7.(2)
翌日、手土産と一人と二匹分の弁当を持って、ニルレンとタマとベンは出かけていった。中身に好物が入っていたと、ニルレンはここ最近の日常通り、抱きついてきた。
一人と二匹を見送って、トリオは深くため息を付いた。誰もいない部屋で、手を広げて大きく息をする。
「……やっと静かになった」
一緒に住んでから三週間。日を増すごとにニルレンの愛情表現が大袈裟になっているような気がする。
ニルレンはどう考えても、浮かれ過ぎていた。
喜んでいる姿は可愛い。とても可愛い。好きな相手が自分にそこまで想ってくれるのも、そこまで甘えてくれるのも物凄く可愛い。嬉しい。
最初の五日間位は幸せだった。
ただ、あの熱量を三週間四六時中ぶつけられるとそれはそれで疲れる。
捻って纏めた長い黒髪に、群青の瞳、意志の強さを感じる眉、女性にしては背の高いすらりとした体型で、凛とした雰囲気で、はきはきと通りの良い声で知的なことを喋る勇者様。
五つも年下の身近な相手に抱く感情として是と言い切れない所があるが、あれが格好良くて好きだった。
元々好かれているのは知っていたし、元々昔から甘えてきた。ただ、成長して清廉で高潔な姿を拝ませてくれたあの勇者が、ここまで恋愛脳に変わるとは思わなかった。
両思いという恵まれている中、贅沢過ぎる悩みなのは認識している。しかし、一週間離れるということで、少し頭を冷やしてもらいたいのが本音だ。
本業についてはしっかりとした態度でやっているようだが、トリオだって、あの、凛々しくて気高かった勇者が好きだ。まだまだ幼いところはあるし、甘えてくるのも可愛いとはいえ、あの格好良いのをたまには見たい。
そこまで思ったところで、ニルレンが会いに行くといっていたかつての仲間を思い出す。
「……ダメじゃ。あいつに会ったら悪化する」
仲間の乾いた笑い声で頭の中が埋まり、背筋の冷たくなったトリオは首を振った。
本日の家事を済ませることにする。
一週間、住人も猿も猫も一人ずつ減るため負担はさほどない。食事の準備をする必要もない本日の残作業は洗濯を干すくらいだ。自身も長時間不在にするため、外に干す判断はやめた。
部屋干しにする際、利用している道具を確認した。居間の壁にリュートと共に立てかけている剣だ。
一応防犯用の位置付けだったが、冒険者も来ない平和なこの村では三週間物干し竿代わりとしてしか役立っていない。
ニルレンは当初複雑そうな表情はしていたが、家のものを増やしたくないらしく、やがて気にしなくなった。
必要に応じて長さが変わるので掃除や部屋干しには便利だが、一応邪を払う聖剣だ。手に入れるのにはそれなりに苦労した。この聖剣を使う機会が再び来るのかは分からないし、押し入れに片付けている装具品も含めてトリオ以外の人間は扱えない。そのことから悪用される可能性は極めて低いが、無くしても寝覚めが悪い。そのため、剣だけは一応持っていくことにする。
トリオは外にある物干し竿を部屋に入れて、家具と扉の間にかけた。
ニルレンほどではないが、家庭とはしばらく縁遠い人生を過ごしてきた自分が、こうしてすっかり主夫じみてしまった。トリオは苦笑する。
報奨金で生活には困らないし、ニルレンと違い遠方出かけないと成り立たない本職であるし、首都近くのこの村では家業は主流ではない。やれることもないし、しばらく家で研究にふけるニルレンの世話をしていた。
しかし、この飯事のような生活をいつまで続けるべきか分からない。
故郷を出てからこれまでずっと進み続けていたため、ゆっくりしたい気もする。しかし、このまま停滞していていいのかという気持ちもある。
三週間経った今も結論は出ない。
出かける準備をするため、帽子を深く被り、さらりとした色の薄い金髪を隠した。暗い色の外套を羽織って体型も分かりづらくした。口元も隠す。少し怪しいのは分かっているが、自分の容姿は目立つらしい。今はわざと目立たせる場面ではない。
故郷では似たような顔立ちの人が多かったし、兄や姉や友達の方が目立つ容姿をしていたから、知らなかった。自分の容姿が一般的に良い方だというのは。
できれば故郷のようにもう少し人が少ない畑や森や山に囲まれたような静かなところに住みたかった。ただ、都会近くの方が様々な人間がいるため、自分やニルレンのような異質な人間は混ざりやすい。
報償として得た財産とニルレンの伝手で城に比較的近い南側にある村の外れに住むことにして数週間だが、今のところは特に不便は感じない。ここは冒険者はほとんど訪れない村だが、適度に人の出入りがあるらしく、二人のような訳ありにも寛容だ。
