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作者: 泗水 眞刀
2-3


「イアン殿、いよいよ決戦ですな。しかしここまで兵の数が減るとは予想外のことだ」
 トールン防衛騎士隊大隊長セルジオラス子爵が、悔し気に唇を噛んだ。

 草地に帷幕を張っただけの簡単な空間に、主だった武将たちが集まっている。
 トールン正規軍の、決戦前最後の軍議が始まったのである。
 指揮を執っているのは、聖龍騎士団総司令のイアン・ヴァン=デュマ侯爵。
 サイレン五名家にこそ入っていないが、武門貴族としてはマクシミリオン家に次ぐ格式を持つデュマ一族の長である。

「ヴィンロッド、恐ろしい男だ。あやつがおらねばわが方に幾らでも勝機はあった、俺だとて策の二つや三つは用意してあったんだ。そのことごとく裏をかきやがった、まさしく魔術師だ」
 イアンの顔には、悲壮感や焦りの色はまったくなかった。
 どこか吹っ切れたような爽快感が、身体全体から迸っている。
 まるで今日の決戦を愉しんでいるようにさえ見て取れる。

「地方領主の大半が敵側に寝返るなどと誰が予想出来よう。ましてや正規軍内からも裏切り者が出るとは──。あの裏切り者どもめには、儂がこの手で鉄槌を食らわしてやる。サイレンの戦はリッパ―騎士団の尖槍陣の先駈けから始まると決まっておる。しかも此度は槍の穂先が折れ、柄が粉々に砕けようと自陣に戻るつもりはない。騎士一人一人が死兵となり、最後の一人まで戦場を駈け続ける。裏切り者や叛乱者どもにはけっして後ろは見せん、このエリオットの心意気を存分に見せてくれようぞ」
 白髪白髭の老武人が、苦々し気に言葉を吐き出す。

 サイレン元帥府付き上級大将を務める、軍最古参のエリオット・デル=リッパ―老伯爵だ。
 老体ながら筋骨たくましく、大柄な身体はまだまだ矍鑠としている。
 その顔には、歴戦の跡を物語る無数の疵が刻まれていた。

「相変わらずに勇ましいですなご老体。しかし今日はこのアムンゼイに先陣をお譲りください、そのためにわざわざ国元からこうして兵を集めたのですから」
 サイレン第二の都市シャザーンの領主であり、サイレン公国財務卿の要職にあるアムンゼイ・ルルエ=ポルピュリオウス侯爵が、端正な顔に微笑を浮かべる。

 サイレン五名家の一つに数えられるポルピュリオウス家の当主が、文官であるにもかかわらず、自ら兵を率いて参戦しているのである。
 彼が率いているのは『神狼傭兵騎士団』総勢五千名余。
 その名の通り、傭兵だけで構成されている騎士団だ。

 傭兵なだけに忠義心などとは無縁の者どもの集まり、報酬の分は働くがいつ裏切って戦場を逃げ出すか分かったものではない。
 戦場離脱だけならばまだいい方で、金次第では敵に寝返ることも考えられる。

「わたしの館の金はもうすっからかんでしてね、傭兵たちにすべて渡してしまったものですから。通常の五倍の金貨でここまで連れて来た。なあに、勝てばまた金儲けができる、敗ければそれまでのこと。だから払った金の分はあいつらには働いてもらう、いつ裏切るやもしれぬ傭兵どもゆえ、こうして監視役としてわたしがついて来た。先方はわが傭兵どもが務める、異存ござらぬな」
 通常の五倍の金貨をすべて前払いしているという、
 その額に見合う対価は命しかない。
 アムンゼイは全財産と引き換えに、傭兵の命を買ったのである。

 いつ裏切るか分からぬ傭兵たちの監視役として、槍働きが出来るわけでもない身に慣れぬ甲冑を纏って、戦場最前線にまで来ているのだ。
 文官にしては、相当に胆の据わった人物である。

「あいや異存は大ありだ、傭兵どもに先陣を譲ったなどと知れればサイレン武人の恥だ。ここはどうあってもこのトールン防衛騎士隊にやらせて頂きたい」
 セルジオラス防衛騎士隊大隊長が、勢い込んで口を挟む。

 一途な性格らしく、イアンのどこか悟ってでもいるかのような静かな雰囲気とは正反対に、顔どころか全身から悲壮感を漂わせ、身体を小刻みに震わせている。
 恐怖から来る震えではなく、正真正銘の武者震いであるらしい。

 トールン防衛隊とは武門の組織ではない。
 サイレン元帥府に属してはおらず、トールン行政府の管轄下にある特殊な騎士隊であった。
 組織的には『公都警護隊』『トールン武装警護隊』の上位に位置する、警察組織の一部であった。
 人数的にも、総勢千五百名弱の小さな集団である。

 しかし公都トールンを守護するという一点においては、聖龍騎士団にも引けをとらぬ強固な意志を持っていた。
 その中でもこの大隊長セルジオラスは生来の一本気らしく、今かいまかと決戦を待ち望んでいる風でもある。
 この男も、とうに命を捨てている一人であるらしかった。

「なにを生意気なことを言っておる小僧どもめが、ここが儂の死に場所と決めておるのじゃ、先陣はこのエリオットとわが騎士団に任せておけ。死兵と化したリッパ―騎士団の、尖槍陣の威力をとくと馬鹿者どもに馳走してくれる。でないと先に死んだクローネに土産話が出来んでな、この老人に死に花を派手に咲かさせてくれい。このとおりじゃ──」
 老人が居並ぶ諸将に頭を下げる。

「お手をお上げくださいエリオット老、わかりました今日の先陣は貴男にお願いしよう。しかし無茶な突撃はお止めくださいよ、生きてこの戦を勝つのです。老にはまだまだこの先も長生きして、みなを叱ってもらわねばなりませんからな」
「おおかたじけないなイアン、なんの儂とてむざむざ死ぬための戦をするつもりはない。出来れば今宵もみな揃って夕餉を共にしたいものじゃ」
 エリオットの言葉に諸将たちも頷く。
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