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作者: 水無月 龍那
残酷な描写あり
1.至極まっとうな疑問がそこにはあって
 ぴんぽん、とチャイムが鳴ったのは僕が浴室から出てきた時だった。
 濡れた頭を拭きながらインターホンを覗くと、あの夜に見た二人が立っていた。

 そして。血の跡は全部どうにかしたけれど、まだ微妙に片付けきれてない部屋で。
 テオと少女――名前はノイスちゃんと言うらしい、の二人。
 僕と、しきちゃん。
 自己紹介を終えた四人がテーブルを囲んでいた。

「ええと、改めて――」
 最初に話し始めたのはテオだった。
「すまない。ノイスの行動は俺の監督不行き届きだった」
 ほら、とテオが促す。じっと俯いて座ってた彼女は、視線を少し彷徨わせて口を開いた。
「……ごめんなさい。その。貴方を刺したことと、彼女を傷つけたこと」
 あの時の威勢が嘘のようにしゅんとした様子で彼女は頭を下げた。
 うーん。こうも素直に謝られると怒るのも難しい。傷も治ってるしいいか、と納得する。
「ん。僕は別にいいよ。もしかしたら君達にお礼言わなきゃいけない方かもしれないし。いつか怒りが再燃したら説教させて」
 でもね。と言葉を続ける。
「彼女は完全に巻き込まれた側だ。そこだけは、許しを得てね」
「うん……その。ごめんなさい」
 彼女はしきちゃんを少しだけ見て。言いにくそうに、それから、という。
「服も。貸してくれて、ありがとう」
「あ……いえ。サイズ、合って良かった、です」
 しきちゃんもなんだか落ち着かない様子で頷いた。
「ボクは、お兄さんが良いと言うのなら、それで良いです。もう傷も痛くありませんし。大丈夫ですから」
「……うん」
 彼女の謝罪も済んだし、この件については概ね終わったことにして良いだろう。
 ならば、次の話だ。
 落ち着くためにお茶を一口飲んで、口を開く。
「ところで、テオ」
「何?」
「僕としてはこっちが本題なんだけど。君……どうして生きてるの?」

 真っ当な疑問だと思う。だって僕の記憶の中で、彼はとっくに死んでいる。そうでなくても、あれから百年以上。人間なら大体死んでいる。
 なのに彼はこうして僕の前に居る。当時とあまり変わらない姿で。
 そんな僕の質問に、彼は「ああ」と穏やかな笑みを浮かべた。
「そうだな。……あの夜のことは覚えてる?」

 あの夜。
 僕が彼と。テオの別人格と出会った夜のことだろう。
 忘れる訳がない。しばらく前に夢にも見た。

「うん……ごめん」
「いや、いいんだ。俺が頼んだ事だから」
「そうかもしれないけど。……僕は、テオをそのままにして逃げた」

 そう。殺してしまって、我に返ったのだ。
 手を濡らす彼の血が。もう何も映さない瞳が。僕を責めているように見えて。
 たった数時間前に見たテオの笑顔を。「仕方ないなあ」と僕を笑う声を、力任せに潰したと気付いて。
 その場から、逃げたんだ。

 そう、何もかもそのままに。
 自分の痕跡を消すことも。
 彼の血を飲むことすら忘れて。

「いいんだって。それにしても、君がそんな顔するなんてなあ」
「僕だって眉間にしわ寄せてばかりじゃないんだよ」
「そっか」
 テオはなんか嬉しそうに笑って、隣で俯いてるノイスちゃんの背中を軽く押した。
「彼女――ノイスはね。うちに住んでた幽れ」
「ポルターガイスト」
 俯いたままの彼女から、間髪入れずに訂正が入る。
「ん。ポルターガイスト。あの後、彼女が俺を見つけたんだ」

 彼が言うには。
 バラバラにされたテオを見つけて、それを繋ぎ合わせて。血溜まりに座り込んでいた彼の幽霊――魂を詰め込んだのだという。
 そう話しながら見せてくれた手には、何度も直したと思われる痕があった。
「なるほど……?」
 首は微妙に傾いたけど、原理は分かる。
 
 フランケンシュタインの怪物。死体を継ぎ合わせて生まれた十一月の人造人間。
 ああ。確かにあの日は冬も近い夜だった。
 そんな偶然が生みだした、自分自身で作られた名前の無い怪物。

「君は……フランケンシュタインの怪物へと生まれ変わったって訳だ」
「あはは。そういう事になるかな」
 彼はどこか照れたように頭を掻いた。いや、照れる所じゃない。
「……はあ。そういうことか」
 溜息しか出なかった。肉体が死んだのなら、人間でなくなったのなら。人間としての寿命から解放されたようなものだ。僕と違うのは、その身体が死体のままだったという事だ。
 そして、彼の問題は耐久性に現れていると、指に巻かれた絆創膏が物語っていた。

「それで、二人ともどうして日本に?」
「それは。私が、行こうって言ったの」
 俯いたまま、今度はノイスちゃんが答えた。
「私は……テオに、新しい身体をあげたかったから」

