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作者: 我那覇キヨ
シーン36 [????]
 あの旅行から三年後、ホアンさんが書いた記事はちょっとした騒動を起こした。ぼくはネットニュースで知って、慌ててホアンさんにメッセンジャーアプリで話しかけようとしたが、すでにブロックされていた。

 やむを得ずホアンさんからもらった名刺の編集部に連絡を取ったがそちらも不在だった。本人から折り返し連絡させるとのことだったが、放置される可能性は高いだろう。

「山崎の犯行とほぼ同じ状況を描いた物語が、事件の6年前にひっそりと発行されていた」という書き出しでホアンさんの記事は始まる。
 
 父さんの物語と事件の一致点を列挙しながら「この物語を書いた我那覇キヨは一体何者なのか? そこに迫るルポルタージュを執筆した」という形で初報の記事は終わる。
 
 ぼくがこのホアンさんの記事の存在を知ったのは、ポルトガル語で書かれた初報の記事から二週間経ったあとのことだ。すでにブラジルでは大きな反響があり、それを受けてネットニュースの記者からホアンさんはインタビューを受けていた。そのインタビュー記事はポルトガル語圏だけでなく英語圏にも翻訳され、こうしてぼくに届いたというわけだ。
 
 インタビューによれば、記事の反響が大きかったため週刊誌での連載企画から変更して、一冊の本の形にまとめるとのことだ。
 その本は我那覇キヨが書いた物語全文と、ホアンさんの調査と考察をまとめた形となるらしい。元々本自体を書き上げてから連載を始めたのだろう。週刊誌ではよくある手だ。

 まさか書かれると思っていなかったぼくは、ホアンさんのひどい裏切りにショックを受けた。頭痛とめまい、それと猛烈な眠気に襲われて、生きた心地がしなかった。ベッドに入って眠ろうとしてもまったく眠れない日が続いた。管理ボランティアも連続で休んでしまった。体調を崩したことをチームに伝え、仕事の量を減らしてもらい、なんとかやり過ごした。

 ぼくはそんなボロボロの状態でホアンさんの本の発売日を迎えた。ダウンロードした電子書籍を読む。表紙、目次、タイトル、1ページ目と読み進め、紛れもない父さんの文章が始まったところでぼくは一度アプリを閉じた。

 深呼吸をする。ズキズキする頭痛と、胃に感じる締め付けるような痛みに意識を集中する。きつい。だが、読まないまま放っておくことを想像するとそっちの方がもっとつらそうだと思う。

 ぼくは観念すると、再度アプリを開いてホアンさんの本を読み進めた。

 我那覇キヨの物語部分には一見しただけでわかる改変があった。章の数が合わないのだ。手元の破滅派書籍と見比べると、削除されているのは、我那覇キヨのこどもが視点人物となっている11章だとわかった。

 なぜこんな改変を、とぼくは思った。

 我那覇キヨの物語部分が終わると、ホアンさんによる作品の解説が書かれていた。

 この我那覇キヨの物語をホアンさんが発見した経緯については、近年になって自分の所属していた文学同人の書籍を整理するにあたり偶然発見したと書かれていた。

 我那覇キヨの正体を追って日本に渡り、取材した記録も載っている。浅草の雷門を背景にホアンさんが写る写真には見覚えがあった。あれはぼくが現地で撮った写真だ。

 我那覇キヨを追うルポの中にY先生に関する記載は無かった。ホアンさんは我那覇キヨが自身の想像力のみでテロとそれを実行しうる犯人像を書いたのだろうと結論づけている。

 また、物語発表当時は六ヶ所村の再処理工場が稼働前であったことに触れ、我那覇キヨなりの社会への警告の意味があったのではないかと結ばれていた。

 巻末の言葉として、ホアンさんは自分の本についての意義を解説している。それによると「実際にテロを誘発した物語」についての調査や解説を行うことには、肯定的な意見も否定的な意見もどちらもあることだろうと承知しているとのこと。

 エアギターから名前を取ったエアテロという概念を提唱していた。エアテロは、その冗談のようなネーミングとは裏腹に、とてつもない被害をもたらした。これから同じ動機で書かれる物語の出現に備えるためには、物語が本質的に持つ脅威を理解する必要がある、と。

 エアテロの概念を周知させ、マジックのタネを明かすことで抵抗力をつけようというのが本書の狙いであると結ばれて本は終わっていた。

 ぼくは釈然としないまま、電子書籍アプリを閉じた。わからないことはいくつもあった。ホアンさんがやったことは「エアテロとしての物語」という概念を広く周知させることでもある。それは「犯罪の方法を広めることで防犯意識を高めたいと思う」と言っているようなもので、犯罪の脅威と防犯意識の両方が増加するようなやり方だ。抵抗する手段を持てない人がいることを考えれば、公益よりも害の方が大きいように思う。もちろん、ホアンさんは公益のためだけに仕事をしているのではないから、個人の金銭的利益を優先したのだなと、思えなくもないが……。それに、この本にY先生やぼくのことが書かれていないのも不可解だ。ぼくについて書かない理由は、手柄の独り占めを狙った可能性と、ぼくの身を案じた可能性の二つがある。

 Y先生について書かない理由は思いつかなかった。これも、自分の書物で直接の被害者を出さないためか?

