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作者: 2MeterScale
残酷な描写あり R-15
アウェイクニング・フロム・ディスイリュージョニング・ナイトメア その4
「みな、位置についてくれ!」

 子どもたちがアラドの乗ってきた平底長船の横に漁船を寄せると、彼らは続々と乗船してきた。ルシウスの号令のもと、彼らは漁船の尾と平底長船の頭をつなぐ。やってきたときと同じように、皆で船を漕ぐ。しばらくすれば、ティブローナの生家へとたどり着く。見慣れぬ船を曳いてきた少年らに怪訝な目線を向けるティブローナの両親であったが、ルシウスの姿を見て、なにか納得したかのようにまた家に戻る。急な嵐で飛ばされぬように二艘の船を沿岸に固定して、ルシウスは立ち上がる。アラドに恭しく──過去に見た貴族のマネをして──手を差し出せば、ルシウスのそれとは対極的な剣めいた手を乗せられる。その手を少し上に引けば、言葉を使わずとも意図は伝わる。アラドは立ち上がった。その背丈はやはりルシウスより頭ひとつ分高く、暑気にあてられて狂を発していたときに見せていた牙をすっかりしまったその顔からは、少しの愛嬌も見て取れた。

「付いてきてほしい。ぼくの家に案内したい」

 掴んだ手を離さず、ルシウスはアラドを誘導するように歩く。古ぼけた鎧を案山子代わりにして田畑で作業をする農夫たちは、まずアラドの異形にぎょっとしたのち、ルシウスのことを見て軽く帽子を上げる。──ああ、まただ。また「ずれ」が戻ってきた。ルシウスは思う。このアンヘレス荘で育って物心ついたころから、両親以外の大人は彼に対して慇懃に接していた。どことなくへりくだった様子は、地下の民がお貴族様に対して振る舞うのとよく似ていた。あの青い海だってそうだ。海といえば、黒い水が白浪を立てるものじゃないか──ルシウスの思考は、「あら!」という女性の声で中断させられた。ルシウスの母イリスであった。

「ただいま戻りました。父上と兄上は」
「今、ちょうど中でリー先生と面談をしてるの。ほら、服もちゃんと着て」

 母イリスがちょうど手に持っていた亜麻の半袖シャツとハーフパンツを着る。今の今までずっと下着一枚だったから、少し居心地が悪い。
 なにか悪いことをしたわけじゃないといいんだけど……と心配するイリスを横目に、ルシウスは迷いのない足取りで家に入っていく。ふだんは父、母、兄、ルシウスそして妹の五人で囲んでいる食卓だが、今は私塾のリー先生の対面に父と兄が座っている。三人とも仲良く談笑している様子で、「悪いこと」などは特にないようだ。
 扉を開けたルシウスに気がついたのか、長耳のリー先生は「それじゃあ、このあたりで」とやや強引に話を切り上げた。

「やあ、ルシウス君。それにご友人の方も」
「ご友人……?」
「あれ、違ったかい。まあいいや、ここでするのもアレだから、話は裏でしようか」

 ルシウスはこの細面でいつもいい服を着ている長耳のことをいまいち信用しきれなかった。いつから──より正確に言うなら「どの時代から」生きているのかも、どうして荘のほぼすべての情報を知っているかも、なぜこんなところの私塾の先生という立場に甘えているのかもわからないからだ。彼なりに理由はあるのだろうが、いつ聞いてものらりくらりとはぐらかされるのである。ルシウスはアラドと目を合わせた。そして「反吐が出るほどではないが、特別好きというわけではない食物を目の前に並べられた」ときの表情を作った。アラドは目を細めて首をかしげる。
 家の裏手はほとんど物置という具合の荒れ地で、洗濯物を干したり、干し肉や漬物を作ったりするときに専ら使われる。しかし、今は夏なので、そういった食物の類はない。あるのは陰干しされているつば広帽子がいいところだ。

「さて、君がその人を拾ってくるのも、おそらく私を頼るであろうということもわかっていた」
「毎度のことながら、お耳が早うございますね」
「毎度のことながら、どこで身につけたのかもわからん完璧な宮廷語だな」

 目上の人間と話すときは、こう喋らなければならない。誰から強制されたわけでもないのに、ルシウスは妙な強迫感を持っていた。

「まあ、面倒なことはなしだ。私もそういうのは嫌いだし、ちゃっちゃと済ませよう」

 リーが手を叩くと、あたりに何かの気が満ちる。アラドの方を見ると、彼はそれに全く気付いていないようだ。「終わったよ」とリー先生が言った。

「あー、ぼくの言ってることわかる?」
「……わかる」

 アラドの声に、ルシウスは本日何度目かの驚愕をした。それは大人のものではなく、少年めいた柔らかい声だったからだ。

◆◆◆
魔術を使える者は、ほぼすべてが貴族である。そうでない在野の魔法使いには、何らかの事情があることが多い。例えば、貴種の社会から放逐された者であるとか、学会費を払わずに除名された者であるとか、あるいは裏切り者であるとかの事情だ。
『後帝国史記 第二巻(1976年出版)より抜粋』
◆◆◆

 曰く、アラドは遠洋に浮かぶ火山島から来たらしい。金属が豊富に産出される島で、魚もよく穫れるとのことだ。海藻や魚を食う傍ら、流れ出た溶岩が固まった中から鉱石を選んで食べていたという。だから、彼の鱗も、骨も金属で出来ているのだ。彼の鱗も爪も錆一つ浮いておらず、美しい輝きを見せている。軽い自己紹介を終えたあと、アラドは地べたに座り、ルシウスのことを見つめた。

「故郷の島より出奔した姫君を探している。助けていただいた恩を返すため、しばらくはこの荘におるが、そののちにこの身は旅に出ねばならぬ」

 琥珀色の視線を一身に浴びながら、ルシウスは息を呑んだ。なにやらのっぴきならぬ事情があるようだ、とルシウスはため息をついた。

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