 俯いたまま、ノイスちゃんはぽつぽつと話す。
 安定はしてるけど、彼はこのつぎはぎだらけの身体を、多少不便に思っていること。
 夜になれば、僕の名前をうなされるように呟いていたこと。
 身体もかなり古くなってきた頃に、遠い異国の地に僕がいると聞いたこと。
 うなされて呼ぶのは恨みからだろう。ならば、その恨みを晴らしてあげたいと。元凶に制裁を与えたいと。
 ついでに、魂を僕に流し込んで、新しい器にしてやろうと。
 そんな訳で僕を刺しに来たらしい。

「……なるほど」
 彼女がテオを想う気持ちは伝わるけれど。こう。刺された側としてはなんとも言えない。
 しかも身体を狙う刺客二人目とか勘弁して欲しい。が、正直な感想だった。
 そんな刺客一人目を送り込んでしまった隣、しきちゃんを見る。彼女は少し難しい顔で二人を見ていた。
「しきちゃん。二人に何か言いたいことでもあるの?」
「えっ」
 ハッと気付いたように、しきちゃんの表情から険しさが消える。少し迷ったようだったけど、彼女は素直に頷いた。
「えっと、はい。お尋ねしたいことが、ちょっとだけ……」
「なるほど」
 聞いてみなよ、と、僕はカップを手に取る。
 頷いた彼女の視線はノイスちゃんからテオへと向いた。
「あの……テオドールさん」
「テオでいいよ。それで、何?」
「はい……。あの。貴方は、お兄さんに会ってどうするつもりだったのですか?」
 そう問う声はいつもより固い。
 彼女が、彼らを改めて見定めようとしているのだと分かった。

 もし、テオが僕に危害を与えると。ノイスちゃんと同じ目的だと答えたら。
 彼女はどうするんだろう。何か起きるのだろうか。ちょっとドキドキする。

 僕と同じ人外とはいえ、座敷童。攻撃力や体力はほとんどなく、そこらの少女と変わらない。ただ、家への幸福を害する敵意には、きっと一番敏感だ。
 そんな彼女が彼らを家に迎え入れたのは、敵意がないと判断した結果だと思ってたんだけど。彼らに改めて目的を問うと言うことは、敵意がないと言葉で証明してもらうつもりなのだろう。
 ……ケーキの箱で先手を打たれたから、という可能性も否めないけど。

 彼らを出迎えたのはしきちゃんだった。
 ドアを開けてすぐに箱を手渡されたらしい。
「初めまして。俺はテオドール。テオドール=ノットワード。ノイスがお世話になったって聞いて」
 それで、ウィルは居る? という彼の問いに頷いてしまったのだと。
 困った顔でケーキの箱を抱えて、お茶の準備を始めた僕の元に戻ってきたのだった。

 なのに。敵意があったりしたら?
 そんな僕の緊張をよそに、テオの答えは穏やかだった。
「俺は、ウィルに礼を言いたかったんだ」
「お礼……?」
 僕としきちゃんは首を傾げた。
 彼女にはもちろん、僕にも心当たりがない。
「心当たりがさっぱりないんだけど。あと僕の名前、今は違うから。自己紹介したよね」
「ああ、ごめん。ええと。ムツキ」
「良し」
 頷いた僕を見て、彼は話を続けた。

 当時。彼自身も、もうひとつの人格に悩んでいた。
 止めたくても自分の意思ではどうにもできなくて。誰かに止めてもらいたいけど、頼れる人は居なくて。〝彼〟の行動はエスカレートしていって。
 ようやく話せたのが。託せたのが。吸血鬼だと正体を明かした僕だったという。

「もし、俺がどうしようもない状態で君と出会ったら。その時は遠慮せず殺して欲しい。――この身体も血も、好きにして良いからさ」

 これが、テオのできた精一杯の抵抗だった。
 そして僕は、冬も近付いたあの夜。それを実行した。
 それでもテオは生きていた。生かされていた。

 人間でなくなった生活を悩んだ日もあったけど。あれ以来、他の人格は出てきていないらしい。身体さえきちんと動けば、日常生活を送るにも苦はないという。
 けど、生活が落ち着いて、礼をしようと思った頃には、僕は街から居なくなっていて。行方も手掛かりも分からないまま過ごしていたという。

 確かに僕も、テオのその後なんて知らなかった。
 いや、知ろうとしなかった。
 もう二度と会えない友人を訪ねる勇気もなく、逃げるように国を出て行ったのだから。

 そのまま平穏に暮らしていたテオだけれど。
 一点、生前とは大きく変わったことがあったという。
「匂いをね、感じるようになったんだ」
「匂い?」
 そう、と彼は頷く。
「魂の匂い。分かりやすい人だと、大体の距離とか方向くらいは目星がつくんだ。あっちの方から匂ってくる、この匂いはあの人だな、ってなんとなく分かる感じ」
「ご近所の夕飯か何かかな?」
「ああ、近いかも。そんな中でも、ウィルのは特に分かりやすくてさ。それで、君が遠い東に居ることを知った。それが日本だろうって予想は賭けに近かったけど、なんとか確信も持てた」
 それも相当時間がかかったけど、と彼は言う。
「だから、お礼を言いに来た。あの夜を最後に事件は起きていない。あの人格も、今のところは静かだ。俺を止めてくれて。願いをきちんと聞いてくれて、本当にありがとう」
 そう言って笑った拍子に、前髪に隠れていた瞳が覗いた。
 それは久しぶりに見る、穏やかな榛色だった。
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