残酷な描写あり
R-15
033 道程
忘却神フォルゲスの町は飛翔神リフェイオスの町を上とすると左下の方向にある町である。現在いる友神フリアンスの町から見ると左少し上くらいの位置である。水の都のある大陸寄りで、海に面している崖のすぐ近くに町を構えている。
この世界には東西南北という概念が無い。世界が平坦で極地というものが無いからだ。十大神の都のうち八都が世界の中心から八つの方向にあるため、その名前で方向を言うこともある。ただし場所によっては違和感を感じる。例えば世界の中心から見ると「水の方角」は北側に思えるが、飛翔神の町からすると水の都は西側なため「水の方角」と言われても違和感しかないのだ。
地図上においてどの都を一番上、つまり北側に持ってくるかで言い争いが度々起きている。各都で地図の話をする際には配慮が必要だ。都にいる場合はその都を地図の一番上側にあると考えて話をしないと余計な揉め事に巻き込まれるおそれがある。
「なんで急にそこへ行くことにしたんだ?」
フォスターが急に行き先を変えたビスタークに疑問をぶつける。
『俺達を監視してた奴に使っちまったんだ。記憶を無くせる石をな』
「記憶を?」
『お前らが殺すなってうるさいからだよ。そういやアイツどうなったかな……俺達のことを忘れているだけか正気に戻ってるか、確認するべきだったか』
「その石を手に入れるために忘却神の町へ行くってことか」
『そうだ。まあ行っても手に入らないかもしれないんだけどな。あそこは管理が厳しいって聞いてる』
「まあ別に急ぐ旅でも無いからいいけど……またああいうのが来た時に使うんだろ。じゃあ朝市で買い物して準備できたらそっちに向かうか」
フォスターがビスタークと話していると、フォスターの言葉しか聞こえていなかったリューナが疑問を口にした。
「忘却神の町に行くの?」
「ああ、うん」
「あの町って蜂蜜作ってるんだよね! 少し安く買えるかなあ?」
「あっ、そうだったな! 買いに行くか!」
『お前ら本来の目的忘れるなよ』
ビスタークが甘味に興奮気味の二人に釘を刺し、それからこう告げた。
『今後、俺は夜中の見張りをするから、移動中は休むことにする。何かあったら呼べ』
意識を保つのは結構疲れると言っていた。夜中の見張りをしてもらう方が助かるので了承した。
朝市で朝食を澄ませた後、また食材やパン、軽食等を買い足し、時停石と共に大袋に入れて格納石へしまう。忘却神フォルゲスの町にはやはり二日程度かかる。間に簡易的な宿泊小屋があるところも一緒だ。山脈の麓沿いを進む道のりとなるので山は越えずに済み、移動時間は少なくなるようだが。
町中で盾に乗るのは目立つので、町外れまで歩いてから盾を組み立てる。今日はリューナの理力に頼るので前にリューナ、後ろにフォスターが乗る。リューナが操縦桿を握るがその握った手の上からフォスターが手を重ねて方向の調整をする形だ。
リューナは落ち着かなかった。いつも自分からフォスターに抱きついていて、フォスターに抱きつかれたことは無かったからだ。いや実際には抱きついているわけでは無いのだが、後ろから身体を密着されるのがこんなに恥ずかしくドキドキするものだとは思わなかった。
いつも抱きつかれているフォスターは何故平気なのだろうか。やはり自分のことを幼い妹としか見ていないから、手のかかる子どもとしか見ていないからか。そこまで考えて、リューナは腹立たしさと同時に悲しくもなってきた。複雑な気持ちを顔に出し、まるで見えるかのようにフォスターの顔のほうを向く。
「どうした? 操縦が不安か?」
「…………なんでもない」
「?」
リューナは無言で教えられた通り盾を起動し進みだした。後ろにしがみついていた時と空気の感じ方が違う。風を切って走る感じが心地よかった。後ろにいるフォスターはリューナのふわふわとした水色のくせっ毛が顔に当たって少しくすぐったい。
「結構楽しいね」
「そりゃよかった」
リューナは調子に乗って少し速度を上げた。
「おい? なんか速くなってないか?」
「うん。どこまで速くなるかやってみたいと思って」
「なっ……ダメだ! カイルの作ったものなんだからそんなことしてたらすぐ壊れるぞ!」
「……はーい」
リューナは渋々速度を落とした。
