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 父さんが突然「僕は選ばれた勇者なんだ。魔王を倒さなくてはいけない。これは僕に与えられた使命なんだ! 僕の物語なんだ!」と言い出し、高笑いをしながら、「真の正体は魔王なんだ。勇者を倒さなくては(以下略)」と言う隣のおじさんと戦い、そしてそれを止めようとする僕と母さんを尻目に仲直りをし、一緒にデュエットを始めた――という夢を見ていた僕の頭の中に、マチルダさんの声が遠くから聞こえてくる。

「……うく……」

 すると画面は真っ暗になり、父さんとおじさんの、ウヅキ村に代々伝わるラブソングメドレーデュエットも気のせいのような気がしてきた。

「……きて、ユウ君…………」

 マチルダさんの声。
 そんなことを言うなんて。
 ……まだ夢を見ているのだろうか。僕は目を閉じたまま考えた。

「起きて、ユウ君」

 ああ、起きてか。
 僕は目を開け--声帯を震わせながら、息を妙な風に飲み込んだ。

「うひぃぃ……!」

 間近にあったのはマチルダさんの顔。
 その気になれば、まつげも数えられそうだし、ほんのちょっと頭を持ち上げれば、そのまま僕の記念すべきファーストキスを奪われちゃうくらいの距離だ。
 な、何でそんな距離にマチルダさんが?
 混乱する頭を必死に落ち着かせ、僕は唇を奪われないよう頭を持ち上げないで、そのまま布団にもぐり、その中でもぞもぞと方向転換をし、頭を出した。

「何やってるの? ユウ君」

 それはこっちの台詞だ!
 布団の端から、僕は驚き冷めやらぬ震える声で言った。

「い、い……、いたいけな十五歳の少年を弄ばないでくださいよぉ……」
「何のこと? わたしはただ、もうすぐ夕飯だから起こしに来ただけなんだけど」
「おんどれは顔近づけすぎなんじゃ! 下心マル見えなんじゃ!」

 そう言ったトリオは、マチルダさんのマントの上に乗って引っ張っろうとしていた。止めようとしてくれて、ありがとう。
 トリオは大きなため息をしてから、僕を見た。

「ユウは身体はもう大丈夫か?」
「まあ、なんとか……」
「じゃったら、そろそろ行くとするかのう」

 トリオの言葉に、マチルダさんはすくっと立ち上がり、扉を開け、廊下へと出た。トリオもその後に続いて飛んでいる。後に残された僕は、まず布団から出て、服のシワを直し、急ぎ足で部屋を出た。

「……おいてかなくてもいいじゃないかよぉ」

 呟いたが、そんな言葉は誰も聞いてくれなかった。




 そして夕飯から数時間後、僕らは「朝頃に帰ってくる」と女将さんに言ってから、フミヅキ亭を出た。普通の宿だと、真夜中の外出は禁止だ。マチルダさん曰く、その辺の融通がきくのが、旅人用の宿のいいところなんだそうだ。
 そして、

「サンドイッチもらっちゃった」

 夜中、お腹がすくだろう、と女将さんがサービスで作ってくれたのだ。ご主人と同じく優しい女将さんだ。
 父さんが日々作っていたサンドイッチを思い出した。学校用と勤め先用に、僕と母さんと父さんの三人分作っていたっけ。中級学校に入ったら手伝おう。僕は思った。

「儲けたの」
「トリオの分もあるみたいだしね」

 元人間だが、今は鳥となっているトリオの食事は、くちばしでつかめるものだったら、人間が食べる物と同じと考えて平気だ。何しろ旅立つ前、目玉焼きと鶏肉の入ったクリームシチューを何食わぬ顔で食べたんだから。それを出したうちの親も親だけど。
 少女から受け取った地図を持つマチルダさんを先頭にして、そのまま足を進めていった僕たちは、マチルダさんの言葉で足を止めた。

