残酷な描写あり
R-15
092 幼少期
ビスタークの両親であるリーザックとフィクティマの葬儀は悪霊騒ぎの翌日無事に行われた。悪霊化を想定し念のため加害者青年の葬儀の二日後に設定しておいたらしい。大正解であった。両親の魂は無事に明るい星となり昇っていくのをビスタークたちは見届けた。
ビスタークの家は血塗れになっていたのをレアフィールが時修石で一日時間を戻して元の綺麗な家にしたらしい。家まるごと囲んで理力を流さなければならないので時修石の使用には大量の理力を必要とするはずである。以前マフティロがそのようなことを言っていた。それをまだ子どものレアフィールができるものなのかと記憶を見ているフォスターは疑問に思ったが、丸ごと囲わず床や壁だけならそれほど理力を使わないのかもしれないとも思った。結局その家は事件の後一度も使われず、現在でも空き家のままである。
両親の葬儀を無事に終え、新しい日常が始まった。神殿に引き取られたビスタークをソレム、レアフィール、ニアタは本当の家族のように優しく暖かく、ときに厳しく接した。
神殿で預かってしばらくは突然夜中に泣き叫ぶ日々が続いた。ビスタークはその度にレアフィールとニアタに抱きしめられ添い寝されていた。二人の体温は暖かく、一緒に眠ると落ち着いた。
最初のうちは無表情で言葉が少なくなっていたビスタークだったが、悪霊事件の後からは神殿の新しい家族のおかげで段々と感情が出てくるようになり、少しずつ話も出来るようになっていった。レアフィールのことをレア兄、ニアタのことをニア姉と呼びとても懐いていた。その関係は本当の兄弟のようだった。あの事件のつらく暗い記憶と気持ちは心の奥底へと封じ込めておいた。
神殿の三人は忙しく働いていた。普通なら複数いる神官が行う日々の業務――毎日の礼拝による神の石の管理、冠婚葬祭、宗教行事、政治、行政、教育、税金の収支、周辺の町や都との連絡、住民同士の仲裁、神の石への理力補充、住民から依頼される理力を多く使う神の石の使用等をソレムと町長二人で担うには負担が大きすぎた。町長も先代が流行り病で亡くなっており、ろくな引き継ぎもないまま就任した新しい町長のためあまり頼りにならない。事件当時、レアフィールは十三歳、ニアタは十歳だったが、子どもの手を借りなければならないほど忙しかった。
フォスターから見ると、レアフィールが年齢のわりに大人びており、仕事がかなり出来たのでなんとかなっている印象だった。
町の人たちも手伝いに来てはいたが、子どもたちも仕事をしていた。レアフィールは業務の補佐や子ども達の授業を担当し、ニアタは主に家庭内の仕事と会計関係を任されながら神官の勉強にも励んでいた。ビスタークも少しずつだが手伝うようになっていった。
ビスタークはあの日を思い出すのか刃物だけは駄目だった。刃物を見ただけで錯乱するビスタークの前で材料を切るなどの食事の支度は出来なかった。ただ、克服しようと毎日少しずつ慣れるための努力だけはしていた。
一度だけ、真剣に忘却石で記憶を消すかとソレムとレアフィールに聞かれていた。忘却神の町から石を取り寄せたらしい。ビスタークは悩んでいたが結局断っていた。両親との幸せな家庭の記憶も無くなるかもしれないと危惧していたからだ。その忘却石は「もし忘れたくなったら使うように」と本人の判断に委ねられビスタークの物になった。この時にもらった石が以前友神の町で使われたものだったのだ。
日々の神殿の仕事はとても忙しかったが、隙をみてレアフィールとニアタは遊んでくれた。仕事と勉強ばかりでは心が死んでしまうからだ。
「ほらこっちだ。頑張れ、ビスターク」
レアフィールとビスタークはいわゆる鬼ごっこをしていた。この町の鬼ごっこは反力石を使うので屋根の上までが範囲である。たまに手加減をしてやったり本気を出してみたり、レアフィールはその辺の加減が上手かった。体力と理力の両方を培うのにこの遊びは最適らしい。遊びと鍛錬をいっぺんに行っていたのである。
遊びが一段落したところで礼拝堂の中で休憩していると、レアフィールにニアタと同い年くらいの女の子が近づいてきた。ビスタークは水を飲みに神殿の中の部屋へ行き戻ってくるところだったので、女の子はレアフィールが一人だと思ってビスタークがいることには気付いていないようだった。
「あ、あの、レア先生」
「なんだい?」
レアフィールはこの時まだ十五歳だったが、学校で勉強を教える立場になっていたので子どもたちに「先生」と呼ばれていた。
「うちの店で焼いたパンです。私も頑張って初めて一人て焼いたから先生に食べてほしくて」
「わあ、美味しそうだね。ありがとう」
レアフィールはにっこり笑って四つ入ったパンの籠を受け取った。女の子の顔は真っ赤だ。レアフィールが何かに気付く。籠の底に何か紙が入っていたようだ。取り出して見ている。
「こういうのは大人になってから本当に好きな人に渡すものだよ」