元冒険者の若夫婦として挨拶はしたが、軽い世間話程度でそこまで踏み込んでは来ない。
一応世界を救っているし、それ以外にもそこそこ人助けをしてきた気がするのだが、まるでお尋ね者のようだ。決してそのような待遇は受けていないのだが、何となく肩身の狭さは感じてしまう。
正直なところ、世界を救った救世主やら勇者やら英雄のパートナーなんて呼び名は重すぎる。向いてない。
王に謁見する際、ニルレンから一歩引いて存在感を減らそうとしたら「今日は引くな。わたしの相棒として堂々と立ちなさいよ」と静かに冷たく注意された。
交際する前だったため、その時の英雄は冷静だった。
家を出ると、風が少し強かった。全身にやや冷たい風を受けると、最近いつも温かかった左腕や背中を思い出した。今日はいつもよりも動きやすい。
「しばらく帰ってこないなら、別に慌てて帰らんでもええし、久々に羽を伸ばしてもええか」
隠した口元をかつての仲間のように片側上げて、トリオは日帰りの距離の城下町へ出かけることにした。
ニルレンのことは大切だが、それはそれ、これはこれだ。ニルレンも言っていたではないか。今はまだ自分は自由の身だ。
のんびりしよう。
ということで、買い出しをした後、その場で宿屋を取り、近くの酒場へ行った。料理が美味くて評判らしい。
「……帰りを気を使わなんでいいのはええなぁ」
かつて旅の間に一人で行くことはあった。しかし、情報収集という目的があったのと、宿にニルレンが待っているため、深く楽しんだことがない。
別にニルレンが文句を言う訳ではなかったし、途中からはニルレンの話し相手になる仲間もいたのだが、五歳下の少女を置いたまま酒を楽しむのもやりづらかった。
多分、自分は今までずっと物凄く無理をしてきた。かつて自分を可愛がってくれた両親や兄や姉を思い出しながら、勇者の手助けなんて無理なことをしてきた。
末っ子なのに。
兄と姉の後ろに隠れてぼんやり過ごしていたのに。
だから今はのんびりする。
「えーと、まずはエール一杯。あと、おすすめにあるそれ」
駆けつけ一杯、ジョッキに入ったエールを飲む。今日のおすすめは茹で豆のようだ。味付けに何を使っているか確かめるべく、トリオは黙って豆を口に運ぶ。
浅めの塩味の中に確かな歯ごたえがする。酒に合うようにか、茹で時間は短めのようだ。つけ添えソースは刻んだ野菜が多く入っていて、肉にかけても合いそうだ。
スプーンでソースの具を確かめながら 黙々と食べていると、背後から声がした。
「にーちゃん、ずいぶん男前だな。女を泣かせてきたクチかい?」
帽子は被ったままだが、飲食するため、外套や口元の布は外している。首都ワシスは今住んでいる村よりは旅人が多く、見知らぬ人に話しかけられる確率は高い。
すでに出来上がっている右隣の男はこちらの顔をのぞき込んで言った。
「え、はい、どうも……。泣かせてはおらんはずですけど…」
機嫌を損ねないように、ひとまず頭を下げる。
どちらかというと、泣かされた側だと思っている。
人間性格に合わない能力は不要だ。
若い頃、ワシスに来た直後は顔を出していた。その時はそれなりに声をかけられた気がするが、性格が追いつかないため、浮かれていたらすぐに去られた。
青春の黒い一頁だ。
今は自分の見かけがいいことだけは否定しないことにしている。経験上、否定するより、肯定する方が話の流れがましだった。
しかし、今は一番差し支えない言葉が言える。
「恋人がおるんで、他の女性がどうとかは考えられんですね!」
「おっ、その様子は付き合いたてだな!」
祝いにと一杯奢ってくれた後、男は去っていった。再び一人で飲む。
黙って飲んでいると様々な音が聞こえてくる。普段味わえない喧噪は嫌いではない。酒も入っているし、気分が高揚してくる。本当は誰か連れがいると楽しいだろうが、あいにく誘えるような相手はいない。
黙ってこの騒々しい空気を味わっていると、ふと、この賑やかさを守ったのは自分たちだと思い出した。自分も混ざりたい。
隣の席の酔っ払いもいなくなり、再び飲み物と料理を注文していると、そこにはいないはずの声が聞こえた。
「おーおー、そんなところに男前がいる。普段外せない羽目を外しているね。いいねいいねー」
一ヶ月前には嫌になるほど良く聞いた、淡々とした話し方。
トリオは振り向いた。
前とは違う旅装束だ。マントについているフードから、顎の長さで揃えられている短い茶髪が飛び出している。
