残酷な描写あり
R-15
094 帰還準備
レアフィールとの戦闘訓練は神衛兵になるためである。この時代、父リーザックが死去したのでこの町には神衛兵が一人もいない。先祖代々神衛兵の血筋ということもあって、ビスタークは父親を継いで神衛兵になりたいと希望していた。
まずは素手で訓練した。刃物が克服できていないのと、剣の長さに対して身体の大きさが合わないためだ。主に基礎体力の強化と身体の柔軟化と敵の重心を崩して倒す訓練を行った。フォスターがビスタークに訓練させられたのと一緒だった。
「人間の足は二本しか無いから軸足を払ってバランスを崩して、さらに崩れるように一定の方向に力を入れてやれば簡単に倒れるんだ。体の造りに関しても勉強したろ。こういうのに活きてくるんだよ」
レアフィールは勉強の有用性を説きながら訓練の相手をした。
刃物のトラウマはまず神衛兵の剣で乗り越えた。この剣は普通には斬れないのでそこで安心したようだった。
「身体が成長しないとちゃんと扱えないと思うけど、癖の強い剣だから振ったらどういう衝撃を与えられるかは感覚で覚えておいたほうがいい。まあ、神衛兵の対人訓練にこの剣は使えないだろうから、これは一人でやっていくしかないかな。成長してからじゃ俺はもういないから、大きな町の神衛の訓練に参加できるように頼んでおくよ。そうだな……眼神の町がいいかな。それまでは俺が相手を務めるよ」
レアフィールはそう言って毎日の訓練を続けさせた。
あれからずっと町の中には行かず神殿の周りだけで過ごしていたので何か良くない噂があったかもしれないが、ビスタークの耳に入ることは無く平和に過ごした。授業を受けに来る子どもたちはビスタークのことを悪く言ったりはしなかったが、人と距離をとっていたので友達と呼べるような相手はいなかった。レアフィールの教育の甲斐あってビスタークの頭の出来は良かったのでたまに教える側にまわることもあった。
特に変化も無く日々を送っていたが、レアフィールが神の世界へ帰る日は段々近付いている。ビスタークは十一歳、ニアタは十七歳、レアフィールは二十歳になるところだった。おそらく誕生日が来たらその日のうちに向こうへ帰ることになるだろうという予測をしていた。
「本当に行っちゃうのか? やめちゃえよ神様なんて。ずっとここにいればいい」
「そういうわけにもいかないんだよ。これから町を守っていく責任があるんだ」
ビスタークはレアフィールへ事あるごとにそういう会話をしていた。レアフィールも帰りたくない様子だったのだがそう出来ないところを見ると現在の飛翔神か大神に何か弱みでも握られているのではないかとフォスターは思った。もしかすると町民たちや神殿の家族を人質に取られているような状態なのかもしれない。
ある日、ビスタークはニアタと二人で食事の支度をしている時にレアフィールがいなくなることについて聞いてみた。もう包丁のトラウマは克服していて普通に扱えるようになっていた。
「ニア姉はどう思ってんだよ」
「どうって……しょうがないじゃない。最初から決まってることなんだし」
「それで本当にいいのかよ。ニア姉、レア兄のこと好きなんだろ?」
「なっ……」
ニアタは顔が真っ赤になった。
「バレてないと思ってたのか? わかるさそのくらい」
「うるさい!」
「レア兄すげえモテるしなー、焼きもち妬いてたの知ってるぜ」
ビスタークがニヤニヤしながらニアタをからかっている。
確かにレアフィールは女性陣からかなり持て囃されているようだった。優しくて穏やかでそれなりに身長もあり、頭と顔も良いのでモテないはずがなかった。
「人と違って神の子には恋愛感情なんて無いんじゃないかな。性別も本当ならいらないらしいし。それにレアは私を妹としか思ってないわよ」
「そうかもしれないけど、伝えなくていいのかよ」
「……わかってるんじゃないかなあ」
ニアタは寂しげに目を伏せ、そしてこう言った。
「女の子の中で私だけがレアのことを覚えていられるの。それって私だけが特別ってことでしょう? それだけでいいのよ」
「よくねえだろ! ずっとつらい思いをするぞ。俺は嫌だ、そんなの」
「ビスターク……あまり聞き分けがないと記憶を消されるわよ。それでもいいの?」
絶句した。そうだ、レア兄はそれができるのだ、と今更ながらそう思った。ビスタークは漠然と自分には使わないと考えていた。というより思ってもみなかったのである。普段は穏やかだから忘れがちだが、向こうは神なのだ。いざという時には強硬手段がとれるということを考えていなかった。
「なんの話?」
仕事を終えたレアフィールが厨房に入ってきた。ニアタはしれっと話題を変える。
「明日の晩ごはんは何にしようかなって。レアがいなくなっちゃうから好きなもの作ってあげようかと思って」
「ニアタが作ってくれるものならなんでも美味しいよ」