にっこりと笑ってレアフィールは女の子に紙を返した。その子は今にも泣きそうな表情になり一礼すると後ろを向いて駆け出した。
「レア兄、どうしたの?」
なんとなく隠れていたビスタークは女の子が去ってからレアフィールに近づいて何があったのか気になって聞いてみた。
「パンと一緒にね、紙が入ってたんだけど……あの子の名前が書かれてたんだ。真ん中の頭文字まで全部のね」
結婚の際、相手にミドルネームの頭文字を基にして名前をつけて相手に贈る風習があるため、それを他人に教えるということは「結婚を前提にしたお付き合いをしてほしい」という意味になるのだ。
「あー、お嫁さんにしてってことだよね?」
ビスタークもそのことに気付いた。
「さすがにねえ、早すぎるでしょ」
「そうなの? お嫁さんにしてあげないのか?」
「結婚ってそんなに簡単に決めることじゃないんだよ」
「ふーん」
ビスタークはまだ六歳だったためよくわからなかった。
「レアはもてるからねー」
いつの間にかニアタが近くにいた。どうやらビスタークの後ろで一部始終を見ていたようである。
「今の子で何人目よ、断ったの」
「ニアタ……見てたの?」
「パンのいい匂いがしたから来てみただけ!」
「あ、はい、これもらったよ」
レアフィールはニアタにパンの籠を渡した。
「ありがとう。で、何人目なの?」
ニアタはリューナと違いパンで誤魔化されなかった。
「……三人、かな」
「女泣かせだね」
「そんな言葉どこで覚えたの」
まだ十二歳のニアタにレアフィールが苦笑いをしながら言った。
「私に文句がくるの! あと色々聞かれるの!」
レアフィールは怪訝そうにニアタに聞き返した。
「聞かれるって……どんなこと?」
「お兄さんに好きな人はいるのかとか、好きな食べ物とか色の好みとかどんな女の子が好みなのかとか、色々!」
ニアタはここぞとばかりに文句をレアフィールへぶつけた。
「えー……女の子ってめんどくさいな……」
「私はもっとめんどくさい! 私、関係ないじゃない!」
「うーん、まあ、そうだね……」
レアフィールは困ったように言った。
「冷たくしたら冷たくしたで文句がそっちにいきそうだし、良い対処方法は思いつかないなあ。地道に断るしかないよ、ごめんね、ニアタ」
「はぁー」
ニアタは大きなため息をわざとらしくついた。
「将来の仕事上気軽に女の子とお付き合いするわけにはいかない立場なんだ、とか言っておいて」
「……わかった」
ニアタは渋々返事をした。ビスタークもレアフィールは将来大神官になる都合上、結婚相手に制限があるのだろうとその時は思っていた。
ビスタークの家は血塗れになっていたのをレアフィールが時修石で一日時間を戻して元の綺麗な家にしたらしい。家まるごと囲んで理力を流さなければならないので時修石の使用には大量の理力を必要とするはずである。以前マフティロがそのようなことを言っていた。それをまだ子どものレアフィールができるものなのかと記憶を見ているフォスターは疑問に思ったが、丸ごと囲わず床や壁だけならそれほど理力を使わないのかもしれないとも思った。結局その家は事件の後一度も使われず、現在でも空き家のままである。
両親の葬儀を無事に終え、新しい日常が始まった。神殿に引き取られたビスタークをソレム、レアフィール、ニアタは本当の家族のように優しく暖かく、ときに厳しく接した。
神殿で預かってしばらくは突然夜中に泣き叫ぶ日々が続いた。ビスタークはその度にレアフィールとニアタに抱きしめられ添い寝されていた。二人の体温は暖かく、一緒に眠ると落ち着いた。
最初のうちは無表情で言葉が少なくなっていたビスタークだったが、悪霊事件の後からは神殿の新しい家族のおかげで段々と感情が出てくるようになり、少しずつ話も出来るようになっていった。レアフィールのことをレア兄、ニアタのことをニア姉と呼びとても懐いていた。その関係は本当の兄弟のようだった。あの事件のつらく暗い記憶と気持ちは心の奥底へと封じ込めておいた。
神殿の三人は忙しく働いていた。普通なら複数いる神官が行う日々の業務――毎日の礼拝による神の石の管理、冠婚葬祭、宗教行事、政治、行政、教育、税金の収支、周辺の町や都との連絡、住民同士の仲裁、神の石への理力補充、住民から依頼される理力を多く使う神の石の使用等をソレムと町長二人で担うには負担が大きすぎた。町長も先代が流行り病で亡くなっており、ろくな引き継ぎもないまま就任した新しい町長のためあまり頼りにならない。事件当時、レアフィールは十三歳、ニアタは十歳だったが、子どもの手を借りなければならないほど忙しかった。
フォスターから見ると、レアフィールが年齢のわりに大人びており、仕事がかなり出来たのでなんとかなっている印象だった。
町の人たちも手伝いに来てはいたが、子どもたちも仕事をしていた。レアフィールは業務の補佐や子ども達の授業を担当し、ニアタは主に家庭内の仕事と会計関係を任されながら神官の勉強にも励んでいた。ビスタークも少しずつだが手伝うようになっていった。