そこにはかつて仲間として連れ立っていた少女が、片側の口角だけを上げ、立っていた。
一人と二匹を見送って、トリオは深くため息を付いた。誰もいない部屋で、手を広げて大きく息をする。
「……やっと静かになった」
一緒に住んでから三週間。日を増すごとにニルレンの愛情表現が大袈裟になっているような気がする。
ニルレンはどう考えても、浮かれ過ぎていた。
喜んでいる姿は可愛い。とても可愛い。好きな相手が自分にそこまで想ってくれるのも、そこまで甘えてくれるのも物凄く可愛い。嬉しい。
最初の五日間位は幸せだった。
ただ、あの熱量を三週間四六時中ぶつけられるとそれはそれで疲れる。
捻って纏めた長い黒髪に、群青の瞳、意志の強さを感じる眉、女性にしては背の高いすらりとした体型で、凛とした雰囲気で、はきはきと通りの良い声で知的なことを喋る勇者様。
五つも年下の身近な相手に抱く感情として是と言い切れない所があるが、あれが格好良くて好きだった。
元々好かれているのは知っていたし、元々昔から甘えてきた。ただ、成長して清廉で高潔な姿を拝ませてくれたあの勇者が、ここまで恋愛脳に変わるとは思わなかった。
両思いという恵まれている中、贅沢過ぎる悩みなのは認識している。しかし、一週間離れるということで、少し頭を冷やしてもらいたいのが本音だ。
本業についてはしっかりとした態度でやっているようだが、トリオだって、あの、凛々しくて気高かった勇者が好きだ。まだまだ幼いところはあるし、甘えてくるのも可愛いとはいえ、あの格好良いのをたまには見たい。
そこまで思ったところで、ニルレンが会いに行くといっていたかつての仲間を思い出す。
「……ダメじゃ。あいつに会ったら悪化する」
仲間の乾いた笑い声で頭の中が埋まり、背筋の冷たくなったトリオは首を振った。
本日の家事を済ませることにする。
一週間、住人も猿も猫も一人ずつ減るため負担はさほどない。食事の準備をする必要もない本日の残作業は洗濯を干すくらいだ。自身も長時間不在にするため、外に干す判断はやめた。
部屋干しにする際、利用している道具を確認した。居間の壁にリュートと共に立てかけている剣だ。
一応防犯用の位置付けだったが、冒険者も来ない平和なこの村では三週間物干し竿代わりとしてしか役立っていない。
ニルレンは当初複雑そうな表情はしていたが、家のものを増やしたくないらしく、やがて気にしなくなった。
必要に応じて長さが変わるので掃除や部屋干しには便利だが、一応邪を払う聖剣だ。手に入れるのにはそれなりに苦労した。この聖剣を使う機会が再び来るのかは分からないし、押し入れに片付けている装具品も含めてトリオ以外の人間は扱えない。そのことから悪用される可能性は極めて低いが、無くしても寝覚めが悪い。そのため、剣だけは一応持っていくことにする。
トリオは外にある物干し竿を部屋に入れて、家具と扉の間にかけた。
ニルレンほどではないが、家庭とはしばらく縁遠い人生を過ごしてきた自分が、こうしてすっかり主夫じみてしまった。トリオは苦笑する。
報奨金で生活には困らないし、ニルレンと違い遠方出かけないと成り立たない本職であるし、首都近くのこの村では家業は主流ではない。やれることもないし、しばらく家で研究にふけるニルレンの世話をしていた。
しかし、この飯事のような生活をいつまで続けるべきか分からない。
故郷を出てからこれまでずっと進み続けていたため、ゆっくりしたい気もする。しかし、このまま停滞していていいのかという気持ちもある。
三週間経った今も結論は出ない。
出かける準備をするため、帽子を深く被り、さらりとした色の薄い金髪を隠した。暗い色の外套を羽織って体型も分かりづらくした。口元も隠す。少し怪しいのは分かっているが、自分の容姿は目立つらしい。今はわざと目立たせる場面ではない。
故郷では似たような顔立ちの人が多かったし、兄や姉や友達の方が目立つ容姿をしていたから、知らなかった。自分の容姿が一般的に良い方だというのは。
できれば故郷のようにもう少し人が少ない畑や森や山に囲まれたような静かなところに住みたかった。ただ、都会近くの方が様々な人間がいるため、自分やニルレンのような異質な人間は混ざりやすい。
報償として得た財産とニルレンの伝手で城に比較的近い南側にある村の外れに住むことにして数週間だが、今のところは特に不便は感じない。ここは冒険者はほとんど訪れない村だが、適度に人の出入りがあるらしく、二人のような訳ありにも寛容だ。