 ホアンさんの意図がイマイチ掴みきれなかったが、ひとまずは差し迫った脅威がなさそうで、そこは安心した。警戒として、我那覇キヨに関するネットの噂を毎日クロールして集められるように、AIに簡単な指示を出した。
 
 ホアンさんの本が出版されてから一ヶ月後、高井ホアンが行方不明という記事が流れてきた。 
 ブラジルのテレビ局でのインタビューの直前から連絡が取れなくなっているとのことだ。テレビという本の宣伝になるような機会を理由なくキャンセルすることは考えられないため、なんらかのトラブルに巻き込まれた可能性が高いとして出版社から捜索願いが出されているとのことだ。現地の警察も動いているが、行方不明から三日経っても見つかっていないという。

 誘拐だろうか?

 ぼくは背筋が冷たくなるのを感じた。

 しかしどうして?

 ホアンさんの書いた本は、確かに考え方によっては公益よりも害の方が大きいかも知れない。だが、誘拐されるほどのことだろうか。「言ってることはわかるけど、世の中には広めない方がいい知識もあるのよ」くらいで済ませるようなことではないのか。

 ネットを調べると、我那覇キヨ=高井ホアンという噂を見かけた。それによると、高井ホアンは本を売るために、自分が過去に書いた本と組み合わせて一連の騒動を仕掛けたのではないか、というものだった。

 その噂によるとホアンさんは破滅派でJuan.Bと我那覇キヨという名前を使い分けながら小説を書いていたと言うのだ。そんな馬鹿な、と思って情報ソース元として提示された日本の新聞社のサイトを見ると、その記事には見覚えがあった。ぼくがホアンさんに連絡を取る前に、身元の確認に参照した記事だったのだ。その記事には確かにホアンさんの著者プロフィールとして「小説家としても活躍中(Juan.Bまたは我那覇キヨ名義)」とある。

 こんな見落としをするはずがないと思い、自分のコンピュータに残したメモのスクリーンショットと見比べる。

 記憶通り、スクリーンショットには我那覇キヨの文字がない。ぼくの調査から今日までの間に、記事が修正されているのだ。

 そこまで調べて、ぼくはホアンさんが我那覇キヨの物語へ加えた変更の意図を理解した。

 意識して注意深く読むと、作中の我那覇キヨが結婚していた描写、こどもが居た描写などが改変され、消されていることに気づいた。


 ホアンさんが行方不明になってから一ヶ月以上経った。行方不明については様々な憶測が流れ、その不気味さもあって本は売れ続けているらしい。出版社は重版のタイミングで「本人と連絡が取れた」と言っているが、その真偽は謎のままだ。いい加減な出版社だから、金のために著者の安否に関わらず重版を続けているのではないかという噂も流れている。

 行方不明になったこともあり、我那覇キヨ=高井ホアン説はもっともらしく語られ、高井ホアンがこれまでに書いた本を分析し、ホアンとは何者だったのかに迫る記事まで見かけるようになった。その記事は、陰謀論ハンターだった人物が、今や存在自体が陰謀論のようになったことの皮肉を語っている。

 ぼくは本の中のホアンさんの写真を見る。雷門を背景に、気難し気な表情で佇むホアンさん。

 撮影した時ぼくは「え? 何この人。観光地の記念撮影でこんな表情する?」と思ったのだが、その時すでにホアンさんは写真の使い道を決めていたのだろう。そう言えばあの日は彼のトレードマークとも言えるヒゲをわざわざ剃っていた。泣きぼくろがどうとか言っていたから、メイクでほくろを増やしたのかも知れない。

 そんな地味な変装で大丈夫かとも思うが。
 
 玄関のドアを開けて外へと出る。もうすぐ短い夏だ。日照時間は19時間を越え、屋外でさえ本を読むことができる。ここでは自然のスケールの大きさをダイレクトに感じる。雪かきもしばらく必要ない。

 マンションの廊下を歩きながら、街の外を見る。
 背の低い植物ばかりなので視界を遮るものは無く、はるか遠くの山の方まで見通すことができる。
 綺麗だな、と思う。週末、車に乗って行ってみようかと思いつく。
 どこに行ってもいいし、好きに生きていいんだ。
 ぼくはホアンさん、いや新しい我那覇キヨに生きていて欲しいなと思う。亡霊ではなく、したたかにいい加減に、虚実の狭間で生きている作家という生き物。その無事を心から願った。
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