昼食休憩の前に訓練を終わらせ、朝買っておいたチーズや肉や生野菜がたくさん挟んであるパンを食べる。地元と違って景色に緑が多いので気分良く食事ができる。肉に少し辛めの濃い味がついていてそれが生野菜とパンにとても合っていて美味しい。
「昨日作ってたのは夜食べるの?」
食いしんぼうのリューナが聞いてきた。
「そのつもりだよ」
「楽しみにしてるね」
笑顔で言う。本当に楽しみにしているようで、こっちまで笑顔になる。やはり美味しい食事は大事だと思った。
忘却神の町への道は緩い上り坂になっていて、まだ町は見えない。その後もリューナの理力に頼って途中の宿泊小屋へは暗くなってきた頃にたどり着いた。
「ありがとな、助かったよ。リューナは理力不足になってないのか?」
「うん。大丈夫みたいだよ。私って理力が多いのかなあ?」
「……そうかもな」
平然としている。やはり神の子だからなのか。妹が人間ではないことを認めたくない。なんとも言えない複雑な感情が沸き上がってくる。
「フォスター? どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない。飯にしようか」
「うん!」
リューナを誤魔化すには食べ物が一番良いのである。
昨晩、一刻ほど煮込んでいた肉は手でほぐしたり包丁で叩いたりして細かくしてから混ぜ、冷やして脂を取り除いた煮汁とさらに混ぜてペースト状にし、脂で蓋をするように瓶に入れて保存しておいた。
豚肉の煮汁を少し取り分けて作ったスープも別の瓶に入れておいたのでそれをスープ皿に取り分け、パンも取り出す。パンは長い物なので切ってから皿の上に置いてやった。
「んじゃ食べるか」
「いただきまーす」
相変わらずリューナは美味しそうに食べる。肉のペーストをパンにたっぷり乗せて食べるといくらでも食べられそうだ。笑顔でたくさん食べてもらえるのは嬉しいものだが、あっという間になくなっていく料理を見ていると懐事情が心配になった。
宿泊小屋には他の旅人が訪れてもおかしくないのだが、誰も来なかった。
『忘却神の町に行く奴は訳ありの人間ばかりという話だからな。商人がたまに行き来するくらいじゃねえのか。まあいないほうが安心だ』
「骨の悪霊も出ないみたいだな」
『俺はこっちには来てないしな』
ということは港方面に向かうと出てくるのか、とフォスターは考え憂鬱になった。
特に何事もなく翌朝を迎えた。理力が回復したので今日はフォスターが操縦する。距離は飛翔神の町より近く山も越えないので、暗くなる前には町に到着できるはずだ。
いつも通り順調に進み、昼休憩時に訓練もいつも通り済ませた。町がそこそこ近くに見えてくるとリューナがこう言った。
「何か聞こえてくるよ。何の音かなあ?」
「えっ? 俺には聞こえないな……。リューナは耳が良いからなあ。どんな音だ?」
「んーとね、ざざー、ざざーって一定間隔で聞こえる」
『波の音じゃねえか?』
「これ、海の波の音なの?」
珍しくリューナがビスタークの帯を掴んでいたので会話が成立していた。
「忘却神の町の近くの崖下が海なんだよな。ちょっと見に行ってもいいか?」
いつもはリューナに遠慮して「見たい」とは言わないようにしているのだが、見たことの無い海の誘惑に勝てなかった。
「うん。いいよ」
リューナも興味があるので問題なかったようだ。
崖の縁まで来ると波の音が大きく聞こえた。この世界は惑星では無く成り立ちが異なるため海の塩分濃度が低い。土の塩分が少し溶け出しているため完全に真水ではないが真水と呼んでも良いくらいのとても薄い塩水である。なので潮の匂いはほぼ感じられない。
「はー、これが海かー」
「なんか風が気持ちいいねー」
『お前ら海は初めてなんだな』
「うん。実はちょっと楽しみだった」
フォスターは辺りを見渡し、遠くのほうにうっすらと見えるものに気づいた。少々の高低差はあるものの基本的に世界の形が平坦なため、空気さえ澄んでいればかなり遠くまで視認できるのだ。
「向こうの大陸がぼんやり見えるな。あれが水の都のある大陸だよな?」
『位置的にそうだな。この盾で渡れねえかな?』
「無理だろ。休憩もしなきゃならないのに。それに途中で壊れたら終わる」
『確かにな』
