残酷な描写あり
R-15
009 醒
神殿は町から見て正面に長い階段があり、一番手前に二階建ての礼拝堂、奥に五階建ての塔、その両側に横長の二階建ての建物がある。学校の教室や宿舎として利用されているのだが、利用人数に対して明らかに部屋数が多い。大昔の人口が多かった頃にあわせて作られたのだという。その一番左側の広い部屋が神衛兵の訓練場になっている。その部屋は二階まで吹き抜けになっていて、反力石を使った訓練を想定していると思われた。
フォスターはその訓練場でビスタークにボロ負けしていた。自分の身体より少し小さいから感覚がおかしいと言っていたが、それでもフォスターよりはるかに強かった。
鎧や剣、盾はカイルに預けてしまったのと、先日フォスターが「素手でケンカくらいしか」などと言ったこともあって、まずは素手でどれだけ戦えるか見てみることになった。
ビスタークはフォスターが殴りかかった右腕を避けて掴むと同時に踏み込んだ左足を払い、床に叩きつけようとした。直前で頭が床にぶつからないよう上体を引き上げたので怪我はしなかったが。
「本当に全然訓練してこなかったんだな」
呆れ気味にビスタークは言った。
フォスターは少しショックだった。子どもの頃から訓練をしていたというビスタークに勝てないのは仕方がないとしても、筋力には少々自信があったのでここまで何も出来ないとは思わなかったのだ。
一対一で数回やり合った後はどれくらいの力があるのか、腕力、脚力などの筋力と柔軟性の確認をし、日々の鍛練計画を立てられた。
「……お前、集中してないだろ」
ビスタークに指摘された。確かにそうかもしれない、と思った。二日酔いは大分良くなっていたが、理解できないような話をされたばかりだったので思考が追い付いていなかった。
「なんていうか、あんな話されたから頭の中がぐるぐるするというか……混乱してる」
「ああ……まあ、普通はそうだろうな」
「…………本当にリューナは破壊神の子なのか?」
「そう言われただけって言ったろ。本物が他にいて囮の子って可能性もある」
フォスターはそうだったらいい、と思った。それなら面倒事に巻き込まれて迷惑なだけで、はっきり別人だとわかれば後は元通りだ。
「その、ストロワって人が見つかったら、リューナが神の子かどうかはっきりするのか?」
「ああ」
「……もし、リューナが本物だったらどうなる?」
「ストロワに預けることになる」
「それは大丈夫なのか? その……また襲われたりとか」
「……会ってみないとわからん。託された時は危険だったからな。そのためにも鍛えとけ。同行して神殿まで護衛する可能性もあるからな」
「神殿まで送り届けたとして、その後は?」
「神殿の場所がバレたって言ってたからな……安全じゃなさそうだし、別の場所が用意できてるかどうかもわからないしな。とにかく大神官と合流できないと話にならねえな」
フォスターは首を振った。
「そうじゃなくてさ……リューナが、もし本物だったら……」
言いにくそうに、言葉を絞り出した。
「……もう此処には帰って来ないのか?」
「……ああ。そうなるだろうな」
ビスタークも言いづらそうに声を低くして答えた。
「それは、幸せになれるのか?」
「神の幸せが人間と同じかどうかもわからないけどな。神の子ってのは物心つく頃から自覚と知識があって責任を背負っているらしいぞ」
「なら、リューナは違うな。神の自覚なんて全く無い、普通の子だよ」
「力を封じたせいかもしれないぜ」
まだ何か言いたげなフォスターに向かって言葉を続ける。
「ウダウダ言っててもどうにもならねえよ。とにかくストロワを探さないと……!?」
ビスタークが何かに気づいた。
「こいつの意識が戻りそうだ! 俺はさっきの部屋に戻っておくから、お前はニア姉たちを連れてこい!」
「わ、わかった!」
男が目覚めそうになったため、話は急遽打ち切られた。
ビスタークは急いで男を拘束していた部屋へと戻る。その間にフォスターは神官たちを呼んできた。
男の身体をベッドに寝かせしっかり拘束した後、ビスタークの宿った帯を取った。それから少し経つと男はゆっくり目を開け、そして驚いたように大きな声をあげた。
「!? えっ? なんですか? 誰!?」
男は自分の置かれた環境が全くわかっていないようだった。辺りを見回して動揺している。
「おぬしは此処の町民を傷つけ、女の子を連れ去ろうとしたんじゃが、覚えておるかの?」
ソレムが男に話しかけた。
「は? 私がですか?」
信じられないという顔をして男が答える。
「十五、六年前に外から連れてこられた赤子はいなかったかと聞いてまわったそうじゃの」
「? なんのことだか全然わかりません! 一体どうなってるんですか!?」
拘束されていることにようやく気づいたらしくもがき始めた。
「まさか、何も覚えておらんのか?」
『この前と違って表情が出てきたからな、正気に戻ったんだろ』