ビスタークはあの日を思い出すのか刃物だけは駄目だった。刃物を見ただけで錯乱するビスタークの前で材料を切るなどの食事の支度は出来なかった。ただ、克服しようと毎日少しずつ慣れるための努力だけはしていた。
一度だけ、真剣に忘却石で記憶を消すかとソレムとレアフィールに聞かれていた。忘却神の町から石を取り寄せたらしい。ビスタークは悩んでいたが結局断っていた。両親との幸せな家庭の記憶も無くなるかもしれないと危惧していたからだ。その忘却石は「もし忘れたくなったら使うように」と本人の判断に委ねられビスタークの物になった。この時にもらった石が以前友神の町で使われたものだったのだ。
日々の神殿の仕事はとても忙しかったが、隙をみてレアフィールとニアタは遊んでくれた。仕事と勉強ばかりでは心が死んでしまうからだ。
「ほらこっちだ。頑張れ、ビスターク」
レアフィールとビスタークはいわゆる鬼ごっこをしていた。この町の鬼ごっこは反力石を使うので屋根の上までが範囲である。たまに手加減をしてやったり本気を出してみたり、レアフィールはその辺の加減が上手かった。体力と理力の両方を培うのにこの遊びは最適らしい。遊びと鍛錬をいっぺんに行っていたのである。
遊びが一段落したところで礼拝堂の中で休憩していると、レアフィールにニアタと同い年くらいの女の子が近づいてきた。ビスタークは水を飲みに神殿の中の部屋へ行き戻ってくるところだったので、女の子はレアフィールが一人だと思ってビスタークがいることには気付いていないようだった。
「あ、あの、レア先生」
「なんだい?」
レアフィールはこの時まだ十五歳だったが、学校で勉強を教える立場になっていたので子どもたちに「先生」と呼ばれていた。
「うちの店で焼いたパンです。私も頑張って初めて一人て焼いたから先生に食べてほしくて」
「わあ、美味しそうだね。ありがとう」
レアフィールはにっこり笑って四つ入ったパンの籠を受け取った。女の子の顔は真っ赤だ。レアフィールが何かに気付く。籠の底に何か紙が入っていたようだ。取り出して見ている。
「こういうのは大人になってから本当に好きな人に渡すものだよ」
にっこりと笑ってレアフィールは女の子に紙を返した。その子は今にも泣きそうな表情になり一礼すると後ろを向いて駆け出した。
「レア兄、どうしたの?」
なんとなく隠れていたビスタークは女の子が去ってからレアフィールに近づいて何があったのか気になって聞いてみた。
「パンと一緒にね、紙が入ってたんだけど……あの子の名前が書かれてたんだ。真ん中の頭文字まで全部のね」
結婚の際、相手にミドルネームの頭文字を基にして名前をつけて相手に贈る風習があるため、それを他人に教えるということは「結婚を前提にしたお付き合いをしてほしい」という意味になるのだ。
「あー、お嫁さんにしてってことだよね?」
ビスタークもそのことに気付いた。
「さすがにねえ、早すぎるでしょ」
「そうなの? お嫁さんにしてあげないのか?」
「結婚ってそんなに簡単に決めることじゃないんだよ」
「ふーん」
ビスタークはまだ六歳だったためよくわからなかった。
「レアはもてるからねー」
いつの間にかニアタが近くにいた。どうやらビスタークの後ろで一部始終を見ていたようである。
「今の子で何人目よ、断ったの」
「ニアタ……見てたの?」
「パンのいい匂いがしたから来てみただけ!」
「あ、はい、これもらったよ」
レアフィールはニアタにパンの籠を渡した。
「ありがとう。で、何人目なの?」
ニアタはリューナと違いパンで誤魔化されなかった。
「……三人、かな」
「女泣かせだね」
「そんな言葉どこで覚えたの」
まだ十二歳のニアタにレアフィールが苦笑いをしながら言った。
「私に文句がくるの! あと色々聞かれるの!」
レアフィールは怪訝そうにニアタに聞き返した。
「聞かれるって……どんなこと?」
「お兄さんに好きな人はいるのかとか、好きな食べ物とか色の好みとかどんな女の子が好みなのかとか、色々!」
ニアタはここぞとばかりに文句をレアフィールへぶつけた。
「えー……女の子ってめんどくさいな……」
「私はもっとめんどくさい! 私、関係ないじゃない!」
「うーん、まあ、そうだね……」
レアフィールは困ったように言った。
「冷たくしたら冷たくしたで文句がそっちにいきそうだし、良い対処方法は思いつかないなあ。地道に断るしかないよ、ごめんね、ニアタ」
「はぁー」
ニアタは大きなため息をわざとらしくついた。
「将来の仕事上気軽に女の子とお付き合いするわけにはいかない立場なんだ、とか言っておいて」
「……わかった」
ニアタは渋々返事をした。ビスタークもレアフィールは将来大神官になる都合上、結婚相手に制限があるのだろうとその時は思っていた。