盾が壊れても反力石を使えばその場で浮くことはできるが、理力が尽きたら海へ落ちる。一日ではとてもたどり着ける距離ではないので、寝る場所も無い海を越えるなど絶対に無理である。ここから船が出ていれば最短距離で水の都に行けるのにな、と思った。
この世界には東西南北という概念が無い。世界が平坦で極地というものが無いからだ。十大神の都のうち八都が世界の中心から八つの方向にあるため、その名前で方向を言うこともある。ただし場所によっては違和感を感じる。例えば世界の中心から見ると「水の方角」は北側に思えるが、飛翔神の町からすると水の都は西側なため「水の方角」と言われても違和感しかないのだ。
地図上においてどの都を一番上、つまり北側に持ってくるかで言い争いが度々起きている。各都で地図の話をする際には配慮が必要だ。都にいる場合はその都を地図の一番上側にあると考えて話をしないと余計な揉め事に巻き込まれるおそれがある。
「なんで急にそこへ行くことにしたんだ?」
フォスターが急に行き先を変えたビスタークに疑問をぶつける。
『俺達を監視してた奴に使っちまったんだ。記憶を無くせる石をな』
「記憶を?」
『お前らが殺すなってうるさいからだよ。そういやアイツどうなったかな……俺達のことを忘れているだけか正気に戻ってるか、確認するべきだったか』
「その石を手に入れるために忘却神の町へ行くってことか」
『そうだ。まあ行っても手に入らないかもしれないんだけどな。あそこは管理が厳しいって聞いてる』
「まあ別に急ぐ旅でも無いからいいけど……またああいうのが来た時に使うんだろ。じゃあ朝市で買い物して準備できたらそっちに向かうか」
フォスターがビスタークと話していると、フォスターの言葉しか聞こえていなかったリューナが疑問を口にした。
「忘却神の町に行くの?」
「ああ、うん」
「あの町って蜂蜜作ってるんだよね! 少し安く買えるかなあ?」
「あっ、そうだったな! 買いに行くか!」
『お前ら本来の目的忘れるなよ』
ビスタークが甘味に興奮気味の二人に釘を刺し、それからこう告げた。
『今後、俺は夜中の見張りをするから、移動中は休むことにする。何かあったら呼べ』
意識を保つのは結構疲れると言っていた。夜中の見張りをしてもらう方が助かるので了承した。
朝市で朝食を澄ませた後、また食材やパン、軽食等を買い足し、時停石と共に大袋に入れて格納石へしまう。忘却神フォルゲスの町にはやはり二日程度かかる。間に簡易的な宿泊小屋があるところも一緒だ。山脈の麓沿いを進む道のりとなるので山は越えずに済み、移動時間は少なくなるようだが。
町中で盾に乗るのは目立つので、町外れまで歩いてから盾を組み立てる。今日はリューナの理力に頼るので前にリューナ、後ろにフォスターが乗る。リューナが操縦桿を握るがその握った手の上からフォスターが手を重ねて方向の調整をする形だ。
リューナは落ち着かなかった。いつも自分からフォスターに抱きついていて、フォスターに抱きつかれたことは無かったからだ。いや実際には抱きついているわけでは無いのだが、後ろから身体を密着されるのがこんなに恥ずかしくドキドキするものだとは思わなかった。
いつも抱きつかれているフォスターは何故平気なのだろうか。やはり自分のことを幼い妹としか見ていないから、手のかかる子どもとしか見ていないからか。そこまで考えて、リューナは腹立たしさと同時に悲しくもなってきた。複雑な気持ちを顔に出し、まるで見えるかのようにフォスターの顔のほうを向く。
「どうした? 操縦が不安か?」
「…………なんでもない」
「?」
リューナは無言で教えられた通り盾を起動し進みだした。後ろにしがみついていた時と空気の感じ方が違う。風を切って走る感じが心地よかった。後ろにいるフォスターはリューナのふわふわとした水色のくせっ毛が顔に当たって少しくすぐったい。
「結構楽しいね」
「そりゃよかった」
リューナは調子に乗って少し速度を上げた。
「おい? なんか速くなってないか?」
「うん。どこまで速くなるかやってみたいと思って」
「なっ……ダメだ! カイルの作ったものなんだからそんなことしてたらすぐ壊れるぞ!」
「……はーい」
リューナは渋々速度を落とした。
昼食休憩の前に訓練を終わらせ、朝買っておいたチーズや肉や生野菜がたくさん挟んであるパンを食べる。地元と違って景色に緑が多いので気分良く食事ができる。肉に少し辛めの濃い味がついていてそれが生野菜とパンにとても合っていて美味しい。
