで色々ありましたから」

 あの日のやりとりを思い出す。

 あの日、ぼくたちは笑って別れた。

 我那覇さんへのわだかまりはもうなかった。



「そろそろ帰りますか」
 記者たちが解散し、出口で待ち伏せしていないことを確認してくれた黒木先輩から連絡を受けると、ぼくは二人に声をかけた。

 エレベーターホールに向かいながら、何か気の利いたことが言えないか考える。

 ダメだ。何も思いつかない。我那覇さんに任せよう。用意周到な人だ、最初から何を言うか決めてきているかもしれない。それに賭けよう。

「我那覇くん、アオシマさん」

 意外なことに口を開いたのはY先生だった。

「これまで本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」

 なんの変哲もないその言葉に、ぼくと我那覇さんは驚いて、一瞬顔を見合わせた。

「こちらこそよろしくお願いします」

 ぼくと我那覇さんの言葉が重なる。

 頭を下げながら、これでよかったな、と笑みがこぼれる。

 今日はゆっくり眠れそうだ。
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