にっこり笑いながら言ってのける。レアフィールは天然の人たらしであった。少し赤くなったニアタを横目で見ながらビスタークは「これだからレア兄は」と内心呆れながら口からは別の言葉を放つ。
「レア兄は何かあっちに行く準備とかしなくていいのか?」
ビスタークはそう聞いた。
「準備とかは無いけど、どうしようか悩んでることならある」
「行くのやめるかどうか?」
少しだけ期待して聞いてしまった。
「はは、違うよ。身体ごといなくなるなら記憶を消して行くけど、身体を残して死んだことにして中身だけ行くって手もあるなあと思って」
思ってもいなかったことを言われて驚いた。
「そんなことできるのか。神の世界って身体が無いのか?」
「無いわけじゃないけど、この身体はここで暮らすためのただの入れ物なんだよ。次元が違うから三次元用の身体だと不便なんだ」
「次元?」
「教えたろ、ここは三次元だって。あっちは四次元なんだ。高さ、横、奥行きの他にもう一つ垂直になる方向があるんだよ。直線から正方形、正方形から立方体になるように、その先があるんだ」
「そのもう一つの方向ってのが何度聞いてもよくわからない」
ビスタークは難しい顔をしてレアフィールにそうぼやいた。
「んー、自分たちより上の次元のことは絶対に理解できないんだよ。俺にも五次元以上は理解できないし。だからそういうのがあるってことを知ってるだけでいいよ」
レアフィールは少し寂しそうな表情を浮かべて続ける。
「話を元に戻すけど、身体を残していけばみんなの記憶に残るんだ。若くして亡くなった人間として。大きな町と違ってここならできそうだなって」
「そうなると火葬することになるのか? 昇り星はどうなる?」
「向こうへ行く時に合わせれば大丈夫だと思う。方向はちょっと変というか、途中で消えたように見えるかもね。次元が違うところへ行くから」
二人の会話をニアタは黙って聞いていた。
「レア兄に振られた女たちが輝星石で星がわからないとか言ったらなんて言い訳すればいいんだ?」
「一番大事な人じゃなかったからわからないんだって言えばいいんだよ」
レアフィールはあれからも女の子何人かに告白されていたが全て断っていた。「仕事上色々問題があるから」と。本人的には「嘘はついてない」らしい。
黙って聞いていたニアタに向かってレアフィールは質問を投げた。
「ニアタはどう思う?」
「……嫌。生きてるのに身体を燃やしちゃうなんて」
出来るだけ悲しい顔をしないようにしているようだった。さっき言っていた「特別」では無くなるからだな、とビスタークは思った。
「じゃあやっぱり予定通り身体があるまま向こうに行くよ。この身体は思い出に飾っとく」
「うん」
ニアタは寂しそうに笑った。
まずは素手で訓練した。刃物が克服できていないのと、剣の長さに対して身体の大きさが合わないためだ。主に基礎体力の強化と身体の柔軟化と敵の重心を崩して倒す訓練を行った。フォスターがビスタークに訓練させられたのと一緒だった。
「人間の足は二本しか無いから軸足を払ってバランスを崩して、さらに崩れるように一定の方向に力を入れてやれば簡単に倒れるんだ。体の造りに関しても勉強したろ。こういうのに活きてくるんだよ」
レアフィールは勉強の有用性を説きながら訓練の相手をした。
刃物のトラウマはまず神衛兵の剣で乗り越えた。この剣は普通には斬れないのでそこで安心したようだった。
「身体が成長しないとちゃんと扱えないと思うけど、癖の強い剣だから振ったらどういう衝撃を与えられるかは感覚で覚えておいたほうがいい。まあ、神衛兵の対人訓練にこの剣は使えないだろうから、これは一人でやっていくしかないかな。成長してからじゃ俺はもういないから、大きな町の神衛の訓練に参加できるように頼んでおくよ。そうだな……眼神の町がいいかな。それまでは俺が相手を務めるよ」
レアフィールはそう言って毎日の訓練を続けさせた。
あれからずっと町の中には行かず神殿の周りだけで過ごしていたので何か良くない噂があったかもしれないが、ビスタークの耳に入ることは無く平和に過ごした。授業を受けに来る子どもたちはビスタークのことを悪く言ったりはしなかったが、人と距離をとっていたので友達と呼べるような相手はいなかった。レアフィールの教育の甲斐あってビスタークの頭の出来は良かったのでたまに教える側にまわることもあった。
特に変化も無く日々を送っていたが、レアフィールが神の世界へ帰る日は段々近付いている。ビスタークは十一歳、ニアタは十七歳、レアフィールは二十歳になるところだった。おそらく誕生日が来たらその日のうちに向こうへ帰ることになるだろうという予測をしていた。
「本当に行っちゃうのか? やめちゃえよ神様なんて。ずっとここにいればいい」
「そういうわけにもいかないんだよ。これから町を守っていく責任があるんだ」
ビスタークはレアフィールへ事あるごとにそういう会話をしていた。レアフィールも帰りたくない様子だったのだがそう出来ないところを見ると現在の飛翔神か大神に何か弱みでも握られているのではないかとフォスターは思った。もしかすると町民たちや神殿の家族を人質に取られているような状態なのかもしれない。