「昨日作ってたのは夜食べるの?」
食いしんぼうのリューナが聞いてきた。
「そのつもりだよ」
「楽しみにしてるね」
笑顔で言う。本当に楽しみにしているようで、こっちまで笑顔になる。やはり美味しい食事は大事だと思った。
忘却神の町への道は緩い上り坂になっていて、まだ町は見えない。その後もリューナの理力に頼って途中の宿泊小屋へは暗くなってきた頃にたどり着いた。
「ありがとな、助かったよ。リューナは理力不足になってないのか?」
「うん。大丈夫みたいだよ。私って理力が多いのかなあ?」
「……そうかもな」
平然としている。やはり神の子だからなのか。妹が人間ではないことを認めたくない。なんとも言えない複雑な感情が沸き上がってくる。
「フォスター? どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない。飯にしようか」
「うん!」
リューナを誤魔化すには食べ物が一番良いのである。
昨晩、一刻ほど煮込んでいた肉は手でほぐしたり包丁で叩いたりして細かくしてから混ぜ、冷やして脂を取り除いた煮汁とさらに混ぜてペースト状にし、脂で蓋をするように瓶に入れて保存しておいた。
豚肉の煮汁を少し取り分けて作ったスープも別の瓶に入れておいたのでそれをスープ皿に取り分け、パンも取り出す。パンは長い物なので切ってから皿の上に置いてやった。
「んじゃ食べるか」
「いただきまーす」
相変わらずリューナは美味しそうに食べる。肉のペーストをパンにたっぷり乗せて食べるといくらでも食べられそうだ。笑顔でたくさん食べてもらえるのは嬉しいものだが、あっという間になくなっていく料理を見ていると懐事情が心配になった。
宿泊小屋には他の旅人が訪れてもおかしくないのだが、誰も来なかった。
『忘却神の町に行く奴は訳ありの人間ばかりという話だからな。商人がたまに行き来するくらいじゃねえのか。まあいないほうが安心だ』
「骨の悪霊も出ないみたいだな」
『俺はこっちには来てないしな』
ということは港方面に向かうと出てくるのか、とフォスターは考え憂鬱になった。
特に何事もなく翌朝を迎えた。理力が回復したので今日はフォスターが操縦する。距離は飛翔神の町より近く山も越えないので、暗くなる前には町に到着できるはずだ。
いつも通り順調に進み、昼休憩時に訓練もいつも通り済ませた。町がそこそこ近くに見えてくるとリューナがこう言った。
「何か聞こえてくるよ。何の音かなあ?」
「えっ? 俺には聞こえないな……。リューナは耳が良いからなあ。どんな音だ?」
「んーとね、ざざー、ざざーって一定間隔で聞こえる」
『波の音じゃねえか?』
「これ、海の波の音なの?」
珍しくリューナがビスタークの帯を掴んでいたので会話が成立していた。
「忘却神の町の近くの崖下が海なんだよな。ちょっと見に行ってもいいか?」
いつもはリューナに遠慮して「見たい」とは言わないようにしているのだが、見たことの無い海の誘惑に勝てなかった。
「うん。いいよ」
リューナも興味があるので問題なかったようだ。
崖の縁まで来ると波の音が大きく聞こえた。この世界は惑星では無く成り立ちが異なるため海の塩分濃度が低い。土の塩分が少し溶け出しているため完全に真水ではないが真水と呼んでも良いくらいのとても薄い塩水である。なので潮の匂いはほぼ感じられない。
「はー、これが海かー」
「なんか風が気持ちいいねー」
『お前ら海は初めてなんだな』
「うん。実はちょっと楽しみだった」
フォスターは辺りを見渡し、遠くのほうにうっすらと見えるものに気づいた。少々の高低差はあるものの基本的に世界の形が平坦なため、空気さえ澄んでいればかなり遠くまで視認できるのだ。
「向こうの大陸がぼんやり見えるな。あれが水の都のある大陸だよな?」
『位置的にそうだな。この盾で渡れねえかな?』
「無理だろ。休憩もしなきゃならないのに。それに途中で壊れたら終わる」
『確かにな』
盾が壊れても反力石を使えばその場で浮くことはできるが、理力が尽きたら海へ落ちる。一日ではとてもたどり着ける距離ではないので、寝る場所も無い海を越えるなど絶対に無理である。ここから船が出ていれば最短距離で水の都に行けるのにな、と思った。