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作者: 結城貴美
残酷な描写あり R-15
040 忘却
 その後、養蜂場の売店で蜂蜜入りの冷たい甘味を食べたことでリューナの機嫌が少し治った。蜂蜜に檸檬の果汁と海藻を混ぜて固めたぷるぷるとした食感の甘味だった。リューナは初めて食べる感触に喜んでいたがビスタークのことは絶対に許さないと言っていた。フォスターは危うく生きたまま燃やされるところだったので少し機嫌が直ってほっとした。

 炎の刻を過ぎ、少し暗くなってきたくらいの時間に神殿へと戻ってみた。もう落ち着いたようで中へと通された。働いている神官たちも昨日と特に変わったところはない。訓練できるような場所は無いかと聞くと、神衛兵かのえへいの訓練場所を開放してもらえた。終えてから部屋へと戻り、先に風呂を済ませ、またリューナと共に夕食となった。今日は蜂蜜とヨーグルトで作ったソースがかけてあるチキンソテーだった。鶏肉には塩とスパイスが効いていて、ソースは思っていたより蜂蜜が主張せず軽い口当たりで肉と合っていて美味しかった。

「みんな昨日と変わらなかったね」
「そうだな」
「結局何があったのかわからなかったね」
「まあ俺たちよそ者だからな」

 リューナもアニーシャに聞いてみたが教えてもらえなかったらしい。神の子には甘いのかと思っていたが、それはまた別の話のようだ。

「そういや、石もらえるか聞いてないな」
「じゃあ明日もここにいるの?」
「そうなるな。石のこと明日には聞かないとな。いつまでもここに足止めされるわけにもなあ」

 今日は神官達が忙しそうだった為、忘却石フォルガイトの件を聞きそびれていた。

「私はここで過ごすのもいいなーと思ってるけど」
「まあ、飯が美味いしな」

 本当にここで暮らすのも悪くないと思った。おそらく完全な自由ではなく管理された自由だが、夢や野心を持たずに心穏やかに生きていくなら最適な町では無いだろうか。

「そうそう。暇だろうからって本を貸してもらったの」
「あー、じゃあ後で読んでやるよ」
「ううん、大丈夫だよ」

 リューナは笑顔で橙色の平べったい石を出した。

「一緒にこれも貸してくれたの」
「何かの神の石か?」
「うん。これで本をなぞると書いてあることを読んでもらえるの。直接頭の中に声が聞こえてくるんだよ。言文神リーサイスの石なんだって」
「へえー、すごいな。良かったなあ」
「うん!」

 とても喜んでいる。本は神殿に置いてあるもので基本自由に読ませてもらえるのだが、リューナの場合は誰かに声を出して読んでもらわないとならない。そのため、迷惑になるからと自分からは滅多に本を読んでほしいとは言い出せないのだ。もし今度この言文石リーサイトが売られていたら買ってやろうと思った。まあ値段次第ではあるが。


 翌朝、前の日と同じように労働のため外へ出ようとした時、例の母娘と出口付近ですれ違った。以前暗い顔をしていた娘の方は笑顔で母親と談笑していた。全く雰囲気が違うように思えた。これはもしかして、と思ったが神官達に仕事場まで先導されていたためリューナやビスタークに話しかけることが出来なかった。畑に着くとリューナと別れ、フォスターは昨日と同じ仕事を指示されて収穫物の置いてある建物へと向かった。そこでビスタークが話しかけてきた。

『あれはやっぱり記憶消した後だよな』
「そうだと思う。聞いても教えてくれないだろうけどな」

 色々推測はあるが、周りに人がいる建物へと入ったので会話をやめた。昨日と同じように仕事をこなし、届けられた昼食を食べ、雑草と塩の実を採る。今日は周りが慌ただしくなることもなく、暗くなる前に仕事終わりとなった。

 リューナとは神殿の入口付近で会った。借りていた本を返して新しい本を借りたところだという。それまではアニーシャが付き添っていたが、フォスターと合流したので別の仕事へと向かっていった。

「あっ」
「どうしたの?」
忘却石フォルガイトもらえるのか聞きそびれた……」
「またー? しょうがないなあ。私からも聞いてみるよ」

 部屋へ戻りながら会話する。神殿内だとビスタークは大人しい。神官に霊魂の声が聞こえる者もいるからだろう。

「……あの女の人、記憶消しちゃったみたいだね」
「お前もそう思ったか?」
「昨日バタバタしてたのはそのせいだったのかなあ。今日は神殿から追い出されたりしなかったし」
「うーん、でもそれだけであんな緊急事態みたいな感じになるかな。神衛まで動いてただろ」
「お騒がせしてすみません」

 急に後ろから声をかけられた。びっくりして後ろを振り替えると、そこにいたのは神官や神衛兵ではなく、あの母娘の母親の方だった。話を聞かれていたことを察すると血の気が引いた。

「す、すみません、勝手に色々と……」

 自分達の噂話をされるのは気分の良いものでは無いだろう。二人は謝ることしか出来なかった。

「いえ、いいんです。昨日ここの皆さんに迷惑をかけたのは私達ですから。そのせいであなたがたにもご迷惑をおかけしてしまったみたいで……」
「え……?」

 その女性、レテーラはその場でこれまでいきさつを説明し始めた。

 レテーラとその娘リモヴィは同じ半島内にある鱈神モルエスの町――忘却神の町フォルゲスから見て地図上で下の方にある海沿いの町――の出身で、娘のリモヴィは結婚し夫と子ども二人と平凡だが幸せに日々を過ごしていたそうだ。