「正気に戻ったんじゃないかって言ってるわ」
ビスタークの帯は今ニアタが握っているため、ニアタにしか声が聞こえない。
「……最初から全部説明するかの」
リューナを連れ去ろうとしたこと、護ろうとしたジーニェルを傷つけたこと、フォスターと戦い気絶させられたことを説明した。本当はフォスターではなく中身はビスタークだがそれは伏せた。
「……それは、大変なご迷惑をおかけ致しました……」
自分のしでかしたことを淡々と説明され、男の顔色はだんだん悪くなっていった。
「でも本当に覚えていないんです。信じてもらえないかもしれませんが本当なんです」
「そもそも、あなたは誰でどこから来たのかしら?」
今度はニアタが質問した。
「私はヴァーリオと申します。鳥神ビルディスの町で神衛兵をしています」
「鳥神ビルディスっていうと、世界の反対側って言っていいくらい遠いところだったわよね?」
『よく知らん』
「ええと、ここはどこなんですか?」
「飛翔神リフェイオスの町よ」
「ああ、あの神話の……」
他の町でもあの神話は知られているようだ。
「私は自分の町にいました。そこで騒ぎが起こって、他の神衛と一緒に何があったのか確認しに行ったはずです。それから後がよく思い出せません。何かと戦ったような気がしますが……」
フォスターは複雑だった。自分の養父を傷つけたり妹に怖い思いをさせたのはこの男ヴァーリオだ。とはいえ何かに操られていたような感じではあったし、雰囲気も全く別人と言っていいほどで憎む気にはなれなかった。嘘をついているようにも見えない。
「いいわねー。神衛がちゃんといる町で」
「ウチは誰かさんが引き受けてくれんからのう」
「……」
急に矛先が自分に向いたので気まずかった。
「俺、そろそろ帰ります」
丁度いいのでフォスターは家に帰ろうとした。
「ちょっと待ってフォスター」
ニアタが呼び止めて言った。
「これ、忘れてるわよ」
『これって言うな』
と、ビスタークの帯を差し出してきたが、フォスターはものすごく嫌そうな顔をして返事をした。
「……預かっといてください。また勝手に身体使われると嫌だし」
はっきりと断った。
「息子に嫌われちゃったわねー」
『うるせえ』
ニアタがビスタークをからかっているようだったが、ビスタークの声は聞こえなかった。
今日は普通に寝られそうだと安堵していると、ヴァーリオに声をかけられた。
「あの、フォスター君、でしたっけ」
「はい?」
「妹さんにも謝っていたとお伝えください。……謝って済むことではないとは思いますが、それでも」
「はあ……」
変な感じだった。戦った時ともビスタークが入ってる時とも違う。中身が違うとこんなに変わるものなのかと思いながら神殿を後にした。
フォスターはその訓練場でビスタークにボロ負けしていた。自分の身体より少し小さいから感覚がおかしいと言っていたが、それでもフォスターよりはるかに強かった。
鎧や剣、盾はカイルに預けてしまったのと、先日フォスターが「素手でケンカくらいしか」などと言ったこともあって、まずは素手でどれだけ戦えるか見てみることになった。
ビスタークはフォスターが殴りかかった右腕を避けて掴むと同時に踏み込んだ左足を払い、床に叩きつけようとした。直前で頭が床にぶつからないよう上体を引き上げたので怪我はしなかったが。
「本当に全然訓練してこなかったんだな」
呆れ気味にビスタークは言った。
フォスターは少しショックだった。子どもの頃から訓練をしていたというビスタークに勝てないのは仕方がないとしても、筋力には少々自信があったのでここまで何も出来ないとは思わなかったのだ。
一対一で数回やり合った後はどれくらいの力があるのか、腕力、脚力などの筋力と柔軟性の確認をし、日々の鍛練計画を立てられた。
「……お前、集中してないだろ」
ビスタークに指摘された。確かにそうかもしれない、と思った。二日酔いは大分良くなっていたが、理解できないような話をされたばかりだったので思考が追い付いていなかった。
「なんていうか、あんな話されたから頭の中がぐるぐるするというか……混乱してる」
「ああ……まあ、普通はそうだろうな」
「…………本当にリューナは破壊神の子なのか?」
「そう言われただけって言ったろ。本物が他にいて囮の子って可能性もある」
フォスターはそうだったらいい、と思った。それなら面倒事に巻き込まれて迷惑なだけで、はっきり別人だとわかれば後は元通りだ。
「その、ストロワって人が見つかったら、リューナが神の子かどうかはっきりするのか?」
「ああ」
「……もし、リューナが本物だったらどうなる?」
「ストロワに預けることになる」
「それは大丈夫なのか? その……また襲われたりとか」
「……会ってみないとわからん。託された時は危険だったからな。そのためにも鍛えとけ。同行して神殿まで護衛する可能性もあるからな」
「神殿まで送り届けたとして、その後は?」