ある日、ビスタークはニアタと二人で食事の支度をしている時にレアフィールがいなくなることについて聞いてみた。もう包丁のトラウマは克服していて普通に扱えるようになっていた。
「ニア姉はどう思ってんだよ」
「どうって……しょうがないじゃない。最初から決まってることなんだし」
「それで本当にいいのかよ。ニア姉、レア兄のこと好きなんだろ?」
「なっ……」
ニアタは顔が真っ赤になった。
「バレてないと思ってたのか? わかるさそのくらい」
「うるさい!」
「レア兄すげえモテるしなー、焼きもち妬いてたの知ってるぜ」
ビスタークがニヤニヤしながらニアタをからかっている。
確かにレアフィールは女性陣からかなり持て囃されているようだった。優しくて穏やかでそれなりに身長もあり、頭と顔も良いのでモテないはずがなかった。
「人と違って神の子には恋愛感情なんて無いんじゃないかな。性別も本当ならいらないらしいし。それにレアは私を妹としか思ってないわよ」
「そうかもしれないけど、伝えなくていいのかよ」
「……わかってるんじゃないかなあ」
ニアタは寂しげに目を伏せ、そしてこう言った。
「女の子の中で私だけがレアのことを覚えていられるの。それって私だけが特別ってことでしょう? それだけでいいのよ」
「よくねえだろ! ずっとつらい思いをするぞ。俺は嫌だ、そんなの」
「ビスターク……あまり聞き分けがないと記憶を消されるわよ。それでもいいの?」
絶句した。そうだ、レア兄はそれができるのだ、と今更ながらそう思った。ビスタークは漠然と自分には使わないと考えていた。というより思ってもみなかったのである。普段は穏やかだから忘れがちだが、向こうは神なのだ。いざという時には強硬手段がとれるということを考えていなかった。
「なんの話?」
仕事を終えたレアフィールが厨房に入ってきた。ニアタはしれっと話題を変える。
「明日の晩ごはんは何にしようかなって。レアがいなくなっちゃうから好きなもの作ってあげようかと思って」
「ニアタが作ってくれるものならなんでも美味しいよ」
にっこり笑いながら言ってのける。レアフィールは天然の人たらしであった。少し赤くなったニアタを横目で見ながらビスタークは「これだからレア兄は」と内心呆れながら口からは別の言葉を放つ。
「レア兄は何かあっちに行く準備とかしなくていいのか?」
ビスタークはそう聞いた。
「準備とかは無いけど、どうしようか悩んでることならある」
「行くのやめるかどうか?」
少しだけ期待して聞いてしまった。
「はは、違うよ。身体ごといなくなるなら記憶を消して行くけど、身体を残して死んだことにして中身だけ行くって手もあるなあと思って」
思ってもいなかったことを言われて驚いた。
「そんなことできるのか。神の世界って身体が無いのか?」
「無いわけじゃないけど、この身体はここで暮らすためのただの入れ物なんだよ。次元が違うから三次元用の身体だと不便なんだ」
「次元?」
「教えたろ、ここは三次元だって。あっちは四次元なんだ。高さ、横、奥行きの他にもう一つ垂直になる方向があるんだよ。直線から正方形、正方形から立方体になるように、その先があるんだ」
「そのもう一つの方向ってのが何度聞いてもよくわからない」
ビスタークは難しい顔をしてレアフィールにそうぼやいた。
「んー、自分たちより上の次元のことは絶対に理解できないんだよ。俺にも五次元以上は理解できないし。だからそういうのがあるってことを知ってるだけでいいよ」
レアフィールは少し寂しそうな表情を浮かべて続ける。
「話を元に戻すけど、身体を残していけばみんなの記憶に残るんだ。若くして亡くなった人間として。大きな町と違ってここならできそうだなって」
「そうなると火葬することになるのか? 昇り星はどうなる?」
「向こうへ行く時に合わせれば大丈夫だと思う。方向はちょっと変というか、途中で消えたように見えるかもね。次元が違うところへ行くから」
二人の会話をニアタは黙って聞いていた。
「レア兄に振られた女たちが輝星石で星がわからないとか言ったらなんて言い訳すればいいんだ?」
「一番大事な人じゃなかったからわからないんだって言えばいいんだよ」
レアフィールはあれからも女の子何人かに告白されていたが全て断っていた。「仕事上色々問題があるから」と。本人的には「嘘はついてない」らしい。
黙って聞いていたニアタに向かってレアフィールは質問を投げた。
「ニアタはどう思う?」
「……嫌。生きてるのに身体を燃やしちゃうなんて」
出来るだけ悲しい顔をしないようにしているようだった。さっき言っていた「特別」では無くなるからだな、とビスタークは思った。
「じゃあやっぱり予定通り身体があるまま向こうに行くよ。この身体は思い出に飾っとく」
「うん」
ニアタは寂しそうに笑った。