 その生活が「薬」のせいで一変してしまったという。

 フォスターとリューナはどう声をかければいいのかわからなかった。

「こんなところで立ったまま話す内容ではないね」

 気がつくと大神官ロスリーメが近くに立っていた。正直助かった。自分達だけではどうしたらいいかわからなかったからだ。

「部屋を用意させるからそっちで聞こうか。誰かに聞いて欲しかったんだろう?」

 ロスリーメはレテーラにそう言うと、近くにいた神官へ指示を出し、用意させた部屋へと導いた。神官達はてきぱきと席を整えお茶とお茶菓子を持ってきて去っていった。

「そういえば娘さんの方は……?」
「健康診断という名の経過観察中だから心配しないでも大丈夫だよ」

 席に着きながらフォスターが聞くとそう答えが返ってきた。しかし自分がここにいていいのだろうか。今まで秘密にしていたのではなかったか。気にはなっていたものの、こんなにしっかりとした場で話を聞くことになるとは思っていなかったのである。

「俺たち、ここにいていいんですかね……」
「本人から話しかけてきたんだから聞いておやり。話さずにはいられなかったんだろうから。中途半端に聞いたんならお前さんらも気になってるんだろう?」
「はい……」

 四角いテーブルの片側はレテーラの補佐をするような形で横にロスリーメが座り、対面にフォスターとリューナが座っている。ロスリーメの斜め後ろにはルゴットが護衛として立っている。

「待たせたね。私のことは気にしないで二人に聞いてもらいなさい」

 ロスリーメはレテーラの背中に手を添えて優しい声でそう促した。

「……私は最低な母親です。私は、自分が楽になるためにあの子の記憶を消したんです」

 レテーラは懺悔するかのように話の続きを話し始めた。

 鱈の養殖場で働いていた娘婿は、原因がなんだったのかは不明だが「薬」の中毒者となってしまった。悪い仲間にそそのかされたのか、何か騙されてしまったのか、それはわからない。
 おかしい、と思った時には既に末期の症状だった。中毒症状である幻覚を見て暴れ、家族に暴力をふるった結果、子ども達を殺してしまった。夫を止めようと必死に押さえていた娘のリモヴィも酷い怪我を負って生死を彷徨ったが一命を取り留めた。レテーラが騒ぎを聞き付けて駆けつけた時には家の中は血まみれになっていたという。リモヴィが運び込まれた診療所で意識を取り戻した時には夫と子ども達は既に空の星となっていた。

『…………』

 フォスターはそこでビスタークが言葉にならない声を出したような気がした。


 リモヴィは嘆き悲しんだ。夫は元々とても優しい人だったらしい。気が付いたら愛する家族は誰もいない。葬儀にさえ参加出来なかった。自分も家族の元へ逝こうと後追い自殺を何度も図った。レテーラがつきっきりで精神的なフォローをしていたが少し目を離すとすぐに命を断とうとするのだという。
 
 近所の目も気になった。鱈神の町モルエスはあまり大きくない漁師の町だ。そんな事件が起こったら瞬く間に町中へ噂が広がる。ずっとここには住んでいられない。家から出たがらないリモヴィを無理矢理貸し馬車に乗せて、隣町にあたるこの忘却神の町フォルゲスに来たそうだ。

「私は、もう、疲れてしまって……」

 もう涙も出し尽くしたような表情だった。声に力が感じられない。

「孫二人と婿だけでなく、あの子まで先に死なれたくなくて……」

 昨日の騒動はリモヴィが首吊り自殺を図ったためだった。そのため医療的措置を行った後、急遽死んだ家族に関する記憶を消したらしい。

「記憶を消さなきゃまたあの娘は自ら死のうとするさ。娘の命がかかってたんだ。お前さんは悪くないよ」

 レテーラの背中をさすりながらロスリーメはそう言って慰めた。

「何かのきっかけで思い出すことがあるかもしれない。でも、その頃にはもう何か生きていくための目標が見つかっているかもしれないよ。その時のためにも側で支えておやり」

 子どもに諭すような柔らかい口調でゆっくりと話している。

「それにあのままだと、お前さんの心が持たなかったろう。なんならその罪の意識の記憶を消すかい?」

 レテーラは首を振る。

「いいえ。あの子が忘れたなら、私だけは覚えていなければ」

 その言葉には力がこもっていた。

「そうかい。なら、あまり思い詰めるんじゃないよ。あまりに苦しそうなら、こちらの判断で消してしまうよ」
「はい。もう大丈夫です。私はリモヴィのためにこの記憶を守らなければなりませんから」

 表情はまだ疲れていたが、先ほどまで暗く落ち込んでいた瞳に光が宿ったように見えた。

「じゃあうちの町に住むってことでいいんだね?」
「はい。よろしくお願いします」
「細かい話をしなければならないね。ルゴット、彼女を案内しておくれ」
「はい」

 レテーラはフォスター達に会釈すると部屋から出ていった。
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