「神殿の場所がバレたって言ってたからな……安全じゃなさそうだし、別の場所が用意できてるかどうかもわからないしな。とにかく大神官と合流できないと話にならねえな」
フォスターは首を振った。
「そうじゃなくてさ……リューナが、もし本物だったら……」
言いにくそうに、言葉を絞り出した。
「……もう此処には帰って来ないのか?」
「……ああ。そうなるだろうな」
ビスタークも言いづらそうに声を低くして答えた。
「それは、幸せになれるのか?」
「神の幸せが人間と同じかどうかもわからないけどな。神の子ってのは物心つく頃から自覚と知識があって責任を背負っているらしいぞ」
「なら、リューナは違うな。神の自覚なんて全く無い、普通の子だよ」
「力を封じたせいかもしれないぜ」
まだ何か言いたげなフォスターに向かって言葉を続ける。
「ウダウダ言っててもどうにもならねえよ。とにかくストロワを探さないと……!?」
ビスタークが何かに気づいた。
「こいつの意識が戻りそうだ! 俺はさっきの部屋に戻っておくから、お前はニア姉たちを連れてこい!」
「わ、わかった!」
男が目覚めそうになったため、話は急遽打ち切られた。
ビスタークは急いで男を拘束していた部屋へと戻る。その間にフォスターは神官たちを呼んできた。
男の身体をベッドに寝かせしっかり拘束した後、ビスタークの宿った帯を取った。それから少し経つと男はゆっくり目を開け、そして驚いたように大きな声をあげた。
「!? えっ? なんですか? 誰!?」
男は自分の置かれた環境が全くわかっていないようだった。辺りを見回して動揺している。
「おぬしは此処の町民を傷つけ、女の子を連れ去ろうとしたんじゃが、覚えておるかの?」
ソレムが男に話しかけた。
「は? 私がですか?」
信じられないという顔をして男が答える。
「十五、六年前に外から連れてこられた赤子はいなかったかと聞いてまわったそうじゃの」
「? なんのことだか全然わかりません! 一体どうなってるんですか!?」
拘束されていることにようやく気づいたらしくもがき始めた。
「まさか、何も覚えておらんのか?」
『この前と違って表情が出てきたからな、正気に戻ったんだろ』
「正気に戻ったんじゃないかって言ってるわ」
ビスタークの帯は今ニアタが握っているため、ニアタにしか声が聞こえない。
「……最初から全部説明するかの」
リューナを連れ去ろうとしたこと、護ろうとしたジーニェルを傷つけたこと、フォスターと戦い気絶させられたことを説明した。本当はフォスターではなく中身はビスタークだがそれは伏せた。
「……それは、大変なご迷惑をおかけ致しました……」
自分のしでかしたことを淡々と説明され、男の顔色はだんだん悪くなっていった。
「でも本当に覚えていないんです。信じてもらえないかもしれませんが本当なんです」
「そもそも、あなたは誰でどこから来たのかしら?」
今度はニアタが質問した。
「私はヴァーリオと申します。鳥神ビルディスの町で神衛兵をしています」
「鳥神ビルディスっていうと、世界の反対側って言っていいくらい遠いところだったわよね?」
『よく知らん』
「ええと、ここはどこなんですか?」
「飛翔神リフェイオスの町よ」
「ああ、あの神話の……」
他の町でもあの神話は知られているようだ。
「私は自分の町にいました。そこで騒ぎが起こって、他の神衛と一緒に何があったのか確認しに行ったはずです。それから後がよく思い出せません。何かと戦ったような気がしますが……」
フォスターは複雑だった。自分の養父を傷つけたり妹に怖い思いをさせたのはこの男ヴァーリオだ。とはいえ何かに操られていたような感じではあったし、雰囲気も全く別人と言っていいほどで憎む気にはなれなかった。嘘をついているようにも見えない。
「いいわねー。神衛がちゃんといる町で」
「ウチは誰かさんが引き受けてくれんからのう」
「……」
急に矛先が自分に向いたので気まずかった。
「俺、そろそろ帰ります」
丁度いいのでフォスターは家に帰ろうとした。
「ちょっと待ってフォスター」
ニアタが呼び止めて言った。
「これ、忘れてるわよ」
『これって言うな』
と、ビスタークの帯を差し出してきたが、フォスターはものすごく嫌そうな顔をして返事をした。
「……預かっといてください。また勝手に身体使われると嫌だし」
はっきりと断った。
「息子に嫌われちゃったわねー」
『うるせえ』
ニアタがビスタークをからかっているようだったが、ビスタークの声は聞こえなかった。
今日は普通に寝られそうだと安堵していると、ヴァーリオに声をかけられた。
「あの、フォスター君、でしたっけ」
「はい?」
「妹さんにも謝っていたとお伝えください。……謝って済むことではないとは思いますが、それでも」
「はあ……」
変な感じだった。戦った時ともビスタークが入ってる時とも違う。中身が違うとこんなに変わるものなのかと思いながら神殿を後にした。