「あの子の地図によると、ここらの壁に入口があるはずね。細かい場所がよく分からないから、ユウ君とバカ鳥もその辺探してみて」

 言われた通り、僕は壁を眺めてみた。魔法を使うと反応しそうだから、下手には使えない。僕はそろそろ暗さに慣れた目で、必死に探した。トリオもおとなしく探している。

 そうして少し経った頃、マチルダさんが声を挙げた。

「あったわ。こっち来て」

 そこには、かがんで入れるくらいの小さな扉があった。おかしいと思ったのは、さっき僕がそこを探した時は全然見つからなかった、ということ。でも、暗かったし、何か寝不足で頭が痛いし、見過ごしちゃったんだろうと思い、深く考えるのはよしておいた。

「で、まず誰から入るんじゃ?」
「ジャンケンね」

 マチルダさんの即答。握りこぶしを振り上げる。
 僕は手を横に振った。

「いや、それはトリオ出せませんよ……」
「なら、あみだくじね」

 マチルダさんの即答パート二。
 その意見に有無を言わさず、マチルダさんは地面に三本の縦線を引き、下に番号を書いた。そして僕とトリオに場所を聞く。
 僕は右、トリオは左を選んだ。消去法で真ん中のマチルダさんは何本か横線を引く。
 そして結果は僕が読み上げる。

「トリオが三番。マチルダさんが二番。で、僕が――」
「一番ね」
「一番じゃな」

 一人と一羽の声が見事に合わさり、同時に互いを見、同時にそっぽを向いた。
 そんな様子を見ながら、僕は何でだか、夢の世界での父さんとおじさんのデュエットを思い出した。

「分かってます……」

 僕は腰につけていた把手のついた透明な瓶を手に取り、同じく腰につけている袋から粉の入った小袋を取り出し、瓶に入れ、息を吹きかけた。瓶の中は淡く光った。これは、ヒカリ草の一種の粉を煎じたものだ。何があるか分からないので、魔法を使う気にはまだなれない。

 瓶の把手を握り、僕はかがんで扉の中を潜った。

 扉から入ったら、立って歩ける高さになった。まず階段があり、それが終わってからも緩やかな下り坂。だんだんと地下に続いているのだ。
 テービットさんの魔法研究。そんな言葉が僕の頭の中によみがえった。
 ランプ一つで照らされる暗い部屋。黒っぽい大釜がぐったぐったという音をたてながら紫色の湯気とあぶくを出している。壁にはカエルの干物や薬草の束がかけられていて、棚には様々な色の液体が入っている瓶、他の棚には数え切れないほどの時を経て、ボロボロになった背表紙の魔法書がいいかげんに並んである。

 そして、片方の手には薬包紙に包まれた深緑とかビリジアンとかパーマネントグリーンとか……って、全部緑だ。とにかく毒々しい色の粉薬。もう一方の手ではそのたくさんある魔法書のうちの一冊を持ち、低い声で密やかに笑う、中年の男性――
 僕の中では最大限に努力した、魔法研究の図だ。

 ……怪しい。

 しかも、とても恐ろしい。
 僕は自分の想像に、体が震えた。

「ま、まさか……、ウワサの魔法研究室に繋がっているんじゃないよなぁ……」
「案外、そうなのかもね」
「まあ、行ってみなければ分からんモンじゃ。屋敷の住人に教えてもらったんじゃし、行こう」
「そうそう」

 一人と一羽の言葉に、僕は溜め息をついた。
 さすが、旅の短槍使いと、英雄の元パートナーだ。僕とは考え方が全然違うし、度胸の座り方も大したものだ。
 やっぱりこういう人が、旅に出て何やらかんやらをどうかするんだろうなぁ。
 何が間違って旅に出るようになったのかは分からないが、今まではただの村人でしかなかった僕には出来ない考えだな、と思った。

「……羨ましい性格のヤツらだこと」

 寝不足からかキリキリこめかみが痛む。
 そんな中、何で僕は旅に出ているんだろう。
 疑問を追い出すべくもう一回溜め息をつき、僕は瓶を持つ手を前に突き出した。
 そんな恐ろしい所行きたくない、と叫ぶ足を出来る限り速めることにして。
次章では作中一番様子がおかしいおじさんが出ますが、逆に言うと、それ以上おかしい人は出ないのでご安心ください。
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