元冒険者の若夫婦として挨拶はしたが、軽い世間話程度でそこまで踏み込んでは来ない。
一応世界を救っているし、それ以外にもそこそこ人助けをしてきた気がするのだが、まるでお尋ね者のようだ。決してそのような待遇は受けていないのだが、何となく肩身の狭さは感じてしまう。
正直なところ、世界を救った救世主やら勇者やら英雄のパートナーなんて呼び名は重すぎる。向いてない。
王に謁見する際、ニルレンから一歩引いて存在感を減らそうとしたら「今日は引くな。わたしの相棒として堂々と立ちなさいよ」と静かに冷たく注意された。
交際する前だったため、その時の英雄は冷静だった。
家を出ると、風が少し強かった。全身にやや冷たい風を受けると、最近いつも温かかった左腕や背中を思い出した。今日はいつもよりも動きやすい。
「しばらく帰ってこないなら、別に慌てて帰らんでもええし、久々に羽を伸ばしてもええか」
隠した口元をかつての仲間のように片側上げて、トリオは日帰りの距離の城下町へ出かけることにした。
ニルレンのことは大切だが、それはそれ、これはこれだ。ニルレンも言っていたではないか。今はまだ自分は自由の身だ。
のんびりしよう。
ということで、買い出しをした後、その場で宿屋を取り、近くの酒場へ行った。料理が美味くて評判らしい。
「……帰りを気を使わなんでいいのはええなぁ」
かつて旅の間に一人で行くことはあった。しかし、情報収集という目的があったのと、宿にニルレンが待っているため、深く楽しんだことがない。
別にニルレンが文句を言う訳ではなかったし、途中からはニルレンの話し相手になる仲間もいたのだが、五歳下の少女を置いたまま酒を楽しむのもやりづらかった。
多分、自分は今までずっと物凄く無理をしてきた。かつて自分を可愛がってくれた両親や兄や姉を思い出しながら、勇者の手助けなんて無理なことをしてきた。
末っ子なのに。
兄と姉の後ろに隠れてぼんやり過ごしていたのに。
だから今はのんびりする。
「えーと、まずはエール一杯。あと、おすすめにあるそれ」
駆けつけ一杯、ジョッキに入ったエールを飲む。今日のおすすめは茹で豆のようだ。味付けに何を使っているか確かめるべく、トリオは黙って豆を口に運ぶ。
浅めの塩味の中に確かな歯ごたえがする。酒に合うようにか、茹で時間は短めのようだ。つけ添えソースは刻んだ野菜が多く入っていて、肉にかけても合いそうだ。
スプーンでソースの具を確かめながら 黙々と食べていると、背後から声がした。
「にーちゃん、ずいぶん男前だな。女を泣かせてきたクチかい?」
帽子は被ったままだが、飲食するため、外套や口元の布は外している。首都ワシスは今住んでいる村よりは旅人が多く、見知らぬ人に話しかけられる確率は高い。
すでに出来上がっている右隣の男はこちらの顔をのぞき込んで言った。
「え、はい、どうも……。泣かせてはおらんはずですけど…」
機嫌を損ねないように、ひとまず頭を下げる。
どちらかというと、泣かされた側だと思っている。
人間性格に合わない能力は不要だ。
若い頃、ワシスに来た直後は顔を出していた。その時はそれなりに声をかけられた気がするが、性格が追いつかないため、浮かれていたらすぐに去られた。
青春の黒い一頁だ。
今は自分の見かけがいいことだけは否定しないことにしている。経験上、否定するより、肯定する方が話の流れがましだった。
しかし、今は一番差し支えない言葉が言える。
「恋人がおるんで、他の女性がどうとかは考えられんですね!」
「おっ、その様子は付き合いたてだな!」
祝いにと一杯奢ってくれた後、男は去っていった。再び一人で飲む。
黙って飲んでいると様々な音が聞こえてくる。普段味わえない喧噪は嫌いではない。酒も入っているし、気分が高揚してくる。本当は誰か連れがいると楽しいだろうが、あいにく誘えるような相手はいない。
黙ってこの騒々しい空気を味わっていると、ふと、この賑やかさを守ったのは自分たちだと思い出した。自分も混ざりたい。
隣の席の酔っ払いもいなくなり、再び飲み物と料理を注文していると、そこにはいないはずの声が聞こえた。
「おーおー、そんなところに男前がいる。普段外せない羽目を外しているね。いいねいいねー」
一ヶ月前には嫌になるほど良く聞いた、淡々とした話し方。
トリオは振り向いた。
前とは違う旅装束だ。マントについているフードから、顎の長さで揃えられている短い茶髪が飛び出している。
そこにはかつて仲間として連れ立っていた少女が、片側の口角だけを上げ、立っていた。